学位論文要旨



No 111444
著者(漢字) 八馬,弘邦
著者(英字)
著者(カナ) ハチウマ,ヒロクニ
標題(和) 創造設計原理に基づくマイクロテスティングシステムの開発と適用に関する研究
標題(洋)
報告番号 111444
報告番号 甲11444
学位授与日 1995.04.14
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第3481号
研究科 工学系研究科
専攻 産業機械工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 畑村,洋太郎
 東京大学 教授 長尾,高明
 東京大学 教授 田中,正人
 東京大学 助教授 金子,成彦
 東京大学 助教授 中尾,政之
内容要旨

 近年、様々な科学分野で微小な部分を対象とする研究が脚光を浴びている。なかでも、図1に示すように情報機器関連分野と医学・生物学分野でその傾向が顕著に現れており、これらの分野では相対運動する2体間の数十nm〜1mmの微小接触部分に注目して、そこに生じる変形・破壊・摩擦・切削などの機械的現象を観察・測定・分析する装置(マイクロテスティングシステム)が必要とされている。しかし、これまで使用されていた装置は、数mm〜1mといった通常の大きさの測定装置の延長で設計されており、要求機能を充分満たしていない。これは、マイクロテスティングシステムに必要となる基本構成が明らかでなかったためである。

図1 マイクロテスティングシステムが求められている分野

 まず、システムの設計にあたり、全く新しい装置を設計する際に人の思考が辿る筋道を整理したところ次のような過程を経ることがわかった。

 最初に、要素機能を正しく設定し、それを分析して機能構成を得る。更に個々の機能要素を単位機能要素に分解し、要求機能を満たす単位機能群の全体構成を確定する。ここまでは、機能領域における思考過程である。

 次いで個々の機能要素に写像を行ない、機能要素に対応した機構要素を得る。更に、個々の機構要素を実体のある構造要素に展開する。ここで構造要素とは大きさ、材料などが具体的に特定されたモノである。最後に、構造要素をとりまとめ全体としての整合性をもった具体的な構造を得る。これら写像以降の過程は実体領域で行なわれる具体的な設計過程である。

 この一連の過程を創造設計原理と呼び、一般に考えられている設計がこの後半の過程のみに着目しているのに対し、創造設計原理では、前半の思考過程と後半の具体的設計過程との整合性の取れた一連の過程が本質的に重要であると主張している。

 図2に示すようにマイクロテスティングシステムについてこの設計過程を適用した結果、図3のようにミクロな測定に特有の機能として同所性・同時性・実時間性・任意性などが不可欠であり、以下の7つを満たす構成が必要であることが明らかとなった。

図2 マイクロテスティングシステムの設計思考課程図3 マイクロテスティングシステムに求められる基本機能

 (a)2体間における、モデル化した微小接触部を形成するために、平面の試料と微小先端の触針をもつ構成。

 (b)微小接触部を観察するために、現象を捉えることのできる視線方向から顕微鏡にて観察する構成。

 (c)2体間の微小動作を行なうために、試料側または触針側が、多軸に微動する構成。

 (d)微小接触部での現象を測定するために、試料側または触針側に各種センサをもつ構成。

 (e)操作者の意図に沿った測定を行なうために、自動および手動で任意の測定動作を行なう構成。

 (f)接触部での現象をすぐに記述するために、現象の顕微鏡画像と各種の測定データを同時に同一画面上で動的にその場で見せる構成。

 (g)試料と触針の表面の状態を設定条件と一致させるために、環境を保つ構成。

 この基本構成に基づいて、生体膜用マイクロテスティングシステムとSEM内ナノテスティングシステムを実際に設計・製作した。図4にSEM内ナノテスティングシステムの構成を示す。

図4 SEM内ナノテスティングシステムの構成

 製作したシステムを用い、自らまたは当該試料の専門家により各種の実験を行なった。その結果、以下の知見が容易に得られ、上記のシステム基本構成が妥当であることがわかった。

 (1)モルモットおよびヒト鼓膜の破断時の応力・ひずみを測定し、同時に光学顕微鏡で破断現象を観察した。その結果、生物により生体膜の特性が異なっていること、穿孔手術により鼓膜の機械的性質が変化することを明らかにした。従来、生体膜については病理学・形態学的には数多くの研究がなされてきたが、その破断のプロセスや破断時の力学的データ等の機械的特性については、ほとんど研究されておらず、生物による違いや穿孔による性質変化などはわかっていなかった。

 (2)SEM観察下で触針による金めっき表面の摺動実験を行ない、磨耗現象として、CuttingやPloughingなど各種の摩耗形態を観察し、同時に押付力・摩擦力・押付変位などのデータを得た(図5)。その結果、一定押付力におけるPloughing時には摩擦力が表面形状と深い相関があることがわかった。

図5 金めっき摺動試験の様子

 (3)金めっき表面について、同じ場所を数十回にわたり摺動したところ、200回摺動時でも、摩耗の進行が測定・観察された。

 (4)SEM観察下で、先端径の異なる各種プローブを用いて、金めっき同士の接触電気抵抗と荷重の関係を測定し、それと見かけの接触面積との関係を調べたところ、先端Rが数m程度では、マクロの結果と変わらないという結果が得られた。

 以上、マイクロテスティングシステムの要求機能、およびそれを具体化する基本構成、更にそれを具体化した生体膜用マイクロテスティングシステムおよびSEM内ナノテスティングシステム等を通じて得られた知見、等からこの創造設計原理に基づくマイクロテスティングシステムの開発手法が妥当であったことがわかる。

審査要旨

 本論文は「創造設計原理に基づくマイクロテスティングシステムの開発と適用に関する研究」と題し、相対運動する2体間の微小接触部分に注目して、そこに生じる変形・破壊などの機械的現象を観察・測定・分析する装置であるマイクロテスティングシステムを創造設計原理による思考過程に基づいて設計し、実際に製作し、試用し、その結果に基づいてシステムの基本構成と設計手法について評価した論文である。

 「第1章序論」では、研究の背景として、情報機器関連分野と医学分野において微小接触部分に生じる変形・破壊などの機械的現象の解明への要求が高まっていることとマイクロテスティングシステムの必要性とを述べ、本研究の目的として次の4つを示した。

 (1)創造設計原理に基づいてマイクロテスティングシステムの基本構成を提示すること。

 (2)マイクロテスティングシステムを実際に設計・製作すること。

 (3)製作した装置を試用して、微小な機械的現象を新たに解明すること。

 (4)試用を通じて、マイクロテスティングシステムの基本構成および創造設計原理に基づく設計思考過程の妥当性を評価すること。

 「第2章創造設計原理に基づく設計法の提案」では、創造設計原理と呼ぶ設計者の思考過程を提示し、これを新たな装置の設計に適用することを提案している。

 創造設計原理とは、全く新しい装置を設計する際に設計者の思考が辿る過程を示したものであり、以下の段階からなる。

 最初に、要素機能を正しく設定し、それを分析して機能構成を得る。更に機能構成を分解し、単位機能のみをもつ機能要素にする。ここまでは、機能領域で行なわれる思考過程である。次いで個々の機能要素を実際にあるものに写像して、機構要素を得る。更に、個々の機構要素を構造要素に展開する。ここで構造要素とは大きさ、材料などが具体的に特定されたモノである。最後に、構造要素を総合し全体としての整合性をもった具体的な全体構造を得る。これら写像以降の過程は実体領域で行なわれる具体的な設計過程である。

 そして、以上の段階からなる創造設計原理を実際の設計に適用するには、要求機能を分析し機能構成にするための設計指針となる基本機能と、構造要素を総合し全体構造とするための設計指針となる基本構成とを正確に提示することが重要であると主張している。

 「第3章マイクロテスティングシステムの設計」では、創造設計原理の思考過程に基づいて、マイクロテスティングシステムの設計を段階を追って示している。

 そして、基本機能として、測定一般の機能である事実性・精密性・耐環境性・操作性・記録性・経済性に加えて、ミクロな測定に特有の機能として同所性・同時性・実時間性・立体性・任意性・再所性があることを示し、基本構成として以下の7つが必須であることを示した。

 (a)平面の試料と微小先端の触針とをもつ構成。

 (b)現象を捉えることのできる視線方向から顕微鏡で観察する構成。

 (c)試料側または触針側が、多軸に微動する構成。

 (d)試料側または触針側に各種センサをもち、同時測定する構成。

 (e)自動および手動で任意の測定動作を行なう構成。

 (f)現象の顕微鏡画像と各種の測定データとを同時に同一画面上で動的にその場で表示する構成。

 (g)測定環境を実条件と同じに保つ構成。

 「第4章マイクロテスティングシステムの実現」では、上述した基本機能と基本構成に基づいて実際に設計・製作された、生体膜用マイクロテスティングシステムとSEM内ナノテスティングシステムの2つの装置を示した。

 生体膜用マイクロテスティングシステムは、生体膜を500mの円形穴の上に張っておもりで固定し、130mの円筒形ポンチで押込んで、押込量と押込力とを測定する装置であり、膜が破断する過程を実体顕微鏡で観察し、測定されたデータのグラフと顕微鏡画像とは同一画面上で表示する。

 SEM内ナノテスティングシステムは、先端R数mの触針を金めっきなどの試料上で圧電アクチュエータにより微小に摺動し、その押付力・摩擦力・変位量・接触電気抵抗を同所について同時に測定するものであり、SEMによる変形・摩耗の観察画像と測定されたデータのグラフとはスーパーインポーズして同一画面上で表示する。

 「第5章マイクロテスティングシステムの試用」では、上記の2つのシステムを試用して行なった各種の実験が示されている。その結果、以下の知見などが容易に得られた。

 (a)生体膜用マイクロテスティングシステムを用いて、モルモットおよびヒト鼓膜の破断時の応力・ひずみを測定し、同時に、光学顕微鏡で破断現象を観察した。

 その結果、モルモットの破断過程は輪状繊維の破断から放射状繊維の破断へと段階を経るのに対し、ヒト鼓膜ではそのような異方性がないことがわかり、モルモット鼓膜の破断応力18MPaで破断ひずみ0.83、ヒト鼓膜はそれぞれ28MPaで0.71という値を得た。

 (b)SEM内ナノテスティングシステムを用いて、触針により金めっきなどの試料表面の摺動試験を行ない、各種のデータを測定すると同時に変形・摩耗の様子を観察した。

 その結果、金めっきでは接触圧3GPaでploughing摩耗が、30GPaでcutting摩耗が生じ、スパッタカーボン膜では15GPaでアモルファスカーボン膜には小さな変形が生じただけだがダイヤモンドライクカーボン膜はSi基板との間で剥離が生じるというように各種の摩耗形態を観察し、それぞれに特徴的なデータを得た。

 「第6章検証」では、第5章で生体膜・情報機器デバイスそれぞれについて前章で得られた知見に基づきさらに検証を進め、実際に有用な装置・機構としてカセンシング鼓膜切開刀とマイクロスライダー用のRCCサスペンションが示され、その有効性が確認された。

 「第7章マイクロテスティングシステムの評価」では、上記の知見を容易に得ることのできたマイクロテスティングシステムの基本構成が正しいことと、その基本構成を導き出した創造設計原理に基づく設計手法の妥当性が示された。

 「第8章結論」では、第1章で示した研究の目的が以上のように達成されたことが述べられている。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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