学位論文要旨



No 111460
著者(漢字) 矢嶋,摂子
著者(英字)
著者(カナ) ヤジマ,セツコ
標題(和) 液液界面のイオン選択的電荷分離及びパームセレクティビティーにおけるイオン性サイトの重要性
標題(洋) Significance of Ionic Sites for the Ion-Selective Charge Separation and Permselectivity at Liquid/Liquid Interfaces
報告番号 111460
報告番号 甲11460
学位授与日 1995.06.26
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第2970号
研究科 理学系研究科
専攻 化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 梅澤,喜夫
 東京大学 教授 富永,健
 東京大学 教授 小間,篤
 東京大学 教授 斎藤,太郎
 東京大学 教授 岩本,振武
内容要旨

 イオノフォアを含む液膜(イオン選択性電極;ISE)界面における膜電位は,液膜界面でイオノフォアが目的イオンと選択的に脂溶性の高い錯体を形成することにより,対イオンを伴わずに液膜中に移動,分配されることにより生じる電荷分離(パームセレクティビティーの成立)により発生すると考えられている。この電位応答機構に関しては,これまで熱力学的,速度論的な立場に基づく研究がなされているが,ほとんどの場合,ポリ塩化ビニル(PVC)を支持体とした液膜を用いた系で考察されている。PVC中にはイオン性の不純物(イオン性サイト)が含まれているという報告が既になされており,これがISEの選択性,応答時間,ノイズレベル,応答の傾きなどに大きな影響を与えていることが知られている。従って,ISEの電位応答機構を明らかにするためには,イオン性サイトの液膜界面における電荷分離に果たす役割を理解することが必要であるが,これまでにイオン性サイトを含まない液膜を用いた研究は行われていない。

 本研究では,(1)ISEの界面においてイオン性サイトが電位発生のために必要か,またその理由,(2)電荷分離の状態が膜中にイオン性サイトを加えることでどう変化するのかを明らかにすることを目的とし,イオン性サイトを含まない単純化した系,つまり,イオノフォアと膜溶媒からなる液膜(純液膜)を用いて,液膜中のイオン性サイト,膜溶媒の誘電率,膜中イオノフォア濃度が電位応答に与える影響について検討を行った。純液膜の電位測定はその膜抵抗の高さのため,これまでのISEの測定方法では困難であったが,電界効果型トランジスターを用いることで可能となった。さらに,液膜の電位応答と界面に存在する錯体の濃度変化の関係を考察するために,液液界面における界面張力測定と,界面近傍のデバイ長程度の領域で配向している化学種を選択的に観測できる光第二高調波発生(SHG)法による直接観測を行った。界面張力測定により算出できる界面過剰量は,=-d/RTdln c(:界面張力,c:水溶液の濃度)と表される。界面で発生するSHG強度は√I(2)∝N<T>a(2)(N:界面濃度,<T>:分子配向,(2):二次非線形電気分極)と表され,界面で生成し配向したSHG活性な錯体濃度に比例する。従って,これらの手法を用いることで,界面の電荷分離の状態を定量的に考察できる。

(1)純液膜の電位応答挙動

 実験の測定系を図1に示す。膜溶媒は極性の異なるものを用い,イオノフォアは,Li+イオノフォア(ETH149),Na+イオノフォア(bis(12-crown-4)),K+イオノフォア(bis(benzo-15-crown-5),valinomycin)を用いた。

図1.ISFETを用いた実験装置.

 市販の溶媒(特級)をそのまま用いた場合と,それを可能な限り精製した場合の電位応答を比較した(図2)。Dioctyl sebacate(DOS; =4.01)では,市販の溶媒ではvalinomycinを用いた場合のみ応答が得られたが,精製することで,いずれのイオノフォアを用いた場合も応答は得られなくなった。2-Nitrophenyl octyl ether(NPOE;=24)の場合,市販の溶媒ではネルンスト応答を示したが,精製すると全く応答はなくなった。2-Fluoro-2’-nitrodiphenyl ether(FNDPE;=50)の場合,bis(12-crown-4)を用いた場合のみ精製により応答が小さくなったが,他のイオノフォアでは精製による影響が観られなかった。また,精製した膜溶媒に脂溶性のアニオン(tetrakis[3,5-bis-(trifluoromethyl)phenyl]borate)をイオノフォアに対して10wt%加えた場合はネルンスト応答を示した。これらの結果より,溶媒中には応答に影響を与える不純物が含まれていること,イオン性サイトが十分含まれていれば純液膜でもネルンスト応答を示すことがわかった。また,イオン性サイトを含まない場合には,膜溶媒の誘電率に関わらずネルンスト応答が得られないことがわかった。

図2.純液膜の電位応答(イオノフォア;bis(benzo-15-crown-5),○;精製した膜溶媒,●;市販の膜溶媒,□;イオン性サイトを添加).

 また,液膜中のイオノフォア濃度の変化の電位応答に及ぼす影響をETH149とbis(12-crown-4)を用いて検討した。イオン性サイトを含まない液膜では,極性の低い膜溶媒を用いた場合には,電位応答は全く得られないが,極性の高い溶媒では,ネルンスト応答よりも小さいものの電位応答が得られ,イオノフォア濃度の増加に伴い応答が大きくなることがわかった。しかし,膜中イオノフォア濃度を非常に高くした場合(50wt%)でもネルンスト応答は得られなかった。

 次に,電位応答の時間依存性を測定した。膜溶媒として,nitrobenzene,イオノフォアとしてbis(12-crown-4)を用いた場合,目的イオン濃度を増加させると,電位は数分以内に上昇し,極大点を通過した後,徐々に減少することがわかった。はじめの電位の上昇は目的イオンに対する正の応答であると考えられる。その後に生じる電位の減少は,目的イオンの対アニオン(Cl-)の膜中への抽出ではないかと考えられた。これをイオンクロマトグラフィーによる測定で確認した。イオノフォアを含まない液膜では,Cl-の抽出はほとんど起こらないが,イオノフォアを含む場合,目的イオン濃度の増加に伴い,明らかに液膜中のCl-濃度が増加していることがわかった。イオノフォアが存在すると,目的イオンとイオノフォアからなる錯体の対アニオンとして,C1-も液膜中に抽出されるとわかった。以上より,イオン性サイトが全く含まれていない極性の高い液膜では,親水性の高いCl-が抽出され,それに伴う拡散電位が生じることがわかった。また,抽出が平衡に達した後には目的イオン濃度に依存しない電位を示し,液膜界面での電荷分離は目的イオン濃度に依存しないことがわかった。

図3.イオンクロマトグラフィーを用いた液膜中の塩化物イオン濃度の測定(○:イオノフォアを含まない場合,●:イオノフォアを含む場合).
(2)電荷分離界面の観察

 イオン性サイトの膜中への添加が界面における電荷分離の状態にどのような影響を与えるかを調べるために,界面張力及びSHG測定を行った。また,解析を単純化するために,イオン性サイトとしては,tridodecylmethylammonium thiocyanate(TDDMASCN)を用い,イオノフォアを含まない液膜のKSCN溶液に対する応答の時間依存性と濃度依存性を調べた。有機溶媒として,l,2-dichloroethane(DCE;=10.3)とnitrobenzene(=35)を用いた。いずれの有機溶媒を用いた場合も,イオノフォアを含む液膜の場合と同様に,イオン性サイトを含まない液膜では,SCN-に対して電位応答を示さず,有機溶媒に対して1wt%のイオン性サイトを含む場合にはネルンスト応答を示した。この系に関して,抽出実験を行ったところ,イオン性サイトを含まない場合は,K+が抽出されるが,含む場合は,抽出が抑制されていることがわかった。図4に,イオン性サイトを含まない液膜を1×10-2M KSCNに接した場合の電位応答,界面張力,SHG応答の時間変化を示す。イオン性サイトを含まない有機溶媒とKSCN水溶液を接触させると,界面張力ははじめ減少した後,極小点を通過して時間とともに増加し,これは,電位応答で観られた変化とほとんど一致していた。また,同一条件下でのSHG応答も,界面張力と同様な時間依存性を示す。これは,イオン性サイトを含まない場合,一時的に有機層側へのイオン選択的な取り込みが起こるが,その後,K+の抽出に伴って,界面活性な,そして,SHG活性な化学種(配向したSCN)が減少することを示している。また,目的イオン濃度に対する応答を検討したところ,界面張力もSHGも濃度依存性を示さない。これにより,目的イオン濃度を変化させても,界面に存在する,電位応答に影響を与えているSCNの濃度は変化しない,すなわち,界面の電荷分離状態は変化しないことがわかる。図5にイオン性サイトを含む液膜のSCN-の濃度変化に対する電位応答,界面張力,SHG応答を示す。この場合,界面張力及びSHG応答における時間依存性は,観測されなかった。界面張力もSHGもSCN-の濃度に対して特異的な応答を示す。界面張力では,目的イオン濃度が低い場合は,濃度が増加するに従って界面張力は増加していくが,極大点を通り,その後減少していく。SHGについても,変化の方向は逆転しているが同様の変化を示す。これより,イオン性サイトを含む場合,界面におけるSCN-の濃度は目的イオン濃度に大きく依存することがわかる。界面張力,SHGの結果を解析することによって界面の電荷密度を算出し,Gouy Chapman理論に基づいて,電位の計算を行った。この計算電位の勾配は,観測された電位応答の勾配と良い一致を示した。従って,界面張力及びSHG測定で観測されている化学種が,SCN-に対する電位応答を支配していることがわかる。

図表図4.イオン性サイトを含まないニトロベンゼン液膜の1×10-2M KSCN溶液に対する経時変化.(a)膜電位,(b)界面張力,(c)SHG / 図5.イオン性サイトを含むニトロベンゼン液膜のKSCN溶液に対する(a)界面張力,(b)SHGの濃度依存性.

 以上より,液膜中にイオン性サイトを含まない場合には,対イオンを伴った目的イオンの有機層側への抽出が起こり,界面張力測定より算出できる界面過剰量及びSHG活性な化学種の量が目的イオン濃度に依存しない,すなわち,電荷分離状態が変化しないため電位応答が得られないことがわかった。イオン性サイトは,対イオンを伴った目的イオンの有機層側への抽出を起こりにくくし,界面で電荷分離をしている化学種の量が,目的イオン濃度に依存しているため,電位応答が生じることがわかった。従って,目的イオン濃度に対する電位応答を得るためにはイオン性サイトが必要であると結論した。本結論は新規液膜電極の開発,液膜界面の理論的考察に重要な寄与をすることが期待できる。

審査要旨

 本論文は4章からなり,第1章は序論,第2章は液膜界面のイオン選択性膜電位,及び,第3章は同じく界面張力,光第二高調波発生法による研究を論ずる主要部を構成し,第4章は結論を述べている。

 第1章序論ではまず液膜イオン選択膜の発展を述べ,本研究課題の歴史的意義が示されている。即ちイオノフォアを含む液膜/水溶液界面における膜電位(イオン選択性電極:ISE)は,液膜界面でのイオノフォアが水溶液中の目的イオンと選択的に脂溶性の高い錯体を形成することにより,対イオンを伴わずに液膜中に移動,分配されることにより生ずる電荷分離により発生すると考えられているが,その機能に関してはこれまで熱力学的,速度論的研究がなされ,またその調製はほとんど,扱いの便宜のためポリ塩化ビニル(PVC)を支持体とした液膜が用いられている。PVC中にはイオン性不純物(イオン性サイト)が含まれており,これがISEの選択性,応答時間,精度,検出感度などに大きな影響を与えているとの考察に基づき,本論文では,ISEの電位応答機構を分子レベルで明らかにするためには,イオンサイトを含まない液膜を用いた研究が必要との前提条件を示し,ついで1)ISEの界面においてイオン性サイトが電位発生のために必要か,またその理由,2)電荷分離の状態が膜中にイオン性サイトを変えることでどう変化するのかを明らかにする研究方針を述べている。

 第2章では,イオン性サイトを含まないイオノフォアと,膜溶媒のみから成る液膜(純液膜)を用いて液膜中のイオン性サイト,膜溶媒の誘導率,膜中イオノフォア濃度が膜電位応答に与える影響について検討している。純液膜の電位測定は,その膜抵抗の高さのため,これまでのISE測定法では困難であったが,電界効果トランジスターを用いることで可能にしている。

 膜溶媒は極性の異なる数種を用い,それを可能な限り精製し,Li+(ETH149),Na+(bis(12-crown-4)),及びK+イオノフォア(bis(benzo-15-crown-5),valinomycin)を用いて実験している。第一に,可能な限り精製した膜溶媒では誘電率の如何に関わらず,またイオノフォア濃度増加に関わらず,ネルンスト応答が得られないことを明らかにした。特にDioctyl sebacate,2-Nitrophenyl octyl ether等の極性のより低い溶媒では,電位応答は全く得られないことを見出し,その理由は,膜バルクのインピーダンスの問題ではないことを確認した上で,水溶液中目的イオンの膜中へのパームセレクティブな取り込み量が少なすぎるためと結論している。一方,より大きな極性を有するニトロベンゼンや2-Fluoro-2’-nitrodiphenyl etherの純液膜では,相当するイオノフォアの目的イオンが,塩化物のような親水性対イオンでさえそれを伴ってイオン対抽出されることを見出し,電位応答の時間依存性,及び液膜中のCl-イオン量の測定に基づき目的イオン濃度依存性の電荷分離が生起しない理由を明瞭に示した。

 第3章では,イオン性サイトの膜中への添加が,界面における電荷分離の状態にどのように影響を与えるかを研究している。実験法は解析を単純化するためイオン性サイトとしてはチオシアン酸トリドデシルメチルアンモニウム塩を用い,イオノフォアを含まない液膜のKSCN水溶液に対する電位,界面張力,SHGの時間依存性と濃度依存性を調べている。その結果,イオン性サイトを含まない液膜ではSCN-に対して電位応答を示さず,イオン性サイトを含む場合にはネルンスト応答を示すことを見出した。同時に抽出実験を行い,イオン性サイトを含まない場合にはK+イオンが抽出されたが,含む場合は抽出が抑制されることを明らかにしている。この時,電位応答,界面張力,SHG応答の時間変化は,イオン性サイトを含まない有機溶媒とKSCN水溶液を接触させると,いずれも同様の時間依存性を示すことを見出し,これはイオン性サイトが含まれない場合,一時的に有機層側へのイオン選択的取り込みが起こるが,その後K+の抽出に伴って界面活性な,従ってSHG活性な化学種(配向したSCN-)が減少することに起因する事を明らかにしている。一方,イオン性サイトを含む場合は,K+SCN-の形の塩抽出はほとんど起こらず,界面で電荷分離が達成され,目的イオンの濃度に依存した膜電位が観測されることを示した。同時にSHGも界面張力も,同様の目的イオン濃度依存性を示すことを見出した。この時,界面張力,SHGの結果を解析することにより界面の電荷密度を算出し,Gouy-Chapman理論に基づいて電位の計算を行い,この計算電位の勾配は,観測された電位勾配と良い一致を示すことを明らかにした。以上より,イオン性サイトは,対イオンを伴った目的イオンの有機層側への抽出を起こさないようにし,界面で電荷分離している化学種の量が,目的イオン濃度に依存するようになり電位応答を生じること,目的イオン濃度に対する電位応答を得るためにはイオン性サイトが必要である,と結論した。

 第4章は全体のまとめと結論を述べている。

 本論文は,液膜ISEが目的イオン濃度に対する電位応答を得るためには,イオン性サイトが必要であることを実験的に精密に検証したもので,新規液膜電極の開発,イオン選択性液膜界面の理論的考察に役立つものであり,分析化学に寄与する成果を収めた。

 なお,主論文の内容は第2章,第3章の一部が既に印刷中であり,いずれも共著であるが,論文提出者が主体となって測定解析を行ったもので,その寄与が十分であるものと判断する。

 したがって、博士(理学)を授与できると認める。

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