学位論文要旨



No 111471
著者(漢字) 瀧,一郎
著者(英字)
著者(カナ) タキ,イチロウ
標題(和) ベルクソン美学研究 : 直観の概念に即して
標題(洋)
報告番号 111471
報告番号 甲11471
学位授与日 1995.09.11
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人社第124号
研究科 人文社会系研究科
専攻 基礎文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 佐々木,健一
 東京大学 教授 藤田,一美
 東京大学 教授 松永,澄夫
 東京大学 教授 塩川,徹也
 東京大学 教授 関根,清三
内容要旨

 本論文の目的は、ベルクソン(Henri Bergson,1859-1941)の哲学に含まれる美や藝術についての理論を「直観(intuition)の美学」として統一的に把握し、その意義を究明することにある。そのためには、まづ最初に、ベルクソン哲学において美学を主題とし、かつその美学理論を直観の概念に即して考へることの正当性が説かれねばならない。これはわれわれの問題意識の提示である。次に、ベルクソニスムの進展のなかで、直観といふ中心的なテーマがさまざまなヴァリエーションとなつて展開される豊かな思索の跡をたどりながら、直観の概念とそれに類する諸概念との繋がりが示されねばならない。これはわれわれの問題連関の解明である。そして最後に、直観といふ観点から体系化されるベルクソン美学の帰趨を見定めることによって、藝術哲学に還元しえぬその新たな相貌が照らされねばならない。これはわれわれの問題解決としての問題提起である。したがつて、本論は次のやうな三部から構成される。

 第一部は、ベルクソン的直観の構造を闡明し、研究の方向を決定する。直観の基本的構造は、認識論的に見て、共感(sympathie)といふ形での主観と客観との合一として捉へうるのみならず、存在論的に見て、還帰(epistrophe)と発出(proodos)との一致もしくは観想(contemplation)と創造(creation)との相即として捉へうる。この構造上の相同性によつて、藝術から哲学への方位においては「形而上学的/哲学的直観」(intuition metaphysique/philosophique)が「美的/藝術的直観」(intuition esthetique/artistique)を祖型(モデル)として徐々に確立されたこと(第一章)、哲学から宗教への方位においては「持続(duree)の直観」が人格(personnalite)問題の研究を経て「神秘的直観」(intuition mystique)に強化され、延長されたこと(第二章)の二点が示される。

 第二部は、ベルクソン的直観の位相を通覧し、研究の領域を統括する。直観概念が主客合一もしくは能動即受動によつて規定されるならば、この規定から、直観の位相を示す四つのトポスを導くことができる。すなはち、美学固有の領域において表現(expression)論に補完される共感論(第三章)・努力の機構(メカニスム)を解き明かす図式(scheme/schema)論(第四章)・ヘレニズムとヘブライズムとの対立を解消する創造論(第五章)・社会的次元でイマージュの役割を問ふ想像(imagination)論(第六章)がそれである。これらはいづれも、力動的なもの(le dynamique)から静態的なもの(le statique)への顕在化と、静態的なものから力動的なものへの潜在化といふ相反する二方向の運動を同時に可能にするベルクソン的直観の言はばmutatis mutandisである。

 第三部(第七章)は、以上の考察をもとにして、ベルクソン的美学の射程を確認し、研究の結論を提出する。直観概念の進化と変容とに鑑み、ベルクソンにおける美学と倫理学との接点に注目すると、まづ「優美」(grace)が二領域の連関を明らかにする特権的範疇であること、ついで藝術における「作品」(uvre)と道徳における「英雄」(heros)とが、絶対者とわれわれとの媒介者といふ同じ存在様態を共有してゐることが判明する。そこから、ベルクソン的直観が、観想(theoria)とも実践(praxis)とも制作(poiesis)とも規定されえない、三者がそこに区別されなくなるやうな終極、もしくは三者がそこから区別されてくるやうな淵源として捉へ直される。かかる直観の美学としてのべルクソン的美学が、最終的には、個人および社会の魂の状態を誘導するエートス(ethos)の学として、美と藝術との起源に光を投ずる可能性が示唆され、本論は閉ぢられる。

審査要旨

 この学位請求論文は、ベルクソンの哲学全体を、特に「直観」に注目して、美学の観点より解釈した体系的研究である。ベルクソンは『笑い』の喜劇論を除いて、美学の著書や論文を一つも残さなかったが、随所に藝術に関する洞察が見られ、従来から、その美学思想を再構成する試みはなされてきた。この研究史を背景とする滝氏の論文の特徴は、(1)包括的かつ体系的であること、(2)直観というただ一つの概念に注目して、そこにベルクソン美学の核心を見ようとしている、という二点にある。

 事実、滝氏はベルクソンの主要著作の全てを論じている。特筆すべきは、近年公刊された若い頃の美学講義録を取り上げたことであり、滝氏は、ベルクソンが典拠としたクザンとジュフロワの著作そのものに帰って検討を加え、そこに成熟期の直観の美学の起源を認めている。また、直観の概念が観想と創造という対立的な働きを合わせた力動的性格のものであることを明らかにしつつ、滝氏は、共感から始まって、図式、創造、想像などのその諸形態を詳細に論じている。

 ベルクソンが「エートスを規定根拠とする美学」の可能性を拓いた、とする滝氏の主張には、議論の曖昧化の気味があり、また随所に疑問の余地を残す論法がないわけではないが、全体は独自の観点よりなされた研鑚の成果であり、ベルクソン美学の研究に新境地を拓いたものとして、博士(文学)に値すると評価することができる。

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