学位論文要旨



No 111415
著者(漢字) 安達,宣明
著者(英字)
著者(カナ) アダチ,ノブアキ
標題(和) センチニクバエアリルフォリン遺伝子5’上流の同一配列に結合する2種類のDNA結合蛋白の解析
標題(洋)
報告番号 111415
報告番号 甲11415
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第710号
研究科 薬学系研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 名取,俊二
 東京大学 教授 入村,達郎
 東京大学 助教授 榎本,武美
 東京大学 助教授 堀越,正美
 東京大学 助教授 長野,哲雄
内容要旨

 アリルフォリン(貯蔵蛋白)は、昆虫の変態時にアミノ酸源やエネルギー源として用いられる体液中の主要な蛋白であり、センチニクバエでは三令幼虫の脂肪体で合成が開始される。アリルフォリンの発現は転写段階で制御されており、その転写量は脂肪体全mRNAの50%にも及び、転写量の多いことが特徴である。これまでにこの遺伝子の5’上流に特異的に結合する蛋白arylphorin gene specific binding protein I(ABPI)が三令初期の幼虫脂肪体核抽出液中より見いだされ、アリルフォリン遺伝子の転写活性化因子であることが当教室の研究により示唆されている。私は修士課程において、ABPIが脂肪体だけではなく、アリルフォリン遺伝子を発現していないこのハエの胚由来細胞にも存在する事を見いだした。また同時にこの細胞中には、ABPIが認識するDNA塩基配列と同じ部位に結合すると思われる第二の蛋白ABPIIが存在することも明らかにした。

 本研究で私は、.ABPI,IIという同じDNA塩基配列に結合する2種類の蛋白により、転写量の多いアリルフォリン遺伝子の発現が、発生段階を通してどの様に制御されているのか知る目的で解析を行った。

1.培養細胞核抽出液を用いたin vitro転写系でのアリルフォリン遺伝子の転写反応

 まず、ABPIが培養細胞中でもアリルフォリン遺伝子の転写活性化因子として作用できるか否かについて検討を行った。具体的には、培養細胞核抽出液を用いたin vitroの転写系で、アリルフォリン遺伝子の転写反応がおきるかどうかを調べた。

 その結果このin vitroの転写系で、アリルフォリン遺伝子はABPI結合配列依存に転写されることが分かった。従って、ABPIが培養細胞中でも転写活性化因子として作用できる形で存在するものと考えられた。このことから、ABPIが存在するにもかかわらず、培養細胞でアリルフォリン遺伝子の転写がおきていないのは、この細胞に存在しABPIと同じDNA塩基配列に結合するABPIIが、転写抑制因子として作用している為であることが考えられた。

2.ABPIIの精製

 ABPI,IIを精製し、両蛋白の生化学的な特徴、及び構造を解析することは、これらの蛋白がアリルフォリン遺伝子の転写制御にどの様に関与しているのかを知る上で重要である。そこで、ABPIは修士課程の研究で既に精製を終えているので、新たにABPIIの精製を行った。

 培養細胞核抽出液を出発材料とし、Heparin-Sepharose,Q-Sepharose,{DNA(Mutant)-Sepharose→DNA(Wild type)-Sepharose}×2という6段階のカラムクロマトグラフィーにより精製が完了し、比活性が45,000倍上昇した標品を得た。精製標品をSDSポリアクリルアミドゲル電気泳動で解析したところ、分子量28kDaの単一なバンドが検出された。ABPIの分子量は40〜42kDaであり、ABPIとABPIIは分子量的に異なる蛋白であることが確認された。

3.ABPI,IIのアリルフォリン遺伝子に対する結合様式の比較

 精製したABPI,IIを用い、両者のアリルフォリン遺伝子に対する結合様式を比較した。まずDNaseIフットプリント法により両者の結合配列を決定したところ、同じ配列がDNaseIによる消化から保護された。また、両者で異なる点として、ABPIIに特異的な高感受性部位が検出された。ABPI,IIが結合したアリルフォリン遺伝子のこの様なDNaseIに対する感受性の違いは、UVクロスリンク法においても検出された。

 次に、ゲルシフト法を利用して、ABPI,IIのアリルフォリン遺伝子に対するKd値を求めたところ、0.40nM(ABPI)、0.73nM(ABPII)と、同程度の値であった。また、この遺伝子に対する両蛋白の結合の安定性も同じであった。

 以上のことから、ABPI,IIはアリルフォリン遺伝子に対して同定度のアフィニティー、及び安定性で結合するが、両者が結合した場合でその高次構造は異なることが予想された。このことから、ABPI,IIによるアリルフォリン遺伝子の転写制御機構として以下のことが考えられた。

 アリルフォリン遺伝子の転写がおきる脂肪体ではABPIのみ存在するので、この蛋白によりアリルフォリン遺伝子の転写が活性化される。培養細胞の場合、ABPIの他にABPIIも存在し、両者はアリルフォリン遺伝子に対して同程度のアフィニティーと安定性で結合する。従って培養細胞中では、ABPIがアリルフォリン遺伝子に対して安定して結合するのをABPIIが阻害し、その結果ABPIが転写活性化因子として機能できず、アリルフォリン遺伝子の転写がおきないでいると考えることができる。

 また、ABPIとIIが結合した時のアリルフォリン遺伝子の高次構造が異なることが予想されるので、ABPIIがこの遺伝子の高次構造を変化させることにより、積極的に転写の抑制を行っている可能性も考えられる。

 また、この培養細胞は胚由来の細胞であることから、実際の胚でもこの様な制御の存在が考えられ、同じ配列に結合する2つの因子によるDevelopmentalな転写制御機構を考えることができる。

4.ABPI,IIの構造解析

 ABPI,IIの構造解析を行うため、両者をLysylendopeptidaseで処理して断片化し、部分アミノ酸配列を決定した。ABPI,II共に2つのペプチドのアミノ酸配列が決定でき、決定したこれらのペプチドは、ショウジョウバエの転写因子AEF-1のZnフィンガードメインと高いホモロジーを有することが分かった。またABPI,IIが結合するDNA側の塩基配列もAEF-1が結合する配列と似ていることが分かった。

 そこで、AEF-1のZnフィンガードメインの配列を利用して、cDNAクローニングを行ったところ、ABPIIをコードすると思われるクローンを得ることができた。このクローンは先に決定したABPIIの部分アミノ酸配列を全て含んでいたが、蛋白全長をコードするものではなく、N末に欠けるものであった。

 構造解析の結果、このクローンはC2H2タイプのZnフィンガーを9つ持ち、その他にグルタミンやアラニンが並んだ、転写因子に見られるモチーフを有していた。またこのクローンとAEF-1は構造的に異なる蛋白であることが分かった。

5.まとめと考察

 本研究で私は、ABPIがアリルフォリン遺伝子の転写のない培養細胞中でも、転写活性化因子として機能しうる形で存在することを示した。このことから、ABPIと同じDNA塩基配列に結合するABPIIが、培養細胞の中で転写抑制因子として作用している可能性が考えられた。そして、培養細胞からABPIIを精製し、修士課程で精製したABPIと共に、両者のアリルフォリン遺伝子に対する結合様式について解析を行った。その結果、ABPI,IIはアリルフォリン遺伝子に対して同程度のアフィニティーと安定性で結合するが、両者が結合した場合で、この遺伝子の高次構造が異なることを示唆した。

 また、ABPI,IIの構造解析を行ったところ、両者共にショウジョウバエの転写因子AEF-1のZnフィンガードメインと高い相同性を持つことが分かった。そして、ABPI,IIをコードすると思われるcDNAを単離することに成功した。

 本研究により、アリルフォリン遺伝子の発現がABPI,IIという同じDNA塩基配列に結合する2種類の蛋白により、発生段階を通して制御されている可能性を提示することができた。

 ABPI,IIはAEF-1のZnフィンガードメインと高い相同性を有し、またこれら3者が結合するDNA塩基配列も類似している。AEF-1はショウジョウバエの脂肪体で多く転写されるアルコールデヒドロゲナーゼの転写調節因子である。センチニクバエとショウジョウバエにおいて、この様に脂肪体で多量に転写される遺伝子の5’上流にABPI,II結合配列が存在するという知見は、これらの遺伝子の転写調節機構を考える上で興味深い。脂肪体で多量に発現される遺伝子の5’上流には、このABPI,II結合配列が進化上保存されて残っており、そこに結合する蛋白が異なることにより、各々の種に特徴的な蛋白の複雑な発現パターンの制御を行う様になっていったと考えることができる。

参考文献Adachi,N.,Kubo,T.,and Natori,S,(1993)J.Biochem.144,55-60
審査要旨

 アリルフォリンは昆虫の貯蔵蛋白の一つで、変態時に成虫構造構築のためのアミノ酸源やエネルギー源として利用される体液蛋白である。センチニクバエではこの蛋白は3令幼虫の脂肪体で大量に合成される。アリルフォリン遺伝子はこの時期の幼虫の脂肪体のmRNAの殆どがアリルフォリンmRNAと言ってもよいほど転写量の多い遺伝子である。この研究は、このような特徴を持つアリルフォリン遺伝子の発現調節機構について解析したものである。これまでの研究で、アリルフォリン遺伝子が活性化される3令幼虫の脂肪体で、この遺伝子の5’上流に存在するACCACAACAという配列に特異的に結合する蛋白が出現することから、この蛋白がこの遺伝子の特異的な転写因子と考えられていた。

 この研究は、アリルフォリン遺伝子の発現がない、センチニクバエの胚由来の細胞の中に、上記の配列に特異的に結合する蛋白が二種類存在することを見出した。これら二つの蛋白にABPI、ABPIIと命名しそれぞれを精製した。その結果、ABPIは脂肪体の結合蛋白と同一のものであること、ABPIIは脂肪体には存在しない新しい結合蛋白であること、両蛋白ともにアリルフォリン遺伝子の5’上流にある同一の配列に特異的に結合するが、結合によって生ずるこの部分の構造変化は異なることなどが明らかになった。これらの結果を総合して、アリルフォリン遺伝子の転写制御機構に関して一つのモデルを提唱している。それを簡単に述べると、ABPIはこの遺伝子の活性化因子であり、ABPIIは抑制因子である。脂肪体には本来ABPIIがないため、ABPIが出現するとこの遺伝子は活性化されるが、胚細胞ではABPIIが同じサイトに結合してABPIの結合を阻止するために遺伝子は不活化状態にあるというものである。この二つの転写因子の構造を調べるために、部分アミノ酸配列を決定したところ、ショウジョウバエの転写因子AEF-IのZn-フィンガーと相同性の高いZn-フィンガーを持つことが分かった。

 この配列をもとにcDNAの単離を進めたところ、ABPIについては不完全ながらcDNAが得られ、その配列の解析から9個のZn-フィンガーと、転写因子に特徴的ないくつかのドメインを持つことが明らかになった。

 以上、この研究はセンチニクバエのアリルフォリン遺伝子の転写制御機構について解析し、転写因子の候補を二つ精製して構造的特徴を記載し、転写制御機構のモデルを提出したもので、細胞生物学の進展に寄与するものであり、博士(薬学)の学位に相当するものと判断した。

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