本論文で取り扱う機能設計されたセメント系複合材料(ECC)とは、ランダムな短繊維で補強されたセメント系複合材料であり、局所化したひびわれが形成され軟化挙動を示す前に複数のひびわれが分散して発生し硬化挙動を示すように設計された材料である。巨視クラック先端においては非常に大きなフラクチャープロセスゾーンが形成され、破壊に対する抵抗力を表す破壊エネルギーは極めて大きな値をとる。大きな靭性を有するこの材料はエネルギー吸収能にすぐれ、例えば部材の結合部に用いて構造物の耐震性能を確保して、地震により損傷を受けた後は材料を撤去して新たにこの材料を注入することにより補修するといった、新たな可能性が期待される。新しい耐震設計概念としてヒューズ的な要素の導入が考えられるが、このECCはその構成材料として有力である。 本論文の目的はECCの破壊挙動に対する解析モデルを提案し、ECCを用いた構造部材の力学挙動を再現・予測しうる解析手法を構築することにある。そのような解析手法を用いることにより、ECCを構造部材に用いたときの特性を解析により評価できるようになるものと考えられる。論文の前半ではECCに対する解析モデルの提案を行い、後半では梁の曲げ試験、二重片持ち梁試験体の破壊試験、および梁のせん断試験の解析結果を示し、実験結果との比較を行った。 ひびわれが局所化する以前の硬化領域においては、分布した複数のひびわれが発生する。この複数ひびわれ状態においてひびわれの密度は高く、個々のひびわれの開口量は小さい。そこで、複数ひびわれ状態にある材料は、ひびわれの開口量と密度を反映した付加的なひずみを有する連続体とモデル化し、その構成式を弾塑性理論を適用して導いた。降伏関数とひずみ硬化則は、ひびわれが最大引張応力に直交する方向に発生すること、複数ひびわれにより生ずるひずみが異方的であることを表せるように定めた。この状態にある材料のひびわれに関する特性は、初期ひびわれ発生応力とピーク前の応力-ひびわれひずみ曲線の傾きという、2つのパラメータで表され、どちらも一軸引張試験から決定することができる。 複数ひびわれにおいて伝達される応力がある限界値に達すると、ひびわれの挙動は軟化挙動に変化し、ひびわれの開口は一本のひびわれに局所化する。この軟化領域におけるひびわれの挙動を離散的な変位場の不連続面とモデル化する。繊維によるブリッジングの効果はひびわれ表面に作用する直応力によって表される。この応力はひびわれの開口変位量との間に引張軟化関係を満足するものとする。この状態においてひびわれの特性は、最大応力またはピークにおける限界ひびわれひずみと引張軟化曲線によって表される。これらのパラメータも一軸引張試験から決定することができる。上記のモデル化により問題は増分境界値問題として規定され、有限要素法によって解析される。硬化領域における材料挙動は構成式として有限要素法に組み込まれ、軟化領域にある離散ひびわれに対しては不連続面を有する有限要素を用いることにより対応する。Euler法に基づくアルゴリズムにより増分解を積分し荷重増加に伴う応答を求める。 解析例として、ECCを用いた梁の4点曲げ試験、二重片持ち梁による破壊試験、梁のせん断試験を取り上げた。どれも他の研究者による実験結果が存在しており、ECCの破壊挙動を特徴的に示している。全てのケースにおいて、解析結果は実験結果と定性的には一致しており、ECCの破壊現象の特徴をよく捉えている。ただし、二重片持ち梁による破壊試験と梁のせん断試験においては傾向は一致するものの数値的には若干の不一致がみられた。その原因としては実験データの不足により用いている人力パラメータの値が不適当であること、実験で用いた材料の不均一性、ひびわれと平行方向の応力の影響等が考えられる。 梁の4点曲げ試験の解析においてはひびわれの局所化の再現に対する初期不整の影響を論じた。適当な初期不整を与えて解析を行えば、初期には分布した複数ひびわれが発生し、ある時点からひびわれが一本に局所化する挙動が再現されることを示した。一方、初期不整を与えない場合には、ひびわれの局所化は起こらず、ピークにおける荷重と変位は過大評価されてしまう(図1参照)。本来初期不整を与えなくてもひびわれの局所化を再現できなくてはならず、局所化現象の解析を行うためには本質的な問題点が存在する。 図1 4点曲げ試験における曲げ応力-たわみ曲線 二重片持ち梁による破壊試験の解析においては繊維の混入体積比率、試験体寸法、材料パラメータの全体挙動、破壊エネルギーに対する影響に着目した。解析により、破壊エネルギーの大部分は主ひびわれの周辺に形成される複数ひびわれによって費やされることが確認された。実験結果と一致して繊維の混入率と試験体寸法を増加させると破壊エネルギーが初期には増加するが、やがて頭打ちとなることが示された(図2、3参照)。 図2 破壊エネルギーに対する繊維混入体積比率の影響図3 破壊エネルギーに対する試験体寸法の影響 梁のせん断試験においては、ECCを用いた構造部材の構造特性を調べた。梁は主鉄筋のみ有し、せん断補強筋は無いものである。載荷初期においては梁中心部における複数ひびわれが全体の挙動を支配するが、ひびわれによりその部分の引張剛性が低下することにより鉄筋に作用する荷重が増加し、鉄筋の周辺のひびわれが多くなる。そのひびわれの中心は梁の中心、鉄筋の定着端に移動し、最後に鉄筋端部から発生する局所化した破壊により崩壊する(図4、5参照)。これらの解析結果は実験事実と一致している。 図4 載荷初期段階におけるせん断梁の主ひびわれひずみの分布図5 ピーク荷重直前のせん断梁における軟化ひびわれの分布 このように本研究で提案する解析手法により、ECCの破壊挙動を再現・予測することが可能となった。実験結果との比較において定性的には一致を示しているものの、定量的には若干の不一致もみられ、解析結果と実験結果をさらに比較することにより、その原因を明らかにすることが必要である。 本研究では、靭性の高い新材料の開発と材料設計を支援する解析手法の開発を行った。新材料により耐震性を考慮した新しい構造形式が可能となる他、地震被害を受けた構造部材の補修にも有用であると考えられ、その工学的意義は大きい。阪神・淡路大震災により構造物の耐震性向上にかかわる研究には社会的要請が高まっているが、開発した解析手法を用いることにより、新材料を用いた構造部材の耐震性能を評価することが今後の課題である。 |