学位論文要旨



No 111417
著者(漢字) 稲垣,善茂
著者(英字)
著者(カナ) イナガキ,ヨシシゲ
標題(和) 絞り花アサガオから単離された転移調節因子の解析
標題(洋)
報告番号 111417
報告番号 甲11417
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第712号
研究科 薬学系研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 井上,圭三
 東京大学 教授 池田,日出男
 東京大学 教授 名取,俊二
 東京大学 助教授 海老塚,豊
 東京大学 助教授 新井,洋由
内容要旨 【序論】

 現在、遺伝子発現の制御に関する研究はそのほとんどが遺伝子のプロモーター領域の解析などの転写調節機構の解明を目的とした研究である。しかしながら、遺伝子発現の制御は転写以外にも種々のレベルで行われており、本研究のようなDNAレベルでの制御、すなわちDNA再編成による遺伝子発現の制御に関する研究は近年注目を集めている。

 私は絞り花(キメラ斑)を咲かせるアサガオにおいてこの絞り模様形成が遺伝的要因によっているにも関わらず絞り模様の形成(頻度やパターン)が偶然性に支配されていること、また絞り花から2〜5%の頻度で全色花(fully colored flowers)を咲かせる復帰変異体(revertants)が得られることなどからDNA再編成、特にトランスポゾンにより色素生合成系遺伝子の発現制御が行われた結果ではないかと考え、その機構の解明を試みた。

 アサガオ(Pharbitis nil)は、奈良時代に薬用植物(牽牛子)として渡来し、江戸時代になると花色や花・葉などの形態に関する種々の変異体が園芸品種として数多く作出されている。また、その古典遺伝学的研究も昭和初期に日本人研究者により勢力的に行われ、詳細な遺伝学的連鎖地図も作成されている。本研究で用いた白地に紫条のキメラ斑を生じる絞り花アサガオは、歴史的には1762年に平賀源内の「物類品隲」に記述され、Imai(1931,1934,1938)により遺伝学的研究が成された系統である。また、その原因である易変性遺伝子a-3fの座位は第5染色体上に置かれていることが知られている。なお、本実験には青色の花を咲かせる野生型アサガオを対照として用いた。

【方法及び結果】1)アントシアニン色素生合成系遺伝子DFR中に見い出された新トランスポゾンTpn1の同定・単離と絞り模様形成への関与

 絞り花の白地部分の簡単な色素化学分析の結果、アントシアニン色素生合成経路のうち、DFR(Dihydroflavonol-4-reductase)、AS(Anthocyanidin synthase)及びUF3GT(UDP-glucose flavonoid 3-O-glucosyltransferase)遺伝子のうちのどれかに変異が起きていることが予想された。そこで既に他の植物から単離されている各遺伝子をプローブに用いてサザンハイブリダイゼーション法により、それぞれのゲノミック遺伝子の構造について解析を行った。その結果、野生型と比較して絞り花アサガオのDFR遺伝子領域内には6.4kbのDNA配列が挿入していることが明らかとなった。そこで野生型と絞り花アサガオの両者のDFR遺伝子領域をクローン化してその構造を解析したところ、アサガオゲノム中には3コピーのDFR遺伝子(DFR-A,-B,-C)が存在することが分かり、そのうちのDFR-B遺伝子内に6.4kbのトランスポゾンが挿入していることが明らかになった。即ち、この6.4kbのDNA配列の末端領域には、1)トウモロコシのトランスポゾンSpm/En様の末端逆反復配列(28bp)が存在し、2)因子の両外側には、Spm/Enが転移・挿入する際と同様の3bpの順繰り返し配列(標的重複)が存在し、3)植物のトランスポゾンにだけ特徴的に見られる、転移・脱離に伴う小さなDNA再編成(Empty Donor Sequences)も観察された。以上から、この6.4kbのDNA配列はアサガオより初めて単離されたSpm/En様のトランスポゾンであるので、Tpn1(Transposon Pharbitis nil One)と名付けた。

 しかしながら、アサガオゲノム中にはペチュニアのDFRcDNAの5’側にホモローグをもつ領域が3コピー(DFR-A,-B,-C)同一領域中に存在していることが分かった。そこで、DFR-B遺伝子が花弁で発現し、絞り花アサガオのDFR-B遺伝子中に挿入されていたトランスポゾンTpn1が本当に絞り模様形成の原因となっているのか否か検討を試みた。

 まず、絞り花アサガオより2〜5%の頻度で得られ、紫の全色花(fully colored flowers)を咲かせる生殖細胞復帰変異体(germinal revertants)を得る。次いでこれを自殖し、その次世代における絞り花アサガオの分離(表現型)とDFR遺伝子領域の構造(遺伝子型)を比較検討した。これらのDFR遺伝子の構造(遺伝子型)解析については、ペチュニアDFRをプローブに用いたサザンハイブリダイゼーション法によった。もしトランスポゾンTpn1が絞り模様形成の原因となっているのならば、全色花を咲かせる生殖細胞復帰変異体では、一対のDFR遺伝子のうち、一方にはTpn1が存在し、他方はTpn1が脱離したヘテロ接合体であろう。また、それらを自家受精させた後の次世代絞り花アサガオの場合には、DFR遺伝子は共にTpn1が存在するホモ接合体であるのに対して、全色花のアサガオの場合は復帰変異体と同じヘテロ接合体か、両方のDFR遺伝子中にTpn1が存在しないホモ接合体であろうと考えられる。

 この表現型と遺伝子型を比較した結果は上記の仮説通りとなっており、絞り花アサガオにおいては、花弁形成時に少なくとも一方の染色体上のTpn1が、DFR-B遺伝子中から転移・脱離することがDFR遺伝子の再活性化のために必要であること、即ち、Tpn1が絞り模様形成の原因となっていることが明らかとなった。さらに、このことは、DFR-B遺伝子が花弁で発現するDFR遺伝子であることも同時に証明したと考えられる。

2)アントシアニン色素生合成系遺伝子DFRの構造と機能

 アントシアニン色素は広範囲の高等植物において花色を決定する要因となっており、フラボノイド生合成経路により生合成される。このフラボノイド生合成経路の遺伝子群の多くは、トランスポゾン・タッギングにより同定・単離されている。

 また、私が単離したTpn1がアントシアニン色素生合成のためのフラボノイド生合成経路の遺伝子群の一つDFR-B遺伝子内に挿入されていたことからも、アサガオのDFR遺伝子について、その構造や発現様式を解析する必要があると考えた。なお、DFR遺伝子について詳しい解析が為されているものは、現在、トウモロコシとペチュニア、キンギョソウだけである。

 まず、アサガオゲノム中にタンデムに並んだ3つの遺伝子DFR-A,-B,-C及び花弁より得られたDFR cDNAについて構造解析を試みた。その結果、DFR-B遺伝子についてはゲノミックとcDNAの両者の塩基配列の比較から、6つのエキソンが存在し、さらにプロモーター領域、ターミネーター領域と考えられる配列も見い出された。また、DFR-B遺伝子をプローブに用いた花弁のトータルRNAに対するノーザンハイブリダイゼーションを行ったところ、そのシグナルがシングルバンドであったことやシグナルの大きさなどから、DFR-B遺伝子だけが花弁で主に発現していることが分かった。また、絞り花アサガオにおいてシグナルが検出されなかったことから、Tpn1の転移によりDFR-B遺伝子の発現が制御されていることも確認された。

 なお、DFR-A及びDFR-C遺伝子については、これらに対応するcDNAは検出できなかった。さらに、DFR-C遺伝子のエキソンと考えられる領域は5’側の3つしか検出されず、しかもこれらの領域内には2箇所にフレーム・シフト変異が見いだされたので、偽遺伝子である可能性が高いと考えられた。また、DFR-A遺伝子の構造上の特徴についてはゲノミックの塩基配列の比較から、DFR-A遺伝子には6つのエキソンが存在し、さらにプロモーター領域、ターミネーター領域と考えられる配列も見い出された。しかしながら、DFR-A遺伝子の潜在的機能や発現様式とについては今後さらに検討を試みたい。

3)絞り花アサガオから単離された新しいトランスポゾンTpn1の構造解析

 一般に、高等植物のDNA型トランスポゾンは末端逆反復配列や標的重複の塩基数などからAc/Ds系とEn/Spm系に大別できるが、このTpn1はEn/Spm系の因子であった。このEn/Spm系のトランスポゾンには、特徴的な転移酵素の作用するSubterminal repetitive regions(SRR)が存在し、転移能や植物遺伝子の発現調節に重要な役割を果たしていることが知られている。また、トランスポゾンの内部には転移に必要な転移酵素をコードし、自ら転移できる自律性の因子と、転移酵素がトランスに作用したときだけ転移できる非自律性の因子に大別できる。そこで、アサガオから単離されたトランスポゾンTpn1のSRRの構造やその因子の内部構造について解析する目的で全塩基配列を決定した。

 その結果、このTpn1は、全長6412bpで、Tpn1の末端近傍領域には転移酵素が認識すると考えられるシス領域が末端から各々650bpと800bpにわたって存在しており、En/Spm類縁因子中最も長く、かつ、最も複雑な構造であることが明らかになった。また、En/Spmやその類縁のキンギョソウのTam1などの自律性の因子では、内部にコードされる転移酵素遺伝子中に特徴的な2〜3kbのOpen Reading Frameが存在していることが知られているので、Tpn1内部のOpen Reading Frameを検索したところ、250bp以上のOpen Reading Frameは因子中に3つしか存在しなかった。従って、Tpn1は自ら転移することはできない非自律性の転移因子であって、アサガオゲノム中のどこかに存在する自律性因子の産出する転移酵素の作用により転移すると考えられた。

【結論と考察】

 今回私が解明したのは以下の3点である。1)絞り花アサガオの絞り模様形成の原因は、花弁での色素生合成に関与する遺伝子の一つDFR-B中にトランスポゾンTpn1が挿入され、不活性化されていた構造から、花弁形成時にトランスポゾンTpn1が転移・脱離することによりDFR-B遺伝子の再活性化が行れた結果である。2)アサガオのアントシアニン色素生合成遺伝子DFRはタンデムに3つ(DFR-A,B,C)並んでおり、その内のDFR-B遺伝子だけが花弁で特異的に発現していることが分かった。3)転移能と遺伝子の発現制御能を持つトランスポゾンTpn1は6412bpで、自ら転移することはできない非自律性の転移因子であって、アサガオゲノム中のどこかに存在する自律性因子から産出される転移酵素の作用により転移すると考えられた。

 今後、さらに絞り模様形成の制御機構、特にトランスポゾンの転移の頻度やタイミングについてのメカニズムを解明するためには、DFR-B遺伝子やTpn1の構造と機能を明らかにすることのみならず、未知の自律性因子を単離し、その自律性因子の側からの詳しい解析が行われる必要があろう。

審査要旨

 本論文はアサガオの絞り花の形成がアントシアニン色素生合成酵素の遺伝子発現のトランスポゾンによる制御の結果である事の発見、アサガオトランスポゾンの構造解析、アントシアニン色素生合成酵素(ジヒドロフラボノール-4-還元酵素)の構造解析から成り立っている。

ジヒドロフラボノール-4-還元酵素(DFR)遺伝子中に見出された新規トランスポゾンTpn1の同定と絞り模様形成への関り:

 アントシアニン色素合成に関る各種酵素(アントシアニジン合成酵素、UDP-グルコース-フラボノイド-グルコース転位酵素、DFR)遺伝子の構造解析を野性型、絞り花型について行い、絞り花DFR遺伝子内に6.4kbのDNAが挿入されている事を明らかにした。DFR遺伝子のうち、6.4kbの挿入されているのはDFR-B領域であった。6.4kbのDNA中には1)トウモロコシのトランスポゾンspm/En様の末端逆反復配列(28bp)が存在し、2)因子の両外側にspm/Enが転位する際と同様の3bpの順繰り返し配列(標的重複)が存在し、3)脱離した後に特徴的な"かけら"を残していくなどよりトランスポゾンである事が判明した。Tpn1(Transposon Pharditis nil One)と命名した。

 絞り模様の形成がTpn1の脱離によることは、交配実験で確められた。生殖細胞復帰変異株を得、次いでこれを自殖し、次世代における表現型とDFR遺伝子の構造を比較検討した。表現型が"絞り花"ではTpn1が共に存在するホモ接合体であり、"全色花"ではヘテロ接合体か両方のDFR遺伝子中にTpn1が存在しないホモ接合体であった。このことより染色体上のTpn1が絞り模様形成の原因となっている事が明らかとなった。

アントシアニン色素生合成酵素、DFRコードする遺伝子の構造:

 アサガオゲノム中にタンデムに並んだ3つの遺伝子DFR-A、-B、-Cの構造解析を行い、さらに花弁のRNAに対するノーザンハイブリダイゼーションを行い、DFR-B遺伝子のみが花弁で特異的に発現し、Tpn1の転位により発現が抑制されていることも確認された。

新規トランスポゾンTpn1の構造と機能:

 Tpnの全塩基配列の決定を行った。全長6412bpで、末端領域に転位酵素が認識すると考えられるシス領域が末端より各々650bp、800bpにわたって存在しており、En/Spm類縁因子中最も長く、最も複雑である事が明らかとなった。さらにキンギョ草の自律性因子との対比からTpn-1は自ら転位する事は出来ない非自律性因子であると考えられた。

 以上、本研究は新規トランスポゾンの発見、構造と機能の解析、アントシアニン色素生合成に関る遺伝子の解析から成り、植物遺伝学、植物化学の発展に寄与するところがあり、博士(薬学)に価すると判定された。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54479