学位論文要旨



No 111412
著者(漢字) 水谷,隆太
著者(英字)
著者(カナ) ミズタニ,リュウタ
標題(和) 抗NP抗体のaffinity maturationの機構の構造生物学的研究
標題(洋)
報告番号 111412
報告番号 甲11412
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第707号
研究科 薬学系研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 佐藤,能雅
 東京大学 教授 三川,潮
 東京大学 教授 嶋田,一夫
 東京大学 教授 井上,圭三
 東京大学 助教授 小田嶋,和徳
内容要旨

 生体に外来性の物質が侵入すると、その物質(抗原)に対する免疫反応が惹起される。免疫反応は時間経過に伴って増強され、血清の抗体価が上昇していく。これは、構造の異なる抗体が選択・産生され、抗体が抗原に対するより高い親和性を示すためである。この現象は、抗体のaffinity maturationと呼ばれている。抗体レベルでのaffinity maturationの機構を分子の相互作用として理解するためには、抗原結合部位の三次元構造を原子レベルで解明することが必要である。

 本研究では、マウスIgGl抗(4-hydroxy-3-nitrophenyl)acetic acid(以下NPと略す)抗体N1G9および3B44のFabフラグメントの構造を、X線結晶構造解析の手法により明らかにした。これらの抗体は、それぞれ、免疫経過の一次応答および二次応答の段階の抗体であり、抗原に対する親和性はN1G9の2×10-6Mから3B44の3×10-7Mへと高まっている。この親和性の違いを、三次元構造の観点から明らかにすることが、本研究の目的である。

1.結晶化および回折強度データの収集

 ハイブリドーマ培養上清から抗体を得、パパインによる限定分解によってFabフラグメントを調製し、蒸気拡散平衡法により結晶化した。N1G9 Fabでは沈殿剤として、硫酸アンモニウムを用い、結晶を得た。これにハプテンNPをソーキングして複合体結晶も得た。3B44 Fabは、沈殿剤としてポリエチレングリコールを用い、三浦らの手順に従って結晶化し、ハプテンNPをソーキングした。回折強度データは、イメージングプレートを用いた露光検出装置により収集した。結果を表1にまとめた。

表1.結晶学的パラメータおよび回折強度データの収集
2.構造解析

 まずN1G9 Fabの構造を解析し、これをもとにN1G9 Fab-NP複合体と3B44 Fabの構造を解析した。N1G9 Fabは抗体CHA255のFab’(PDBコード:1 IND)を探索モデルとした分子置換法により解析を行った。プログラムMERLOTで回転関数を求め、得られた方位をX-PLORを用いてPC-refinementにより精密化した。その後、MERLOTにより並進位置を求め、モデル構築を行いながら、X-PLORとPROLSOにより結晶学的最小二乗法で構造精密化した。水分子141個を含む構造モデルについて、面間隔15-2.4Åでの結晶学的R因子は0.196となった。N1G9 Fab-NP複合体については、水分子134個を含む構造モデルの面間隔15-2.4ÅでのR因子は0.196となった。3B44 Fabは、N1G9 Fabを探索モデルとした分子置換法により、N1G9と同様の手順で解析を行った。水分子48個を含む構造モデルの面間隔12-2.9ÅでのR因子は、0.218と求められた。

3.N1G9および3B44 Fabの三次元構造

 H鎖およびL鎖はそれぞれ2つのドメインVHとCH1、およびVLとCLから成っており、可変領域と定常領域の間のelbow角はN1G9では197°、3B44では206°であった。図1にN1G9 Fab-NP複合体の可変領域(VHとVL)を示した。H鎖とL鎖の相補性決定領域(以下CDRと略す)ループは、すべて明瞭な電子密度として観察された。NP分子はCDRループにより形づくられたポケットに見出された。NPとCDRの相互作用はL1、L3、H1、H2およびH3ループにより行われている。

図1.N1G9 Fab-NP複合体の可変領域の主鎖構造。CDRループは太線で描いた。NP分子については、差フーリエ電子密度図を3レベルで示した。

 N1G9 Fabと3B44 Fabは同等のドメイン配置を示しており、可変領域の主鎖原子のrms偏差は0.82Åである。CDRループの側鎖官能基の空間的配置でも、N1G9と3B44はほぼ対応する。図2では、N1G9および3B44の抗原結合部位の三次元構造を比較している。抗原結合部位ポケットは10残基で構成されており、このうちN1G9と3B44で異なるのは33H(N1G9ではTrp/3B44ではLeu)と97H(Tyr/Phe)である。抗原結合部位の底にTrp 96LとTyr 95Hがあり、図の上下には芳香族側鎖としてTyr 32L、Trp 91L、Trp/Leu 33HおよびTyr/Phe 97Hが並び、両端にはHis 35H、Arg 50H、Lys 58HおよびSer 100a/100Hの極性残基が配置している。N1G9のSer 100aHと3B44のSer 100Hは、三次元構造では同等の配置にある。最も多数のコンタクトをしている残基はTrp 91Lである。Trp 96L、His 35H、Arg 50H、Lys 58H、Tyr 95HおよびSer 100a/100HはハプテンNPと6本の水素結合を形成している。

図2.N1G9および3B44 Fabの抗原結合部位。細線でN1G9を、太線で3844を示し、ハプテンと相互作用している残基にラベルを付した。

 3B44のPhe 97HはN1G9のTyr 97Hに相当する位置にあるものの、主鎖側鎖ともN1G9とは構造が異なる。これは、3B44のCDRH3がN1G9に比べて1残基短いためである。この残基は、N1G9および3B44のいずれでも、疎水的な結合部位を構築することにより複合体形成に寄与していると考えられる。N1G9のTrp 33H C3とNPのヒドロキシル基根元の炭素(C4)との距離は3.3Åであり、C3とC4のvan der Waals半径の合計3.7Åを0.4Åしたまわっている。従って、Trp 33HはNPと密なvan der Waals相互作用を生じていると認められる。一方3B44では、Leuへの変異により、33HとNPとの最短距離は、Leu C1とNPのニトロ基酸素の間の3.8Åになっている。これらの原子のvan der Waals半径の合計は3.5Åである。N1G9でみられた33HとNPとの密なvan der Waals相互作用は、TrpからLeuへの変異により緩和され、ハプテン結合により適した抗原結合部位の構造が形成されている。

4.Affinity maturationの機構

 抗NP抗体N1G9および3B44のFab-NP複合体構造を比較すると、N1G9のTrp33Hによるハプテンとの相互作用は、原子の過度の近接による反発のエネルギー損をふくむのに対し、3B44では、Leu 33Hへの置換によりこのエネルギー損は緩和され、複合体はより安定化されている。抗NP抗体のaffinity maturationについては、Rajewskyらによって、可変領域の遺伝子の解析と部位特異的突然変異導入の研究がすすめられてきており、ほとんどの二次応答の抗体は33HのTrpからLeuへの体細胞突然変異を伴うこと、また、N1G9にこの変異を導入することによりその親和性2×10-6Mを二次応答の抗体に相当する値2×10-7Mまで高められることが明らかにされている。従って、抗NP抗体の一次応答から二次応答への親和性上昇は、N1G9および3B44のFab-NP複合体構造の比較から明らかにした33Hの構造変化によるものと考えられる。すなわち、Trp33Hを側鎖のより小さい残基へ置換して、ハプテンとの密なvan der Waals相互作用を緩和することにより、抗NP抗体のaffinity maturationがすすむと結論できる。

審査要旨

 免疫応答の時間経過に伴う血清の抗体価の上昇は,抗原に対するより高い親和性を持つ抗体が選択,産生されてくることによる。この現象は抗体の親和性の成熟affinity maturationと呼ばれている。本論文では,抗体レベルでの親和性の成熟の機構を,原子レベルでの三次元構造に基づいて解明することを目的とした。

 研究では,抗原のハプテンとして(4-hydroxy-3-nitrophenyl)acetic acid,NP,を認識するマウスの抗ニトロフェノール抗体IgGlのうち,免疫の一次応答のN1G9抗体と二次応答の3B44抗体を取り上げ,これらの抗原結合フラグメントFabの三次元構造をX線結晶構造解析により明らかにした。

 ハイブリドーマ培養上清から精製した抗体の限定分解により分子量約45,000のFabフラグメントを調製し,ネーティブ結晶と,ソーキング法によるハプテンNPとの複合体結晶を得た。まず,N1G9 Fabの結晶構造をCHA255 Fab’を探索モデルとする分子置換法により解析し,NP複合体結晶とともに分解能2.4Å,R因子0.19で構造を結晶学的に精密化した。3B44 Fab-NP複合体については,N1G9 Fabを探索モデルとする分子置換法による解析後,分解能2.9ÅにおいてR因子0.21まで構造を精密化した。

 解析した結晶構造を詳細に検討し,Fabの可変領域と定常領域が成すFab bend角は,N1G9では197°,3B44では206°と,鎖の抗体に比して著しく大きく,これらは鎖を有する抗体に特徴的であることを見出した。抗原を認識する相補性決定領域CDRループの構造については,鎖でもcanonical構造が存在しうること,L1,L3,H1,H2およびH3のCDRループのアミノ酸残基の側鎖によって形成されるポケット状構造がNPとの結合部位であることを明らかにした。

 抗原結合に関しては,以下の知見を得た。抗原結合部位ポケットは約10アミノ酸残基で構成され,N1G9では,その底部にTrp 96LとTyr 95Hが位置し(Lは軽鎖,Hは重鎖の残基を示す),Tyr 32L,Trp 91L,Trp 33HとTyr 97Hの芳香族側鎖が上下に,His 35H,Arg 50H,Lys 58HとSer 100aHの極性側鎖が両端に配置している。Fab-NP複合体中のNPはTrp 91Lと最も多数の原子間接触を有し,His 35H,Arg 50H,Lys 58HおよびSer 100aHと6本の水素結合を形成している。三次元構造上は,Trp 33HとSer 100aHが3B44のLeu 33HとSer 100Hに対応することになる。

 複合体の構造を検討した結果,N1G9のTrp 33HとNPのヒドロキシル基根元のC4位炭素との水素原子を介した距離は3.3Åと短く,Trp 33HからH3ループにわたる領域も同様に,密すぎるファンデルワールス接触を生じていると考察した。3B44の対応するLeu 33HとNPとの最短距離を見ると,Leu とNPのニトロ基酸素の間で3.8Åとなり,N1G9での密なファンデルワールス接触が緩和されている。すなわち,N1G9の複合体は過度の原子間近接による反発のエネルギー損を含むのに対し,3B44複合体では,このエネルギー損は緩和され,より安定化されていると結論した。一次応答の抗NP抗体の抗原複合体における過密すぎる原子間接触が,33Hでの点変異と,H3ループでのJ鎖組替えを含む変異が,単独あるいは協調的に機能することにより緩和され,二次応答の抗体の親和性は上昇すると考察した。これらは,二次応答の多くの抗NP抗体では,33Hの体細胞突然変異と,H3ループを構築する遺伝子の変異を示すという知見にも合致している。

 このように本論文では,免疫の一次応答の抗ニトロフェノール抗体のネーティブFabとハプテンとの複合体,および二次応答抗体の複合体の三次元構造を詳細に解析した。その結果,鎖を有する抗体の基本構造と,抗体の親和性成熟における抗原の認識と親和性の増大の機構を構造生物学的に明らかにした。本論文での親和性成熟抗体の系統的な構造研究は,遺伝子レベルでのアミノ酸残基の変異と選択がもたらす親和性成熟の分子機構に関する重要な基礎知見を初めて与えるものであり,蛋白質構造生物学,免疫学,および薬学に寄与するところ大と評価した。以上により,本論文は博士(薬学)の学位の授与に値する内容を有すると認定した。

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