学位論文要旨



No 111454
著者(漢字) 樋脇,博敏
著者(英字)
著者(カナ) ヒワキ,ヒロトシ
標題(和) 古代ローマの非嫡出子研究
標題(洋)
報告番号 111454
報告番号 甲11454
学位授与日 1995.06.12
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人社第122号
研究科 人文社会系研究科
専攻 欧米系文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 樺山,紘一
 東京大学 教授 青柳,正規
 東京大学 教授 片山,英男
 東京大学 教授 木村,凌二
 放送大学 教授 伊藤,貞夫
内容要旨

 本稿は、共和政期から212年のアントニヌス勅法に至る頃までのローマの非嫡出子について考察する。ここで取り組む課題は、非嫡出子の実態解明および父系制原理の衰退と非嫡出子の地位の変遷とのあいだに存在する相関関係を指摘することの二つである。

 本稿は、このような問題意識を念頭に置きながら、以下の要領で議論を進めていく。まず、嫡出の原理を規定していたローマの婚姻制度の内実を明らかにする作業から着手する。ローマ社会が適法と認める婚姻とはどのような男女関係であったのか。適法な婚姻を成立させるために社会が個人に求めていた条件とは何であったのか。そして、かかる適法な婚姻関係に入ることのできなかった者たち、つまり非嫡出子の親となるべく運命づけられていたのは、どのような者たちであったのか。このような論点が第I部で議論される。

 続く第II部では、非嫡出子を意味するラテン語の用例が分析される。日本語でも「私生子」 「庶子」 「非嫡出子」という種々の用語が存在するように、当該時期のローマにも何種類かの用語が存在し、使用されていた。具体的にはspurius,Spurii filius、vulgo conceptus、filiaster、liber naturalis,iniustusという用語が分析の対象となり、これらの語義の確定および差異の指摘が第II部の論点となる。なお、第II部の補論として最後にalumnusの問題を取り上げ、彼らの前身を捨て子とする説を批判するとともに、非嫡出子であった可能性を示唆し、多くは家内出生奴隷出身の者であったとの見通しを提示する。

 第III部では、第II部の流れを受けて、兵士の非嫡出子を意味すると考えられているorigo castrisについて論じるが、兵士の婚姻については論争も多く、本稿の関心からいっても看過しえない問題であるので、第II部とは独立させて、兵士の婚姻と非嫡出子の問題を論じる。

 続いて第IV部では、非嫡出子出生の契機となる非婚関係が論じられる。具体的には、姦通・淫蕩、近親相姦、内縁・共棲が議論の対象となる。ここでの議論を通じて、第II部で検討されてような用語に着目しただけでは探知し得ないような非嫡出子たちの様態が明かとされるはずである。

 そして最後に、碑文史料に拠りながら、ローマの非嫡出子の実態を解明する。この第V部では、Sp.f.という省略表記を名前に持つ非嫡出子が分析の対象となる。まず始めに、ローマ市およびイタリアの諸都市の事例が分析され、比較史的観点から議論が進められるであろう。さらには、法・文学史料からは得ることのできない問題点を関連の碑文史料の中から析出し、これまで見過ごされてきた非嫡出子の具体像を解明する。

 以上の四段階の分析を経ることで得られる知見を基に、本稿の結論部分では、ローマの非嫡出子の地位の変遷と父系制限理の衰退との相関関係が語られることになる。

審査要旨

 論文「古代ローマの非嫡出子研究」は、共和政末期から帝政初期にいたるローマ社会に着目し、そこにおける非嫡出子の法的・社会的地位をめぐって、法文、文芸作品、碑文史料などを通じて、多様な視角から分析し解明しようとしたものである。

 ローマの非嫡出子は、これまで内縁関係や奴隷制との関わりで研究・言及されるにとどまっていた。したがって、包括的に取り扱われることはほとんどなかった。そのような研究状況のなかで、本論文は総合的な視座から非嫡出子の全体像をとらえ、その特徴を明確にすることで独創的な成果をあげている。研究の第一の課題は非嫡出子の実態究明であり、彼らの姿が具体的に論じられている。関連史料をもれなく取り上げ、用語の分析にとどまらず、適法な婚姻関係の外で生まれた非嫡出子の実像を生き生きと描き出している。第二の課題は、父系制社会の衰退を背景としてその地位の変遷を論じることにある。そこにおいて、父系制社会の陰影としての非嫡出子の動態が様々な社会的文脈のなかで分析される。とりわけ碑文史料の事例をローマおよびイタリア半島について収集整理しつつ、非嫡出子をめぐる親族構成と差別意識に光をあて、鮮やかに解明した点は特筆される。

 しかしながら、本論文にまったく問題がないわけではない。史料に制約されるためか、上層民の法定婚に比べて下層民の事実婚における非嫡出子の実像がいささか曖昧であるのは否めない。また、法文、文芸作品、碑文といった史料を扱う際に、それらの史料の性格の違いに引きずられて、叙述の仕方がやや一貫性を欠くところが散見される。しかし、それらの点は本論文全体の評価をいささかも損なうものではない。審査委員一同は一致して、本論文が博士論文として十分な価値を有するものであるとの結論に達した。

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