学位論文要旨



No 111423
著者(漢字) 清宮,啓之
著者(英字)
著者(カナ) セイミヤ,ヒロユキ
標題(和) ヒト白血病細胞の分化におけるチロシンフォスファターゼの機能
標題(洋)
報告番号 111423
報告番号 甲11423
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第718号
研究科 薬学系研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鶴尾,隆
 東京大学 教授 名取,俊二
 東京大学 教授 入村,達郎
 東京大学 教授 岩崎,成夫
 東京大学 助教授 榎本,武美
内容要旨

 近年のtyrosine kinaseの研究を通じ、tyrosineのリン酸化が分化・増殖といった細胞機能の調節に、重要な役割を果たしていることが明らかにされた。ここで、細胞を主に癌化へと導くtyrosine kinaseとは逆に、その逆反応を司るprotein tyrosine phosphatase(PTPase)の癌抑制的な役割が想定される。しかしながら、この酵素に関する知見は乏しく、その本来有する細胞機能における役割については充分明らかにされていない。また、ここ数年で非常に多くの種類のPTPase遺伝子が単離されたことを考慮すると、その機能は一義的なものではないと考えられる。本研究では、ヒト白血病細胞を用いて、細胞分化におけるPTPaseの機能を明らかにすることを目的として以下の実験を行った。

 【結果】1.ヒト分化誘導耐性白血病細胞株の樹立 ヒト単芽球白血病細胞U937は、TPAなどの分化誘導剤によって単球・macrophageへと分化し、その増殖が抑制される事が知られている。我々は、TPAで分化しなかった一部の細胞を回収してdrug freeで増殖させ、これを再びTPAで処理するという操作を16回繰り返し、TPAに対する耐性株UT16細胞を樹立した。UT16は親株と同様の増殖能を保持していたが、これにTPAを加えた場合、U937において認められる種々の分化形質(growth arrest・dishへの接着・NBT還元能の誘導・分化抗原CD14およびCD11bの発現誘導・c-myc down regulation)は観察されなかった。以上の結果は、TPA非存在下において100回以上継代培養した後にも再現された。また、細胞内へのTPAの取り込みに関しては、親株との間に差が認められなかった。そこで、更に下流のsignaling factorsについて親株と比較検討したところ、同耐性株ではTPAによるprotein kinase C(PKC)、Raf-1 kinase、およびERK1の活性化は親株と同様に起こることが明らかになった。但しUT16の場合、TPA非存在化においてもPKCが一部活性化していた。そこで、TPA処理によって活性化を受ける転写因子の一つであるAP-1のbinding活性をgel shift法によって解析したところ、U937では時間依存的にhigh mobility、およびlow mobilityを示す2種類の特異的バンドが検出された。これに対して、UT16ではhigh mobilityを示すバンドが顕著に減少していた。これと一致して、UT16ではc-jun・c-fosの遺伝子発現誘導が起こらなくなっていることが示された。以上の結果より、UT16はTPAの取り込み、PKC・Raf-1・ERK1の活性化能は保持しているものの、AP-1による遺伝子発現誘導能は欠損していることが明らかになった。

 2.U937分化誘導時のPTPasesの挙動 U937細胞内のPTPase活性を測定したところ、細胞の分化に伴ってcytosol画分における同酵素活性が2倍に上昇することが明らかになった。一方、UT16においても同様の解析を行ったところ、高濃度のTPA存在下においても同酵素活性の上昇は起こらなくなっていることが示された。これにあわせ、PTPaseの阻害剤であるvanadateがTPAによるU937の分化誘導を阻害することを見い出した。そこで、U937細胞内に発現しているPTPase isozymesを同定するため、触媒領域の保存配列に相当するprimersを用い、同細胞よりPTPase遺伝子断片のPCR cloningを行った。その結果、cytoplasmic型のisozymeが8種類(TcellPTP、PTP-1B、PTP-1C、PTP-H1、PTP-MEG、PTP-MEG2、HePTP、P19-PTP)、transmembrane型のものが3種類(CD45、HPTP、HPTP)、更に、新規isozymeと判断される2種類のclones(PTP-U1、PTP-U2)がそれぞれ単離された。そこで、これらの遺伝子断片を用いてU937の分化過程における各isozymeの遺伝子発現変化を解析したところ、cytoplasmic型のisozymeのうち、PTP-1C、MEG2、H1、更にP19-PTPにおいて、分化に伴って2倍から4倍の発現上昇が認められた。また、transmembrane型のisozymeでは、CD45、およびHPTPにおいて、各々3倍と6倍の発現上昇が観察された。更に、新規isozymeであるPTP-U1、およびPTP-U2においても、各々5倍と13倍の発現上昇が認められた。一方、耐性細胞であるUT16について同様の解析を行ったところ、cytosol型ではPTP-1C、MEG2、P19、また、transmembrane型ではHPTP、そしてPTP-U1、PTP-U2において、TPAに対する反応性が親株よりも低下、ないし消失していることが明らかになった。PTT-1Cの場合、蛋白質の誘導も低下していることが示された。

 3.新規isozyme;PTP-U2の構造と機能 前述した13種類のPTPase isozymesのうち、U937の分化に伴って最も高い発現誘導を示すものとして、新規isozymeであるPTP-U2の全長cDNAのcloningを試みた。まず、TPAで分化誘導したU937細胞由来のcDNA librariesをscreeningしたところ、5’endの欠けているcloneしか得られなかった。そこで、このpartial fragmentを用いてヒト正常組織におけるPTP-U2の遺伝子発現を解析したところ、腎臓・脳において5.4kb、肺・胎盤においてU937細胞と同様の3.5kb、更に心臓において4.8kbの転写産物が検出された。組織間では腎臓における発現が最も強いことから、同組織由来のcDNA librariesをscreeningしたところ、5.1kbのPTP-U2全長cDNAが単離された。DNA塩基配列の解析により、同遺伝子によってコードされる蛋白質は1,216残基のアミノ酸から成り、推定分子量140kDaの膜貫通型蛋白質であると推測された。同蛋白質には膜貫通領域が1箇所存在し、細胞外・細胞質各領域にはそれぞれfibronectin type III-like motiefの8回繰り返し構造、およびPTPase触媒領域1つが見い出された。大腸菌を用いて触媒領域蛋白質を産生させた結果、同領域は実際にPTPase酵素活性を有することが確認された。また、U937より得られたpartial cDNAにおいても膜貫通・細胞質各領域は腎臓由来のものと一致したことから、前述の種々のsizeの転写産物は細胞外領域に相当するexonsのalternative splicingによって生じたものであると推測される。次に、様々なヒト癌細胞株についてPTP-U2遺伝子のRT-PCRを行ったところ、同遺伝子は主に血球系の細胞で発現していることが明らかになった。そこで、種々の白血病細胞株を用いて解析したところ、TPA、1,25-dihydroxy vitamin D3、retinoic acid、dimethyl sulfoxideといった様々な分化誘導剤によって同遺伝子の発現誘導が起こることが示された。更にU937の場合、TPA処理によって82kDa PTP-U2蛋白質の誘導が認められ、分化誘導に耐性であるUT16では同蛋白質の誘導は起こらないことが示された。染色体mappingの結果、PTP-U2遺伝子座は12p13.2-p13.3と同定され、好酸球増加症などの同領域に異常の認められる腫瘍疾患への関与が示唆された。

 【結論】ヒト単芽球白血病細胞U937、およびその分化誘導耐性細胞を用いることにより、U937の分化能とPTPaseの活性化との間に強い相関を見い出した。このことから、PTPase isozymesのあるものはU937の分化にpositiveに関与している可能性が示唆された。特に、同細胞より単離した2種類の新規isozymesの1つであるPTP-U2は、複数のヒト白血病細胞株において様々な分化誘導剤の刺激によって発現誘導が認められたことから、血球系細胞の分化・増殖制御に寄与している可能性が示唆された。

審査要旨

 近年のtyrosine kinaseの研究を通じ、tyrosineのリン酸化が分化・増殖といった細胞機能の調節に重要な役割を果たしていることが明らかにされた。細胞を主に癌化へと導くtyrosine kinaseとは逆に、その逆反応を司るtyrosine phosphatase(PTPase)には癌抑制的な役割が想定される。しかしながら、この酵素に関する知見は乏しく、その本来有する機能については充分明らかにされていない。また、ここ数年で非常に様々なPTPase遺伝子が単離されたことからも、その機能は必ずしも一義的なものではないと考えられる。本研究は、ヒト白血病細胞の分化に伴うPTPaseの活性化、および様々な分化誘導剤によって誘導される新規PTPase isozymeの構造とその発現様式を明らかにし、白血病細胞の分化におけるPTPaseの機能について研究したものである。

 以下、研究結果の要旨を示す。

(1)分化誘導剤TPA耐性ヒト白血病細胞株の樹立

 ヒト単芽球白血病細胞U937は、TPAなどの分化誘導剤によって単球・macrophageへと分化し、その増殖が抑制される事が知られている。今回、同細胞より、PKCのdown-regulationといった既知の耐性機構とは異なるTPA耐性細胞UT16を樹立した。UT16細胞は親株と同様の増殖能を保持していたが、これにTPAを加えた場合、U937細胞において認められる種々の分化形質は観察されなかった。UT16細胞はTPAの取り込み、PKC・Raf-1・ERK1の活性化能は保持しているものの、AP-1によるc-jun・c-fos遺伝子の発現誘導能は欠損していることが明らかになった。UT16細胞の耐性形質は安定であり、同細胞は骨髄性血球細胞の分化機構を解明する上での有用な変異株である。

(2)U937細胞分化誘導時のPTPasesの挙動

 U937細胞において遺伝子発現しているPTPasesとして、新規PTP-U1・PTP-U2を含む13種類のisozymesをRT-PCR法により同定した。一方、PTPasesの阻害剤であるorthovanadateが、TPAによるU937細胞の分化誘導を阻害した。これに併せ、同細胞のPTPasesが酵素活性・遺伝子発現の両レベルにおいて、細胞の分化に伴って活性化することを明らかにした。これに対して分化誘導耐性のUT16細胞では、PTPases活性化能は大きく低下していた。以上の結果より、U937細胞の分化能とPTPasesの活性化との間に強い相関が存在し、PTPase isozymesのあるものはU937細胞の分化にpositiveに関与している可能性を示した。

(3)新規isozyme PTP-U2の構造と機能

 新規PTPase isozymeであるPTP-U2のfull-lengthc DNAのcloningを行った。DNA塩基配列の解析により、腎臓由来の同遺伝子によってコードされる蛋白質は1,216残基のアミノ酸から成り、推定分子量約140kDaの膜貫通型蛋白質であることを示した。同蛋白質には膜貫通領域が1箇所存在し、細胞外・細胞質各領域にはそれぞれfibronectin type III様配列の8回繰り返し構造、およびPTPase触媒領域1つが見い出された。大腸菌の発現系を用いることにより、同蛋白質は実際にPTPase酵素活性を有することが確認された。ヒト正常組織において、様々なsizeのPTP-U2転写産物が組織特異的に検出された。これらは細胞外領域に相当するexonsのalternative splicingによって生じたものであると考えられる。同遺伝子は、種々の白血病細胞株において、単球・macrophage系・顆粒球系の種々の分化誘導剤の刺激によって発現上昇を起こすことが示された。更にU937細胞の場合、TPA処理によってPTP-U2蛋白質の誘導が認められ、分化誘導に耐性であるUT16細胞では同蛋白質の誘導は起こらないことを明らかにした。染色体mappingの結果、PTP-U2遺伝子座は好酸球増加症などの腫瘍疾患において高頻度に異常の認められる部位に存在することが明らかになった。以上の結果から、PTP-U2は血球系細胞の増殖・分化制御に何らかの形で寄与している可能性が示された。

 以上のように本研究は、これまでに知見の乏しかったPTPasesの細胞内における積極的な意義を新たに見い出したものである。本研究は癌細胞の分化・増殖機構の解明に寄与するところ大きく、博士(薬学)の学位に値するものと判断した。

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