学位論文要旨



No 111496
著者(漢字) 姜,春生
著者(英字)
著者(カナ) キョウ,シュンセイ
標題(和) Si(111)表面の金属のエピタクシャル成長過程における表面電気伝導の研究
標題(洋) Study of surface conductance during epitaxial growth of metals on Si(111) surface
報告番号 111496
報告番号 甲11496
学位授与日 1995.09.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第2977号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 長谷川,修司
 東京大学 助教授 青木,秀夫
 東京大学 助教授 池畑,誠一郎
 東京大学 助教授 小森,文夫
 東京大学 教授 兵頭,俊夫
内容要旨

 半導体の表面の電気伝導の研究は基礎的な表面物理の面だけではなく、半導体表面上の量子構造や、半導体デバイスなどの作製にも非常に重要である。表面の電気伝導を正確に測定するためには、超高真空中で、ガス吸着や酸化膜の無い清浄な表面についての実験が必要である。最近、長谷川らは(Ag,Au)/Si(111)-7x7、Ag/-Ag、Au/5x2-Au等の金属のエピタクシャル成長過程における表面電気伝導を測定し、その値が下地の表面構造によって大きく異なることを発見した。しかしながら、表面の原子構造とこのような表面電気伝導の機構についてはまだ解明されていない。本研究では、種々の表面構造について、その電気伝導や光を照射したときの光電気伝導を新たに測定し、UPSとXPS(紫外光とX線光電子分光)により電子状態の測定も行い、表面電気伝導の機構の解明を目標とした

1、Si(111)上の金属吸着構造の表面電気伝導と電子状態に関する研究

 半導体を高温に加熱すると、不純物の濃度が変わったり、格子欠陥などの結晶性が変化するため、表面電気伝導に影響を与えるので、表面超構造の違いに対応させて電気伝導を正確に測るのは非常に困難であった。そこで本研究では、清浄なSi(111)-7x7表面を半分カバーして、残りの半分の所にAgまたはAuを蒸着し、加熱することにより一つのSi(111)下地上に二つの超構造表面(7x7と-Agまたは7x7と5x2-Au)を同時に作った(図1)。六端子法(A、B、C、D、E、Fの端子があり、AFに電流を流し、BC間とDE間の電圧を測定する)により、これらの二つの表面構造について、表面に平行な方向の表面電気伝導を同時に測定した。この二つの構造の下地の熱処理の過程が同じであるため、測定した電気伝導の差は表面構造の違いだけによると考えられる。測定した結果は7x7と-Ag及び7x7と5x2-Auの表面電気伝導の差はそれぞれ11.5x10-5と5.0x10-5(A/V)であった。これらの値はバンド湾曲の効果で説明された。また、これらの表面のUPSとXPSの測定を行ない、7x7構造の表面の電子状態は金属的であり、-Agと5x2-Auの表面は半導体的であることを明らかにした。金属吸着による表面構造が形成される場合、バルクのSiの価電子帯からのUPSのピークは小さい結合エネルギー側にシフトした。7x7と-Ag及び7x7と5x2-Auでは、これらの値はそれぞれ0.65eVと0.50eVであった。

図1 RHEEDと六端子抵抗測定法を用いる実験装置図

 表面に平行方向の表面電気伝導は、(1)蒸着した金属層を流れるもの、(2)表面準位の形成に関係するもの及び(3)表面空間電荷層に影響されたものの三つが考えられる。-Ag表面構造の場合、Ag原子はSi原子と共有結合をしており、金属的ではないので表面電気伝導は(1)ではない。また、測定結果の金属的な表面の7x7の電気伝導が半導体的な表面の-Agと5x2-Auより小さいことから、(2)の表面準位を介在するものでもない。よって、今回測定した表面電気伝導は(3)の表面空間電荷層を介在したものであると考えられる。そこで、表面のフェルミ準位の位置と表面電気伝導の大きさの関係を計算し(図2)、測定した表面電気伝導の値と比較した。その結果、7x7と-Ag及び7x7と5x2-Auの表面電気伝導の差はそれぞれ11.5x10-5と5.0x10-5(A/V)であることが説明された。この計算結果を利用して、-Agと5x2-Auの表面フェルミ準位はそれぞれ価電子帯上の0.04eVと0.10eVの位置に存在することを決定した。また、UPSとXPS測定において、バルクのSiのピークのシフトの大きさがバンド湾曲の変化の大きさに対応するので、7x7表面のフェルミ準位が価電子帯上の0.69eVの位置に存在することを決めた。

図2 表面フェルミ準位と表面電気伝導の関係を示す計算結果
2Si(111)表面に於ける金属のエピタクシャル成長過程の表面電気伝導

 Si(111)-7x7表面にAg及びAuを蒸着し-Ag及び5x2-Auの表面構造を作り、これらの表面上に更にAgとAuを蒸着する過程における表面電気伝導の変化を測定した。その結果、表面電気伝導の変化は下地の表面構造によって全く違うことが分かった(図3)。いずれの表面構造上においても厚い薄膜が形成されれば抵抗は下がった。しかしながら、蒸着の初めの所では抵抗の変化は様々であった。図3のように、Ag/7x7では3原子層以下のAgの蒸着で抵抗は殆ど変化しなかったが、3原子層以上では抵抗は急激に下がり始めた。約3層以下では膜が不完全な層状成長であるために電気的にはつながっていないが、3層以上になるとパーコレーションの状態を経て連続的になったためと考えられる。しかし、-Agと5x2-Auの下地表面構造の場合では、AgとAuの蒸着の始めのところに抵抗の変化は複雑であり、単純な金属の薄膜で説明できない。Ag/-Agでは0.15層以下のAgの蒸着で抵抗は急激に下り、0.15層以上では徐々に下がった。Au/-Agでは0.1層以下のAuの蒸着で抵抗はまず急に下がったが、0.1〜0.5層の蒸着量でまた上がった。0.5層以上では抵抗は再び下がった。Au/5x2-Auでは0.2原子層以下のAuの蒸着で抵抗は急激に上昇し、また0.2層の蒸着量から下がり始めた。

 この様なエピタクシャル成長過程における表面電子状態の変化を調べるために、AgとAu蒸着の途中におけるUPSとXPSの測定を行った。その結果を用いると、表面電気伝導の変化のメカニズムに関して次のように考えられた。Au/5x2-Auの場合では、表面電子状態は半導体的であるため、Auの蒸着によって大きく影響される。実際、UPSの測定ではバルクのSiの価電子帯からのピークは0.2原子層のAuの蒸着によって0.2eVほどシフトした。それで、バンド湾曲の変化が下向きに起こり、このため空間電荷層でのホールの密度が減り、抵抗が上がったと考えられる。また、Au/-Agにおいては、0.15層以下の厚さのAuの蒸着で、の超構造が新たに現れ、抵抗は下がった。このの形成による電気伝導の具体的なメカニズムがまだ不明である。

 そのほか、これらの表面電気伝導の変化のAgとAuの蒸着速度の依存性も測定した。その結果、Au/7x7、Au/-Ag及びAg、Au/5x2-Auでは抵抗の変化は金属の蒸着速度に依存せず、Ag/7x7では少し依存し、Ag/-Agでは大きく依存した。Ag/-Agの場合では、蒸着速度の増加にしたがって蒸着開始直後での抵抗の下がりの量は増えたが、0.3〜0.6ML/minの速度で最大になってまた速度の増大に従って減った。RHEEDの観察結果をも考慮すると、この抵抗の蒸着速度の依存特性は蒸着したAgの表面上での拡散、核形成及びその成長過程に対応させて説明できる。Au/7x7、Au/-Ag及びAu/5x2-Auは層状成長で、Ag/-Agは3次元的な微粒子成長で、またAg/7x7とAg/5x2-Auは層状成長と微粒子成長成長の中間であった。

3、Si(111)表面の金属吸着構造と光電気伝導

 Si(111)-7x7と-Ag及び5x2-Au構造の形成された表面に0.7〜3.5eVのエネルギーの光を照射し、それによる表面電気伝導の変化(光電気伝導)をロックインアンプを用いて測定した。その結果、Siのバンドギャップより大きいエネルギーの光では大きな光電気伝導が現れた。そしてこの光電気伝導は表面構造によって大きく異なることを発見した(図4)。7x7では照射する光のエネルギーが1.06eV以上になると抵抗が下がったが、-Agでは逆に上がった。また5x2-Auの場合では1.18eVの所に一つのピークが現れた。

図表図3 AgとAuのエピタクシャル成長過程におけるSi(111)表面の電気伝導の変化 / 図4 Si(111)上の表面構造の光電気伝導

 この光電気伝導のメカニズムに関して次のように考えられる。電子状態をみると、7x7は金属的、-Agは半導体的であり、このことを考慮すると、光電気伝導の振舞がほぼ理解できる。しかし、5x2-Auは半導体的であるが、バンド湾曲の効果だけでは説明が困難である。

審査要旨

 本論文は、シリコン表面近傍の原子レベルの構造とその電気伝導度との関連を実験的に明らかにした研究である。反射高速電子回折による原子配列構造の解析と、光電子分光法による電子状態の分析、および4端子法または「6端子法」による電気伝導の測定を超高真空中で同時に行ない、それぞれの実験手法から得られる情報を結び付けて新しい現象をいくつか見いだし、その解釈を与えた。

 本論文は五つの章から構成され、第1章では本研究の背景と目的が述べられ、第2章ではシリコン表面上に形成される各種表面超構造の表面電気伝導度について、第3章では表面上の金属原子層のエピタキシャル成長過程での表面電気伝導度の変化について、第4章では表面超構造による光伝導度の違いについての実験的研究について述べられており、最後に第5章で本論文で明らかにされた結果をまとめている。

 最近の表面物理の分野での研究の進展は目ざましく、表面近傍での特殊な原子配列構造や個々の原子の結合状態などの電子構造が明らかにされつつあるが、そのような原子レベルの構造と電気的特性(表面電気伝導度やショットキー障壁高など)との関連を探った研究はまだ数少ない。本論文は、そのような独特な観点からの研究であり、以下の三つのテーマで研究を行った。

1.Si(111)表面の超構造の表面電気伝導と電子状態に関する研究

 同一のシリコン・ウエハ表面上に7×7清浄表面領域と√3×√3-Agまたは5×2-Au金属吸着超構造表面領域を作成し、その電気伝導度を「6端子法」によって同時に測定してバルクの電気伝導の寄与を差し引いた。その結果、√3×√3-Agと5×2-Au表面の表面電気伝導度は、7×7表面に比べてそれぞれ1.15×10-4と5.0×10-5A/Vだけ大きいことがわかった。これらの値は、光電子分光法によって測定された表面バンド湾曲によるキャリア濃度の違いによってほぼ説明された。また、紫外線光電子分光法によって7×7清浄表面は金属的な表面電子状態を持ち、金属吸着表面は半導体的な表面電子状態であることを確認した。これらの結果により、金属吸着表面の電気伝導度が清浄表面より高いのは、主に表面空間電荷層の違いに起因するもので、表面電子状態が作る2次元的なバンドを介した電気伝導の効果は見えていないと結論できた。

2.Si(111)表面上での金属原子層のエピタキシャル成長過程における表面電気伝導

 三種類の基板表面(7×7清浄表面、√3×√3-Ag表面、5×2-Au表面)を準備し、それぞれの上にAgまたはAuを室温で蒸着し続けた過程での原子配列構造と電子状態と表面電気伝導の変化を観測した。その結果、蒸着金属原子層が1原子より少ない段階では、電気伝導度の変化は基板表面構造に依存して様々に変化し、それらは、表面バンド湾曲の変化や新しい超構造の形成等に関連づけて説明できた。また、金属の蒸着速度を変化させると電気伝導の変化の様子も変わり、それらの現象は蒸着原子の表面拡散や核形成とその成長様式に対応させて解釈できた。

3.Si(111)表面表面超構造と光電気伝導

 三種類の表面(7×7清浄表面、√3×√3-Ag表面、5×2-Au表面)に0.7〜3.5eVのエネルギーの単色光を照射し、それによる表面電気伝導度の変化(光電気伝導)を測定した結果、著しい表面超構造依存性を見いだした。7×7表面ではSiのバンドギャップエネルギーより高いエネルギーの光を照射すると電気伝導度が上がったが、√3×√3-Ag表面では逆に下がり、5×2-Au表面ではバンドギャップエネルギー付近で伝導度が極小になった。これらの現象は、金属的な表面電子状態によるフェルミ準位のピン止め効果や誘起された電子・ホールペアのバンド湾曲の平坦化作用、及び蒸着金属の内部拡散によって形成された不純物準位を介したキャリアの再結合効果などによって定性的に解釈できた。

 以上のように、著者はシリコン表面上に形成される各種の表面超構造の電気特性を様々な角度から実験的に研究していくつかの新しい現象とその解釈を与えた。よって、その独創性が認められたため、博士(理学)の学位論文として十分の内容をもつものと認定し、審査員全員で合格と判定した。なお、本論文は、井野正三氏との共同研究であるが、論文提出煮が主体となって実験および解析を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

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