学位論文要旨



No 111457
著者(漢字) 瀬川,大資
著者(英字)
著者(カナ) セガワ,ダイスケ
標題(和) 可燃性混合気の点火遅れに及ぼす電界の影響
標題(洋)
報告番号 111457
報告番号 甲11457
学位授与日 1995.06.15
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第3488号
研究科 工学系研究科
専攻 航空宇宙工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 河野,通方
 東京大学 教授 荒川,義博
 東京大学 教授 平野,敏右
 東京大学 教授 松為,宏幸
 東京大学 助教授 石塚,悟
内容要旨

 今後,火花点火機関の高効率化の要求はさらに強くなると思われる.しかし,熱効率を向上させるために圧縮比を大きくすると,機関がノック音を発生するようになる.この現象をノック,またはノッキングという.ノックが発生すると,その音が不快であるばかりでなく,機関燃焼室壁温度が著しく上昇して.やがて機関が焼損することになる.ノックを抑制するためには,機関燃焼室の末端部にある未燃混合気が自発点火するときの点火遅れを充分に大きくし,自発点火する前に燃焼室内における通常の火炎伝播を完了させてやればよい.たとえば火花点火の点火時期を早くしてやればよいが,このときには機関出力が低下する.機関性能を低下させずにノックを抑制するために,これまでは燃料性状の改善や燃料へのアンチノック剤の添加などの方法,つまり高オクタン価燃料の開発により混合気の自発点火の点火遅れを大きくする努力が払われてきている.

 また,最近化石燃料とは異なる燃料を内燃機関に用いることが試みられている.たとえば,火花点火機関においては燃料に水素やメタノールを用いることが試みられている.しかしながら,過早点火や逆火といった異常燃焼が容易に発生するという問題がある.この過早点火や逆火は,燃焼室内の過熱した部分によって混合気が熱面点火するときの点火遅れを充分に大きくし,通常の火花点火が熱面点火以前に行われるようにしてやれば防ぐことができる.

 このようなことから,さらに火花点火機関の性能を向上させるためには,熱面点火や自発点火における点火遅れを制御することが必要になると思われる.しかしながら,燃焼学の観点から積極的に点火遅れを制御する方法はこれまで提案されていない.本研究では,点火遅れ制御の方法の候補として電界印加法を考えた.これは,燃焼反応の進行している気体が,イオンや電子といった荷電粒子を含んだ一種のプラズマであると考えられるからである.

 電界が燃焼に影響を及ぼすことは古くから知られており,どのような機構で影響を及ぼすかについて数多くの研究が行われている.それらの研究において議論の対象となっているのは,電界が燃焼の化学反応に影響を及ぼすのかどうかである.このような観点から,化学反応の速度に依存する燃焼速度に及ぼす電界の影響について調べられている.しかしながら,その研究結果は研究者によって異なる.これは,伝熱や流動場の小さな変化の影響を燃焼速度は強く受けるため,測定された燃焼速度はかなりの誤差を含み.他の影響と比較して電界の影響が小さいときには,それを検出するのが困難だからである.

 電界が燃焼に影響を及ぼすときにはイオンや電子といった荷電粒子が重要な役割を果たすのであるが,それらの荷電粒子は化学イオン化反応により生成されるといわれている.一方,電子計算機の発達にともない,素反応モデルを用いた燃焼現象の数値解析が多く行われるようになったが,一般にそれらにおいては化学イオン化反応は考慮されていない.しかしながら,最近では数値解析の手法を用いた化学イオン化反応に関する研究も行われるようになり.燃焼における荷電粒子の生成機構が解明されるとともに,化学イオン化反応により生成される荷電粒子の濃度が電界の影響を受けることが示されている.ただし,電界が燃焼速度や火炎伝播速度に及ぼす影響については,残念ながらまだ明らかにされていない.

 また,電界強度が大きい場合には自続放電がおこるが,これを利用して燃焼を促進する研究も多く行われている.たとえば,コロナ放電によるすす酸化や火炎伝播の促進,アーク放電による希薄燃焼に関する研究などがその例としてあげられる.これらの研究から,放電電流が小さいときには放電により生成される各種の活性化学種により,放電電流が大きいときにはジュール熱の効果により.燃焼の化学反応が促進されることが明らかとなっている.

 このように,燃焼に及ぼす電界の影響は.さまざまな角度から研究されている.しかしながら,過渡的な現象である点火遅れに及ぼす電界の影響に関して研究された例はない.そこで本研究では,電界による点火遅れ制御の可能性を探るという観点から,可燃性混合気の点火遅れに及ぼす電界の影響について調べた.電界としては直流電界を用い,当量比1.0の水素-空気混合気の熱面点火および当量比1.0のメタン-空気-アルゴン混合気の自発点火(急速圧縮点火)における点火遅れについて実験を行い,その結果と,電界印加による放電電流の測定結果および数値解析の結果との比較,考察を行った.

 実験装置および実験方法は.以下のとおりである.

 熱面点火の実験では,短時間で設定温度まで加熱され,その後は熱面の温度がほぼ一定に保たれる熱面点火装置を用いた.熱面としては長さ40mm,直径0.10mmの金属線(熱線)を用いた.燃焼容器は円筒形で,内径120mm,厚さ19mmである.電界を印加するための電極は厚さ1.0mmの銅製の板で,容器両底面内側にとりつけられている.熱線は,この2つの電極と平行かつ等距離に位置するように支柱にとりつけられる.燃焼容器円筒部分および熱線の一端を接地し,2つの電極板を同電位にしてその電位の絶対値を大きくすることで,直流電界を印加した.点火遅れは熱線の温度変化を利用して測定した.

 自発点火の実験では,急速圧縮装置を用いて可燃性混合気を高温,高圧にして点火させた.急速圧縮装置の燃焼室は円筒形で,内径24mm,厚さ19mmである.電極は半径1mmの環状にした金属線を用い,これを絶縁して燃焼室内にとりつけた.直流電界は,この電極と燃焼室壁面との間に印加した.点火遅れは燃焼室内の圧力変化を利用して測定した.

 ところで.実験条件をできる限り一定にしても.測定される点火遅れの変動は時間測定の誤差よりもはるかに大きくなる.この現象は点火遅れの重要な特性の1つである.そこで,本研究では点火の統計モデルを提案し,これを用いて点火遅れの平均値と変動係数を算出した.

 また,3種類のモデルにもとづいた点火遅れに及ぼす電界の影響の数値解析を行い,その結果を用いて考察を行った.その1つは電界の影響により荷電粒子の濃度が変化することをモデル化しており,もう1つは化学イオン化反応により荷電粒子が生成・消滅することをモデル化している.さらに,電界強度の大きい場合には自続放電が発生して活性化学種が生成され,その結果点火遅れが小さくなることが推測されるため,3つめのものとして,活性化学種の中で代表的なものであるオゾンを含む化学反応をモデル化している.

 実験の結果,熱面点火と自発点火のいずれの場合にも,点火遅れに電界が影響を及ぼすことが確かめられた.しかしながら,その影響は両者で異なるものであった.

 さらに,放電電流の測定結果や数値解析の結果から,電界が点火遅れに影響を及ぼす機構について考察し,以下の結論を得た.

 1.点火方法として熱面点火を用い,可燃性混合気として当量比1.0の水素-空気混合気を用いたとき,電界が点火遅れに及ぼす影響は複雑なものであった.その影響は,以下のようにまとめられる.

 1-1.印加電圧が+500〜+1500Vのときは,変動係数を考慮すると実験結果の有意性は他の条件の場合と比べて低いが,実験結果の平均値で評価すると点火遅れがわずかに増大する.このような影響が現れる原因は不明である.

 1-2.印加電圧が+2000Vのときは,自続放電による活性化学種生成の効果やジュール熱の効果のために,点火遅れが減少する.

 1-3.印加電圧が負のときは,熱線としてトリエテッドタングステン線を用いたときには,熱面の酸化の効果のために点火遅れが減少する.これに対し,熱線としてニッケル線を用いたときには熱面の酸化の効果が小さいにも関わらず点火遅れは減少し,熱線としてタングステン線を用いたときには熱面の酸化の効果が大きいはずであるにも関わらず点火遅れはほとんど減少しない.後者のようになる原因は不明である.

 2.点火方法として自発点火を実現する方法の1つである急速圧縮点火を用い,可燃性混合気として当量比1.0のメタン-空気-アルゴン混合気を用いたとき,電界が点火遅れに及ぼす影響はあまり大きくはなかった.このことは,熱面点火の場合とは異なり,点火する位置が一定でなく,さらに点火位置が複数であることなどが原因として考えられる.電界の影響は,以下のようにまとめられる.

 2-1.印加電圧が-3000〜+3000Vのときには,点火遅れはほとんど変化しない.

 2-2.印加電圧が+3000Vから+5000Vまで変化するときには,自続放電による活性化学種生成の効果やジュール熱の効果のために,点火遅れが減少する.

 2-3.印加電圧が-3000Vから-5000Vまで変化するときには,わずかに点火遅れが小さくなるような傾向があるが,変動が大きいために,電界の影響がどのようなものであるかは明確でない.

 以上のように,電界による点火遅れ制御は可能であることが本研究によって明らかになった.特に,点火遅れを大きくできることが確かめられたことはノックや過早点火の抑制という実用上の観点からも興味深い.しかしながら,実用化に際しては他の燃料を用いた場合の電界の影響が明らかではない点や電極の配置に工夫が必要な点など,さらに解決すべき問題がまだ多く残っている.

審査要旨

 工学修士瀬川大資提出の論文は,「可燃性混合気の点火遅れに及ぼす電界の影響」と題し,5章から成っている.

 火花点火機関の燃料消費率を向上させるためには,圧縮比を上げることが最も有効な方法であると考えられるが,実際には,圧縮比をある値以上にすると異常燃焼が発生する.この異常燃焼はノックと呼ばれており,自発点火が原因である.また,最近水素やメタノールなどの燃料を火花点火機関に用いることが試みられているが,異常燃焼が容易に発生するという問題がある.このときの異常燃焼は過早点火や逆火と呼ばれており,熱面点火が原因である.従来より,これらの異常燃焼に関して数多くの研究が行われているが,その研究の多くは機構解明にとどまっており,異常燃焼を燃焼学上の観点から積極的に回避する方法を提案するまでにはいたっていない.

 一方,電界が燃焼に影響を及ぼすことは古くから知られており,それに関して数多くの研究が行われている.さらに.電界を用いて燃焼を制御しようという試みも行われている.しかしながら,それらの研究は定常な燃焼現象を対象としたものがほとんどであり,点火という過渡的な燃焼現象に及ぼす電界の影響についての研究は皆無である.

 本論文では,以上のような背景から,火花点火機関の異常燃焼を回避する方法として電界による点火遅れ制御を提案し,この方法の実現の可能性を探るという観点から,可燃性混合気の熱面点火および自発点火における点火遅れに及ぼす直流電界の影響について調べている.

 第1章は序論であり,本研究の背景を述べ,関連する研究の成果とその問題点を検討し,本論文全体を概観することで,研究の目的と意義を明確にしている.

 第2章では,実験装置と実験方法について説明している.熱面点火の実験では,熱面を急速に加熱して一定温度に保つことのできる熱面点火装置を用いて混合気を点火している.このとき電界は,熱面と燃焼室壁との間に印加している.自発点火の実験では,急速圧縮装置を用いて混合気を点火している.このとき電界は,燃焼室内にとりつけた金属線と燃焼室壁との間に印加している.また,点火遅れは実験条件を同一にしても変動するという特性がある.そこで本研究では,点火遅れの平均値と変動係数とを統計的手法により算出するために必要な,統計モデルを提案している.

 第3章では,本研究の考察で用いた数値解析のもととなる3種類のモデルについて述べている.最初のものは,電界の影響によりイオンや電子などの荷電粒子が増減することをモデル化しており,2番めのものは化学イオン化反応による荷電粒子の生成,消滅をモデル化している.また,電界の強度の大きい場合には自続放電が発生し,活性化学種が生成されて反応が促進されると予想されるので,3番めのものとして,活性化学種のうち代表的なものであるオゾンの反応をモデル化している.

 第4章では,実験結果について述べ,それについて考察している.まずはじめに,第2章で述べた統計モデルが妥当であることを示している.この結果から,本研究では点火遅れに及ぼす電界の影響をモデルによって算出された点火遅れの平均値と変動係数とを用いて評価している.そして,熱面点火と急速圧縮点火とのいずれの場合にも,電界がその点火遅れに影響を及ぼすことを明らかにしている.熱面点火の実験においては,熱面の極性が負でその電界強度が小さいとき,変動係数が電界による点火遅れの変化と同程度であったものの,点火遅れの平均値がわずかに増大するという結果を得ている.一方,熱面の極性が正のときと極性が負でその電界強度が大きいときには,点火遅れは明らかに小さくなるという結果を得ている.そして考察の結果,電界の影響は荷電粒子の増減とは無関係であるとしている.また,熱面の極性が負で電界強度が大きいときは,自続放電の電流が急増していることから,これによって熱や活性化学種が混合気に供給されて点火遅れが小さくなると推定している.熱面の極性が正のときに点火遅れが小さくなるのは,電界により熱面の酸化が進行して気相の酸素濃度が低下することが原因であると推定している.つぎに,自発点火の場合は,印加した電界強度が大きいときに急速圧縮直前において発生する自続放電の効果が現れていることを見出している.また,自発点火の場合には電極形状の影響が重要であることを示唆している.

 第5章は結論であり,本研究で得られた成果を要約している.

 以上要するに,本論文では,電界が可燃性混合気の点火遅れに及ぼす影響について実験的に調べ,その機構について考察を行っている.これらにより,電界が可燃性混合気の点火に影響を及ぼす機構について示唆に富む結果を与えており,内燃機関および燃焼学上貢献するところが大きい.

 よって,本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54487