学位論文要旨



No 111493
著者(漢字) 趙,明哲
著者(英字)
著者(カナ) チョウ,ミョンチョル
標題(和) 日露戦争前後の政治と軍事 : 中堅層の政策構想を中心に
標題(洋)
報告番号 111493
報告番号 甲11493
学位授与日 1995.09.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人社第125号
研究科 人文社会系研究科
専攻 日本文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高村,直助
 東京大学 教授 吉田,伸之
 東京大学 助教授 野島,陽子
 東京大学 助教授 三谷,博
 東京大学 助教授 鈴木,淳
内容要旨

 日露戦後、日本は植民地を保有するとともに列強の仲間入り、列強としての新しい歩みを始めるのである。こうした変化は歴史上全く新しい経験であったが、一方では明治国家が追求してきた富国強兵という国家目標の一つの展開でもあった。日露戦争の位置づけは、明治国家の列強への変貌を究明する上に欠かせない作業であるといっても過言ではない。それゆえ日露戦争は、戦後歴史学会において他の分野よりも早く着手された研究テーマの一つであったと思われる。

 すでに一九五〇年代には日露戦争の歴史的意味を明らかにしようとする作業が行われ、様々な解釈がうち出された。帝国主義や資本主義発展の視点から、帝国主義の世界的潮流に乗った典型的な帝国主義戦争と規定する研究も多く見られ、また、日本の歴史的特殊性を強調した天皇制絶対主義による対外侵略戦争と規定する視角も見られた。このように日露戦争の歴史的性格を論じる研究は、早くも一九六〇年代初めには大方纏まったと思われる当時の研究において社会主義や経済決定論の影響が大きかったとはいえ、日露戦争を日本近代史全体の性格既定のなかで捉えようとする姿勢は現在においても示唆するところが多いであろう。

 一九六〇年代以降日露戦争の研究は、その歴史的位置づけよりもむしろ様々な角度から実証を兼ねた新しい試みが行われた。特に日露戦争期の外交と軍事の分野を一つに纏めて戦後の国防方針の成立まで結びつけた角田順氏の成果、軍事史における大江志乃夫の研究など、日露戦争の研究は、一九六〇年にその性格に対する論争が一段落した後には、外交、政治、軍事、政策方針など各論的な研究が進められてきたような印象が強い。しかし、現在に至っても日露戦争はなぜ起こったのか、誰が起こしたのか、その原因は一体何だったのかという素朴な疑問に対して、未だに明確な解答は出されていないような気がする。

 すなわち、一九五〇年代、国家独占資本主義、帝国主義や天皇絶対主義などの枠組をもとに立てられた研究においては、その枠組によって日露戦争の性格がすでに決まっており、結論も最初から出てしまう場合が多かったと思われる。分析の道具であるべきものがあまり明確な価値と論理を含んでいる故に、歴史の実像を理解することに躓きを与えたのである。その後の日露戦争の研究は、原因追究よりは部分的実証に充実してきたような印象が強い。こうした研究の流れのなかでいつの間にか日露戦争に対する原因、理由、目的など基本的な問題に触れようとしない傾向が出来上がったのではないかと思われる。

 したがってこれからの課題は、近代史全体を規定するを枠組みをはずした上で今までの実証的な研究方法を生かし、もう一度日露戦争の原因とそれをめぐる当事者等の思惑を検討することにあると思われる。こうした課題を念頭に置きながら、本稿では次のように論文を構成してみた。

 第一章から第三章においては日清戦争後再び東北アジアにおける緊張の高まった北清事変から、一九〇四年の日露戦争までの長いタームを視野に置きながら、日本の大陸政策を考察していきたいと思う。このように長いタームを設定した理由は二つある。一つは政策の特徴と方向性を検討するためには、やはり対象時期が長い方が有効だと思われるからである。もう一つは日露戦後の様々な変化を、日露戦前の延長線上で説明するためである。すなわち、日露戦前からの連続性を生かし、日露戦後期の理解を深めることである。こうした作業を通じて戦争によってすべてが変わったようなイメージはある程度修正されると思われる。こうした狙いに合わせて内容をできるだけ日露戦争にかかわる政府の外交と軍の動き、また政治と軍事の関係を究明することに絞ってみた。特に外交と軍事において中堅層の政策発想と動きに注目した。彼らの意見が政府と軍内部において如何に説得力を増していったのかは、開戦という国家意思を明らかにするためのポイントの一つであった。

 第四章と第五章は日露戦争中と戦後期を対象とした。ここにおいては、第一・二・三章で明らかにされた中堅層の政策・戦略発想などが実現されていく過程を検証する。特に戦後にいたって中堅将校が政治と軍事に及ぼした影響の実像を明らかにする。第三章から検証の対象が陸軍の中堅将校に焦点を移していったのは、戦後のある時期から登場する「軍部」の成立を究明してみたい狙いがあったためでもある。

審査要旨

 日露戦争前後の時期の政治と軍事については、かなり分厚い研究史が存在しているが、本論文は、先行研究におけるキーワードの再検討、文献史料の丹念な分析、陸軍中堅層の政策構想という一貫した分析視点の設定によって、次のような諸点において、当該分野の研究を新しい水準に導いた。

 1 日露開戦に至る対外政策をめぐっては、これまで、満韓交換論=対露穏健論と満韓不可分論=対露強硬論との二つの路線の対立という分析軸に即して論じられてきたが、本論文は同時代の議論の再検討を通じて、このような分析軸が必ずしも妥当しないことを明らかにし、ロシアに対しては「満韓連携主義」、他の列強に対しては「満韓分離主義」を使い分けていたことを明らかにした。

 2 陸軍上層部の人事の動向を、統計的分析を通じて長期にわたって検討し、陸軍士官学校・陸軍大学校出身者の昇進に伴って、長州出身者を中心とする藩閥の比重が次第に低下することを明らかにするとともに、にもかかわらず明治末年においては、なお最上層の将官クラスでの転換が進まなかった点に、陸軍内部での緊張の高まりがあったことを実証的に明らかにした。

 3 専門的軍事教育を受けた田中義一をはじめとする「中堅将校」グループの存在を析出し、その政策構想と動向を一貫して解明した。陸軍の非戦論から早期開戦論への転換、守勢戦略から攻勢戦略への戦略思想の転換、満州における主力集中決戦構想、さらに戦後の「帝国国防方針」策定、軍事編成の総力戦思想に基づく変革を実現する上で、彼らの果たした役割を具体的に解明したことは、とりわけ大きな成果である。

 一方、政治と軍事の具体的関係の追求が必ずしも一貫して行われていないなど、なお若干不十分な点もなしとしない。しかしその点を差し引いても、審査委員会は、当論文は、上記の成果に鑑み、博士(文学)を授与するに値するものと判断する。

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