学位論文要旨



No 111392
著者(漢字) 丁,炯先
著者(英字)
著者(カナ) チョン,ヒョンサン
標題(和) 医療費への影響要因及び医療システムのマクロ経済的効率性に関する国際比較研究
標題(洋) Cross-Country Analysis upon Influencing Factors of Health Care Expenditure and Macroeconomic Efficiency of Health Care System
報告番号 111392
報告番号 甲11392
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 博医第1046号
研究科 医学系研究科
専攻 保健学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大橋,靖雄
 東京大学 教授 開原,成允
 東京大学 教授 荒記,俊一
 東京大学 教授 梅内,拓生
 東京大学 助教授 西垣,克
内容要旨 1.背景

 医療費や医療制度の問題は医療経済学または保健医療政策分野における長年の関心事であった。特にこの問題に関する国際比較は学者だけではなく他山の石の教訓を得ようとしている保健医療政策決定者には貴重な準拠基準となったこともある。国際比較を通してある国の医療費や医療制度の問題をすべて明らかにすることは困難であるが、国内での資料に基づいた判断に国際比較を追加して議論することにより、その国の置かれている位置が相対的に評価でき、単に仮説に留まる議論だけでなく、より現実性のあるレベルで検定することができる。本論文はこのような意図に基づき国際比較研究を行うものである。

2.構成及び分析方法

 まず第一章では、主に医療費の関連要因ないし決定要因を取り扱っている本論文の主題が、医療制度とこれを取り巻く環境的要因からなっている医療体系全体の中でどこに位置づけられるものかが示される。さらにこのような分析が持っている意味を医療体系全体の観点から述べた。また設定可能な医療政策の諸目標の中で"マクロ経済的効率性"と"公平性"の問題を本論文で論じているが特にそのうちの前者を中心にする議論が医療費分析を通じてなされていることに言及した。第二章では一人当たり医療費と関連がおると思われる11個の予想分野からなる一般モデル(General Model)の設定及び予想分野ごとの代理変数の選択、それからその選択された代理変数と一人当たり医療費との関係に関するに社会経済的仮説設定に関して記述した。また仮説設定のための既存文献の考察も含まれている。第三章では本論文で用いたOECDデータを始め各種データの性格とその意味に関して言及し、費用効果分析ではなく費用分析を主に行った本論文の意図を説明した。また回帰方程式の設定及び各種統計分析方法、国際比較分析における貨幣交換手段が持っている意味に関して記述した。このような方法によって分析した結果及びその意味に関して第四章で考察した。第五章では論文内容の要約を通して結論を導いた。

 既存の医療費に関する国際比較研究が重回帰分析において説明変数間の多重共線性(Multi-collinearity)の問題をおもに逐次的変数選択法によって解決しようとしたのに対して、本研究はこのような方法以外にも多群因子分析(Multi-Group Factor Analysis)の概念を利用した変数クラスターの結果と、それによる各国のクラスター主成分得点を利用するいわゆる"総合的回帰分析"をも利用し有益な結果が得られた。この分析によって多重共線性の問題を避けながら説明変数と目的変数との関係を調べると同時に説明変数間の関係をも一つの関係式の中で観察できた。

 本論文では医療システムの運営の結果的産物としての’健康’をあらわす指標がまだ不安定であり、また健康というのが少なくとも国レベルでみた場合に医療システムだけに起因する結果だとはいえないという点を考慮し、医療費の分析を中心とした費用分析に留まった。特に医療費を’医療に対する物量的消費’及び’医療財の価格水準’という両要素に分割し分析した。これは他の一般財の物価水準と比べた医療財の相対価格が国によって異なることに注目し、各国の貨幣で表示されている医療費を’GDP購買力指数(GDP Purchasing Power Parities)’及び’医療購買力指数(Health Purchasing Power Parities)’をもって換算し分析を行ったものである。本論文は医療費の差を説明する回帰方程式を様々な関数型で導き、国の間の医療費の支出及び医療制度の差に関する有益な結果を示した。本論文における’マクロ経済的効率性’というのは暫定的にある国の一人当たり医療費の観測値が一人当たりGDPへの回帰値以下になっている場合をいうこととして操作的定義(operational definition)されている。

3.結果及び考察

 本研究から明らかになった主な結果、それに関する考察を要約すると次のようになる。

1)経済的要因と医療費

 (a)既存の研究結果と同じく国家単位のマクロ的レベルにおいて国内総生産(GDP)によって代表される国の所得水準と医療費の絶対額との密接な正の関係は揺るぎなかった。また最近議論の対象となっている医療費のGDP弾力性は貨幣交換手段によって若干の差はあるものの大体において1.25-1.43の間に分布し1より有意に大きいことが確認された。即ち、国家間GDP水準の差より国家間医療消費の差の方が大きいことが確認された。このような両者の高い関連性はある意味では医療に対する資源配分が少なくともOECD加盟国のような先進国においては、ある程度一定水準に集まっていくことを反映しているといえる。

 (b)’医療費’の医療財相対価格弾力性は1.74の高い数値を示したが’医療消費量’の医療財相対価格弾力性は0.74であった。反面GDPの水準を一定にした場合、医療費の価格弾力性は0.46、医療消費量の価格弾力性は-0.55であり、国民所得水準の国家間の差がもたらす医療消費の差を排除した偏相関を見ると、医療財の相対価格の国家間の差ほど医療費の水準や医療財の消費量の国家間の差が出ていないことがわかる。

2)医療制度的要因と医療費

 (a)医療制度の国家間の差を表す代理変数として用いた多様な統計的データから様々な政策的示唆が得られた。まず税金を主財源としているか否かとか出来高払い制度か否か、総額契約制度か否かなどのダミー変数を説明変数として使用した場合有意な結果が出なかった。これは一国の医療制度全体が単純にこのような単一基準によって代表されるにはあまり複雑多様な構成となっていることを示唆している。反面、社会保障を通じる公共部門の医療制度への関与度をあらわす連続変数は一人当たり医療費に対する有意な説明力を示した。

 (b)OECD加盟国のような先進国において、社会保障としての公共部門の医療制度への関与度と医療費との関係は、国民所得水準を一定にした場合、負の関係であることが明らかになった。即ち、税金によって賄われるか社会保険の保険料によって賄われるかとは関係なく、医療費の中でこのような公共部門からの支出割合が大きい国はその国民の医療への接近における"公平性"はいうまでもなくその国の"マクロ的効率性"も高い傾向があるということである。このような結果はアメリカのように医療費の増加に悩んでいる国にはその原因と処方のための参考になり、新しい医療制度の形成に努めている途上国においてはマクロ政策選択の方向を示唆している。

 (c)限られたミクロレベルにおける市場経済がもつ効率性向上機能は、医療世界の分野でも例外ではない。しかし本論文はシステム要素の分析に焦点を絞ったため国家単位のデータを用いて分析を行った。上述の(b)の結果は医療の分野においては自由放任的市場秩序への依存は部分的機能の効率性を向上させるかもしれないが、マクロ経済的また長期的側面からは公平性の緩和だけでなく国民医療費の増加をもたらす可能性が高いということ、即ち、医療財の取引は一般財貨の市場とは大きく異なる世界であることを間接的に示している。競争や『見えざる手』の役割も重要でおりその機能も最大限生かすべきではあるが、それらは医療保障の根本的目標である必要な医療提供の充足を果たすための手段にすぎないことが強調される。

3)医療の物的、人的供給及びその利用と医療費

 (a)人口対医師数の一人当たり医療費との直接的関連は国家単位の比較である本研究では立証されなかったが、医師、看護婦、薬剤師などを合わせた医療従事者全体の労働人口に占める割合は医療費だけでなく医療消費量とも有意な正の関係を示している。

 (b)一国の病床規模や病床利用量がその国の一人当たり医療費または医療財消費量と正の関係にあるという仮説は本研究のような国際比較においては立証されなかった。単相関からみられるこれらの変数間の有意な関係は、国民所得を通じる間接的な関係であることが確認できた。言い替えれば、病床規模や中間産物としての病床利用量が大きい国の医療費が大きい傾向を見せていることは、国民所得など他の変数が共通の相関変数として作用していることに起因する疑似的関係にすぎず、2変数の間の直接関係からの結果だとは言えないということである。

 (c)物的供給要素としての病床数および人的供給要素としての医療従事者割合と病床利用量との関係をより詳細に分析した結果、平均在院日数は入院病床数と、人口当たり入院件数は医療従事者割合と相対的に密接な関係にあることがわかった。病床数の多い国において平均在院日数が長いことは明きらかであり、病床数を一定とした場合医療従事者割合が大きい国であるほど一人当たり入院件数は多い傾向を示した。また、国民所得と病床数を一定にした場合、医療従事者割合が大きい国であるほど平均在院日数が有意に短いことも特筆すべき結果であった。

 (d)医療費全体において外来部門が占める割合が大きい国であるほど医療費が小さいことが示された。これは入院部門に高度な技術をもつ多くの医療従事者と装備が集中していることによる現象であると推測されるが、その原因と結果との直接的関連性は本論文の研究対象ではなかったため断言はできない。

4)その他の要因と医療費

 老人人口比率、一次産業人口比率、都市化程度を表す変数などは国民所得一定という仮定の下で一人当たり医療費の国家間の差を有意に説明できなかった。これらの変数の一人当たり医療費との単相関にみられる有意な関係はGDPを通した間接的関係であることが示される。

審査要旨

 本研究は国家レベルのデータを用い医療費を分析したところ、国家間の医療費の差がどの様な要因に起因するものなのかという点に関して下記の結果を得ている。

1)経済的要因と医療費

 (a)既存の研究結果と同じく国家単位のマクロ的レベルにおいて国内総生産(GDP)によって代表される国の所得水準と医療費の絶対額との密接な正の関係は揺るぎなかった。また最近議論の対象となっている医療費のGDP弾力性は貨幣交換手段によって若干の差はあるものの大体において1.25-1.43の間に分布し1より有意に大きいことが確認された。即ち、国家間GDP水準の差より国家間医療消費の差の方が大きいことが確認された。

 (b)’医療費’の医療財相対価格弾力性は1.74の高い数値を示したが’医療消費量’の医療財相対価格弾力性は0.74であった。反面GDPの水準を一定にした場合、医療費の価格弾力性は0.46、医療消費量の価格弾力性は-0.55であり、国民所得水準の国家間の差がもたらす医療消費の差を排除した偏相関を見ると、医療財の相対価格の国家間の差ほど医療費の水準や医療財の消費量の国家間の差が出ていないことが示された。

2)医療制度的要因と医療費

 (a)医療制度の国家間の差を表す代理変数として用いた多様な統計的データから様々な政策的示唆が得られた。まず税金を主財源としているか否かとか出来高払い制度か否か、総額契約制度か否かなどのダミー変数を説明変数として使用した場合有意な結果が出なかった。これは一国の医療制度全体が単純にこのような単一基準によって代表されるにはあまり複雑多様な構成となっていることを示唆している。反面、社会保障を通じる公共部門の医療制度への関与度をあらわす連続変数は一人当たり医療費に対する有意な説明力を示した。

 (b)OECD加盟国のような先進国において、社会保障としての公共部門の医療制度への関与度と医療費との関係は、国民所得水準を一定にした場合、負の関係であることが明らかになった。即ち、税金によって賄われるか社会保険の保険料によって賄われるかとは関係なく、医療費の中でこのような公共部門からの支出割合が大きい国はその国民の医療への接近における"公平性"はいうまでもなくその国の"マクロ的効率性"も高い傾向があるということである。このような結果はアメリカのように医療費の増加に悩んでいる国にはその原因と処方のための参考になり、新しい医療制度の形成に努めている途上国においてはマクロ政策選択の方向を示唆している。

3)医療の物的、人的供給及びその利用と医療費

 (a)人口対医師数の一人当たり医療費との直接的関連は国家単位の比較である本研究では立証されなかったが、医師、看護婦、薬剤師などを合わせた医療従事者全体の労働人口に占める割合は医療費だけでなく医療消費量とも有意な正の関係を示している。

 (b)一国の病床規模や病床利用量がその国の一人当たり医療費または医療財消費量と正の関係にあるという仮説は本研究のような国際比較においては立証されなかった。単相関からみられるこれらの変数間の有意な関係は、国民所得を通じる間接的な関係であることが確認できた。言い替えれば、病床規模や中間産物としての病床利用量が大きい国の医療費が大きい傾向を見せていることは、国民所得など他の変数が共通の相関変数として作用していることに起因する疑似的関係にすぎず、2変数の間の直接関係からの結果だとは言えないということである。

 (c)物的供給要素としての病床数および人的供給要素としての医療従事者割合と病床利用量との関係をより詳細に分析した結果、平均在院日数は入院病床数と、人口当たり入院件数は医療従事者割合と相対的に密接な関係にあることがわかった。病床数の多い国において平均在院日数が長いことは明きらかであり、病床数を一定とした場合医療従事者割合が大きい国であるほど一人当たり入院件数は多い傾向を示した。また、国民所得と病床数を一定にした場合、医療従事者割合が大きい国であるほど平均在院日数が有意に短いことも特筆すべき結果であった。

4)その他の要因と医療費

 老人人口比率、一次産業人口比率、都市化程度を表す変数などは国民所得一定という仮定の下で一人当たり医療費の国家間の差を有意に説明できなかった。これらの変数の一人当たり医療費との単相関にみられる有意な関係はGDPを通した間接的関係であることが示される。

 以上、本論文は医療費の国家間の差と関連がある要因の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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