学位論文要旨



No 111419
著者(漢字) 川上,純一
著者(英字)
著者(カナ) カワカミ,ジュンイチ
標題(和) ニューキノロン系抗菌剤による中枢性痙攣の予測とその回避法に関する医療薬学研究
標題(洋)
報告番号 111419
報告番号 甲11419
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第714号
研究科 薬学系研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 伊賀,立二
 東京大学 教授 長尾,拓
 東京大学 教授 杉山,雄一
 東京大学 助教授 長野,哲雄
 東京大学 助教授 澤田,康文
内容要旨 【緒言】

 臨床では末梢作用を目的とした各種医薬品の中枢神経系に対する副作用が治療上の深刻な問題となっており、その予測と回避のための方法論の確立は焦眉の急である.今日広範に使用されるニューキノロン系抗菌剤(NQs)は種々の精神神経症状を発現し、特に重篤な症例として間代性・強直性痙攣が報告されている.このNQsの痙攣誘発性は非ステロイド性抗炎症剤(NSAIDs)との併用投与時に増大する.本研究では、マウスを用いてNQsによる痙攣誘発性とそれに対するNSAIDsの増強に関する発現機序の解析と定量的評価を行った.そしてNQs臨床使用時の痙攣誘発性の予測法の各過程を提示した.またNQs単独投与においても痙攣発現の報告された腎障害患者における副作用回避のための処方設計の変更方法を確立した.更に当該副作用を回避するための代替薬の選択および痙攣発現時における処置法に関する医薬品情報の構築を行った.

【方法】1.NQsとNSAIDsによる痙攣誘発の発現機序の解析と定量的評価

 (1)NQsと-ラクタム系抗生物質(-LCs)の痙攣誘発性に対するフェルビナク(FLB)の効果:NQsであるエノキサシン(ENX)とNSAIDsであるFLBをそれぞれ単独あるいは併用でマウスに静注し痙攣誘発のED50を求めた.同様の検討を-LCsであるセファゾリンあるいはイミベネム-シラスタチンとFLBとの組み合せでも行った,

 (2):NQs単独での静脈内定速注入による痙攣誘発:非拘束状態のマウスにENX,ノルフロキサシン(NFLX)およびオフロキサシン(OFLX)を静脈内定速注入し、間代性痙攣発現までの時間(T)と痙攣発現時の血漿中濃度(CP)と脳組織中濃度(CBR)を測定した.

 (3)NQsの体内動態に及ぼすFLBの影響:マウスにENXまたはシプロフロキサシン(CPFX)とFLBを静注し、NQsのCP,CBRの経時変化に及ぼすFLB併用の影響を調べた.

 (4)NQsとFLB併用での静脈内投与による痙攣誘発:非拘束状態のマウスに4種のNQs(CPFX,ENX,NFLXあるいはOFLX)とFLBをそれぞれ種々の投与量で静注し、投与後20min以内の痙攣発現の有無と両薬物のCBRとの関係を調べた.

 (5)NQsの脳室内定速注入による痙攣誘発:非拘束状態のマウス脳室内に4種のNQsを定速注入し痙攣発現投与量(D=投与速度×T)を算出した.FLB前処理群ではNQs投与の30min前に腹腔内投与した.

 (6)各種アゴニストの応答に対するENXとFLBの効果:マウス脳mRNAを注入したアフリカツメガエル卵母細胞を用いて各種アゴニスト(ACh,5-HT,GABA,Gly,Glu,カイニン酸,キスカル酸,NMDA)の応答に対するENXとFLBの効果を膜電位固定下にて記録した.

 (7)GABA応答に対するNQsの抑制作用とFLBによるその増強効果:GABA応答に対する4種のNQsの抑制作用をFLB共存・非共存下において測定しIC50を求めた.FLBによる増強効果はFLB非共存下でのIC50をFLB共存下でのIC50で除して得られる増強比で評価した.

 (8)3H-ムシモール特異的結合に対するNQsの阻害作用とFLBによるその増強効果:マウス脳単離細胞を用いてGABAA受容体アゴニストである3H-ムシモールの特異的結合に対する4種のNQsの阻害作用をFLB共存・非共存下において測定した.

2.ヒトにおけるNQsの痙攣誘発性の予測

 (1)ヒトにおけるNQsの中枢移行性の予測:既報のラット・ウサギ・ビーグル犬および健常人におけるOFLXのCP,脳脊髄液中濃度(CCSF)を用いて動物実験データからヒトへの予測を試みた.ヒトのCP推移は全身クリアランス,分布容積と体重との羃乗則(Y=A・XB)を用いて予測した.CCSFは血液-CSF間の透過クリアランス(PS)とCSFの産生・消失速度およびCSFから血液への一方向性の汲み出し(CLeff)からなる古典的モデルを用いて解析した.ヒトのCCSF推移はPS,CLeffと脳重量との羃乗則を用いて予測した.

 (2)NQsとNSAIDsによるGABAA受容体応答の抑制作用に関する動物種差・脳部位差:マウス全脳とラット,ウサギ,ビーグル犬およびカニクイザルの大脳,脳幹および小脳のmRNAをそれぞれ注入したアフリカツメガエル卵母細胞を用いて、GABA応答に対するENXの抑制作用をFLB共存・非共存下において測定した。また小脳におけるENXの抑制作用が小さく見積もられたため、マウス全脳およびラット大脳,小脳に関するGABA応答の濃度依存性を調べてENXのKiを算出した.

 (3)NQsの臨床使用における痙攣誘発性の評価:4種のNQsに関して、常用量投与後のCCSF範囲とGABA応答に対するFLB共存・非共存下での抑制作用を比較した.ENXに関しては腎障害患者における単独投与後の痙攣発現時CCSFを用いて解析した.

3.NQsとNSAIDsの相互作用による痙攣誘発の回避・処理方法

 (1)NQsとNSAIDsによる中枢性副作用を回避するための医薬品情報の構築-GABA応答の構造活性相関-:GABA応答に対するFLB共存・非共存下における各種オールドキノロン系抗菌剤(OQs),NQsの抑制作用と、ENXの抑制作用に対する各系列NSAIDsの増強効果を測定した.そしてこれらの作用と各薬物の分子構造との関係から中枢性副作用を回避するための代替薬の選択に関する医薬品情報の構築を行った.

 (2)NQsとNSAIDsにより発現した中枢性痙攣に対する処理方法の確立:非拘束状態のマウスにENXとFLBを静注し、痙攣発現後に抗痙攣薬であるフェニトイン(PHT)またはジアゼパム(DZP)を靜注した.両抗痙攣薬の後処置による効果と既報の症例における各種処置に基づき痙攣発現時における有効な処置法に関する医薬品情報の構築を行った.

【結果・考察】1.NQsとNSAIDsによる痙攣誘発の発現機序の解析と定量的評価

 -LCsとFLBの痙攣誘発のED50イソボログラムは相加的相互作用を示したがENXとFLBでは劇的な相乗的相互作用であった.NQsの単独投与では、投与速度間でTと痙攣発現時のCPは相違するもののCBRには違いはなく、CBRは作用部位における濃度の直接的指標になり得た.FLBはNQsの体内動態を変化させず、またNQsとFLBとの併用投与による痙攣誘発時のCBRイソボログラムでは原点側に大きく凸の明確な閾値が存在した.NQsの脳室内注入により静注時と同様の間代性痙攣が観察でき、NQsのDはFLBにより大きく低下した.以上よりNQsによる痙攣は中枢性痙攣であること、その痙攣誘発性はNSAIDsとの薬物動力学的相互作用によって増強されることが分かった.GABA応答はNQsにより抑制されFLBはこの抑制作用を増強した.GABA以外のアゴニスト応答はENXとFLBにより顕著に変化しなかった.3H-ムシモール特異的結合においてもNQsによる阻害とFLBによるその増強が観測され、このNQsの阻害作用はGABA応答に対する抑制作用と相関した.またGABA応答に対するNQsのIC50は脳室内注入後のDと相関し、NQsによるGABAA受容体の結合阻害に基づくGABA神経伝達の抑制がNQsの痙攣誘発の主たる発現機序であることが示された.更にGABA応答に対するNQsのIC50は痙攣発現時のCBRと高い相関性を示し、in vivoでのNQsの痙攣誘発性はin vitroでのGABA応答に対する抑制作用から定量的に予測できることが分かった.

Fig.Relationship between Threshold Brain Cocentration of NQs for Convulsion and IC50 of NQs for GABA Response.■:CPEX,○●:ENX,▲:NELX,◇◆:○FLX.Closed and open symbols represent in the presence and absence of FLB,respectively.
2.ヒトにおけるNQsの痙攣誘発性の予測

 3種の動物実験データに基づくヒトでの予測CP,CCSF推移はそれらの実測値とほぼ対応し、ヒトにおける生理・解剖学的情報だけからNQsのヒトにおけるCSF移行性が予測できることが分かった.GABA応答抑制の動物種差・脳部位差に関しては、各脳部位におけるENXのIC50と増強比は動物種間で相違せずKiもラット大脳と小脳間で等しかった.この検討から本研究で使用したアフリカツメガエル卵母細胞外来遺伝情報発現系は動物種・脳部位間における作用の比較に有用であることが分かった.臨床使用時における痙攣発現性については、常用量投与後のCCSF範囲は各NQs単独時ではGABA応答の無作用域であるがFLB併用時では特にENXとNFLXにおいて抑制作用が現れる濃度であり、これらNQsとFLBとを併用した場合の危険性が示された.また腎障害患者でのENXによる痙攣発現時のCCSFはENX単独でもGABA応答の抑制作用が現れる濃度にまで上昇していたことが分かった.更に腎機能障害患者におけるENXの用法用量を個々の患者情報に基づいて設定する方法が確立された.

Fig.Relationship between CSF Concentration of NQs and the Inhibitory Effect on GABA response.:Concentration of NQs in human CSF □○◇:Control,■●▲◆:with FLB
3.NQsとNSAIDsとの相互作用による痙攣誘発の回避・処理方法

 キノロン母核7位に置換するピペラジニル基または3-アミノピロリジニル基がGABAA受容体に対する拮抗作用を発現する部位であり、またこのピペラジニル基上のメチル基と母核1位の比較的大きな置換基がGABA応答に対する抑制作用とFLBによる増強を妨げることが分かった.またNSAIDsではフェニル酢酸・インドール酢酸構造部分がNQsのGABA応答抑制に対する増強因子として機能する可能性が示された.以上よりNQsとNSAIDsとを併用処方する場合には、第一にNSAIDs側にフェニル酢酸・プロピオン酸およびインドール酢酸以外の薬剤を選択するのが望ましく、それが不可の場合にはNQs側にGABA応答抑制作用の弱い薬剤を選択しかつNSAIDs側にも増強効果の小さい薬剤を使用するべきであることが明かとなった.抗痙攣薬の後処置効果では、PHTは無効であったがDZPは抗痙攣作用を示した.既報症例においてもDZPは有効であり死亡例もないため、NQsによる痙攣誘発時はDZPを第一選択とし更に気管内挿管等の必要処置を施行することで対処できると考えられる.

【まとめ】

 ・外来遺伝情報発現系によるin vitroスクリーニング法は、動物実験代替法としての有用性、動物種間での薬効毒性比較に関する有効性およびその簡便性の観点から、医薬品の受容体介在性副作用の構造活性相関論的予測に有用であった.

 ・医薬品の臨床使用時における副作用発現に関する薬物間での相対強度と安全性が定量的に評価できた.

 ・医薬品の中枢性副作用誘発性の予測法が提示できた.

 ・腎障害患者における副作用回避のための処方設計の変更方法が提示できた.

 ・当該副作用発現回避のための代替薬の選択およびその発現時の処置方法に関する医薬品情報が構築できた.

審査要旨

 臨床では末梢作用を目的とした各種医薬品の中枢神経系に対する副作用が治療上の深刻な問題となっておりその予測と回避のための方法論の確立は焦眉の急である.広範に使用されるニューキノロン系抗菌剤(NQs)は種々の精神神経症状を発現し、特に重篤な症例として間代性強直性痙攣が報告されている.このNQsの痙攣誘発性は非ステロイド性抗炎症剤(NSAIDs)との併用投与時に増大する.本研究ではマウスを用いてNQsによる痙攣誘発性とそれに対するNSAIDsの増強に関する発現機序の解析と定量的評価を行い、NQs臨床使用時の痙攣誘発性の予測法の各過程を提示した.更にNQs単独投与においても痙攣発現の報告された腎障害患者における副作用回避のための処方設計の変更方法を確立し、当該副作用を回避するための代替薬の選択および痙攣発現時における処置法に関する医薬品情報の構築を行った.

1.NQsとNSAIDsによる痙攣誘発の発現機序の解析と定量的評価

 NQsの静脈内定速注入による痙攣発現時の脳組織中濃度(CBR)は作用部位中濃度の直接的指標となり得た.NQsの脳室内注入により静注時と同様の間代性痙攣が観察できた.NSAIDsであるフェルビナク(FLB)はNQsの痙攣誘発性を薬物動力学的相互作用により増強した.マウス脳mRNAを注入したアフリカツメガエル卵母細胞におけるGABA応答およびマウス脳単離細胞における3H-ムシモール特異的結合に対するNQsの抑制作用とNQs脳注後の痙攣発現投与量との相関から、GABAA受容体の結合阻害に基づくGABA神経伝達の抑制がNQsの痙攣誘発の主たる発現機序であることが示された.GABA応答に対するNQsのIC50は痙攣発現時のCBRと相関性し、in vivoでのNQsの痙攣誘発性はin vitroでのGABA応答抑制から定量的に予測できることを明かにした.

2.ヒトにおけるNQsの痙攣誘発性の予測(1)ヒトにおけるNQsの中枢移行性の予測

 ラット・ウサギおよびイヌにおけるオフロキサシンの血漿中,脳脊髄液中濃度(CCSF)推移からヒトにおけるそれら推移を予測した.予測推移は実測値と対応し生理・解剖学的情報だけに基づいてヒトでの中枢移行性が予測できることを明かにした.

(2)NQsとNSAIDsによるGABAA受容体応答の抑制に関する動物種差・脳部位差

 マウス全脳とラット,ウサギ,イヌおよびサルの大脳,脳幹および小脳のmRNAをそれぞれ注入したアフリカツメガエル卵母細胞でのGABA応答に対するエノキサシン(ENX)の抑制作用とFLBによる増強効果は動物種・脳部位間で相違しなかった.以上より本研究で使用した外来遺伝情報発現系は動物種・脳部位間における作用の比較に有用であることが明かとなった.

(3)NQsの臨床使用時における痙攣誘発性の評価

 常用量投与後のCCSF範囲は、各NQs単独時ではGABA応答の無作用域であるが、FLB併用時では特にENXとノルフロキサシンにおいて抑制作用が現れる濃度でありこれらNQsとFLBとを併用した場合の危険性が示された.また腎障害患者でのENXによる痙攣発現時のCCSFはENX単独でもGABA応答の抑制作用が現れる濃度にまで上昇していたことが分かった.更に腎機能障害患者におけるENXの用法用量を個々の患者情報に基づいて設定する方法を確立した.

3.NQsとNSAIDsとの相互作用による痙攣誘発の回避・処置方法

 (1)NQsとNSAIDsによる中枢性副作用を回避するための医薬品情報の構築

 GABA応答に対するFLB共存・非共存下における各種NQsの抑制作用と、ENXの抑制作用に対する各系列NSAIDsの増強効果を測定した.両薬物群の分子構造とそれら作用との関係から、NQsとNSAIDsとを併用処方する場合には、第一選択薬にNSAIDsとしてフェニル酢酸・プロピオン酸およびインドール酢酸以外の薬剤を使用するのが望ましく、それが不可の場合にはNQs側にGABA応答抑制作用の弱い薬剤を選択しかつNSAIDs側にも増強効果の小さい薬剤を使用するべきであることが示された.

 (2)NQsとNSAIDsにより発現した中枢性痙攣に対する処置方法の確立

 ENXとFLBにより発現した中枢性痙攣に対してはフェニトインは無効であったがジアゼパム(DZP)は抗痙攣作用を示した.既報症例においてもDZPは有効であり死亡例もないため、NQsによる痙攣誘発時はDZP投与を第一選択とすることで対処できることが示された.

4.まとめ

 外来遺伝情報発現系によるin vitroスクリーニング法は、動物実験代替法としての有用性、動物種間での薬効毒性比較に関する有効性およびその簡便性の観点から、医薬品の受容体介在性副作用の構造活性相関論的予測に有用であった.医薬品の臨床使用時における副作用発現に関する薬物間での相対強度と安全性が定量的に評価できた.医薬品の中枢性副作用誘発性の予測法が提示できた.腎障害患者における副作用回避のための処方設計の変更方法が提示できた.当該副作用発現回避のための代替薬の選択およびその発現時の処置方法に関する医薬品情報が構築できた.

 以上、本研究の内容は繁用医薬品であるNQsに関して、その臨床使用時における処方作成を支援し適切な薬物療法を確立するための医薬品情報の構築に寄与するところが大であり、よって博士(薬学)の学位に充分に値するものである。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54481