本論文は、信用貨幣の観点から貨幣論の再検討を試みたものである。ワープロによるA4版165頁(400字詰原稿用紙約495枚)の論文で、「はじめに」と題された簡単な序文と、I.「金属流通と象徴貨幣」、II.「信用創造のメカニズム」、III.「銀行間組織の重層構造と信用貨幣」、IV.「景気循環と信用貨幣の運動(膨張と収縮)」の4章からなる本論、および「結語」で構成されている。その内容を要約するとおよそつぎのようになる。 まず第I章「金属流通と象徴貨幣」では、マルクスの『資本論』第1巻第3章「貨幣または商品流通」を対象として、金属貨幣の流通から紙幣流通を導出する理論が批判的に検討される。これは第II章以下で検討されるマルクスの信用貨幣の理論を紙幣流通の理論から明確に区別するための準備的考察の役割を負っている。ところで、マルクスの場合、貨幣の流通手段機能を扱ったところで、磨滅した金鋳貨が名目純分を表す額面で流通するという事実に依拠して、そこから補助鋳貨の流通、紙券の流通を導きだし、流通手段としての貨幣がもつ象徴性を説いている。これに対して本論文は、それはあくまでも秤量や兌換のコストを考慮した貨幣制度の「現実」をそのまま受け入れて形式的に理論化したものであり、商品経済的に合理的に活動する主体を前提に導き出された「理論」とはいえない、という批判を加えている。 このような紙幣の流通量に関してマルクスは、それがけっして無制限なのではなく、投下労働量によってその価値量を与えられた商品価格総額を反映する金量によって規制をうけるとしている。だがマルクスが「貨幣流通の法則」としてかかげる、ある期間における「賭商品の価格総額/同名の貨幣片の流通回数=流通手段として機能する貨幣の量」という等式自体には、左辺が右辺を規定するという一方的な規制関係はなく、この式は本来恒等式でしかないとも解釈できる。そして、この流通必要量の範囲であれば紙券が金貨幣に代替できるという「いわゆる紙幣流通の独自の法則」の理論は、紙券流通の根拠を示すものではないという。さらに、マルクスには国家紙幣を念頭におき、強制通用力に紙券流通の根拠を求めているところもある。しかし、商品経済的な根拠をまったく背景にもたない場合には、経済外的な強制力の限界が存在するというべきである。このようにマルクスにおいて、貨幣の象徴性を基礎に紙券の流通を根拠づけるようとする面は、価値形態論における貨幣商品としての金の導出の論理に齟齬するばかりでなく、それ自身としても理論的な説得力を欠いている。しかし、紙券は金に代理するという論理とは別の理由で独自に流通する根拠をもっている。すなわち信用関係の展開がそれを支えているというのである。 こうして第II章「信用創造のメカニズム」で、紙券流通の積極的な根拠として信用貨幣の形成がとりあげられることになる。ここではまず、『資本論』第3巻第25章以下の信用制度に関する理論が批判的に検討されて、銀行が手持ちの金貨幣を直接に貸し付けるのではなく、手形割引・貸付(手形貸付、証書貸付)・当座貸越などによって信用関係を形成する主体となっている点の重要性が指摘される。ついで、銀行の信用貨幣が社会的に受容され、銀行による信用貨幣たる銀行券や小切手などが流通する根拠は、銀行の準備金や預金残高のかたちで銀行が保有する金量にあるのではなく、銀行が保有する債権の順調な環流にあるという見解が示される。銀行における準備金は、回収不能となった債権の補填など、補足的な意味をもつにすぎないというのである。 こうして本論文によれば、銀行による信用貨幣は信用関係の創出というかたちで形成されることになるのであるが、その場合、予想と結果の時間的なずれに注意する必要がある。すなわち、信用関係が将来の支払いという不確定な要素をはらんでいる結果、返済実績・利潤率・資本規模ないし利潤量・手持ちの資産などによってきまる「信用度」を基準に、事前に形成されるほかない面がつねにつきまとうとされている。そのため、銀行による信用貨幣は弾力的に膨張する可能性を秘めており、この点は資本蓄積と景気循環のなかで動態的にきまる信用貨幣の流通性を捉える場合にも重要な論点となるとしている。 このあと、本章には「信用創造論の展開」として、研究史的な検討が加えらえている。信用創造論を唱えた学説を簡単に紹介し、『資本論』における信用創造にかかわる記述を検討したのち、川合一郎および山口重克の理論に考察が進められる。ここでは、本論文が信用創造の本質として強調する将来の資金形成の先取りという考え方や、信用創造における帳簿信用と発券との差異などが追加的に論じられている。 第III章「銀行間組織の重層構造と信用貨幣」では、近年研究の進んできた銀行間組織の理論を基礎に、信用貨幣が個別銀行次元のものにとどまらず、中央銀行によって統合され現実に貨幣としての性格を強める側面に焦点があてられる。まず、『資本論』における中央銀行論に対して批判的検討が加えられ、その国家的な性格、利子率調整者としての役割、価値章標の創出、金準備の集中といった論点が整理される。こうした整理をふまえ、国家的な干渉がなくても信用機構の内部に上位と下位との分離を生みだす力がはたらくかどうか、そのもとで信用貨幣の性格はどう変化するか、といった問題が独自に解決される必要があるという。 これをうけて宇野弘藏『経済原論』から鈴木鴻一郎編『経済学原理論』にいたる一連の中央銀行論研究が紹介されている。宇野の場合、発券の集中という観点から「中央の銀行」の形成が論じられながら、それと信用創造の関係が明確ではなかった。これに対して、鈴木の場合、個々の銀行がおこなう信用創造の役割が消極化され、銀行組織を通じて形成される信用創造の意義が不明確にされているという。ついで山口重克の銀行信用論に考察が進められ、その特徴が、利潤率の極大化を目的とする資本の競争だけでは発券の独占はできず、貨幣取扱費用の節約のための資金の重層的な預託関係として銀行間組織が形成されるにとどまるが、これによって成立する「中央の銀行」は独自の信用創造をおこなう性質をもつという点に求められている。本論文は、このような山口の見解を高く評価しながら、ただこの銀行間組織はけっして固定的なものではなく、景気循環の過程でフレキシブルにその階層的な結びつき方を変化させてゆく点が見落とされてはならないとしている。 こうして第IV章「景気循環と信用貨幣の運動(膨張と収縮)」では、資本の蓄積にともなって変化する社会的再生産のあり方と信用機構の関係に焦点があてられ、信用貨幣の膨張と収縮のメカニズムが明らかにされる。ここではマルクスが「銀行学派」を評価しながら、銀行券の環流法則を景気循環のなかで動的に捉えようとしていたことの重要性が指摘されている。ついで、宇野弘蔵にはじまる一連の景気循環論の研究の流れのなかで、信用貨幣がどのように扱われてきたかに検討が加えられ、ここでは信用創造の限界がどのように現れるのかという問題が考察されている。そして、中央銀行の金準備を重視する観点から、好況末期における物価騰貴による金流出と利子率騰貴というかたちでその限界を明らかにする立場が批判され、基本的には返済環流の停滞による貸付制限のかたちで信用形成が鈍化するというかたちで理論化されるべきだという考え方が示されている。 このような観点から、景気循環における信用貨幣の膨張・収縮の過程が分析されてゆく。ここでは、商業信用と銀行信用の間の関係だけではなく、さらに銀行間組織の弾力的な関係を通じて、好況過程においては準備率から相対的に自立して信用創造が進む点、このような信用創造は先に述べたようなかたちで恐慌期にその限界をあたらえられるが、しかし銀行組織論をふまえてみると、信用の収縮も不均質に進むとされ、恐慌から不況期にかけて上位銀行が果たす役割に注目している。またこのような景気循環の諸局面においては、現実の貨幣制度の果たす役割は無視できないとして、貨幣制度に対する補足的な説明を加えている。 最後に「結語」として、紙券の流通を金属貨幣の代理として説くのではなく、信用貨幣として明確に位置づけるという本論文の立場から、信用形成における予想と結果の時間的なずれ、商業信用と銀行信用、さらに銀行間組織といった信用における社会的な関連、こうして形成される信用関係が資本蓄積を基礎とする景気循環のなかで示す動的な限界、といった論点の重要性が指摘されている。 およそ以上のような内容をもつ本論文に対する審査委員会の評価は以下の通りである。 まず本論文は次のような特徴と学問的成果をもつ。 1.本論文は全体として、紙券の流通に対して信用貨幣の観点から一貫した理論的説明を与えようとする試みを展開し一応の成果をあげている。金属貨幣の代理として紙幣流通を説く従来の象徴貨幣論に正面から批判を加え、それをふまえて、新たに信用創造論を軸にした信用貨幣論を対置するというかたちで、一定の自説を提示した点は、貨幣論と信用論の関連を明確にする独自の研究業績として評価できる。 2.本論文は、研究が進みつつある信用論、とくに銀行間組織の理論を取り込み、これによって信用創造の新たな展開を図ろうとしている。とくに、信用関係の形成が予想と結果の間の時間的な要素をともなっている点、その結果、与信者は時間的な流れのなかで受信者の「信用度」という目安を形成しつつ多かれ少なかれ投機的に行動せざるを得ないという点は、その正否はさらに検討されるべきであるが、独自の理論的試みといえる。それはまた、従来理論的な展開のなかでは与件とされ充分論じられてこなかった、信用組織における慣行やさらに貨幣制度が信用貨幣の形成に及ぼす影響などの諸問題を浮き彫りにする効果をともなっている。この点を含め本論文は随所に、理論的な貨幣理論の研究を現実の貨幣現象に対して有効なものたらしめようとする意欲がみてとれ、今後の理論研究のあり方に一つの方向性を示唆するものといえる。 3.信用貨幣の流通に関して本論文が、その量的な限界を資本蓄積の過程を基礎とする景気循環論のなかで動的に捉える必要性を強調した点は重要な意義をもつ。それは従来の紙券流通に関する理論が、貨幣の流通必要量の理論にみられるように、社会的再生産のある状態との対応で静態的にその限界を与える傾向をもっていたことに対する鋭い批判となっている。信用創造の限界が固定的なものではなく、景気循環の過程で社会的再生産のあり方に対応して弾力的に変化するものとして捉えるべきであるという主張は、近年における信用論研究の流れを発展させるものとして評価できる。 しかし、本論文はつぎのような不十分な論点やさらに検討すべき内容を残している。 1.本論文は、理論的研究を現実の貨幣現象に関連づけられるようにしようとする立場から、制度的な側面やまた歴史的な現象に対して論及しているが、たとえば「金の市場価格」という規定がどのような貨幣制度を前提にしているのか明確にされないままにもちだされていたり、あるいは19世紀イギリスにおける兌換が対外的な支払い等の目的によるのではなく、あくまでもイングランド銀行券への信用の欠落によるとしているなど、そこに恣意的な想定や歴史的な事実に対する理解の不十分さが残されている。このような難点は、理論に関連のありそうな事実にいくぶん便宜的に論及するという処理に起因している面があり、方法論的にさらに整備するべき課題が残されている。 2.信用貨幣の観点から信用論を整理した結果、与信者が受信者の将来の支払い能力を信用できるかどうかという点にさまざまな問題の取り扱いが狭く限定され、その結果、与信者のがわの準備金の役割が極度に消極化されている。このため、信用関係の形成が将来の支払い能力を信用できればいくらでも拡張可能であるという投機的側面に偏し、19世紀イギリスにみられた恐慌期にかけての中央銀行の金準備の流出のもつ理論的な意味も看過されるなど、本論文の理論構成の核心における問題点が生じている。 3.全体に、理論の中心となる部分で、貨幣象徴か信用貨幣か、信用創造か資金媒介か、といった極端な二分法でその研究史が紹介され、その一方の流れに与するかたちで結論が提示される傾向が目立つ。そのため、批判すべき考え方の内部に十分立ち入り、独自の観点から問題点を切開するという内在的な批判が薄弱であり、その主張に説得力を欠くことになっている。先行する関連の研究に対する概観の参照幅が狭く、おもに宇野弘蔵の問題提起をうけた研究に限られていることも、今後補充を要するところと思われる。 本論文は、以上のような問題点を残すとはいえ、その成果を通じて、筆者の自立した研究者としての資格と能力を確認しうるに足るものであり、審査委員会は全員一致で、本論文を博士(経済学)の学位請求論文の合格基準に達しており、同学位授与に値するものと判定した。 |