学位論文要旨



No 111459
著者(漢字) 中田,稔
著者(英字)
著者(カナ) ナカタ,ミノル
標題(和) 世界海洋大循環モデルから見た太平洋深層循環
標題(洋) Pacific deep circulation in world ocean circulation model
報告番号 111459
報告番号 甲11459
学位授与日 1995.06.26
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第2969号
研究科 理学系研究科
専攻 地球惑星物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 都司,嘉宣
 東京大学 助教授 高橋,正明
 東京大学 助教授 川辺,正樹
 東京大学 教授 山形,俊男
 東京大学 教授 杉ノ原,伸夫
内容要旨

 本研究では、気候モデルへの組み込みを目的として開発した海洋大循環モデル(CCSRモデル)を用いて、Coarse resolution model(海洋の中規模渦を分解しない)により海洋モデルのふるまいを調べる。具体的には、大気モデルとの結合を考慮して循環の駆動力を海面条件のみで与える場合、モデルが現実の循環をどの程度再現できるかに注目する。また10年以上の長い時間スケールの気候変動予測のためには、深層循環をより現実的に再現する必要があるので、深層を特に取り上げる。

 最初に、解像度3.75°(東西)×4.5°(南北)×15 level(鉛直)のモデル(4°モデル)により予備実験を行なった。これと同等なモデルは、Toggweiler et al.(1988),Manabe & Stouffer(1988,1994)らの、トレーサー実験や大気・海洋結合モデルにおいて採用されている。予備実験で得られた基本的な循環パターン、水質分布をそれらと比較した結果、われわれの海洋モデルはそれらのモデルと同等な性能を持つことが確かめられた。

 次にCoarse resolution modelとしては高解像度となる、解像度2°×2°×40 levelのモデル(2°モデル)で実験を行なう。4°モデルでは水質分布などに粗さが目立つことや、ドレーク海峡などの海底地形・海岸線の表現がより精緻になり再現性の改善が期待できることがその動機である。

 海面条件を観測の年平均データから与えた場合をStandard caseとし、主に水質分布に関して現実を再現していない点を改善させる目的で、数多くのケーススタディを行なった。総体的な結果としては、個々のケースにおいてはある程度の改善はあるが、海面条件を現実の範囲内で変動させている限りでは飛躍的な改善は見られない。特に目立つのは次の2点である。まず高塩分に特徴づけられる北大西洋深層水(NADW)の北から一様に張り出す分布が現れないこと、更に、太平洋底層へ低温かつ比較的高塩分の水が入りにくいことである(図1)。なお、このような再現上の欠陥は、すでに行なわれている研究、あるいは4°モデルにも同じように見られる特徴である。そこで以後これらの問題点を解明するためのプロセススタディを行なう。

図1 東西平均塩分分布.上から、大西洋におけるLevitusの観測値(a).2°モデルのStandard case(b)、及び太平洋におけるLevitusの観測値(c),2°モデルのStandard case(d).単位:psu

 モデルの解析の結果、北大西洋での深層水の形成場所がラブラドル海のみに限られていることがわかった。そこでは高塩分かつ比較的高温の特徴を持つ上部深層水(UNADW)が形成されている。現実にはグリーンランド沖で沈み込んだ低温の水が、アイスランド付近のsillからあふれ出す流れ(overflow)により南に流れだし、下部深層水(LNADW)を形成している。そこでモデルでもoverflowを再現し、グリーンランド沖の低温の水をも深層水のソースとして取り入れるためのプロセススタディを行なう。大気モデルとの結合を考慮して循環の駆動力は海面条件のみとし、その作為的な変更はしないという条件のもとで最も単純と思われる、アイスランド付近のsillを十分掘り下げる方法を取ることにした。

 結果としては、グリーンランド沖の水は流れ出すようにはなるものの、同時にsill南側との水の交換が活発になり、グリーンランド沖表層下の水温が上がってしまうためoverflowは期待するほど低温とはならず、LNADWの特徴は再現されない。さらに参考のために水温調節の目的でアイスランド北側の海域に与える海面水温を一様に2℃下げたところ、低温のLNADWが発達しNADW全体が非常に現実的に再現された。なおこの場合でも太平洋深層はほとんど改善されていない。結局大気モデルとの結合の観点から見て、NADW再現のためにsillを掘り下げることは、水温調節がさらに必要となることから適当な手段ではないといえる。

 次の問題として太平洋の深層に注目する。現実の海洋では、大西洋北部で生成する深層水および南部(ウェッデル海)で生成する底層水が周極流域で合して東に流れ、太平洋の深層水のソースとなっていると考えられている。そこで、Coarse resolution modelにおける大西洋の南北での底・深層水生成と太平洋の深層循環の基本的な関係をより深く理解するために、太平洋と大西洋のみ取り入れた単純なtwo-basin modelによる実験を行なう。モデル海洋として、大西洋・太平洋に相当する2つの平坦なbasinを考え、南端部をcyclic channelでつなぐ。ドレーク海峡に相当する部分はsillとする。海面条件は、温度・塩分・風応力の年平均値を各basinごとに平均してそれぞれに東西一様に与える。

 ウェッデル海で生成される底層水は、ドレーク海峡のsillの深さまで一様に底層を占めるが、極端に強いcoolingで生成される場合に限り、sillの深さに大きな鉛直密度勾配を形成し、太平洋深層においてlayered structure(底層水が南から入りそれが深層で戻る構造)を形成する(図2)。このような循環構造は観測データからもその存在が指摘されている。

図2 Two-basin modelにおける太平洋の南北循環.Control case(上)及びウェッデル海で極端に強い冷却を与えたケース(下).等値線間隔:5 Sv

 一方、北大西洋で生成された深層水は底層水の上層を南に流れ、ドレーク海峡のsillの深さより浅い層を占めるが、周極流域ではsillの上層で東西圧力勾配が維持されず南北流が許されないため、深層水は周極流自身には取り込まれず太平洋へも実体としては入らない結果となった。しかし太平洋の周極流域にはNADW起源の塩分極大層が存在しており(図1c)、モデルがこのような深層水の分布を再現できないのは、現実の底層水形成過程で生じる底層の強い成層を再現していないためと考えられる。

 そこで底層に密度成層が形成されるようにウェッデル海の最深部に新たにbody coolingを与える実験を行なう。大西洋では、sillの深さより下層に形成された密度成層に伴い南北流の鉛直シアが増大するため、底層水の循環はより底層に限られ、深層水がsillの下層で周極流域に入るようになる。さらに深層水は、風の効果により湧昇しながらsillより上層の周極流へ入り込み、より多く太平洋に流れ込むことがトレーサー実験により示された。これは現実の周極流の水塊構造にも対応する。

 本研究から以下のことが結論づけられる。Coarse resolution modelにより、循環のforcingを海面のみで与える条件のもとで、特に太平洋深層循環を再現するためには、南極域・北大西洋での底・深層水の形成過程を再現することが重要である。そのためにはウェッデル海での底層水の形成過程、北大西洋のsillを越える流れなどをパラメータ化して表現しモデルにとり入れる必要がある。結局、太平洋の深層循環を再現することはまさに世界海洋循環を再現することといえる。

審査要旨

 太平洋の概ね2000m以深から海底までの深層には南極大陸の周囲の周極流海域から運ばれてきた概ね2度以下の低温、34.6〜34.7パーミルの高塩分の海水層が存在し、南半球の高緯度から北上し赤道を横切って北半球に流入する循環系をなしている。この太平洋深層水は、南極大陸の大西洋側で大きな湾をなすWeddell海での大気による冷却によって生成された低温の底層水と、大西洋の北部海域で形成された北大西洋深層水(以下NAD水と略す)とが合流して周極流域で東流して太平洋南部海域に達し、これが北上したものであることが観測事実として証明されている。本研究では、北部大西洋でのNAD水形成とその南下、南極周極流海域への流入、そしてさらに太平洋深層水への流入までの過程を、全地球的な数値計算モデルによって再現できるかどうかを検証したものである。

 この研究では海洋の中規模渦までは分解しない、粗分解能モデル(coarse resolution model)が用いられている。海面では実観測で得られている年平均風速分布、温度分布を与えている。その全地球を覆う計算格子は2°×2°×40層という、従来のこの種の研究に比べて、格子間隔を2分の1以上細かくした細密なものである。これにより、NAD水の水深2000m付近の層での大西洋内での西岸(南米大陸側)での流量強化、大西洋中央海嶺の「縦断隔壁」としての役割、水深4000m層での南極底層水の北上が隔壁西側の南米より海域で圧倒的に大きく現れる事実が再現された。さらに南米と南極大陸の間のDrake海峡がより現実的な幅とすることができたため南極周極流がより現実に近い形で数値的に再現することに成功した。また、南極周極流海域から北上した太平洋深層流が赤道付近まで北上して、そこで3分岐する事など、この細密格子による数値計算によってはじめて明らかになったことがらがある。

 しかし、この細密な格子による計算結果によってもNAD水の生成、循環過程に関して次の2点において現実と異なる結果となった。すなわち、(1)現実には北大西洋海域で形成されるNAD水には、アイスランド以北の北極海域からの高塩分の冷水と、同島南部のラブラドル海域で形成される冷水との混合によって形成されるのに、数値計算ではほとんど後者のみがNAD水の供給源となっていること。このため、現実には大西洋の深層を赤道を越えて南極周辺海域にまで幅広く分布する高塩分(34.7-34.9パーミリ)、低温(2度前後)の大量のNAD水の流れは再現せず、これより低塩分(34.6パーミリ前後)、高温(5度前後)の小規模な南下流が再現できたにとどまった。(2)現実には南極周極流域でWeddell海で生成された冷たい底層水と合流して太平洋南部まで運ばれ、太平洋の深層水の成分の一部となってそこで北上しての太平洋深層循環に加わる低温高塩分のNAD水が、この数値ではほとんど太平洋に入っていかなかった、の二点である。計算では(1)のようになった原因として、細密数値計算によってもアイスランドを中心として東西方向に隔壁(sill)をなす浅海部が北極海からの深層海水の南下を妨げているせいであり、現実にはsillを「越流」して南下する北極海水の運動が、この数値計算では表現されていないためと考察された。(以上第2章まで)

 第3章では、(1)の問題を解明するため北部大西洋北部でのNAD水の形成過程の問題に焦点あてて論じられている。アイスランド付近のsillの越流が数値計算では再現できないので、仮想的にこのsillを「掘り抜いた」海を想定して、北極海水の南下を促進させたモデルで再度数値計算が行なわれた。さらに、アイスランド以北海域の表面温度を現実より2度低い温度に想定したとき、現実にきわめて近いNAD水の形成がなされ、大西洋内での南下流のようすも現実とよく一致する結果を得た。しかしこの数値モデルによっても(2)の点は現実と隔たったままであった。

 第4章では、(2)の大西洋での北からのNAD水、および南極域でのWeddell海底層水の形成と、その合流水塊が太平洋に運ばれ、そこで北上して太平洋深層水となる過程を解明するため、太平洋、大西洋を模した2個の長方形の海を、南端付近を周極水路でつないだモデルで数値計算が行われた。南米と南極大陸の間のDrake海峡部は3100mのsillとして再現された。

 Weddell海に単に現実の風、海面温度場をあたえたのでは、大西洋を南下してきたNAD水はDrake海峡の北端の緯度にまでは達しはするが、それ以上南下していかない。というのは、Weddell海で生成される底層水が、海底からsillの水深である3100mまで満たすため、南下してきたNAD水の鉛直分布は3100m以浅の深さにのみ分布する。すなわち、周極流の存在する深さであるが、この深さでは東西圧力勾配が維持されないため、Nad水はDrake海峡の北端の緯度より南下することが妨げられるのである。Weddel海生成水を下層に押しやるため「年中冬」の気候条件を与えてもこの事情はさして変わらない。そこで、モデル上でWeddel海の最深層部にさらにbody coolingを加えて再度数値計算が行われた。その結果Weddell海で生成された底層水の循環は、sill水深の3100mより深い底層に限られるようになり、この場合にはじめて大西洋からのNAd水が3100mより深く、Weddell海生成の底層水より浅い層で周極流海域に南下でき、NAD水が太平洋の運ばれ得ることが証明された。このNAD水が、風による湧昇の影響受けて太平洋に達するまでに浅い層に浮上し、周極流に混合してより多く太平洋に流れ込むことが、トレーサー数値実験によって確認された。

 以上の論旨に見られるように、低温高塩分の北大西洋深層水が形成され、それが南極周極流の海域の深層でWeddell生成水と混合してついには太平洋深層水となる、という海洋学上よく知られた過程は、単純に現実の風の場と海面温度を与えてすんなり再現できるものではなく、北部大西洋でのその生成、Weddell海での底層での強いBody cooling、という、特殊な条件が満たされない限り定量的力学的には説明しえないことが確認された。

 ここに、いわば人工的にモデルに与えたかに見える「アイスランドsillの掘削」、「全季節冬条件を与える」、「body cooling」などの操作が、現実の何に対応するかについては検討の余地はあるが、海洋の深層循環全体が今の姿をとるためには意外に複雑な条件を必要とするという事実を検証した功績を多として、審査委員会は、全員一致して論文提出者・中田稔氏を博士(理学)の学位を授与するに値すると認めた。

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