学位論文要旨



No 111455
著者(漢字) 大稔,哲也
著者(英字)
著者(カナ) オオトシ,テツヤ
標題(和) エジプト死者の街と聖墓参詣 : 12〜15世紀の事例をもとに
標題(洋)
報告番号 111455
報告番号 甲11455
学位授与日 1995.06.12
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人社第123号
研究科 人文社会系研究科
専攻 アジア文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 佐藤,次高
 東京大学 教授 竹下,政孝
 東京大学 教授 後藤,明
 東京大学 助教授 羽田,正
 お茶の水女子大学 教授 三浦,徹
内容要旨

 カイロの城塞西南方及び、北東方には、広漠たる聖墓群が展開している。ここは「死者の街」と総称され、12〜15世紀、人々が困窮事の解決や心の救済を求め、大挙して参詣に訪れる聖域であった。また、週末や月夜の晩に家族で憩う、「エジプト最大の行楽地」でもあった。本論文は、これまで本格的に検討されたことのない12〜15世紀当時の参詣手引書数種をもとに、これに年代記・地誌・法学関連書・ワクフ文書等を併せ用いることによって、「聖者崇拝」あるいは「民衆イスラーム」の名のもとに捨象されてきた参詣の営為の諸相、参詣者の意識の構造、死者の街の機能、聖者に託された庶民の願望・世界観等について具体的に論じたものである。

 まず、第一章においては参詣手引書に基づき、参詣慣行の実態を解明すべく努めた。特に参詣の心得二十箇条を指標として、墓への擦りつけ、墓土による病治し、泣き叫び、コーラン朗詠、供物等の慣行について検討を加えた。また、聖遺物の獲得、夢聖廟の建設、参籠、墓碑の書き換えなど、人々は聖墓に対して熱烈な働きかけを見せていた。

 その上で、参詣書のデータに基づき、従来に研究されたことのない参詣者の意識の領域に踏み込み、「祈願成就」の仕組みを分析した。彼らにとって最も重要であったのはこの祈願成就であり、それは聖者のアッラーへの「執り成しshafa’a」によって初めて可能となっていたのである。この執り成し概念の、祈願成就の構造における役割に関しても、類型化を含めて考察した。加えて、贈与交換の枠組みから祈願等を捉え直す試みも行った。また、これらの検討から、エジプトで実行されていた慣行と、学識者による在るべきイスラームの慣行との間の相違点も看取できた。

 第二章では、参詣書の聖者伝部分について、これを荒唐無稽なものとして斥けるのではなく、むしろ、民衆の願望の反映と考え、そこに付託された民衆のコスモロジー・意識、慣行等を探るべく試みた。中でも、聖者のカラーマ(奇蹟・美質)譚に着目し、カラーマを諸要素に分類し、各要素の可変的結合パターンによって理解すべく努めたのである。それらの要素とは、変質の術、水上歩行、空中浮遊、地面収縮、渇水譚、治癒譚、透視能力、異類譚、ジン・ヒドルとの交流、改宗譚、改悛譚、食物譚等であった。

 次に、この聖者伝部分は、歴史的事実や風土・慣行の痕跡をとどめており、また、非イスラーム的要素の理解という論点をも包摂していた。さらに、同部分は、聖者伝、語り物文学、年代記、伝記集等と通底していたのである。一方、聖者と支配権力との関係に目を転じると、権力側による庶民の語りの操作、及び聖者・聖墓の統制という問題が浮上してくる。これに対して、参詣書の聖者像は、支配者に対峙する庶民のヒーローとなっていた。

 第三章では、死者の街の消長の歴史、エジプト社会に果たした機能の諸相について、通時的観点をも導入しつつ考察した。すなわち、元々エジプト住民の墓地であった死者の街が、宗教施設の整備に伴ってその管理者の住地ともなり、並行して公共設備も整った後、さらに観光地として定着してゆく。

 また、ここは多くの空地を有し、非常時の避難場所を提供する一方、カイロ・フスタート圏の周縁部に位置したため、外部からの侵入を被りやすかった。他方、大量の財物・食糧が分配される場でもあり、庶民側は明らかに経済回復の場として意識していた。そこでは、貧者が参詣者・富裕者に善行を積ませてやり、参詣者とアッラーとの間の、善行と報奨との交換を助けるという構図も見られた。

 第二に、王朝政府から見れば、死者の街は、風紀の乱れや騒乱を恐れて統御に苦慮する場であった。加えて、支配層の参詣・建築の場でもあったため、善き君主を演ずる格好の舞台となっていた。さらに、支配者層の軟禁・抗争・暗殺の場でもあり、その点では、聖域であるべき死者の街が、「マムルークの庭」へと化していったのである。

 以上各章を敷衍するならば、まず、参詣書の機能としては、それ自体が一つのイデオロギーとして機能し、イスラームへの改宗、その浸透の補助力として機能したと推定される。しかも、イスラームを身近な存在として、庶民の生活する現実を舞台に提示したのである。この結果、イスラームの規範的部分の掌からこぼれ落ちた.人々の宗教的情熱を掬い取り、ときに増幅させる作用を果たしたものと思われる。

 一方、死者の街に関するエジプト人の意識について再考するならば、ここには、エジプト史の全時代を通じての著名人が埋葬されているとされ、そこへゆけば古代王朝期からイスラーム全期に亙る、彼らの考えるエジプトの歴史が感得されたのである。すなわち、死者の街を訪れる者は、「エジプト全史のパノラマ」を眺めることになる。さらに、聖者をめぐる現象の維持・強化には、聖墓とその参詣による動員が不可欠であった。その意味では、参詣書や聖者伝が果たした機能を、聖墓は三次元テキストの形式で果たしたとも言えよう。

 このような「死者の街」参詣活動の活性化は、12〜15世紀エジプト・イスラーム社会において、日常的に民衆の在り方、特にその聖者をめぐる宗教的・社会的紐帯を鍛錬・規律化する、民衆自身の根勁い働きかけとなった。それによって、エジプト社会全般を根底から変質へと促していったのである。

審査要旨

 論文「エジプト死者の街と聖墓参詣-12-15世紀の事例をもとに-」は、これまで十分な歴史研究の対象とされてこなかった「聖者」の墓への参詣問題をとりあげ、ムスリムによる参詣の慣行、聖者の奇蹟と美徳、および死者の街の歴史的変遷を具体的に分析することを主題としている。主要史料は参詣のガイド・ブックとして用いられた4種のアラビア語写本であり、これらの参詣書を綿密に読み解き、エジプトにおける参詣の実態を明らかにしたのは世界でも初めてのことである。

 参詣の手引書によって、死者への挨拶の仕方・女性の参詣・墓での礼拝の慣行などを明らかにした筆者は、さらに参詣者の意識の領域、つまり庶民による「祈願成就」の仕組の解明へとすすむ。聖者による神へのとりなし、さまざまな奇蹟を起こす聖者像の形成、さらには行楽の場としての死者の街の発展などの分析を通じて、当時のムスリム民衆の行動と意識を「あぶり出そう」とするところに筆者の研究意欲を見い出すことができよう。

 本論文が対象とするのはカイロ南郊のカラーファ地区であるが、伝統的な歴史学の領域を越えて新しい研究領域を開拓し、民衆の生活慣行を具体的に明らかにしたことは大きな成果であると認められる。個々の事例をさらに深く掘り下げて分析し、また「聖者」の概念そのものも再検討する余地が残されているが、博士(文学)論文として十分な評価に値するものと思われる。

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