学位論文要旨



No 111456
著者(漢字) 奥山,元
著者(英字)
著者(カナ) オクヤマ,ハジメ
標題(和) センチニクバエ幼虫脂肪体の崩壊前後における機能変化
標題(洋)
報告番号 111456
報告番号 甲11456
学位授与日 1995.06.14
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第726号
研究科 薬学系研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 名取,俊二
 東京大学 教授 入村,達郎
 東京大学 教授 竪田,利明
 東京大学 教授 佐藤,能雅
 東京大学 助教授 鈴木,利治
内容要旨

 完全変態昆虫は、蛹の時期にそれまでの幼虫組織を排除して、成虫組織を形成するという組織の再構築を行う。組織形成についてはショウジョウバエを中心に盛んに研究されてきたが、不要自己組織の排除に関しては余り研究が進んでいない。センチニクバエでは幼虫の主要な組織として、脂肪体がある。脂肪体は脂肪細胞が数珠状につながり、全体が基底膜で包まれた編み目状の組織である。この組織は変態時に崩壊して、脂肪細胞が遊離してくる。大部分の遊離脂肪細胞は死に至り、最終的に排除される。これまでに当教室では、この脂肪体の崩壊が体液細胞が放出する29kDaプロテアーゼによって引き起こされることを明らかにし、この組織崩壊がinvitroではキモトリプシンによって再現されることを示してきた。私はこの現象が細胞接着の状態の変化にともなう細胞機能の調節のよいモデルになると考え、in vitro崩壊系を用いて崩壊前後の脂肪体細胞の細胞機能を比較した。その結果、崩壊後の脂肪体細胞では、アミノ酸輸送やRNA合成などの細胞機能は存在するにもかかわらず、蛋白合成が選択的に停止していることを示し、修士発表において報告している。

 本研究ではこの脂肪体細胞の機能変化を更に追究した結果、崩壊した脂肪体がDNA fragmantationを伴うapoptosisにより細胞死を起こすことを見いだした。また、in vitro崩壊系における、崩壊後の脂肪体の蛋白合成の停止の分子機構を調べた結果、蛋白鎖伸長因子であるEF-2が量的ではなく質的な変化を受け、蛋白鎖伸長活性が低下していることを示した。さらに翻訳装置であるリボゾームのサブユニットの一つ60Sの構成蛋白のうち30kDa蛋白が特異的に消失していることを示した。これらの結果は、崩壊脂肪体が細胞死に至るまでの過程にEF-2の活性の低下を伴う蛋白合成の停止機構が介在する可能性を示唆するもので、昆虫変態時に起きる細胞死の分子機構の一端を明らかにしたものと考えられる。

【1】in vivo及びin vitro崩壊脂肪体のDNA fragmentationの検出

 in vivoおよびin vitro崩壊脂肪体からDNAを抽出し、アガロース電気泳動で解析した結果、ともに約190baseごとのDNAラダーが検出された。一方、崩壊していない幼虫脂肪体から抽出したDNAでは全く検出されなかった。従ってここで見られたDNAラダーはin vivoおよびin vitroにおける崩壊脂肪体のapoptosisを検出していると思われる。in vitro崩壊脂肪体でもapoptosisが検出されたことからin viro崩壊脂肪体でみられる蛋白質合成の停止が最終的にapoptosisへと至るまでの一過程である可能性が考えられる。そこで蛋白質合成停止の分子機構について解析を進めた。

【2】崩壊脂肪体のsupernatant fractionの蛋白鎖伸長活性の低下

 まず最初に、in vitro崩壊系における崩壊脂肪体の蛋白合成停止の分子機構を調べる目的で崩壊前後の脂肪体について、poly[U]を鋳型とするin vitroのpoly[14C-Phe]合成系を構築し、その活性を比較した。in vitroで蛋白合成活性を見るには一般にリボゾームとsupernatant fraction(以後SFと略す)と呼ばれるリボゾーム調製時に得られる遠心上清画分が必要である。そこで崩壊前後の脂肪体からリボゾーム及びSFを調製し各々の画分について活性を比較した。

 その結果、組織崩壊の前後でリボゾーム画分の活性には変化が認められなかったが、SFの活性は崩壊後の脂肪体で著しく低下していることが分かった。また、invitro の蛋白合成系でよく用いられるテンジクエビ(A.salina)のリボゾームを用いて崩壊前後の脂肪体由来のSFの活性を比較した結果、崩壊脂肪体のSFは、やはり低い活性しか示さなかった。異なる種のリボゾームを用いた場合にも同様の活性の低下を示したことから、崩壊脂肪体のSF中ではin vitroの蛋白合成活性に必須な基本的因子の活性が欠落していることが示唆された。

【3】崩壊脂肪体における蛋白鎖伸長因子EF-2の活性の低下

 SF中の主な活性は蛋白鎖伸長因子であるEF-1,及びEF-2である。そこでその存在量及び活性を比較した。まず蛋白の存在量の変化をみる目的で、anti-EF-2,anti-EF-1 を用いてイムノプロットを行った。その結果EF-2,及びEF-1のサブユニットの一つであるEF-1に関しては量的な変動は殆どないことが分かった。つぎに伸長因子のうちどの因子の活性が低下しているかを調べた結果、EF-2以外の因子の活性には殆ど変化が無く、EF-2が変異を受けていることが示唆された。実験はEF-2がジフテリア毒素によって特異的にADP-rybosyl化されて不活性化することを利用した。まず最初に、EF-2以外の因子のin vitro蛋白合成活性を比較するため、崩壊前後の脂肪体のSF中のEF-2のみを不活性化し、それをin vitroの合成系に加え、poly[14C-Phe]合成に与える影響を比較した。その結果、両者はともに同様の合成促進活性を示し、崩壊前後で変化は見られなかった。このことは、崩壊前後でEF-2以外の蛋白鎖伸長活性には変化がないことを示している。一方、崩壊前後の脂肪体のSFに、EF-2を不活性化した崩壊していない脂肪体のSFを容量を変えて加え、in vitro蛋白合成活性への影響を調べたところ、崩壊脂肪体由来のSFを用いた場合は崩壊していない脂肪体由来のSFを用いた場合に比べて各測定点で低い活性しか示さなかった。このことは、崩壊脂肪体のSF中のEF-2活性が低下していることを示す。

 これらの結果は崩壊脂肪体のSFではEF-2活性が特異的に低化していることを示している。そこで次にEF-2特異的な活性であるリボゾーム依存のGTPase活性を測定したところ、両者に変化は認められなかった。これらの結果は、崩壊脂肪体ではEF-2のリボゾーム依存のGTPase活性は存在するが蛋白鎖伸長活性は低下していることを示唆する。蛋白質合成活性に影響をするようなEF-2の分子修飾にはADP-rybosyl化やリン酸化がよく知られている。しかしながらADP-ribosyl化されている場合にはGTPase活性もなくなるので、ADP-ribosy化が原因である可能性は低い。実際に両SFともに、同様の割合で[14C]-ADP-ribosyl化されることを明らかにしている。EF-2がリン酸化を受けている可能性については今後の課題である。

【4】崩壊脂肪体特異的に消失するリボゾーム60S subunit構成蛋白

 リボゾームの構成蛋白を崩壊前後で比較したところ、崩壊脂肪体特異的に消失する分子量約30kDaの蛋白を同定した。この蛋白がリボゾームのどのsubunitに属すかを知るため蔗糖密度勾配遠心で60Sと40Sの2つのsubunitに分離し解析したところ、リボゾームの60Sサブユニットに属することを見いだした。

【5】まとめと考察

 私は本研究で、センチニクバエ脂肪体のin vitro 崩壊系を用いて昆虫変態時におきる細胞接着の有無による脂肪体細胞の機能変化について解析を行った。その結果、崩壊後の脂肪体では蛋白鎖伸長因子であるEF-2が量的には変動しないが、機能的に変化していて、蛋白鎖伸長活性が低下していることを示した。このことが崩壊脂肪体の蛋白合成の停止の重要な原因であると思われる。さらに崩壊後の脂肪体ではリボゾームにも変異が起きていることを見いだした。またin vivoおよびin vitro崩壊脂肪体でapoptosisの特徴の一つであるDNA fragmentationを検出し、 in vitroで見られた崩壊に伴う蛋白合成の停止が、apoptosisの一過程を反映している可能性を示唆した。これらは昆虫変態時に起きる細胞接着の変化に伴う細胞死の分子機構の一端を明らかにしたものであると考えている。

審査要旨

 この論文は、センチニクバエの幼虫の脂肪体が蛹化にともなって組織崩壊をおこし、バラバラの脂肪細胞になった場合に、組織を形成していた時と較べて、細胞の機能がどのように変化するかを解析したものである。蛹化時の組織崩壊のモデルとして、脂肪体をキモトリプシンで処理し、脂肪細胞を調製した。このようにして調製した脂肪細胞を、正常の脂肪体と比較すると以下のような特徴が見られた。(1)DNAの断片化が認められる。(2)蛋白合成能が選択的に停止している。こういった事実から、蛹の時期に起きる脂肪体の崩壊は、最終的には脂肪細胞のapoptosisによる細胞死を誘導し、選択的な蛋白合成の停止は、細胞がapoptosisに至る一つのステップであると考えられる。そこで、蛋白合成が停止する機構を詳細に検討した。その結果、以下のことが明らかになった。まず、脂肪体をキモトリプシンで処理して得られる脂肪細胞では、リボゾームの60Sサブユニットの蛋白の一つが消失している、すなわちリボゾームそのものが変化していることが分かった。しかし、このように変化したリボゾームの蛋白合成能には変化は見られなかった。ついで、リボゾームと可溶性因子(SF)に細胞を分画し、可溶性因子の中の活性変化を調べた。その結果、SFの活性が正常細胞に較べて著しく低下していることが明らかになった。このSFの活性低下はテンジュクエビのリボゾームを使った実験でも確認された。

 SFの中に含まれる可溶性の蛋白合成因子として主要なものに蛋白鎖伸長因子EF-1とEF-2がある。ジフテリア毒素を使った実験から、崩壊した脂肪体ではEF-2活性が選択的に低下していることが示された。EF-2はGTPase活性を持つことが分かっており、この活性はADP-ribosyl化により失活する。崩壊した脂肪体から調製したEF-2にもGTPase活性が認められることが分かったので、脂肪体崩壊の際に見られるEF-2の不活化の原因はADP-ribosyl化によるものではないと思われる。いずれにしても、EF-2の不活化により蛋白合成能を失った細胞は,何らかの制御の下にapoptosisに向かうと考えられる。

 以上この研究は、昆虫の変態時に起きる幼虫組織の崩壊の過程で、細胞の蛋白合成が選択的に停止する現象を発見し、蛋白鎖伸長因子の一つEF-2が選択的に失活することにより蛋白合成能が低下することを明らかに、これがapoptosisに至る一つのステップであることを指摘したものである。これらの結果は細胞生物学に新しい知見を加えたものであり、博士(薬学)の学位に値するものと判断した。

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