学位論文要旨



No 111394
著者(漢字) 朴,于萬
著者(英字)
著者(カナ) パク,チョンマン
標題(和) ダウン症候群の人体計測的研究
標題(洋)
報告番号 111394
報告番号 甲11394
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 博医第1048号
研究科 医学系研究科
専攻 保健学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 柳澤,正義
 東京大学 教授 中込,彌男
 東京大学 教授 大塚,柳太郎
 東京大学 助教授 早川,浩助
 東京大学 助教授 横森,欣司
内容要旨 I.はじめに

 常染色体21番のトリソミーによる精神発達遅滞であるダウン症候群児(以下ダウン症児と呼ぶ)は、大・小奇形や自己免疫疾患、先天性心疾患などを併発する割合が高く、身体的発育の遅れも有するとの報告が数多くみられる、出生時の体重・身長は一般に標準値より多少小さめであるが、加齢に伴い健常児との差はさらに大きくなっていくといわれている。その他、体重の増加に身長の発育が伴わないなどの理由により、幼児期からは肥満が問題となってくる。下肢長の発育不全により短身となる。また短頭型、すなわち頭幅より頭長の方が著しく短いなどの身体的特徴があげられている。

 しかし、これらの報告は身体各部位を個別に計測し、健常児と比較したものが多く、そのほとんどは横断的な資料によるものである。身体計測による発育評価を行う際には、ある特定の部位だけではなく、総合的な身体計測による評価が望ましい。このような考え方で行われている研究は少なく、また女児の初経出現時期を含め、ダウン症児における思春期のスパートと最終身長とに関する検討は、学校保健の立場からも非常に重要な課題であるにもかかわらず、いまだ日本では十分に行われていない。

 一方、国際的には小児の発育評価は、パーセンタイルを用いた標準曲線による評価が一般的に用いられている。日本においても、標準化されたものが一般に利用されているが、ダウン症児においては、学齢期前のものがあるのみで学齢期以降のものはない。

 そこで、本研究ではダウン症児の身体各部の人類学的計測を体系的に実施すると同時に全国的規模の縦断データの分析を通して、ことに思春期の成長パターンを中心とする本症の成長の特徴を明らかにすると同時に、彼らの健康管理に役立てるべく、成長の評価尺度の一つとして、身長、体重の標準成長曲線(Growth Chart)の作成を試みた。

II.対象と方法1.対象

 本研究の対象は、ダウン症児二群と健常児一群からなっている。ダウン症児の第1群は、東京都内にある医療機関の外来に通っているダウン症児296名(男:166名、女:130名)であった。核型は標準型21トリソミーが288名(男:163名、女:125名)、転座型が8名(男:3名、女:5名)であった。なお、計測開始時点での年齢は生後1カ月から36歳までであった。彼らは東京を中心とする首都圏地域に住んでおり1名を除きすべて家庭で療育されている者である。先天性心疾患を有する者は96名(32.4%)であった。

 ダウン症児の第2群は、東京都をはじめとする全国各地域から任意に精神薄弱養護学校24校を選定し、1993年12月現在高校3年生に在学しているか卒業している者のうち、医学的診断名がダウン症侯群である者376名(男:225名、女:151名)である。核型は標準型21トリソミーが371名で、転座型が5名であった。小学校1年から高校3年までの12年間のうち、思春期の発育急進期を含めて、10年以上連続して、学校で毎年実施している定期健康診断を受けた者である。健常児群は東京都内の私立保育園2ヶ所、都立乳児院1ヶ所、病院1ヶ所、小・中学校各1校、高校2校に在学している477名(男:247名、女:230名)である。

2.計測方法及び計測部位

 ダウン症児第1群と健常児群は、マルチンの人類学的計測法(Martin’s method)を用い、身体各部の計測を行った。計測箇所は(1)身長(2)体重(3)頭囲(4)胸囲(5)上・下肢長(6)皮下脂肪(7)最大頭長(8)最大頭幅(9)頬骨弓幅(10)肩峰幅(11)胸部横径(12)胸部矢状径(13)腸骨幅(14)内眼角幅(15)形態的顔面高(16)手背長(17)手長(18)手幅(19)足長(20)足幅である。

 ダウン症児第2群は、身長と体重について、健康診断記録表からあらかじめ用意した調査表に計測値を転記した。これらの計測値は学校保健法施行規則の方法及び技術的基準に従い計測されているものである。

3.計測期間及び調査期間

 ダウン症児の第1群の計測期間は1992年4月から1994年6月までで、原則的に1歳未満児は3カ月に1回、1歳以上からは6カ月に1回の間隔で計測を行った。健常児群は1993年11月から1994年8月末の間に計測を実施したが、計測はいずれも一回である。

 ダウン症児第2群の調査期間は1992年9月から1994年1月までであった。

4.分析方法

 1)出生時の身長、体重、頭囲、胸囲と出生順位、在胎週数を、性と先天性心疾患の有無別に検討した。

 2)ダウン症児第1群の計測値を健常児群の計測値と比較するために、準縦断法(semi lonqitudinal method)を用い、身体部位22箇所と13項目の指数の各年齢・性別の平均値を求め、t-testにてその差を検討した。

 3)ダウン症児の思春期の発育バターンを分析するため、6歳から17歳までの12年間の縦断データであるダウン症児第2群の値を用い、身長と体重に関して、スパート開始年齢、及びその時点での身長と体重、最大発育速度とその時の年齢、並びに最終身長とを求めた。女児においては初経時期に関しての検討も加えた。

 4)ダウン症児第1群を対象に先天性心疾患(Conqenital Heart Disease:CHD)の合併率に関して調査した。さらに、心疾患の成長発達に及ぼす影響を検討するため、身長と体重についてCHDの合併の有無別に分析した。

 5)ダウン症児の身長、体重に関する標準成長曲線(Growth Chart)を作成するため、ダウン症児第1群と第2群の値を用いた。標準成長曲線の作成はTannar(1966)、高石(1978)らの方法に従った。

III.結果1.出生時の体格

 身体計測を行ったダウン症児第1群296名のうち、親との面接を通して出生時の体格及び他の必要事項が調査可能であった280名について検討した。

 出生時の身長、体重、頭囲、胸囲と出生順位、在胎週数を、性と先天性心疾患の有無別に検討した。出生時の平均身長は47.8cm、体重2824g、頭囲31.9cm、胸囲30.6cmであり、この値は、健常児の20〜25パーセンタイルの水準に当たるものであった。なお、性、先天性心疾患の有無による平均値の差の検定を試みたが、有意差は認められなかった。

2.出生以降の発育

 ダウン症児の成長バターンを検討するため身長、体重など22項目に関して計測し、同年齢健常児との比較を行った。その結果、全年齢区間でダウン症児の値が小さかったのは、身長、体重、頭囲、頭長、上・下肢長、手長・幅、足長・幅、などの11項目であった。胸部横径と胸囲では乳幼児の一時期は健常児が有意に大きかったが、それ以降はほとんど差がなかった。胸部矢状径は、健常児が有意に大きかったのは乳幼児期のみで、5歳以降はダウン症児の方が大きかった。頭幅、頬骨弓幅と形態顔面高は、全年齢にわたり健常児の方が大きい傾向がみられた。皮下脂肪はダウン症児の方が大きい値を示した。一方、示数をみると、ダウン症児は比上肢・下肢長では健常児に比し有意に小さく、その他では有意に大きいか、あるいは大きい傾向がみられた。以上から、ダウン症児は低身長、短頭、手足が短い、肥満型といったいわゆる’ずんぐり’した体型であるというこれまでの報告を支持するものであった。しかし、内眼角幅においては必ずしもダウン症児が健常児より大きいとはいえず、顔の幅に比して相対的に大きいというものであった。

3.思春期の発育

 身長に関する思春期のスパート開始年齢は男児9.7歳、女児9.1歳、最大発育速度時の年齢は男児12.1歳、女児10.9歳といずれも女子の方が早かった。なお、最大発育速度は男児8.40cm/yr、女児7.10m/yrであった。また、体重に関しては最大発育速度時の年齢は男児が13.0歳、女児が12.1歳と体重においても女児の方が早かった。体重増加の最大速度は、男児平均6.1Kg/yr、女児4.6Kg/yrであった。最終身長は男児151.7cm、女児141.6cmであった。一方、初経の時期が分かっている女児33名に関して分析した結果、初経年齢は平均12.7歳で、身長では最大発育速度の約2年後、体重では最大発育速度の約半年後にあたる。

4.先天性心疾患(Congenital Heart Disease;CHD)

 ダウン症児第1群の対象者296名のうち、確定診断を受けた88名(男児49名、女児39名)について分析した。性別によるCHDの合併率に差はみられなかった。疾患別では心室中隔欠損が45名で最も多かった。また、CHDを二種類ないしは三種類以上合併しているものは35名であった。なお、今回の結果ではCHDの有無による比較ではいずれの計測項目にも有意差が明瞭には認められなかった。ただし、最も重症と思われる4名は身長、体重ともに同年齢のダウン症児の10バーセンタイル以下を示したことから、今回の対象児の多くは早期に手術を受けるなど適切なケアを受けていたため、身体発育にあまり影響を及ぼさなかったものと思われる。

5.標準成長曲線(Standard Growth Chart)

 0歳から18歳までのダウン症児の身長と体重に関して、各々10th、25th、50th、75th、90thパーセンタイル値をもとめ、標準成長曲線を作成した。健常児のものと比較してみると、ダウン症児の50thパーセンタイルの値を示すグループは、乳幼児期の一部を除き、健常児の5thパーセンタイル以下に該当した。但し13〜15歳以降ではほぼ全員が健常児の5thパーセンタイル以下を示すという結果であった。

 体重は、ダウン症男児の場合、50thパーセンタイルに位置するグループは健常児の5〜25thパーセンタイルの範囲にあった。9歳後半からダウン症児90thパーセンタイルを示すグループは、健常児の80〜90thパーセンタイルを示すが、25thパーセンタイル以下では、ほぼ全年齢で健常児の5thパーセンタイル以下であった。女児も男児とほぼ同様であった。体重で男女ともに共通してみられたことは、パーセンタイルの階級間の幅が全年齢にわたり健常児に比し広いということであった。この現象は年齢が高いほど、またパーセンタイルのレベルが高いほど大きくなっていた。即ち、思春期以降の極度肥満の児の増加の影響が成長曲線に反映されたことが考えられる。

IV.結論

 1)ダウン症児の成長パターンを検討するため身長、体重など22項目に関して計測し、同年齢の健常児との比較を行った結果、ダウン症児は短身で、短頭、手足が短く、肥満型であった。ダウン症児の内眼角幅においては、顔の幅に比して内眼角幅が相対的に大きいということであり、ダウン症児が健常児より大きいとはいえない。

 2)思春期のスパート開始年齢は女児が男児より約6カ月早い。最大発育速度を迎える時期においても、女児の方が約1年早く、男女とも身長の方が体重より早い。最終身長は男児が151.7cm、女児が141.6cmであった。なお、女児の初経は、平均年齢12.7歳に迎えており、身長の最大発育速度の時期を迎えてから約2年後、体重の最大発育速度の時期を迎えてから約半年後にあることが予測できた。

 3)ダウン症児の身体発育の客観的評価を有効に行うため、0歳から18歳までの身長と体重に関して、標準成長曲線を作成した,健常児のものと比較した結果、身長、体重とも全年齢にわたり健常児より低い値を示した。殊に、身長において、女児では13歳、男児では15歳をすぎるとほぼ全員が健常児の3〜5thパーセンタイル以下を示した。

 以上、ダウン症児の身体各部22箇所の総合的な計測と全国的な規模の調査方法を用いることにより、本症の特徴的な発育パターンを分析することができた。その結果から、ダウン症児の発育を評価する際にはその発育に即した標準尺度が必要であることが明らかになった。従って、本研究で作成した標準成長曲線は、ダウン症児の身体発育の客観的評価を行うための基準として有用であると考えられる。

審査要旨

 本研究はダウン症児の成長パターンを明らかにし、また、彼らの健康管理に役立てるべく、成長の評価尺度の一つとして、身長、体重の標準成長曲線(Standard Growth Chart for Children with Down Syndrome)の作成を試みるため、身体各部の人類学的計測を体系的に実施すると同、時に全国的規模の縦断データを調査し、その分析を行ったものであり、下記の結果を得ている。

 1)ダウン症児の成長パターンを検討するため、生後1ヶ月〜18歳までのダウン症児296名を対象にして、身長、体重など22項目に関して人類学的計測を実施し、同年齢の健常児との比較を行った。その結果、ダウン症児は短身で、短頭、手足が短く、肥満型で、いわゆる"ずんぐり"した体型をもっているという今までの報告を支持するものであった。しかし、ダウン症児の内眼角幅においては、頬骨弓幅との比率の結果から、顔の幅に比して内眼角幅が相対的に大きいということであり、ダウン症児が健常児より大きいとはいえない。また、頭囲については、身長との比でみると乳幼児期を過ぎてからはダウン症児の方がやや大きい傾向がみられた。

 2)思春期のスパート開始年齢は女児が男児より約6カ月早い。最大発育速度を迎える時期においても、女児の方が約1年早く、男女とも身長の方が体重より早い。最終身長は男児が151.7cm、女児が141.6cmであった。なお、女児の初経は、平均年齢12.7歳に迎えており、身長の最大発育速度の時期を迎えてから約2年後、体重の最大発育速度の時期を迎えてから約半年後にあることが予測できた。

 3)ダウン症児の身体発育の客観的評価を有効に行うための基準つくりとして、0歳から18歳までのダウン症児の身長と体重に関して、各々10,25,50、75 90のパーセンタイル値を求め、標準成長曲線を作成した。健常児のものと比較してみると、ダウン症児の身長は、全年齢にわたり健常児より低い値を示した。殊に、女児では13歳、男児では15歳をすぎるとほぼ全員が健常児の3〜5thパーセンタイル以下を示した。

 体重も同様で、いずれの年齢においても健常児より低い値を示したが、年齢がすすむにつれて各パーセンタイル曲線の幅は健常児のパーセンタイル曲線が示す幅よりも広がっていった。これは、ダウン症児の加齢に伴う肥満傾向の影響が成長曲線に反映されたと考えられることから、体重の評価の際には健常児のものを参考にしながら使用した方が望ましいと思われた。

 以上、ダウン症児の身体各部22箇所の総合的な計測と全国的な規模の調査方法を用いることにより、本症の特徴的な発育パターンを分析することができた。その結果から、ダウン症児の発育を評価する際にはその発育に即した標準尺度が必要であることを明らかにしたうえ、本症の標準成長曲線を作成した。本研究は、ダウン症児の身体発育を客観的に評価し、なおかつ本症の健康管理を適切にサポートするために重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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