学位論文要旨



No 111453
著者(漢字) 佐多,教子
著者(英字)
著者(カナ) サタ,ノリコ
標題(和) ペロブスカイト型酸化物におけるプロトンの吸蔵および伝導機構の研究
標題(洋) Protonic conduction in acceptor-doped Perovskite-type oxides
報告番号 111453
報告番号 甲11453
学位授与日 1995.05.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第2968号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 末元,徹
 東京大学 教授 小谷,章雄
 東京大学 教授 藤井,保彦
 東京大学 助教授 加倉井,和久
 東京大学 教授 十倉,好紀
内容要旨

 ペロブスカイト型酸化物にアクセプターとして価数の低い陽イオンを多量にドープすると優れたプロトン伝導性を示すことが知られている.この物質は高温まで安定したプロトン伝導性を示し,燃料電池や水素センサーなどへの応用にも期待され,多くの研究が行われている.ペロブスカイト型酸化物のプロトン伝導体はアクセプターイオンをドープすると,ドープしない物質に比べて数桁もプロトンの吸蔵量が増加し,ドープ量が約5mol%程度で吸蔵量,伝導度は最大になる.アクセプターをドープしていない物質では全く観測されないプロトン伝導性が数%のドーピングにより顕著に現れることは興味深い.これまで,プロトン伝導のメカニズムについてはあまり研究が行われておらず,特にミクロな立場での物性はほとんどわかっていない.本研究の目的は,プロトン伝導体を理解する上で重要な結晶中のプロトンのサイト,プロトンの伝導機構,プロトン導入の原理を明らかにすることにある.

 赤外吸収スペクトル 赤外領域にOH伸縮振動による吸収構造が観測されることから,プロトンは酸素イオンと結合していることがわかっている,図1にSrZrO3の赤外吸収スペクトルを示す.OH振動エネルギーは自由な水分子中の3500cm-1と比較して2440cm-1および3200cm-1と低く,また吸収構造の幅は非常に広いことがわかる.このような低いOH伸縮振動数から結晶中のプロトンが水素結合的な性質を持っていることが考えられる.また,これらの振動モードの構造は物質によって異なり,ScをドープしたSrTiO3やSrZrO3では2440cm-1付近の吸収は全く観測されない.一方,これらの振動モードは2440cm-1,3000cm-1,3170cm-1,3310cm-1の4つのバンドに分けられると考えられる.これらの振動モードが結晶中のプロトンのどのような状態に対応しているのかは明らかではないが,アクセプターイオンのドープにより生じた結晶の局所的な構造の変化が物質によって異なり,プロトンと酸素イオンの結合状態が変化するのではないかと考えられる.

図1:プロトン伝導体の赤外吸収スペクトル

 プロトンのサイト プロトンのサイトはプロトン伝導機構を解明するために最も重要な情報の一つである.しかし,これまでプロトンが酸素イオンに結合していること以外に,プロトンのサイトについての情報はほとんど得られていない.本研究ではプロトンに対する散乱断面積の大きい中性子を用い,プロトンのサイトを直接観測することが可能な構造解析的な手法を用いてプロトンのサイトを決定することを試みた.

 中性子回折のブラッグ反射強度は次式で表される.

 

 ここで,I,F,i,L,A,Eはそれぞれブラッグ反射強度,結晶構造因子,入射中性子強度,ローレンツ因子(=4/sin2),吸収因子そして検出器の検出効率である.プロトンとデュートロンの結晶構造因子の差はプロトンの濃度が数%と考えられることからかなり小さく,精度良く見積もることは非常に難しい.一方,プロトンとデュートロンの占めるサイトは同じであると考えられ,その他の因子がほぼ等しいとすると,

 

 ここで,I,Fはそれぞれのブラッグ反射強度と結晶構造因子である.プロトンを吸蔵した試料とデュートロンを吸蔵した試料の反射強度を測定し,(2)式を用いて結晶構造因子の比を求めることができる.

 実験から求めた結晶構造因子の比を計算から求めた値と比較した結果(図2),プロトンの存在するサイトは図3に示すように酸素八面体の酸素-酸素間であることが確かめられた.このように酸素と酸素の間にプロトンが存在するために水素結合的な振る舞いを示すものと考えられ,これが高いプロトン伝導性を生じる要因の一つになっていると考えられる.

図2:SrTi0.98Sc0.02O3,SrTi0.97Sc0.03O3の結晶構造因子の比図3:SrTi1-xScxO3中のプロトンのサイト

 プロトンの拡散 プロトン伝導は電気伝導度の測定などで観測されており,その温度依存性からホッピング伝導をしていると推測されている.しかし,この物質中のプロトンの拡散を直接観測した例はほとんどなかった.プロトン伝導を直接観測することはプロトン伝導機構の解明には不可欠である.プロトン伝導を観測し,その伝導機構をを明らかにするために,プロトンに対して敏感な中性子の準弾性散乱の観測を行った.その結果,SrZr0.95Y0.05O3において500℃以上でプロトンの拡散が観測された.図4に観測された準弾性散乱の幅のQ2依存性を示す.解析の結果,プロトンが結晶中をホッピングによって伝導しているモデルが正しいことが確かめられた.また,観測されたプロトンのホッピング距離は約1.7Aあった.またこの実験で得られたプロトンの拡散係数の活性化エネルギーは0.2eVであった.この値は電気伝導度から得られている0.57eVと比較してかなり小さい.しかし,SrZr0.95Y0.05O3においては500℃以上でプロトンの濃度,輸率ともに変化しているため,電気伝導度ではホール伝導や酸素イオン伝導の寄与を無視できない.従って,この温度領域ではこの実験で観測されたプロトン拡散と電気伝導度では活性化エネルギーが異なる可能性がある.

図4:SrZr0.95Y0.05O3におけるプロトンの中性子準弾性散乱のスペクトル幅のQ2依存性

 一方,SrCe0.95Yb0.05O3,SrTi0.98Y0.02O3についても同様な実験を行ったが,準弾性散乱は観測されなかった.これは装置の分解能の0.2meV程度に比べて,プロトンの拡散による準弾性散乱の幅が狭いか,あるいはその強度が小さいために観測できなかった可能性が考えられる.

 プロトン導入の原理 プロトンが導入される機構としては主に次に挙げる二つのモデルが考えられている.

 (1)結晶中に出来た酸素欠陥のサイトにOH-イオンの形で導入される

 (2)まず酸素欠陥に酸素が埋まってホールが生じ,ホールとプロトンが入れ換わって導入される.

 プロトンの導入機構を明らかにするために真空紫外領域の反射,透過スペクトルからプロトン伝導体の電子構造を調べ,アクセプターイオンのドープやプロトンの導入による変化を観測した.この種のプロトン伝導体となるSrTiO3,SrZrO3,SrHfO3,CaZrO3,BaTiO3などのペロブスカイト型酸化物は酸素の2pが価電子帯となり,ABO3のBサイトの元素により伝導帯が決まっていることがわかった.SrTiO3にアクセプターイオンをドープすると価電子帯と伝導帯のエネルギー差,すなわち基礎吸収端のエネルギーは増大する(図5).

図5:SrTi1-xScxO3の基礎吸収端の吸収スペクトル

 これはアクセプターのドープで結晶中の価電子帯にホールが生成することによると考えられ,プロトン伝導体にホールが存在すると考える(2)の説が妥当な考えであることを裏付ける.また,アクセプターイオンのドープ量と基礎吸収端のエネルギーのシフト量の比率はアクセプターイオンの種類にも依存し,物質によっても異なることがわかった.

 一方,SrTiO3以外の物質においてはバンドギャップ中にドーピングによって新たな吸収構造が観測された(図6).この構造はアクセプター準位に対応したバンドであると考えられる.プロトンの吸蔵量が少ない,Yのドープ量が1mol%,2mol%の結晶ではプロトンを導入するための処理をしてもこの吸収構造の強度にほとんど変化は無いが、プロトンの吸蔵量が多い,Yのドープ量が3mol%,5mol%の結晶ではこの構造の吸収強度の減少が観測された.この吸収構造とプロトンの導入による強度変化はアクセプターをドープしたSrCeO3,CaZrO3でも同様に観測された.これは,アクセプター準位の電子数がプロトンの導入によって減少することを示しており,プロトンの導入によってホールの数が減少していることに相当する.従って,プロトンは結晶中のホールと入れ換わって導入されるという考えが妥当なものであることが確かめられた.

図6:SrZr1-xYxO3の基礎吸収端の吸収スペクトル

 まとめ この研究によって得られた結果を以下にまとめる.

 i)プロトンのサイトは酸素八面体の酸素-酸素間に存在し,このためにプロトンは水素結合的な振る舞いを示し,高い伝導性を有する要因の一つになっていると考えられる.

 ii)プロトンは酸素八面体の酸素-酸素間のサイトをホッピングによって伝導していることが確認された.その活性化エネルギーは電気伝導度から得られた活性化エネルギー0.57eVに対して0.2eVとかなり小さい.また,観測されたホッピング距離は約1.7Aであった.

 iii)プロトンは主にアクセプターのドープによって結晶中に生じたホールと入れ換って導入されることが確かめられた.また,バンドギャップ中に観測される構造はアクセプター準位に相当すると考えられる.

審査要旨

 本論文は,ペロブスカイト型酸化物に吸蔵されたプロトンの挙動について総合的に研究したものであり,第1章序論, 2章試料作製に始まって, 3章プロトンの位置決定, 4章プロトンの運動, 5章光学スペクトル, 6章格子振動 7章EXAFS そして8章まとめの全8章からなる.ペロブスカイト型酸化物にアクセプターをドープしたものは優れたプロトン伝導性を示すことが知られているがこれまでプロトンの結晶格子中でのサイトや導入のメカニズム,伝導機構などのミクロな物性的立場からの研究はほとんどなされていない.本研究ではこの範疇に属する一連の物質すなわち, SrTiO3,SrZrO3,SrCeO3,CaZrO3について主として中性子散乱と光学的手法を用いて物性的立場から解明を試みている.ドーパントの3価イオンとしては, Sc,Y,Yb, Erを用いている.

 まず第3章では赤外の吸収スペクトルを調べ, プロトンを吸蔵したSrZrO3:Scにおいて2440と3200cm-1付近にO-H結合に起因する吸収帯を見いだした.これらの吸収帯の形状は物質毎に異なり,母体結晶の種類や,ドープしたアクセプター(3価イオン)の種類によって,プロトンと酸素の結合状態が複雑に変化している事が示された.

 次にSrTiO3:ScにHまたはDを吸蔵させたものを中性子非弾性散乱により測定し,両者の構造因子の大きさの差をとることによってHまたはDの結晶格子内での位置を決定する事を試み,いくつかの可能な構造モデルを検討した結果,H(D)は酸素酸素間を結ぶ線上から5度ずれた位置にあり,O-H距離は1. 2Aであると結論した.このことから,Hが水素結合的な結合状態にあり,それが高い伝導性の一因になっていると推測された.

 第4章では.プロトンのダイナミックな性質へと議論を進めている. SrZrO:Yにおいて中性子散乱の実験を行ったところ,773〜1053Kで準弾性散乱成分が見いだされ,このスベクトル形状の波数依存性からホッピング距離1=1. 7Aを得た.また,同様の測定を温度を変えて行い,滞在時間と上記の1からプロトンの拡散係数を見積ることができた.さらに, SrTiO3:Scの場合に得られたO-H距離1. 2Aがこの物質においても当てはまると仮定すると,ホッピングは酸素の形成する1つの八面体から隣の八面体へ移るホッピングに対応していると解釈された.

 第5章ではプロトンの導入機構を明らかにするために真空紫外領域での吸収,反射を調べ,アクセプターイオンのドーピングやプロトンの導入による変化を観測した.価電子帯は酸素の2p,伝導帯はBサイト(4価イオン)の電子軌道より構成されていることが分かった.SrTiO3にアクセプターイオンをドープすると吸収端エネルギーは増加したが,これはホールの生成によりフェルミ面が下がったことによると解釈された.SrTiO3以外の物質においてはバンドギャップ中にドーピングによって新たな吸収帯が観測され,これはアクセプターレベルからの吸収と解釈された,プロトンを多量に吸蔵させるとこの吸収強度が減少することが見いだされた.これはアクセプターの電子数がプロトンの導入によって減少したことを示しており,ホールの数が減少したことに対応すると考えられ,従って,プロトンがホールを置換する形で導入されていると結論している.

 プロトンの位置を決定したこと,ホッピングの距離を求めたことはこれらの物質におけるプロトン伝導を論ずるための基礎になる重要な成果である.また,プロトンの吸蔵メカニズムとしてホールの置換を確認したとしている点については,まだ議論の余地があるが,真空紫外領域での光吸収によるプロトン吸蔵メカニズムの研究という新しい視点を開拓したという点では評価できる.

 以上のように本論文は,ペロブスカイト型酸化物プロトン伝導体の基礎物性について多角的に研究したパイオニア的な仕事であり,博士(理学)論文として十分に評価できると審査委員全員が認め,合格と判断した.

 なお,本論文には辛埴氏との共同研究が含まれるが,論文提出者が立案,計画から実験,解析に至るまで主体的に行っており,主要部分は実質的に独力で行ったものと認められる.

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