学位論文要旨



No 111472
著者(漢字) 若宮,真紀
著者(英字)
著者(カナ) ワカミヤ,マキ
標題(和) アデノシン・デアミネース欠損マウスの作成
標題(洋) Generation of Adenosine Deaminase-Deficient Mice
報告番号 111472
報告番号 甲11472
学位授与日 1995.09.13
学位種別 課程博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 博医第1053号
研究科 医学系研究科
専攻 国際保健学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 藤原,道夫
 東京大学 教授 成内,秀雄
 東京大学 助教授 浅野,喜博
 東京大学 助教授 生田,宏一
 東京大学 助教授 中堀,豊
内容要旨 はじめに

 アデノシン・デアミネース(ADA)はプリン代謝酵素であり、アデノシン、デオキシアデノシンをイノシン、デオキシイノシンへ変換する反応を触媒する。ADAの基質であるアデノシンは細胞外シグナル伝達因子としての機能をもち、また、デオキシアデノシンの蓄積はデオキシヌクレオチド代謝阻害を介して細胞毒性を示すことから、ADAは重要な酵素として位置付けられる。

 ADAはハウスキーピング遺伝子としての側面をもつ一方、発現レベルは組織ごとに大きく異なり、その詳細はマウスでよく研究されている。特に、子宮内脱落膜、胎盤等、発生期のマウス胚を取り巻く環境におけるADA発現は著しく、また、成熟マウスでは消化管においてADAの発現レベルが高い。

 一方、ヒトにおいては、ADAは胸腺で最も高度に発現しており、欠損症は重度免疫不全を引き起こす。また、ADA欠損症は常染色体劣性の遺伝病であり、遺伝子治療のモデル疾患として注目を集めてきた。

 本研究では、マウスにおけるADAの組織特異的機能を明らかにし、加えて、ヒトADAの欠損症のモデルを構築する目的で、胚幹細胞(ES細胞)操作を介し、ADA欠損マウスを作成、解析した。

材料と方法(1)ADA欠損マウスの作成

 相同組み換えによりADA遺伝子に変異を起こしたマウスES細胞ヘテロザイガスADA欠損株を単離し、その細胞を正常マウス3.5日胚、ブラストシストに注入することによりキメラマウスを作成、数代の交配を経たのちADA欠損ホモザイガスマウスを得た。ES細胞ADA欠損株を得るためには、ES細胞株AB1を用い、また、エクソン5にネオマイシン耐性遺伝子が挿入された変異ADA遺伝子8.6kbと単純ヘルペスウイルス・チミジンキナーゼ遺伝子をもったポジティブ・ネガティブ選別用リプレイスメント型ジーンターゲッティングベクターを作成、使用した。ベクターDNAをES細胞にエレクトロポレーションで導入した後、ネオマイシンとFIAU耐性の細胞を選択、単離した後、サザン・ブロッティングにより変異ADA遺伝子をもった株を同定、キメラマウスの作成に使用した。

(2)ADA欠損マウスの解析

 ADA欠損ホモザイガスマウスにおけるADAの発現は、胎児マウスより抽出したRNA、マウスADAcDNAプローブを用い、ノーザン・ブロッティングにより解析した。

 また、ADA酵素活性はマウス胎児より抽出したエキストラクトを用いてマイクロラジオアッセイにより測定した。マウス胎児、胎盤、及び、肝臓は光学顕微鏡を用いて組織学的に分析し、また肝臓に関しては電子顕微鏡による解析も行なった。マウス胎児より得た血漿中タンパク質、アルブミン、アスパーテート・アミノ酸転移酵素、及び、アラニン・アミノ酸転移酵素は自動ランダム・アクセス・クリニカル・ケミストリー・アナライザー(ベーリンガー・マンハイム)にて測定した。ヌクレオシド、ヌクレオチドはハイ・パフォーマンス・リキッド・クロマトグラフィーにより測定した。また、16.5日マウス胎児より肝臓を摘出し、白血球を抗体CD4、CD8、B220、Gr-1、Mac-1を用いたフロー・サイトメトリック解析により分析した。

結果

 ADA欠損株ES細胞3株より5匹の雄ジャームライン・キメラが作成された。ADA欠損ホモザイガスマウスには正常ADAの発現、酵素活性は認められず、変異マウスは完全なADA欠損症をもつことが証明された。

 ADA欠損マウスは周産期致死性を示し、また、体重の減少、肝臓の異常等を伴った。変異マウスの肝臓には形態を著しく変え、機能不全を伴った肝細胞が数多く存在した。異常肝細胞は胎児の発達に伴い数を増したが、正常、異常を含めた全肝細胞数は、ADA欠損マウスで減少していた。

 肝細胞障害、周産期致死を引き起こす要因を分子レベルで解析するために、ADA欠損マウス胎児、及び、胎盤におけるADAの基質と産物の濃度の変化を10.5日より17.5日にかけてモニターした。ADA欠損マウスにおいて、アデノシンは常に正常値より高いレベルに保たれ、また、胎児の発達に伴って著しく増大した。一方、正常マウスにみられた発達に伴うイノシンの蓄積はADA欠損マウスにはみられなかった。また、デオキシアデノシンは正常マウス、及び、ADA欠損マウス胎盤では検出されなかったが、ADA欠損マウス胎児には、アデノシンと同様に、発達に伴う著しい増大がみられた。デオキシイノシンは、正常、ADA欠損を問わず、検出されなかった。

 デオキシアデノシンはヒトにおいては数種の特異的キナーゼの働きによりリン酸化され、dATPが形成されることが示されており、ヒトADA欠損症では蓄積したdATPがリンパ組織特異的障害を引き起こす一要因として考えられているために、ADA欠損マウス胎児におけるdATP濃度を測定した。17.5日胎児血液中にdATPは著しく増大しており、一方、ATPは減少していた。

 ヒトADA欠損症はリンパ組織に著しい障害を引き起こし、リンパ球減少症を伴う。一方、ADA欠損マウスのリンパ組織は正常であった。変異マウス胎児(16.5日)の肝臓におけるT細胞の数が正常値に比べ、少し減少していたが、ヒトADA欠損症にみられるような重度のリンパ球減少症はみられなかった。

考察

 ADAの欠如がマウスにもたらしたプリン代謝異常は重篤であり、発生期のマウス胎児においてADAの触媒する反応は非常に活発であり、また、その反応系の欠如をバックアップするシステムは存在しないと考えられる。また、ADAの欠如はヌクレオチド代謝にまで影響を及ぼしており、ADAは正常プリン代謝に不可欠な酵素であることが証明された。

 アデノシン、デオキシアデノシン、及び、dATPの蓄積は細胞毒性を示し、ヒトADA欠損症におけるリンパ組織障害の主な要因であると考えられているが、マウスADA欠損症においても肝障害、周産期致死の要因である可能性が高い。肝臓特異的障害を引き起こす分子機構としては、マウスでデオキシアデノシンのリン酸化を担う酵素、アデノシン・キナーゼが肝臓で活性が高いことから、dATPが肝臓特異的に蓄積し、肝障害を引き起こした可能性がある。また、肝障害が重症化した後、胎児に死がみられたことから、肝障害がADA欠損マウスの死を引き起こした可能性が考えられるが、これを明らかにするためにはさらなる解析が必要である。いずれにしても、アデノシン、デオキシアデノシン、及び、dATPの蓄積がADA欠損マウスにみられた肝障害、周産期致死の第一要因であると考えられ、母胎の循環系が胎盤を介して胎児内のヌクレオシド、ヌクレオチドをクリアできなかった事実は胎児由来ADAの重要性を結論づけるものである。しかしながら、発生期を通じ、マウス胚、及び、胎児自体におけるADAの発現は非常に低レベルであり、母胎の子宮内脱落膜にADAが高レベルで発現されている発生初期-中期にかけてはADA欠損マウス胎児にヌクレオシドの蓄積はみられなかったことから、正常マウスにおいては脱落膜ADA、及び、胎盤ADAが胎児内に蓄積するヌクレオシドの代謝を担っているのではないかと予測される。

 また、ADA欠損症の病状はヒトとマウスでは違っており、ADA欠損マウスのリンパ組織に大きな欠陥はみられなかった。しかしながら、プリン代謝異常はヒト、マウス双方に共通して起こり、ヒトではリンパ組織特異的、マウスでは肝臓特異的障害の要因になっていると考えられ、マウスにおいて、プリン代謝異常より肝障害、さらには周産期致死に至るメカニズムを分析することはヒトADA欠損症の病理を分析するうえでも有用であると考えられる。

審査要旨

 本研究は、プリン代謝酵素、アデノシン・デアミネース(ADA)のマウスにおける組織特異的機能を明らかにし、また、ヒトADA欠損症のモデルを構築することを目的として、ADA欠損マウスの作成を試みたものであり、下記の結果を得ている。

 1.マウス胚幹細胞操作によりADA欠損マウスが作成された。

 2.変異マウスにおいてADA転写産物、酵素活性を測定した結果、変異マウスはADA-nullであることが示された。

 3.ADA欠損マウスは周産期致死であり、出生直前に子宮内にて死ぬことが示された。

 4.ADA欠損マウス胎児には体重減少、肝臓の異常が認められた。変異マウスの肝細胞は形態に異常をきたし、また、肝機能検査により、ADA欠損マウス胎児における肝機能の低下が示された。

 5.解剖学的、組織学的には肝臓以外に特に異常は認められなかった。

 6.16.5日胎児肝単核細胞をフロー・サイトメトリック解析により分析したところ、変異マウスにおいてT細胞が少し減少していた。しかしながら、ヒトADA欠損症にみられる重度のリンパ球減少症は認められなかった。

 7.10.5日から17.5日にかけてADA欠損マウス胎児、胎盤におけるADAの基質と産物をHPLCにて測定したところ、発生に伴う著しい基質の蓄積、産物の減少が明らかとなった。

 以上の結果より、本研究においては下記の考察、結論を得ている。

 1.ADAの欠如がマウスプリン代謝に与えたインパクトが大であったという事実は、発生期マウスにおいてADAが触媒する反応は非常に活発であり、また、その反応の欠如をバックアップするシステムが欠けていることを意味し、ADAのマウスプリン代謝における重要性が結論づけられた。

 2.ADA基質、及び、その代謝産物dATPの蓄積が肝障害の経過、周産期致死への発展と相関することから、プリン代謝異常が肝障害、致死性の要因であると考察された。

 3.母胎による胎児内ヌクレオシド、ヌクレオチドのクリアランスが不十分であったことから、胎児自身によるADA産生の重要性が結論づけられた。また、発生初、中期に母胎の子宮内脱落膜でADAが高度に発現している間、胎児のプリン代謝は正常であったことからも、発生期マウス胚を取り巻く組織、脱落膜、胎盤等における高レベルのADAが胎児内に蓄積するADA基質の代謝に寄与していると考察された。

 以上、本研究では、ADA欠損マウスの作成、及び、その病理、プリン代謝に関する分析より、マウスにおけるADAの重要性を明らかにし、発生期のマウス胚を取り巻く組織における高レベルのADAの機能に関し考察を与えており、また、ヒトADA欠損症の病理分析のためのモデルの構築を達成した。本研究において作成されたADA欠損マウスは、マウスにおけるADAの組織特異的機能のさらなる解明、さらには、ヒトADA欠損症の病理分析、治療法の発展等に大きく貢献すると考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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