学位論文要旨



No 111393
著者(漢字) 坂口,三枝子
著者(英字)
著者(カナ) サカグチ,ミエコ
標題(和) 与薬業務の安全性に影響する因子に関する研究 : 看護業務における分析
標題(洋)
報告番号 111393
報告番号 甲11393
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 博医第1047号
研究科 医学系研究科
専攻 保健学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 川田,智恵子
 東京大学 教授 郡司,篤晃
 東京大学 教授 伊賀,立二
 東京大学 教授 金川,克子
 東京大学 助教授 石垣,和子
内容要旨

 医療の質の評価には「構造」「プロセス」「結果」の視点からのアプローチが可能であるが,「結果」から看護の質を評価し,患者の重症度との関連や看護婦配置数などの看護業務環境との関連を明確にできれば,看護の質保証の具体的方策をたてることができる。そこで,看護の質を患者の安全性の視点からとらえ,与薬に関する「エラー」を指標として,これに影響を及ぼす因子を,看護業務環境(患者の看護度,看護婦数,忙しさなど),病棟での薬剤使用量,看護婦の職務経験年数の面から多角的に調査した。ここで特定された影響因子をもとに,与薬業務の面から患者の安全性を高める方策を考察する。

 調査を行なったのは病床数約600の大学附属病院で,看護職員数は約300,全員が正看護婦である。この病院の病棟およびICUに配属されている看護婦全員(婦長を除く約230名)を対象として,与薬業務の安全性に関する質問紙調査を実施した。

 なお,この研究で用いる「エラー」の用語は,(1)(看護婦自身が)医師のオーダーとは違う与薬をして,医薬品を患者に作用させること,(2)他者(看護婦・薬剤師・医師)の不適切な与薬プロセスや与薬,(3)看護婦が気づいた医師のオーダーミス,を総称したものである。また,回答者(看護婦)自身がしてしまったエラーを「与薬ミス],与薬ミスの前段階で「不適切な与薬をしそうになったが,患者の体には薬剤が作用していない状況」を「ニアミス」という。一方,他者のエラーを見つけ対処したものを「対処経験」,対処経験のうち,医師のオーダーに関するものを「医師フォロー」,医師フォロー以外の対処を「ミス対処」という。ここで用いる「看護婦」の呼称には看護士を含めるが,准看護婦(士)は含めない。保健婦免許・助産婦免許を持っている看護婦も,ここでは区別せず「看護婦」として扱う。

調査方法

 調査対象病院における与薬業務の現状を把握する第一段階として,内科・外科各1病棟と薬剤部を見学し,与薬プロセス全体を把握した。ここで得られた情報と平成3年の調査(修士論文)をもとに,調査票を作成した。主な調査項目は,(1)1日の勤務で体験した与薬ミスやニアミス(各11種類)の回数,(2)1日の勤務で他者のエラーに気づいた回数,(3)1日の勤務の忙しさ,休憩時間がとれたかどうか,などである。

 病棟の患者構成の変化が与薬業務の安全性にどのような影響を及ぼすのかをみるために,調査は平成6年9月1日〜7日と同年10月1日〜7日の2クールに分けて実施した。各看護婦には毎日1枚の調査票をのべ14日間記入してもらい,休みの分も含めて全部返却するよう依頼した。プライバシーに配慮し,かつ各人のデータを同定するために,調査票には1枚ずつナースナンバーを記入して1週間分を封筒にいれ,その封筒を各看護婦に自由に選んでもらった。封筒には,看護婦の年令や職務経験年数などを記入してもらうためのフェースシートを同封し,9月と10月の調査票をあわせて分析できるようにした。

 調査票は,調査者が各病棟を訪れて1週間分ずつ配布した。回収率を上げ,データの信頼性を増すために,回収箱を各病棟に設置して,調査者が毎日病棟を訪れて調査票を回収するようにした。回収方法は,(1)そのまま回収箱に入れる,(2)備えつけの小封筒に入れて封をして回収箱に入れる,(3)備えつけの切手を貼った封筒を用いて郵送する,の3方法から自由に選択してもらった。

結果および考察

 看護婦を対象とした調査票の回収数は2,920で,そのうち郵送回収は28であった。回収率は88.6%である。2,920の回答のうち,休みの日の分は1,037,外来勤務や研修などで病棟では勤務しなかった日の分は79であり,実際に病棟で勤務した日の分は1,804であった。

 対象者の平均年令は27.4才であり,21〜24才に全体の37.3%の87名が,また25〜29才に39.9%の93名が分布していた。この病院での勤務年数の平均は4.4年で,最長17年,今年が1年目の者は全体の12.0%に相当する28名であった。

 一般診療科(精神科,ICU,産科婦人科,小児科以外の10病棟)での調査票回収率は90.4%であった。調査期間中(のべ14日間)の与薬ミスは61回で,最も多かったのは「機械操作(人工呼吸器,輸液ポンプなど)」12回(19.7%),次いで「与薬を忘れた」「点滴の滴下速度を間違えた」が各10回であった。ニアミスは118回で,「与薬を忘れそうになった」が36回(30.5%)と最も多く,次いで「1回の薬量を間違えそうになった」15回,「与薬時間を間違えそうになった」12回であった。

 調査期間中の対処経験は229回であった。その内訳では医師のオーダーに関するもの(医師フォロー数)が多く,「医師がオーダーまたは処方箋を出すのを忘れていた」が61回(26.6%),「医師のオーダーが違っていた」は27回(11.8%)であった。上記以外のエラーに対処した数(ミス対処数)で最も多いのは「輸液ラインや三方活栓のトラブル」で27回,次いで「与薬が忘れられていた」(20回),「点滴の滴下速度が違っていた」(18回),「機械操作(人工呼吸器,輸液ポンプ等)」(17回)であった。勤務全体(1,324回)の12.4%において,看護婦は何らかのエラーに対処していた。

 看護業務環境との関連では,病棟の「観察の必要性」が高い患者の数とエラーの発生とは正の相関がみられた。そこで観察の必要性で重みづけして各病棟の「看護度スコア」を算出し,エラーとの関連をみた。比較的薬剤量が多かった9月には,看護度スコアが高い病棟ほど与薬ミスのリスクが高かったが,10月には両者の関連はみられなかった。10月の調査票回収率が9月より8%程度低かったこともあり断定はできないが,看護度スコアが高いと看護婦に余裕がなく,薬剤使用量の影響を吸収しきれないと推察される。

 また,準夜勤1人あたりの看護度スコアが高いと与薬ミスの頻度も高く,日勤1人あたりの看護度スコアが低いとミス対処が多かった。患者数や患者の看護度は看護業務量を決定する因子である。看護婦1人あたりの業務負担が大きいと与薬ミスが起こるリスクは高まり,患者の重症度に対して看護婦数が多いとエラーに対処できると考えられる。

 一般診療科における与薬ミスや対処経験と,薬剤量との分析では,診療科毎の薬剤データが「病棟での薬剤量」を反映していると判断できる9病棟の9,10月分と,外科系1病棟の9月分のデータを用いた。データは内外用剤についてのもので,オーダー件数から病棟毎に薬剤使用量を算出し,与薬ミスや対処経験との関連をみた。ここで用いた「薬剤使用量」は,病棟の看護度スコアと比例関係にあり,注射剤も含めた病棟全体の薬剤量を反映した指標として考えることができる。

 薬剤使用量が多いと与薬ミス・ニアミスの頻度は高くなっていた(p<0.05)。ミス対処数も指数関数的に増大しており(p<0.01),その増加率は与薬ミス・ニアミスよりも大きかった。薬剤使用量が増えると,与薬者自身が気付けないエラーの頻度が急増し,それに他の看護婦が対応していることが推察される。医師フォロー数は定時薬使用量と強い関連を持っていた(p<0.001)。看護度スコアに比べ,薬剤使用量は与薬業務のリスクを恒常的に反映しており,患者の重症度が加味された指標として用いうると考える。

 勤務帯毎の分析では,薬剤使用量に比例して準夜勤では与薬ミスがおこっており,深夜勤では医師のフォローやミス対処が行われていた。看護度スコアや薬剤使用量の影響を最も受けている勤務は準夜勤であり,患者の重症度や薬剤量が多いときには夜勤帯の勤務者数を増すなどの方法で,勤務者1人あたりの業務負担を軽減することが方策として有効である。

 看護婦毎に2週間の与薬ミスや対処経験などの回数をまとめたデータセットを作り,与薬ミスや対処経験と,看護婦の年令や職務年数との関連をみた。一般診療科の看護婦150名を,与薬ミスの体験の有無で分けて順位和検定を行ったところ,与薬ミスを体験している群の方が「病棟在職年数」が少なかった。対処経験についても,「看護婦年数」「病院在職年数」「病棟在職年数」とで有意な関連がみられ,対処経験がある群の方が年数が多かった。与薬プロセスの不適切さに気付く能力も安全性の確保にとって重要な因子であり,看護婦の定着率を上げることも有用な方策であろう。

結論

 この研究によって,エラーの発生や防止が「薬剤使用量」「看護度スコア」「看護婦の忙しさ」と関連していることが明らかになり,勤務者あたりの看護度スコアが高いほど与薬業務のリスクは高まり,低いとエラーに対処できることが確認された。また,エラーへの対処能力には職務経験年数が影響することもわかった。与薬業務の安全性を高めるためには,薬剤量や看護度スコアに応じた人員配置を行ったり,業務の効率化や業務分担を再検討することによって看護婦の業務負担を軽減することが方策として有効であると考えられる。看護の質を結果(outcome)から評価して業務環境因子との関連を分析した研究はこれが初めてであり,看護業務の安全性を考える上でこの研究の意義は大きい。

審査要旨

 本研究は、与薬業務の安全性を「与薬ミス(安全性を損なう行為)」と「対処行為(安全性を高める行為)」の2視点からとらえ、各々に影響する因子について、看護業務環境(患者の看護度・看護婦数・忙しさなど)や病棟での薬剤使用量、看護婦の職務経験年数の面から多角的に分析したものであり、下記の結果を得ている。

 1.「与薬ミス」や「ニアミス」の半数近くは日勤帯で起こっているが、勤務あたりの平均回数は夜勤帯(準夜勤、深夜勤)の方が多いことが示された。

 2.勤務全体の12.4%において、看護婦は何らかのエラーに対処しており、「対処回数」の38.4%は医師のオーダーについてのものであることが示された。

 3、「与薬ミス」が起こった勤務の看護婦は忙しさを感じており、患者との会話があまりできなかったと感じる傾向にあることが示された。

 4.「薬剤使用量(内外用剤の用法数)」が比較的少ない時には、「看護度スコア(患者の看護度を観察の必要性で重みづけして病棟毎に集計したもの)」はエラーの発生に影響しないが、薬剤量が多い時には「看護度スコア」が高い病棟ほどエラーの頻度が指数関数的に多いことが示された。「薬剤使用量」と「看護度スコア」は、エラーの発生に複合的な影響を及ぼしていると考えられた。

 5.「薬剤使用量」が多い病棟では与薬ミスやニアミスの頻度が高く、他者のミスに対処した数は指数関数的に増大していた。このことから、「薬剤使用量」が増えると、与薬者自身が気付けないエラーの頻度が急増し、それに他の看護婦が対応していることが示された。「薬剤使用量」は与薬業務のリスクを恒常的に反映しており、「看護度スコア」とも比例関係にあることから、患者の重症度が加味された指標として用いうると考えられた。

 6.患者の看護度や「薬剤使用量」の影響を最も受ける勤務は準夜勤であり、準夜勤で対応しきれなかったエラーには、深夜勤が対処していることが定量的に示された。

 7.エラーへの対処能力には看護婦の職務経験年数が影響しており、職務年数が長い看護婦ほどエラーに対処していることが示された。

 8.与薬業務の安全性を高めるには、

 (1)特に夜勤帯において、患者の看護度(重症度)や薬剤量に応じて勤務者数を調整すること

 (2)業務の効率化や業務分担を再検討することによって、看護婦の業務負担を軽減すること

 (3)職務経験豊かな看護婦の定着を促すことが方策として有効であると考えられた。

 以上、本論文はエラーを指標化して看護の質を反映させる方法を開発し、看護婦の業務環境が与薬業務の安全性に及ぼす影響を明らかにした。本研究はこれまで未開発の分野であった、看護の質を結果(outcome)から評価して業務環境の整備に結びつけたものであり、看護業務環境整備の具体的方策を検討する上で重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク