当教室では、主にセンチニクバエ(Sarcophaga peregrina)を用いて、昆虫が、細菌感染の危機に応じて、その体内に複数の抗菌蛋白を誘導することを報告してきた。これらの抗菌蛋白のほとんどは、単独で殺菌活性を有するので、それらを改変する事により、これまでにない新しい化学療法剤として利用出来る可能性がある。 Sapecin Bは、そのような抗菌蛋白の一つで、主にグラム陽性菌に対して殺菌的に作用する。NMR 解析により、Sapecin Bは、アミノ末端からループ部分、一つの-ヘリックス、二つの-シートの四つの構造上のモチーフから成り立つことがわかった。当教室では、これらのモチーフのうち、-ヘリックス部に対応するRSLCLLHCRLK-NH2(7R-17K)がSapecin Bに匹敵する抗菌活性を有し、Sapecin Bに比べより広い抗菌スペクトルを示すことを明らかにした(Yamada&Natori,Biochem.J.298,623-628.(1984))。そこで、私は、本研究において、この活性ペプチドを基にして、より低濃度で、しかも、より広い抗微生物活性を有するペプチドを作製し、昆虫抗菌蛋白をリードとした新しい化学療法剤の開発に道を開いた。 まず、7R-17Kペプチドを基にして固相法により系統的にペプチドを作製し、その抗菌活性を測定した。その結果、XLXLLLLLXLX-NH2(X:R or K)が、低濃度で、しかも、グラム陽性菌のみならず、グラム陰性菌、真菌、そして原虫に対しても殺菌的に作用することがわかった。さらには、現在、院内感染で問題となっているメチシリン耐性黄色ブドウ球菌(MRSA)をも殺菌する事がわかった。 ところがこの種のペプチドは、アミノ及びカルボキシル末端にKまたはRがあるため、ペプチダーゼの作用を受けやすい。そこでペプチダーゼに対する抵抗性を付与する目的で、すべてD-アミノ酸で置換したKLKLLLLLKLK-NH2のD-エナンチオマーを合成した。実際この D-エナンチオマーはトリプシンに対して抵抗性を示した。このD-エナンチオマーは、もとのペプチドよりも優れた抗菌活性を示すことが判明した。またその作用の持続性をMRSAを用いて調べたところ、もとのペプチドよりも著しく強い持続性を有することがわかった。 つぎに、私は、KLKLLLLLKLK-NH2の作用機序を明らかとした。昆虫の抗菌蛋白の多くは、細菌の細胞膜を傷害する。そこで、KLKLLLLLKLK-NH2が、大腸菌の膜リン脂質組成を模倣したリポソームを傷害するのかどうか調べた。その結果、KLKLLLLLKLK-NH2は、リポソームを傷害し、KLKLLLLLKLK-NH2がリン脂質と相互作用する性質を有することがわかった。 そこで次に、KLKLLLLLKLK-NH2が、大腸菌膜傷害活性を有するのかどうか検討ところ、KLKLLLLLKLK-NH2は、大腸菌の外膜ならびに内膜に比較的低分子性(14kDa以下)の物質のみを透過させる選択性のあるポアを形成することがわかった。そこで、KLKLLLLLKLK-NH2の、大腸菌のATPプールとプロリンの取り込みに与える影響を調べた。大腸菌においては、ATP合成ならびにプロリンの細胞内への取り込みは、膜電位依存であることがすでに明らかにされている。その結果、大腸菌のATPプールは、KLKLLLLLKLK-NH2の処理により速やかに消失し、また、大腸菌へのプロリンの取り込みも、KLKLLLLLKLK-NH2の処理により起こらなくなった。これらの結果は、KLKLLLLLKLK-NH2の作用機序が膜傷害によることを示唆している。 モデル実験として、MRSAに感染したマウスに、KLKLLLLLKLK-NH2もしくは、その D-エナンチオマーを投与し、その効果を調べたところ、両者共に著しい効果が認められた。 これらの結果は、昆虫の持つ抗菌蛋白を改変して、有用な化学療法剤を得るという昆虫機能の薬学的応用への新しい道を開いた。 |