学位論文要旨



No 111411
著者(漢字) 貫井,斉治
著者(英字)
著者(カナ) ヌクイ,セイジ
標題(和) 不斉Heck反応によるアルカロイドの触媒的不斉合成
標題(洋)
報告番号 111411
報告番号 甲11411
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第706号
研究科 薬学系研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 柴崎,正勝
 東京大学 教授 古賀,憲司
 東京大学 教授 首藤,紘一
 東京大学 助教授 長野,哲雄
 東京大学 助教授 笹井,宏明
内容要旨 1.序論

 近年、インドリチジン骨格を有するアルカロイドが数多く単離され、それらの多くのものは興味深い生物活性を示す化合物として知られている。カスタノスペルミン(1)、レンチジノシン(2)などのポリヒドロキシインドリチジンアルカロイドは、特異的なグリコシダーゼ阻害活性を示すことで知られている。カスタノスペルミン(1)の抗HIV活性作用が発見されて以来、ポリヒドロキシインドリチジンアルカロイド及びそのアナログの合成化学的、生化学的な研究が活発に行なわれている。スラフラミン(4)はコリン性機能障害の治療に重要な役割を示し、ゲフィロトキシン209D(5)は神経伝達阻害作用を示すことで知られている。

Figure 1

 これらの化合物の既存の合成例の多くは出発物質として光学活性な酒石酸誘導体、炭水化物、アミノ酸誘導体などを用いたキラルプール法による合成法である。一方、当研究室では不斉Heck反応を開発し、本反応が生物活性物質及び医薬品合成に大変有用であることを報告している。そこで、著者はこの不斉Heck反応を用いて、種々のアルカロイド合成並びに非天然型誘導体合成も行い得る汎用性の高い効率的合成法の開発を目指すこととした。即ち、様々なインドリチジンアルカロイドの基本骨格と成り得るインドリジン環8を汎用中間体として設定し、ヨードオレフィン体6から不斉パラジウム触媒を用いて光学活性体8を合成する事を計画した。

2.インドリチジン環8の触媒的不斉合成

 まず6の閉環反応における溶媒及び配位子効果について検討した。本反応では閉環体7及び二重結合が異性化した目的とした共役型安定アミド8の混合物が得られてくるが、7は室温下触媒量のパラジウム-炭素とともに撹拌することにより容易に8へと変換された。8について異性化させる前と後のeeが全く変化していないため、本反応においては二重結合の異性化における速度論的光学分割は全く起こっていない。条件検討の結果、(R)-(S)-BPPFOHを用いDMSO中反応させたときが最も良い結果を与えたので次に銀塩について検討することにした。

Scheme 1

 既に当研究室では、パラジウムカチオン中間体の生成が不斉発現に極めて重要であり、用いる銀塩の種類によって不斉収率が著しく影響されるという知見が得られている。そこで、銀塩について検討を行なった結果、以前と同様燐酸銀のような多価アニオンの銀塩が高い不斉収率を与えた(Table 1)。

Table 1.Effects of Solvent,Silver Salt and Temperature on Cyclization of 6a

 次に、多価アニオンであり、そのアニオンがパラジウムカチオンに接近しにくい事が予想される銀ゼオライトを用いた。すると0℃でも反応が進行し、94%の収率で閉環体を得、不斉収率を86%まで向上することに成功した。尚、この銀ゼオライトはシスデカリン誘導体の触媒的不斉合成の系においても良い結果を与えた事から、銀ゼオライトはアルケニルヨウ素を基質とした不斉Heck反応一般に大変有用であると思われる1)

 (R)-(S)-BPPFOHを用い得られた光学活性な8(86% ee)の絶対配置は文献既知のアミド体9、更に-コニセイン(10)へと導きそれぞれの旋光度を測定する事により決定し、8の絶対配置はSであることがわかった。(R)-(S)-BPPFOHを配位子とした時に、S体を高い選択性で生成する理由として11のようなカチオン中間体を推定している。即ち、基質6のカルボニル基と配位子の水酸基との相互作用の結果高い不斉収率でS体を生成するものと考えている(Scheme 2)2)

Scheme 2
3.Cieplak理論により説明される立体電子的効果を利用した光学活性インドリチジン中間体8の高立体選択的官能基化

 8の二重結合を化学選択的に還元し、過蟻酸によるエポキシ化反応を行なったところ、-エポキシド体13が選択的に得られてきた(Scheme 3)。

Scheme 3

 一方、プロモヒドリン経由でエポキシ化反応を行なうと逆の立体配置である体14が選択的に得られてきた。エポキシド体の立体化学については、13をスラフラミンの生合成中間体である文献既知化合物へと導き同定し決定した。8のエポキシ化反応において高立体選択性が発現した理由は立体的要因によるのではなく、後に述べるCieplak理論により説明される立体電子的効果によるものであると考えている。

 8に対し-20℃にて四酸化オスミウムを用いジヒドロキシル化反応を行なうと6、7位のみが立体選択的に酸化された16が単一成績体として得られてきた。8のジヒドロキシル化反応における高立体選択性が発現した理由もやはりCieplak理論により説明されると考えている。即ち、8の最安定コンフォマーについてPM3を用い計算した結果から、オレフィンとC-Haは87.4°の角度をなすことがわかったが(Figure 2)、四酸化オスミウムが面から攻撃する時には、新たに結合が生成する際の反結合性軌道が攻撃する反応剤とアンチペリプラナーな位置にあるC-Haシグマ結合性軌道と相互作用することにより遷移状態が安定化されることになる(Figure 3)。本反応において電子密度の高いと思われる1、2位のオレフィンが反応せずに6、7位のオレフィンのみが選択的に官能基化されたことは興味深い。汎用合成中間体8に関してPM3を用いフロンティア軌道計算を行った結果、ジヒドロキシル化反応においては基質のLUMOと四酸化オスミウムのHOMOとの相互作用が重要であることがわかった。

図表Scheme 4 / Figure 2Figure 3

 得られたジオール体のアルコールをベンゾイル基またアセトナイドで保護した化合物に対し、1、2位のオレフィンを再び酸化すると、やはり面で反応は選択的に進行し、誘導体17、18が得られた。これらの誘導体は種々のポリヒドロキシインドリチジン合成の有用中間体に成り得ると考えている(Scheme 5)。

Scheme 5
4.レンチジノシン(2)、1,2-ジエピレチジノシン(3)、ゲフィロトキシン209D(5)の触媒的不斉合成

 14、13からはレンチジノシン、1,2-ジエピレンチジノシンをそれぞれ合成することに成功した。

 さらに8の還元体9をヘキシルセリウム存在下反応させ、イミニウムカチオンを酸性条件下立体選択的に還元することにより6員環にアルキル置換基を有するゲフィロトキシン209D(5)の合成に成功した3)(Scheme 6)。

Scheme 6
5.まとめ

 不斉Heck反応を用いインドリチジン骨格を有する光学活性な8の合成に成功した。8を官能基化する時に、Cieplak理論により説明される大変興味深い立体選択性が、発現されることを明らかにした。この汎用合成中間体8からアルカロイド及びそのアナログであるレンチジノシン、ゲフィロトキシン209D、1,2-ジエピレンチジノシン、ポリヒドロキシインドリチジン誘導体の触媒的不斉合成に成功した。

文献1)Sato,Y.;Nukui,S.;Sodeoka,M.;Shibasaki,M.Tetrahedron 1993,50,371.2)Nukui,S.;Sodeoka,M.;Shibasaki,M.Tetrahedron Lett.1993,34,4965.3)Nukui,S.;Sodeoka,M.;Sasai,H.;Shibasaki,M.J.Org.Chem.in press.
審査要旨

 castanospermine(1)、lentiginosine(2)などのポリヒドロキシインドリチジンアルカロイドは、特異的なグリコシダーゼ阻害活性を示すことで知られている。また、1の抗HIV活性作用が発見されて以来、ポリヒドロキシインドリチジンアルカロイド及びそのアナログの合成化学的、生化学的な研究が活発に行なわれている。また、gephyrotoxin 209D(5)は神経伝達阻害作用を示すことで知られている。これらの化合物の既存の合成例のほとんどは出発物質として光学活性な酒石酸誘導体、炭水化物、アミノ酸誘導体などを用いたキラルプール法による合成法である。そこで、不斉Heck反応を用いて、種々のアルカロイド合成並びにアルカロイドの非天然型誘導体合成も行い得る汎用性の高い効率的合成法の開発を目指す研究が実施された。

Figure 1インドリチジン環8の触媒的不斉合成

 6不斉Pd触媒による閉環反応により光学活性な8を触媒的不斉合成することを検討した。種々検討した結果、Pd2(dba)3CHCl3と(R)-(S)-BPPFOHを触媒として、Ag-zeoliteを銀塩として用い0℃で反応させると、94%の収率で閉環体を得ることに成功し、Pd/Cによる異性化後に得られた目的とする8の不斉収率は86%eeであった。

Scheme 1

 (R)-(S)-BPPFOHを用い得られた光学活性な8(86% ee)の絶対配置は文献既知のアミド体9、更に-coniceine(10)へと導きそれぞれの旋光度を測定する事によりS体であると決定した。

Scheme 2
中間体8の選択的な官能基化によるポリヒドロキシインドリチジン誘導体2,3及び5の触媒的不斉合成

 8の二重結合を化学選択的に還元し、過蟻酸によるエポキシ化反応を行なったところ、-エポキシド体13が選択的に得られてきた(Scheme3)。一方、プロモヒドリン経由でエポキシ化反応を行なうと逆の立体配置である体14が選択的に得られてきた。

Scheme 3

 また、8に対しオスミウム酸化を行なうと6,7位が立体選択的に酸化された16が単一成績体として得られた(Scheme4)。平面に近い構造を有する12及び8のエポキシ化及びジヒドロキシル化反応における高立体選択性が発現した理由は立体的要因によるのではなく、立体電子的効果によるものであると考えた。即ち、8の最安定コンフォマーについてPM3を用い計算した結果からその理由はCieplak理論により説明されると考えられる(Figure 2)。

図表Scheme 4 / Figure 2

 さらに16の1,2位の二重結合を官能基化することにより誘導体17,18が選択的に得られた。これらの誘導体は種々のポリヒドロキシインドリチジン合成の有用中間体に成り得ると考えられる。

Scheme 5

 最後に、これらの化合物13、14からは、1,2-diepilentiginosine(3)、lentiginosine(2)をそれぞれ合成することに成功した。また、8の還元体9をヘキシルセリウム存在下反応させ、イミニウムカチオンを酸性条件下立体選択的に還元することにより6員環にアルキル置換基を有するgephyrotoxin 209D(5)の合成にも成功した(Scheme 6)。

Scheme 6

 以上、本論文は不斉Heck反応を用いたインドリチジン骨格の触媒的不斉合成法の開発と、その光学活性インドリジンの立体電子的効果を利用した選択的官能基化という、学問的にも医薬をめざした合成化学という実用的な面でも高いレベルの研究について記載されたものである。よって本研究は博士(薬学)の学位に値すると判定された。

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