学位論文要旨



No 111428
著者(漢字) 藤田,直也
著者(英字)
著者(カナ) フジタ,ナオヤ
標題(和) 細胞接着によるアポトーシスの抑制 : アポトーシス抑制並びに誘導におけるThy-1(CD90)分子の役割
標題(洋)
報告番号 111428
報告番号 甲11428
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第723号
研究科 薬学系研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鶴尾,隆
 東京大学 教授 名取,俊二
 東京大学 教授 入村,達郎
 東京大学 教授 桐野,豊
 東京大学 助教授 辻,勉
内容要旨 (序)

 癌細胞の転移先臓器は、原発巣の癌がどういった種類のものであるかによって、ランダムではなくある一定の傾向を示すことが知られている。癌細胞は転移先臓器の微小環境と適合するときのみそこに転移巣を形成するがこうした微小環境としては、転移先臓器からの増殖因子、接着分子が挙げられる。

 本研究はリンパ節に高頻度に転移を起こすマウス悪性Tリンパ腫CS-21細胞をモデル系として用い、転移先臓器であるリンパ節のストローマCA-12細胞との細胞接着に関与する分子を検索し、接着分子によるCS-21細胞の増殖制御機構、とくに細胞死(アポトーシス)抑制現象への関与を解析し、リンパ節転移の分子機序の一端を明かにすることを目的とした。

(結果と考察)1.細胞接着によるCS-21細胞のアポトーシス抑制

 マウス悪性Tリンパ腫CS-21細胞は、mature helper T-cell likeな分化抗原を持つ癌細胞であり、マウス背部皮下に移植すると腋窩リンパ節に高頻度に転移を起こす。一方in vitroでは、CA-12ストローマ細胞と共培養すると増殖できるが、単独で培養しても増殖できずに細胞が萎縮して死滅した。この細胞死の形態をより詳細に透過型電子顕微鏡下にて検討した結果、アポトーシスであることが明かとなった。アポトーシスの生化学的メルクマールであるDNAのヌクレオソームサイズへの断片化を検討した結果、CS-21細胞をCA-12ストローマ細胞から分離すると時間依存的にDNAが180〜200bpに断片化した。CA-12ストローマ細胞の培養上清にはCS-21細胞のDNA合成を誘導する何らかの液性増殖因子が含まれていることが示唆されているが、CS-21細胞のアポトーシスはCA-12ストローマ細胞の培養上清を添加しても抑制されなかった。よってCA-12ストローマ細胞との細胞接着が、CS-21細胞のアポトーシス抑制に重要な役割を果たしていることが示唆された。

2.接着阻害抗体によるアポトーシス抑制

 CS-21細胞とCA-12ストローマ細胞の細胞接着に関与する分子を明かにするために、CS-21細胞をラットに脾内免疫してCS-21細胞とCA-12ストローマ細胞の接着を阻害する抗体を作製し、15kDaの抗原を認識する抗体を1クローン、168kDaの抗原を認識する抗体を4クローン、23kDaの抗原を認識する抗体を9クローン得た。これらの抗体の内、168kDa蛋白を認識するMCS-5抗体や23kDa蛋白を認識するMCS-19抗体を添加すると、CS-21細胞のアポトーシスが抑制された。さらにCA-12ストローマ細胞の培養上清存在下でこれらの接着阻害抗体を添加すると、CA-12細胞と共培養したときとほぼ同じ増殖能を示した。これらの結果は、CS-21細胞とCA-12細胞の細胞接着には少なくとも3種類の接着分子(15kDa、23kDa、168kDa蛋白)が関与しており、このうち23kDa及び168kDa蛋白は、細胞接着に関与するだけでなくアポトーシス抑制シグナルをも伝達する分子であり、MCS-5抗体やMCS-19抗体はこうした抗原に対しagonisticに働く抗体であることが示唆された。

3.アポトーシス抑制シグナルを伝達する23kDa蛋白の同定

 この23kDa蛋白は分子量から膜貫通ドメインを持たない膜結合型蛋白であることが予想されたので、代表的な膜結合型蛋白であるglycosyl-phosphatidylinositol(GPI)-anchored proteinの膜結合ドメインを特異的に切断するphosphatidylinositol-specific phospholipase C(PI-PLC)の作用を検討した。PI-PLCをCS-21細胞に作用させると、MCS-19抗体の反応性が低下し、さらに23kDa蛋白が細胞膜からbuffer中へ遊離することが明かとなり、23kDa蛋白はGPI-anchored proteinであることが示された。GPI-anchored proteinであること、さらに分子量から23kDa蛋白はThy-1分子である可能性が考えられた為、既存の抗Thy-1抗体とMCS-19抗体とのcross-blocking実験及び免疫吸収実験を行なった。その結果23kDa蛋白はThy-1分子であると同定された。また168kDa蛋白は、CD45protein tyrosine phosphatase(PTPase)であることが明かとなった。

4.抗Thy-1抗体によるアポトーシス阻害メカニズム

 Thy-1抗原は、Tリンパ球に対し抗Thy-1抗体及び二次抗体を作用させて架橋させると一過性の細胞内Ca2+濃度の上昇を誘導することが知られている。抗Thy-1抗体によるCS-21細胞のアポトーシス抑制並びに増殖には、こうした一過性の細胞内Ca2+濃度の上昇が寄与していることがCyclosporin A(CsA)等の免疫抑制剤を使った実験により明かとなった。またCS-21細胞はPMA添加によってもアポトーシスが阻害され増殖が誘導されるが、このPMAによるアポトーシス阻害メカニズムにはprotein kinase C(PKC)の活性化のみが関与しており、細胞内Ca2+濃度の上昇は伴っていない。これらのことからCS-21細胞の増殖には正常T細胞とは異なり、一過性の細胞内Ca2+濃度の上昇又はPKCの活性化のどちらか一方のシグナルで十分であることが明かとなった。また抗Thy-1抗体及びPMAによるアポトーシス阻害におけるアポトーシス抑制蛋白bcl-2の発現を検討してみると、PMA処理ではbcl-2の発現誘導が認められたが、意外なことに抗Thy-1抗体処理ではbcl-2の発現は誘導されなかった。これらの結果は、bcl-2 oncoproteinの発現は細胞内Ca2+濃度の上昇では誘導されずPKCの活性化によって誘導されることを示すと共に、抗Thy-1抗体によるアポトーシス阻害メカニズムにはbcl-2は関与していないことを示しており、非常に興味深い結果である。

5.特殊な抗Thy-1抗体によるCS-21細胞のアポトーシス促進作用

 今回作製した抗Thy-1抗体の内、MCS-34抗体は他の抗Thy-1抗体と異なり二次抗体で架橋してもCS-21細胞のアポトーシスを阻害する活性を示さなかった。逆にこの抗体はPMAによるCS-21細胞の増殖を阻害しアポトーシスを誘導する活性を示すと共に、CA-12細胞非依存的に増殖できるCS-21細胞のvariantであるCS-21n15細胞のアポトーシスをも誘導した。MCS-34抗体は通常の抗Thy-1抗体(MCS-19)と比較して、約4倍強く持続的な細胞内Ca2+濃度の上昇を起こすこと、及びカルシウムイオノフォアA23187でこうした持続的な細胞内Ca2+濃度の上昇を誘導するとPMAによるCS-21細胞の増殖を阻害しアポトーシスを誘導できることから、MCS-34抗体によるアポトーシス誘導メカニズムにこうした持続的な細胞内Ca2+濃度の上昇が関与している可能性が示唆される。

(まとめ)

 CS-21細胞に対するモノクローナル抗体を作製することにより、細胞接着に伴うアポトーシス抑制現象に関与する23kDa及び168kDa蛋白を同定した。更に23kDa蛋白はThy-1分子であることを同定すると共に、このThy-1分子より伝達されるアポトーシス阻害シグナルは一過性の細胞内Ca2+濃度の上昇に起因するものであることを明かにした。接着分子が単に細胞接着を媒介している分子ではなく、様々なシグナルを伝達する分子であることが近年多数報告されてきているが、私が今回得た知見は、アポトーシス抑制に対してもこうした特定の接着分子が関与することを示唆しており、接着分子の新しい機能を明らかにした。またCS-21細胞が転移先臓器であるリンパ節ストローマCA-12細胞と接着することによりアポトーシスが抑制されることから、一般の癌細胞の転移においてもこうした転移先臓器のストローマ細胞との相互作用、特に接着分子を介した癌細胞の細胞死の抑制が、癌細胞の転移臓器選択性と密接に関わっていることを示唆している。

 特殊な抗Thy-1抗体であるMCS-34抗体は、CS-21細胞に対してアポトーシス抑制活性ではなくアポトーシス誘導活性を示すことを明かにした。この細胞死誘導シグナルは持続的な細胞内Ca2+濃度の上昇による可能性が示唆されたが、MCS-34抗体は他の抗Thy-1抗体とほぼ同じepitopeを認識しさらに抗体のsubclassも同じであることから、どうしてこのような持続的な細胞内Ca2+濃度の上昇を引き起こすのかは現時点では不明である。しかし、Thy-1分子は様々なprotein tyrosine kinaseやPTPaseとcomplexを形成しているので、こうした他の分子がMCS-34抗体によるアポトーシス誘導に関わっている可能性が示唆される。

審査要旨

 癌の転移は、癌細胞が原発巣から遊離し、標的臓器に接着、浸潤し、そして増殖を起こすという多段階のプロセスを経て成立する。癌転移に関する研究は、1970年代に細胞生物学的手法が導入されることにより大幅な進展をみせ、現在癌転移のメカニズムに関与する生体分子が明かにされつつある。このなかで、癌細胞の転移部位における増殖には、転移巣周辺の微小環境との相互作用が重要であることが示唆されてきていたが、良いモデル系がないこともあり、その相互作用の実態は不明であった。

 本研究はリンパ節に高頻度に転移を起こすマウス悪性Tリンパ腫CS-21細胞をモデル系として用い、転移先臓器であるリンパ節のストローマCA-12細胞との細胞接着に関与する分子を検索し、接着分子によるCS-21細胞の増殖制御機構、とくに細胞死(アポトーシス)抑制現象への関与を明かにしたものである。

 以下、研究結果の要旨を記す。

(1)細胞接着によるCS-21細胞のアポトーシス抑制

 CS-21細胞は、実験的転移モデルでは腋窩リンパ節に高頻度に転移を起こす。一方細胞培養系においては、CA-12ストローマ細胞と共培養すると増殖できるが、単独で培養しても増殖できずにアポトーシスをおこして死滅した。CS-21細胞のアポトーシスは、CA-12ストローマ細胞の培養上清を添加しても抑制されなかった。以上よりCA-12ストローマ細胞との細胞接着が、CS-21細胞のアポトーシス抑制に重要な役割を果たしていることを明かにした。

(2)接着阻害抗体によるアポトーシス抑制

 CS-21細胞とCA-12ストローマ細胞の細胞接着に関与する分子を明かにするために、細胞接着を阻害するモノクローナル抗体を作製し、15kDa、168kDa、23kDaの抗原を認識する抗体を得た。これらの抗体の内、168kDa蛋白を認識するMCS-5抗体や23kDa蛋白を認識するMCS-19抗体を添加すると、CS-21細胞のアポトーシスが抑制された。以上より、CS-21細胞とCA-12細胞の細胞接着には少なくとも3種類の接着分子が関与しており、このうち23kDa及び168kDa蛋白は、細胞接着に関与するだけでなくアポトーシス抑制シグナルをも伝達する分子であることを明かにした。

(3)アポトーシス抑制シグナルを伝達する23kDa蛋白の同定

 既存の抗Thy-1抗体と23kDa蛋白を認識するMCS-19抗体とのcross-blocking実験及び免疫吸収実験を行なったところ23kDa蛋白はThy-1分子であると同定された。

(4)抗Thy-1抗体によるアポトーシス阻害メカニズム

 CS-21細胞のアポトーシス抑制並びに増殖には、一過性の細胞内Ca2+濃度の上昇が寄与していることが明かとなった。またCS-21細胞はPMA添加によってもアポトーシスが阻害され増殖が誘導されるが、このPMAによるアポトーシス阻害メカニズムにはPKCの活性化のみが関与していた。これらのことからCS-21細胞の増殖には、一過性の細胞内Ca2+濃度の上昇又はPKCの活性化のどちらか一方のシグナルで十分であることが明かとなった。またアポトーシス抑制蛋白bcl-2の発現は、PMA処理で発現誘導が認められたが、抗Thy-1抗体処理では発現誘導は認められなかった。これらの結果は、bcl-2 oncoproteinの発現は細胞内Ca2+濃度の上昇では誘導されずPKCの活性化によって誘導されることを示すと共に、抗Thy-1抗体によるアポトーシス阻害メカニズムにはbcl-2は関与していないことを明かにした。

(5)特殊な抗Thy-1抗体によるCS-21細胞のアポトーシス促進作用

 多数作製された抗Thy-1抗体の内、MCS-34抗体はアポトーシスを誘導する活性を示した。MCS-34抗体は通常の抗Thy-1抗体(MCS-19)と比較して、持続的な細胞内Ca2+濃度の上昇を起こすこと、及びカルシウムイオノフォアA23187で持続的な細胞内Ca2+濃度の上昇を誘導するとアポトーシスを誘導できることから、MCS-34抗体によるアポトーシス誘導メカニズムには持続的な細胞内Ca2+濃度の上昇が関与している可能性を明かにした。

 このように本研究は、転移巣周辺の微小環境との細胞接着が癌細胞の生存を支持することを分子レベルで明かにすると共に、こうした細胞接着に関わる接着分子が癌細胞の選択的転移に重要な役割を果たしていることを明かにしたものである。本研究は様々な文献に引用されていることからも判るように、癌細胞の転移形成機構の解明に寄与するところ大きく、博士(薬学)の学位に値するものと判断した。

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