学位論文要旨



No 111447
著者(漢字) 高橋,暁雄
著者(英字)
著者(カナ) タカハシ,アケオ
標題(和) 複核ルテニウムーチオラート錯体の合成とその反応性
標題(洋)
報告番号 111447
報告番号 甲11447
学位授与日 1995.04.14
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第3484号
研究科 工学系研究科
専攻 化学生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 干鯛,眞信
 東京大学 助教授 荒木,孝二
 東京大学 助教授 篠田,純雄
 東京大学 助教授 辰巳,敬
 東京大学 助教授 溝部,裕司
内容要旨

 硫黄を含む配位子を有する遷移金属複核錯体は生体中の例えばニトロゲナーゼ等の活性中心モデルや水素化脱硫触媒の表面モデル化合物として合成され、その電気的、分光学的などの物性的な見地からの検討は種々なされているが、その反応性や触媒能を検討したものは比較的少ない。そこで本研究ではチオラートを架橋配位子に有するRu二核錯体を合成し、その反応性や触媒能について検討を行った。

1.Ru(II)-Ru(III)の金属中心を有する複核ルテニウム錯体の合成とその反応性

 [Cp*RuCl2]2より誘導される錯体[Cp*Ru(3-Cl)]4はTHF中NaSR(R=Pri,But,2,6-Me2C6H3)と反応し一連の二核のチオラート架橋錯体[Cp*Ru(-SR)2RuCp*]((1a):R=Pri;(1b):R=But;(1c):R=2,6-Me2C6H3)を与えた。

 

 (1a)についてはTHF中で既知の[Cp*Ru(-OMc)2RuCp*]と(TMS)SPriの反応でも合成することが出来た。(1c)についてはTHF溶液を冷却することで良好な単結晶が得られたためX線構造解析を行った。その結果この錯体はRu-Ru間の距離が3.500(2)Aと長く、従ってRu-Ru結合が存在しない、すなわち16電子の配位不飽和な金属中心を2つ有する架橋チオラート錯体であることが示された。事実、錯体(1c)は反磁性であり、常温での1H-NMRの測定により所定の強度でCp*およびチオラートに帰属される吸収が観察される。ところが一方錯体(1a),(1b)については常温の1H-NMR測定ではCp*のシグナルのみが観察されるため温度可変の1H-NMRを測定したところ、これらの二つの錯体はフラクショナルな挙動をとることが明らかになった。

 次に錯体(1a)のRXとの反応性を検討した。錯体(1a)はヘキサン溶媒中、当量のRX(RX=MeI,EtI,PhCH2Br,PhCH2CH2Br)と反応しdinuclear oxidative additionがおこった化合物に相当する一連の錯体[Cp*Ru(R)(-SPri)2RuCp*X]((2a):R=Me,X=I;(2b):R=Et,X=I;(2c):R=PhCH2,X=Br;(2d):R=PhCH2CH2,X=Br)を生成した。

 

 錯体(2d)はベンゼン/ヘキサン中で再結晶を行い良好な単結晶が得られたのでX線構造解析により所定の構造を有していることを確認した。すなわち錯体(2d)はRu-Ru間距離は2.844(1)AでありRu-Ru結合を有する18電子の二核錯体であり、2つの架橋チオラート配位子を有していて、複核構造を保持したままdinuclear oxidative additionが起きていることがわかった。さらに興味深いことに錯体(2c)は熱的に不安定でありこれまでに例を見ない分解反応を起こすことも明らかとなった。

 

 この錯体の分解反応をスピントラップ剤ButNOの存在下行ったところベンジルラジカルが捕捉され、この反応はラジカル的な反応であることが示唆された。

2.Ru(III)を有する一連の錯体(2a)〜(2d)と求核試薬との反応

 このようにしてRXが二核サイトに酸化的付加した一連の錯体が得られたので、それらの錯体と求核試薬との反応について検討した。複核錯体(2a),(2d)はそれぞれMeLi,PhCH2CH2MgBrと室温で反応させることによりホモジアルキル錯体[Cp*(R)Ru(-SPri)2RuCp*R](R=Me(3a),R=CH2CH2Ph(3d))が生成した。さらに錯体(2d)はPhCCLiと反応させることによりアルキルーアセチリド錯体も合成することが出来た。

 

 なお錯体(3d)ではトルエン/MeCN溶液を冷却して良好な単結晶が得られたのでX線結晶構造解析を行った。その結果、この錯体は複核構造を保っており、Ru-Ru間距離が2.846(2)AでありRu-Ru結合が存在し、しかも二つのRu金属中心上に-フェネチル基を有する18電子の錯体であることが明らかになった。そこでこの錯体のI2による分解反応を検討した。錯体(2d)は当量のI2の反応によりPhCH2CH2IとPh(CH2)4Phを与えながら錯体は[Cp*RuI(-SPri)2RuCp*I]として回収された。そこでこのカップリング生成物が分子間反応によるものか分子内反応によるものかを確認するためヘテロジアルキル錯体[Cp*(R)Ru(-SPri)2RuCp*R1]の合成を試みた。ところが、錯体(2d)とEtMgBrの反応の結果はジアルキル錯体は生成せず[Cp*RuH(-SPri)2Ru(CH2CH2Ph)Cp*]のみが生成した。このように同じように-水素を有する求核試薬でありながら脱離がおこるものとおこらないものが存在するのは大変興味深い。一方錯体(2a)とPhCH2MgClから合成したメチルーベンジル錯体[Cp*(Me)Ru(-SPri)2RuCp*(Bn)](3e)はベンジルーブロミド錯体と異なり熱的に安定であった。

3.既知の常磁性錯体[Cp*Ru(-SPri)3RuCp*]とPhCH2Brから誘導される新規錯体[Cp*(Br)Ru(-SPri)2Ru(SPri)Cp*]の合成、キャラクタリゼーションと反応性

 既知の形式的にRu(II)-Ru(III)を有する錯体[Cp*Ru(-SPri)3RuCp*]はPhCH2Brと反応しほぼ定量的にPhCH2CH2Phを与えながら[Cp*(Br)Ru(-SPri)2Ru(SPri)Cp*](4)を与えた。この錯体はRCCH(R=But,p-Tol)と反応し[Cp*Ru(CCR)(.-SPri)2RuCp*Br](R=But(5a),p-Tol(5b))を与えた。また、錯体(4)はMeOH中、H2と速やかに反応し[Cp*(Br)Ru(-SPri)2RuCp*H](5c)となった。興味深いことに、この反応は他の溶媒、例えばTHF、トルエン、MeCN、CH2Cl2等を用いても、ほとんど全く進行しない。そこで錯体(4)の1H-NMRをCD3OD中で測定したところ2つのCp*、3つのチオラートのメチル基が全て等価で観測され、また電気伝導度測定の結果からは錯体(4)はイオン的な構造をとっていることが示唆された。そこでこの反応は次のような経路で起こっているものと推測した。

 

 Br原子がアニオン的に引き抜かれた複核錯体はチオラートがterminal配位から架橋配位へと変化しているために反応性が向上しているものと考えることができる。一方錯体(5c)はRMgXと反応しアルキルーヒドリド錯体[Cp*Ru(R)(-SPri)2RuCp*H](R=PhCH2(5d).PhCH2CH2(5e))を与えた。興味深いことに錯体(5e)は熱的に安定で全くそれ自身では反応しないのにもかかわらず、錯体(5d)は室温でも徐々に分解し、PhCH3を複核サイトから還元的脱離しながら錯体(1a)を与えることが明らかになった。この反応は配位飽和な複核錯体からのdinuclear reductive elimination反応がおこっていることに相当し、大変興味深く、機構の解明が待たれる。

 

審査要旨

 本論文は「複核ルテニウムーチオラート錯体の合成とその反応性」と題し、4章より成る。

 第1章は序論である。遷移金属複核錯体の生物無機化学的意味と工学的な意味について考察がなされ、本研究の位置付けが述べられている。また一方では本論文で述べられている反応のカテゴリーについて説明が行われている。

 第2章は「新規複核Ru-チオラート錯体の合成、キャラクタリゼーションとそのアルキルハライドとの反応性」と題し配位不飽和な16電子のRu金属中心を2つ有する複核架橋チオラート錯体の合成とその反応性について述べられている。すなわち、一連の新規複核架橋チオラート錯体[Cp*Ru(-SRi)2RuCp*](Cp*6-C5Me5)の合成と同定が行われ、特にR1が2、6-ジメチルフェニルの場合には、X線構造解析により構造の同定がなされている。またR1を変えることによる温度の挙動の違いも示されている。一方ではR1がイソプロピル(Pri)のものはアルキルハライド(R2X)との反応性が調べられた。一連のR2Xについて酸化的付加反応の生成物が得られたが、中でもR2Xが水素を持つヨウ化エチルや-フェネチルブロマイドから得られた錯体は熱的に極めて安定なのに対して、ベンジルブロマイドからの生成物は熱的に不安定で、溶媒中50℃まで加熱するだけで特異な分解挙動を示すことが明らかにされている。

 第3章は「Ru(II)-Ru(III)を持つ二核チオラート錯体より誘導される[Cp*RuBr(-SPri)2RuCp*(SPri)]と各種基質との反応性」と題され新規に合成された錯体[Cp*RuBr(-SPri)2RuCp*(SPri)]の反応性が調べられている。この錯体は18電子の配位飽和な錯体であるにもかかわらず、末端アセチレン類、一酸化炭素、イソシアニド、水素など多岐にわたる基質と反応し新規複核錯体を与えている。特に水素との反応は興味深いことにメタノール以外の溶媒中ではきれいに反応が進行せず、メタノール中での錯体の挙動との関係から反応は臭素原子がイオン的に金属上から引き抜かれたカチオン性錯体が生成して反応が進行しているものと推定されている。遷移金属-硫黄結合が水素によって切られる反応は比較的珍しく、まだ細部まで知見の得られていない水素化脱硫などの触媒の反応機構にも関連したものと考えることもでき大変興味深い。また、この水素との反応により複核サイト上にハイドライドも独立に導入できることが可能になっている。

 第4章は「架橋チオラート配位子を有する複核Ruジアルキル錯体、アルキルーアセチリド錯体、アルキルーハイドライド錯体の合成とその反応性」と題され第2章、第3章で合成した形式的にアルキルハライドや臭化水素が複核サイト上に酸化的付加した錯体を用いて多様なジアルキル錯体、アルキルーアセチリド錯体、アルキルーハイドライド錯体の合成を行っている。またジアルキル錯体とI2との反応を検討した桔果、錯体上のアルキル基のカップリングが部分的に起こることが示されている。一方、各種ベンジル基を有する錯体の合成を行い、その安定性の比較検討も行われている。第2章で述べられているベンジルーブロマイド錯体とは異なり、ベンジルーメチル錯体は熱的に安定であり、また、ベンジルーハイドライド錯体は加熱するだけで複核サイトからのベンジル及びハイドライド基の還元的脱離反応が起こり配位不飽和錯体が得られることが明らかとなっている。このように複核の配位飽和錯体から還元的脱離により配位不飽和な化学種を与える反応は珍しく、機構と共に複核錯体を用いた触媒反応の開発という見地からも興味が持たれる。

 このように本論文は複核錯体の反応の開発を行い、触媒化学や生物無機化学のモデル反応を提起しており、有機金属化学および錯体化学に貢献するところ大である。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク