学位論文要旨



No 111473
著者(漢字) 李,相瀚
著者(英字)
著者(カナ) リ,サンハン
標題(和) リンパ節ストローマ細胞から産生される抗アポトーシス液性因子の同定とその性質
標題(洋) Identification and Characterization of Anti-apoptotic Soluble Factors Produced from Lymph Node Stromal Cells
報告番号 111473
報告番号 甲11473
学位授与日 1995.09.13
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第729号
研究科 薬学系研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鶴尾,隆
 東京大学 教授 名取,俊二
 東京大学 教授 竪田,利明
 東京大学 教授 今井,一洋
 東京大学 助教授 内藤,幹彦
内容要旨 はじめに

 転移を制するもの癌を制すとまでいわれるほど、転移は癌の治療において非常に大きな妨げとなっている。そのため転移機構の解明は、癌治療成績の向上に大きく寄与するものと考えられる。癌転移にはリンパ行性と血行性という主要な2つのルートが知られており、遠隔の臓器に転移する場合は血行性転移による場合が多い。しかしながら、臨床では多くの癌転移はリンパ管を通っておこるといわれている。樹立された細胞株においてリンパ節転移を起こすものは少なく、このことからも鶴尾らによって樹立されたリンパ節高転移株CS-21細胞は、リンパ節転移機構の研究に非常に良い材料となる。

 CS-21細胞は、in vitroでの増殖のためには、転移先臓器であるリンパ節由来のストローマ細胞CA-12細胞との相互作用が必要である。CS-21細胞はCA-12ストローマ細胞とcocultureすると増殖できるが、CA-12ストローマ細胞から分離させ単独で培養すると死滅する。すなわちCS-21細胞の増殖には、CA-12ストローマ細胞との細胞接着並びにCA-12ストローマ細胞からの液性因子が関与している。接着分子に関しては、両細胞の細胞接着を阻害する抗体を作製した結果、Thy-1とCD45分子であることが明かとなった(1.2)。さらに、これらの接着分子を刺激する特殊な抗体によって、CS-21細胞はCA-12ストローマ細胞非存在下でも増殖可能となった。しかしながら、接着分子以外のCS-21細胞の増殖に関与する分子及びその増殖誘導機構は明かとなっていない。

 一方、最近apoptosisというプログラムされた細胞死の機構に注目が集まっており、新しい癌化学療法のtargetとなっている。CS-21細胞を単独で培養した際の細胞死の形態はapoptosisであることが明かとなっており、こうした細胞死の抑制とCA-12ストローマ細胞から産生される液性因子との相関に関しては未だ明かとなっていない。このことから私は、CS-21細胞の増殖を担っている液性因子を同定し、さらにその液性因子によるCS-21細胞のapoptosis抑制機構を解明することを目的とした。

結果と考察CS-21細胞に対するcytokineの影響

 CA-12ストローマ細胞から産生される液性因子を同定するために、まずCS-21細胞の増殖に対する様々なcytokineの影響をトリチウムチミジンの取り込みで調べた。その結果、IL-7のみがCS-21細胞の増殖を誘導することが明かとなった(Fig.1)。そこでCA-12ストローマ細胞におけるIL-7のmRNAの発現をRT-PCR法で検討したところ、positive controlとなるSt-2細胞をPMA+LPSで刺激した場合と同じ位置にバンドが検出され、IL-7のmRNAが持続的に発現されていることが認められた。一方、IL-7receptorの発現はBALB/cのthymocyteをcontrolとした場合と同じ位置にバンドが検出され、CS-21細胞で強く発現していることが明かとなった。CS-21細胞にIL-7を添加すると、IL-7の濃度依存的にCS-21細胞のDNAの断片化が抑制されたことから、IL-7はCS-21細胞の増殖を誘導するだけでなく、apoptosisをも阻害することが分かった。DNAの断片化率をDPA法を用いて定量した結果、CS-21細胞単独で培養した時におきるDNAの断片化は20%位であったが、IL-7の濃度を上げると濃度依存的に断片化を抑制し、DNA断片化は5%以下になることが明かとなった。

Fig.1.Effect of various cytokines on CS-21 cell growth.
IL-7によるアポトーシス抑制蛋白Bcl-2の発現誘導

 apoptosisとの関係が知られている遺伝子としては、apoptosisを阻害する遺伝子としてbcl-2が、apoptosisを誘導する遺伝子としてc-myc、baxなどが知られている。そこで、CS-21細胞のapoptosisを抑制するIL-7を加えて24時間後の、CS-21細胞におけるBcl-2,c-Myc,Bax各蛋白の発現変化を検討した。CS-21細胞はCA-12ストローマ細胞から分離させ単独で培養すると、分離後30分以内にapoptosis抑制に関わるBcl-2の蛋白発現が減少した。おそらくCS-21細胞を単独で培養したときの細胞死はこのapoptosis抑制蛋白Bcl-2の発現減少が関与することが推測される。PKCを活性化するPMAを入れるとBcl-2の蛋白発現が時間依存的に回復し、約8時間後もとの発現levelにまで到達した。また、IL-7を添加した場合にもPMAと同様にBcl-2蛋白の発現が回復された。添加するIL-7の濃度をふって、Bcl-2蛋白の発現変化を検討したところ、Fig.2で示すように添加するIL-7の濃度依存的にBcl-2の発現量が上昇することが明かとなった。IL-7がCS-21細胞におけるBcl-2の発現を回復させることから、Bcl-2のantisenseoligonucleotideを用いてBcl-2の発現を抑制させると、IL-7によるCS-21細胞のapoptosis抑制が阻害されるか否かを検討した。その結果、antisenseを1M添加した際には、同量のsenseを添加した際と比べて、生存細胞数が約30%まで減ることを見いだした。この結果より、IL-7がBcl-2蛋白の発現を増強することによりCS-21細胞の生存細胞数を維持させていることが明かとなった。

Fig.2.Induction of Bcl-2 protein expression by IL-7.
CA-12ストローマ細胞から分泌されるcysteineの同定

 CA-12ストローマ細胞の培養上清によるCS-21細胞の増殖誘導活性は、IL-7の活性を阻害する抗IL-7中和抗体を添加しても20%程度しか抑制されないことから、CA-12ストローマ細胞の培養上清にはIL-7以外の何らかの液性因子が含まれている可能性が示唆された。そこでこのCA-12ストローマ細胞から産生される液性因子の精製を行なった結果、非常に低分子の液性因子が含まれていることが明かとなったので、以下この低分子の液性因子の同定並びに解析を行なった。

 ある種のlymphocyteやlymphomaでは、SH基を含んだthiol化合物がこれらの細胞の増殖に重要な役割をしていることが明かとなっている。そこでまずCA-12ストローマ細胞からthiolが産生されているかどうかを検討した。thiolにとくに反応性が高いSBDを、CA-12ストローマ細胞の培養上清と反応させてHPLCで分離した。Fig.3(A)でしめすようにCA-12ストローマ細胞の培養上清とSBDを反応させたものでは、一本のシャープなピークが検出されたので、CA-12ストローマ細胞から何らかのthiolが産生されていることが 明かとなった。そこでこのCA-12ストローマ細胞から産生されるthiolを同定するために、SBDと反応させたCA-12ストローマ細胞の培養上清を、Fig.3(B)から(E)でそれぞれ示すようにSBDと反応させたDL-homocysteine、NAC、GSH、cysteineと一緒にHPLC columnにapplyした。その結果(E)で示すようにcysteineと一緒にapplyしたもののみが一つのpeakとなったことから、CA-12ストローマ細胞から産生されるthiolはcysteineであることが明かとなった。CA-12ストローマ細胞の培養上清中のthiol量と、CS-21細胞に対する増殖誘導活性との相関を次に検討した結果、CA-12CM中のthiol量は時間依存的に増加し、これに比例してCS-21細胞に対する増殖誘導活性が増加することが明かとなった。このことから、CA-12ストローマ細胞から持続的に産生されるcysteineが、CS-21細胞の増殖誘導に重要な役割を果たしていることが明かとなった。cysteine以外のthiol基をもった化合物によるCS-21細胞の増殖誘導能は、reduced thiolおよびdithiol-cleaving compoundでも認められた。よってCS-21細胞の増殖には、cysteineのようなSH基をもったthiol化合物が重要な役割を果たしていることが明かになった。

Fig.3.Identification of the thiol produced from CA-12 stromal cells as cysteine.
Cysteineによるapoptosis抑制およびBcl-2の発現誘導

 CS-21細胞を単独で培養した際におこるCS-21細胞のapoptosisに対して、cysteineがどのような影響を及ぼすかを検討した。その結果、CS-21細胞を単独で培養した際におきるDNAの断片化は、cysteineを添加することによりpositive controlのPMA同様に抑制されたので、cysteineはCS-21細胞のapoptosisを抑制する活性をもっていることが明かとなった。またその際のDNAの断片化は、CA-12CM(75%)やcysteine添加によって阻害された。 次に、cysteine添加によるBcl-2,c-Myc、Baxの発現変化を検討したところ、Bcl-2の蛋白の発現減少は、cysteineを添加しても回復しないことから(Fig.4)、cysteineによるCS-21細胞のapoptosis抑制機構には、Bcl-2蛋白に非依存的な機構が働いているものと思われる(3)。最近、Bcl-2のhomologがいくつか発見され、apoptosis抑制又はapoptosis誘導に関与していることが報告されているので、こうしたBcl-2 homologの発現変化の関与を今後検討する予定である。

Fig.4.Cysteine suppresses CS-21 cell apoptosis without inducing the expression of Bcl-2 protein.
おわりに

 CA-12ストローマ細胞から分泌される液性因子を2つ同定した。1つがIL-7で、もう一つがcysteineであることが同定された。IL-7はRT-PCR法を用いることにより、そのmRNAがCA-12ストローマ細胞上に発現していることを見い出した。cysteineに関しては、HPLC法等を用いることにより持続的に産生されていることを明かにした。更にこれらの因子によるCS-21細胞のapoptosis抑制機構として、IL-7はBcl-2蛋白の発現を上昇させることにより、またcysteineはBcl-2蛋白の発現上昇を伴わないBcl-2-非依存的な機構によりapoptosisを抑制していることを明かにした。これらの結果は、この2つの液性因子が、以前同定されていた接着分子と共にCS-21細胞のapoptosis抑制に関与していることを示唆している。

参考文献(1)Naoya Fujita,Mikihiko Naito,Sang-Han Lee,Kenji Hanaoka,and Takashi Tsuruo.Cell Growth and Differ.,6,355-362,1995(2)Kenji Hanaoka,Naoya Fujita,Sang-Han Lee,Hiroyuki Seimiya,Mikihiko Naito,and Takashi Tsuruo.Cancer Res.,55,2186-2190,1995(3)Sang-Han Lee,Naoya Fujita,Kazuhiro Imai,and Takashi Tsuruo.(in press).
審査要旨

 癌細胞の原発巣並びに転移巣に於ける増殖には、癌細胞周辺の微小環境、特に宿主の間質(ストローマ)細胞との相互作用が重要であることが報告されてきた。しかしこうした相互作用のモデルとなる良い細胞系がないこともあり、その実態は不明であった。

 本研究は、リンパ節ストローマCA-12細胞依存的に増殖するマウス悪性Tリンパ腫CS-21細胞を用い、このCA-12ストローマ細胞から分泌される液性因子を同定し、更にこの液性因子によるCS-21細胞の増殖誘導機構並びに細胞死(アポトーシス)抑制現象への関与を明かにしたものである。

 以下、研究結果の要旨を記す。

(1)CS-21細胞に対するサイトカインの影響

 CS-21細胞の増殖に対する様々なサイトカインの影響をトリチウムチミジンの取り込みで調べた。その結果、IL-7のみがCS-21細胞の増殖を誘導することを明かにした。そこでCA-12ストローマ細胞におけるIL-7の発現をRT-PCR法で検討したところ、IL-7のmRNAが発現されていることが確認された。CS-21細胞にIL-7を添加すると、IL-7の濃度依存的にCS-21細胞のDNAの断片化が抑制されたことから、IL-7はCS-21細胞の増殖を誘導するだけでなく、CS-21細胞のアポトーシスをも阻害することが明かになった。

(2)IL-7によるアポトーシス抑制蛋白(Bcl-2)の発現誘導

 アポトーシスを阻害する分子としてBcl-2蛋白が知られている。そこで、IL-7を加えて24時間後の、CS-21細胞におけるBcl-2蛋白の発現変化を検討した。その結果、CS-21細胞を単独で培養した際におきるBcl-2蛋白の発現減少が、添加するIL-7の濃度依存的に回復した。次にBcl-2のantisense oligodeoxynucleotideを用いてBcl-2の発現を抑制させると、IL-7によるCS-21細胞のアポトーシス抑制効果が減弱した。この結果よりIL-7は、Bcl-2蛋白の発現を誘導することによりCS-21細胞のアポトーシスを抑制していることを明かにした。

(3)CA-12ストローマ細胞から分泌されるcysteineの同定

 CA-12ストローマ細胞から産生される液性因子の精製を行なった結果、IL-7以外に非常に低分子の液性因子が含まれていることが明かとなった。ある種のリンパ球では古くからその増殖にthiol基をもった化合物を要求することが知られている。そこで、thiol基にとくに反応性が高いSBDを、CA-12ストローマ細胞の培養上清と反応させ、同じくSBDと反応させた様々な標品(DL-homocysteine、NAC、GSH、cysteine)と一緒にHPLCに添加し分離した。その結果、CA-12ストローマ細胞から産生されるthiol化合物はcysteineであることを同定した。その他のthiol基をもった化合物によるCS-21細胞の増殖誘導能は、reduced thiolおよびdithiol-cleaving compoundにも認められた。よってCS-21細胞の増殖には、CA-12ストローマ細胞から持続的に産生されるthiol化合物が重要な役割を果たしていることを明かにした。

(4)cysteineによるアポトーシス抑制およびBcl-2の発現誘導

 CS-21細胞を単独で培養した際におきるアポトーシスは、cysteineを添加することにより抑制されたので、cysteineはCS-21細胞の増殖を誘導するだけでなく、アポトーシス抑制にも効果を発揮することを明かにした。次に、cysteine添加によるBcl-2蛋白の発現変化を検討したところ、CS-21細胞を単独で培養した際におきるBcl-2蛋白の発現減少は、cysteineを添加しても回復せず、cysteineによるアポトーシス抑制機構には、IL-7の場合と異なり、Bcl-2蛋白に非依存的な機構が働いている可能性を明かにした。更に、アポトーシスを誘導する分子としてBax、c-Myc蛋白が知られているがこうした蛋白の発現にも変化が認められなかった。

 このように本研究は、癌細胞と宿主由来ストローマ細胞との相互作用に関わる2つの液性因子を同定すると共に、こうした液性因子が癌細胞の増殖を誘導することを明かにしたものである。更に、宿主細胞による癌細胞の細胞死(アポトーシス)抑制という新たな領域を開拓したものである。よって本研究は、癌細胞の増殖機構の解明に寄与するところ大きく、博士(薬学)の学位に値するものと判断した。

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