学位論文要旨



No 111475
著者(漢字) 古賀,紀江
著者(英字)
著者(カナ) コガ,トシエ
標題(和) 場の概念による住空間の研究 : 住居内での個人空間の形成について
標題(洋)
報告番号 111475
報告番号 甲11475
学位授与日 1995.09.21
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第3493号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高橋,鷹志
 東京大学 教授 香山,寿夫
 東京大学 教授 横山,正
 東京大学 教授 長澤,泰
 東京大学 助教授 大野,秀敏
内容要旨 本論文における基本的な概念

 本研究は、高齢者を主とした単身者、あるいは家族が住まう住居内で居住者が自分たちの生活の場をどの様に確保しているかを明らかにすることを目的とする。

 個人によって確保される空間を本研究では「個人空間」として定義(第1章)した。個人空間は個人の私室と、個人が関わりを持つ公的な空間(例えば、居間や食堂)を含めた概念である。また、公的空間内の様に必ずしも室として区画されていない場所での個人空間を捉えるために、「場」という考え方(第1章)を導入した。「場」は、個人が行為を行う場所(論文中「座」とした)に、行為に使用するモノや人を含むその他の環境と関わり合うことで形成されている空間である。従って「場」は、物理的な境界で仕切られている空間ではない。「場」の概念によって、必ずしも室と行為の対応で成立していない現実に近い住生活を捉えられると考える。即ち、各居室内の家具や物品の種類や配置の調査や、限定された行為と居室の対応、居室と居室の使用者の対応を見ることを中心とした従来の視点からは捉えきれなかったリアルな住空間の姿を映し出すものと考えている。

 本研究は、主として一人暮らしの高齢者を対象として行った。一人暮らしが最もシンプルな居住形態であること、加えて社会の急速な高齢化は今日の最も大きな問題の一つとして、建築計画の面からも充分な討議がなされるべき対象であるためである。

 以下に第1章から第6章までの各章の概要を順に示す。

第1章研究の背景・目的及び概念

 本研究の目的は、(1)住居内での個々の居住者の住生活の実態を個人空間として捉えること、(2)個人空間を特徴づけ、類型化すること、(3)「場」の概念が計画の中でどの様な価値を持ち、どの様に生かしうるかを検討すること、である。

 本研究は、個人空間という生活の中で個人が個別に体験し、自分のものと認知している環境に関する考察である。従って捉えられる個人空間は、例え同じ住居に住んでいても個々人が異なる形状と性質の個人空間として持つものである。研究では、実際に調査した住居内での被験者の生活の実態から「場」を記述し、個人空間の特徴を捉えることを試みる。「場」は、生活している個人の能動的な(意識、無意識的な)環境形成の及んでいる範囲を指す。「場」と室という空間的限定要素との関わり方には、行為を行っている室内の場合も、室の枠を超えて関わっている状況である場合もあり得る。

第2章一人暮らしの高齢者の個人空間に関する考察

 第2章では、東京都の文京区根津地区と北区赤羽台団地の一人暮らしの高齢者25名を対象としたデプスインタビューと住居内部の調査の結果について考察を行った。

 一人暮らしの高齢者の個人空間には、食事行為を含むほとんどの生活行為が行われる「座」があり、その「座」では、行為に必要なモノを取り寄せるのに移動をしなくても良い場合が多い(論文中「ステーション化」と定義。)。研究では、このような「座」を「常座」と定義した。「常座」は、たいてい座卓やこたつなどの床座で使用する家具に取られており、訪問者も通される。また、「常座」は、窓や入口の方向に向く傾向があり、外部の様子が無理なく視界に収まる位置にとられている。即ち、一人暮らしの高齢者の個人空間の「常座」に形成される「場」には、典型的な様式が存在すると見ることができる。

 個人空間には、他に1、2カ所の「座」がとられているが、これらの「座」は、「常座」で行うこと以外の特別な目的のための「座」であることが多い。住居内での「座」の数は必ずしも室数だけに影響されるとは言えず、むしろ居住者自身の生活を反映する。また、個人空間の状況に、調査を行った2つの地区でやや異なる傾向が見られたことから、住居の形態や地域性等も「常座」をはじめとした「座」での「場」の形成の仕方に影響を与えることが考えられる。

 一人暮らしの高齢者の個人空間には、以上の様な、実際に行為に関わるモノと「座」の関係から捉えられる「場」の他に、大切なモノの置き場所や思い出のモノの飾ってある場所、また小動物の様に見るだけではなく「世話」という行為を必要とする対象などに対しても「場」が形成されていると考えることができる。

第3章一人暮らしの高齢者の個人空間の経年変化に関する考察

 第3章は、第2章の調査対象者について、2年後に前回と同様のインタビューを中心とした調査を行った結果と考察である。尚、経年調査のインタビューは14名について行うことができた。

 家具配置等の大きな変化が見られたのは1例のみであった。「常座」以外の部分でのモノの位置や家具の配置の変化は目立たず、「常座」の周囲にモノや収納家具が集められる傾向(「ステーション化」)が全体的な傾向として見られた。その他、「常座」として居心地が良いように座具を工夫したり、身体的な機能の低下に対して「常座」としての機能が保たれるような工夫をする例も見られた。こうした傾向には、時間の経過に伴う体力の低下等に対する補完である場合もあることがインタビューの内容から予測された。

 実際に「座」での行為に関わるわけではないが、小動物や植物のような世話をする習慣的な行為を伴うモノや見慣れた環境を形成する要素としてのモノは維持される傾向が強い。新たな住居に移るような必要が生じた場合など、これらの環境を守ることは重要と考えられる。さらに、インタビューの分析から、住居に自分以外の他者が入る機会が日常的にある人には個人空間の質を維持する傾向が強く見られた。

第4章高齢者の夫婦世帯の住まいにおける個人空間に関する考察

 第4章は、第2章と同様の調査を、両地区内の夫婦世帯(計10世帯)を対象に行い、夫婦世帯に形成された個人空間に関する考察を行った。

 夫婦世帯の場合、住居内には夫と妻の個人空間が同時に存在し、領域的な重なりも予測される。一人暮らしの場合と異なり、「常座」をとらない事例も見られた。「常座」をはじめとして、「座」の周囲にあるモノの量は一人暮らしの人の場合と比べて少なく、特に、夫婦が共に「座」をとる場所での極端なステーション化はほとんど見られない。行為に必要なモノはその都度「座」から移動して用意する(セッティング行為と定義した)場合が多い。また、夫婦世帯では食事のための「座」がとられる場合が半数の世帯で見られ、「常座」で食事行為も行う一人暮らしの人の個人空間とは異なる傾向を持つ。夫婦世帯では食事行為の他にも、全体に目的別の「座」がとられる傾向が強く、日常生活にはっきりとした空間的な秩序が守られていると考えることができる。高齢者の住居を計画する際、一人暮らしの場合と夫婦世帯に形成される個人空間の特徴が異なる傾向を持つことを考慮することが必要である。

 事例数は少ないが、夫婦世帯でも経年変化に関する調査を行った。その結果、経年変化として一人暮らしの場合よりも家具の移動などを伴う大きな変化が見られた。いずれも、環境の変化や欲求に応じた改変であるが、インタビューの内容と合わせた考察から、何らかの問題が生じた場合、一人暮らしよりも楽に解決できる様子として受けとめられる。他者の存在が互いを気遣う点と、互いの衰え等の補完という点によって住環境の質を維持することが可能であると予測できる。

第5章核家族の住まいにおける個人空間の形成に関する考察

 第5章では大学生の子がいる核家族世帯の住居内に家族の各成員が形成する個人空間を捉え、考察を加えた。家族の各成員の属性による個人空間の特徴を考察すると共に、高齢者の個人空間との比較を行った。

 調査を行った核家族世帯では、一般に前章までの高齢者世帯の事例よりも住居内にとる「座」の数が多い。核家族では、親世代では、共用の空間に個人的な「場」を形成する傾向が強く、子世代は自室に充実した「場」を形成する。親世代でも、妻は共用の空間内に自分の行為に必要なモノがある場合が多い等、妻と夫では異なった傾向が見られた。また、個人空間は私室と共用の空間のみで成立するのではなく、自分以外の人の「私室」に「場」を形成する場合も見られた。

 核家族の個人空間は、家族が共用する「家族が集まる空間」にそれぞれの成員がどの様な「場」を形成するかを分析の中心とした。その結果、「家族が集まる空間」を、行われる行為の内容ではなく、行為に関するモノのセッティングの状況と、行為を行うときの対人環境(一人か、複数か、他に別の行為をしている人がいるか、等)から捉える視点を提案した。これにより、行為と室を単純に対応させただけでは捉えきれない場面があることを明らかにし、対人関係を含め総合的な環境として室の意味は捉えられるべきであることを示した。

第6章個人空間に関するまとめと高齢者の住居への提言

 第6章は第5章までで得られた知見の総覧と、まとめの章である。

 個人空間とは、世代や世帯形態によって異なる特徴を持つものであり、不変のものではなく、時間の経過によって変化するものである。また、自分以外の他者も個人空間の形成に影響を与える要素であり、特に高齢者では、個人空間の質の維持にも影響する場合もある。

 最後に研究の結果をもとに、[場」の概念から、高齢者のための住居への提言を試みた。その一つとして、一人暮らしの人の住空間を計画する際には「常座」を確保をすることの提案を行った。特に、特別養護老人ホームの様々居住施設の場合など、寝台が中心に据えられた室に「常座」を形成することはかなり困難と思われ、結果的に今日の一人暮らしの高齢者の人の住様式とは異なる状況になっている事が多い。なるべく、自然な住環境を整えようとするならば、「常座」がとりやすい居室であるべきであり、そのためには家具の選定やレイアウトと共に、室のプロポーション等の形態の決定から考慮をすることが必要と思われる。(当然のことであるが「常座」の形成は最小限の条件である。)

 「場」の概念による住居の計画の提案を通して、面積や室数からの知見の他に、「座」をとることのできる環境に関する系統立てられた資料が今後積み重ねられるべきものであることが示唆された。

審査要旨

 本論文は、住居を人々の安定した生活の場として、使い続けていく為の計画に必要な基礎理論を個人空間、場、座などの概念を援用しつつ、構成、提案したものである。この分野の研究には、「住まい方研究」などに代表される建築計画での膨大な蓄積がある。それらの成果は公共住宅における室の機能、規模、形あるいは室の配列の提示というかたちで住戸計画における「型」の根拠として使われてきた。しかし、その「型」が居住者や社会の変化、言い換えれば環境移行にどの程度の耐性を持っているかに関しては、検討が不十分であった。ここでは核家族用の住居に住み続けている高齢の小規模世帯(単身、夫婦など)に対する質問紙、デプス・インタビュー、行為観察記録、定点観察などによって居住者の個人空間の形成の実態を明らかにしている。異なった属性、生活歴をもつ居住者が、住居内で自分の居る定位置の決定やそれを取り巻く「しつらい」の仕方に関して、一定の傾向を示すことを導き、この分析方法を核家族の個人空間にまで拡張して考察している。全体を通して、これまで居住者自らが経験的、無意識的に決めていた個人空間の形成過程を解き明かし、社会的寿命の長い住居計画に資する基礎的知見を与えたものである。

 本論文は6章からなり、資料篇がつけられている。

 第1章は研究全体の序論にあたる。まず研究の目的として、住居における個人空間を実態として把握し、それを類型化し、そこで用いられた「場」の概念の住居計画に果たし得る役割を明らかにすることであるとしている。更に「場」並びにそれに関連した「座」、「常座」など本研究で得られた主要な概念に定義を与えている。また本研究の意義を既往の住居研究や住空間論の考察のなかで論じている。最後に後に続く各章の要約を述べている。

 第2、3、4章は東京都区内の二つの住宅地に居住する65歳以上の高齢者に行った実態調査とその分析、考察に当てられ、本研究の主要概念を導いた部分である。

 第2章では、前記二地区の詳細にわたる調査とその分析が記述されている。その結果、高齢者は住居での活動の度合いが全体的に低くなることに伴って、日常の生活の大半を過ごす定位置を中心に行為の「場」が形成されていること見出している。この位置を「常座」と命名し、この周りに日常品が集中していること(ステーション化)が高齢者住居の特徴であるとしている。同時に、「常座」以外の生活上の大切な位置を持っている人もあり、それらを「目的座」、「モノ座」と名づけ生活様式の多様性を示す指標として提案している。「常座」の安定的確保が高齢者住居の質の向上に不可欠であるとの指摘は計画論として極めて貴重な結論である。

 第3章は、前章で対象とした高齢者の二年後の経年変化の状況調査の結果とその考察を纏めたものである。身体機能の低下によって、「常座」におけるステーション化の程度が進行する、あるいは各室に別れていた「座」を一室に集中させるなど、生活の「場」の縮小という予測されていた傾向が実証された。しかし、隣人や友人などの援助が得られる場合には過去の生活をそのまま維持できることも同時に見出している。住宅という物理的環境の質の確保に対人的環境の援助が必要であることの指摘である。

 第4章では、前2章の調査の中から特に高齢夫婦世帯の住まいにおける個人空間の形成の状況を考察している。一人暮らしと比較して、「常座」の存在は少なく生活場面毎に複数の「座」が存在しており、その在り方も家族によって多様であることを示している。更に別室就寝、夫婦によるユカ座、イス座の使い分け、部屋数とその配列などに規定されるなど複雑な要因の存在を明らかにしている。

 第5章は、大学生のいる核家族を対象として、前3章の研究で得られた知見を基に、同様の分析方法を用いて行った個人空間に関する考察である。高齢者世帯と異なり、「常座」は見られず、「座」の数が増加することを見出している。更に親と子の世代による個人空間の形成過程の相違、居間などの共用空間における各個人の「座」を確保するための多様な方法などが明らかにされ、新しい住居計画に対して示唆に富む結論を得ている。

 第6章は、各調査研究から得られた知見をまとめ、多様な「座」を誘発することを可能とする、「場」の概念による住居計画への提言を行っている。

 以上要するに、本論文は、高齢化社会に対応した質の高い社会的ストックとしての住居計画を見出すと言う要請に対する生活実態に根ざした基礎的知見、指針を与えるものとして意義が認められる。この方法論は、住まいのみならず多くの建築の計画理論に適応が可能であり、建築計画学に貢献するところが大きい。

 よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54488