学位論文要旨



No 111518
著者(漢字) バンドゥルコ,ヴァシリ
著者(英字) Bandourko Vassili
著者(カナ) バンドゥルコ,ヴァシリ
標題(和) イオン-材料相互作用における表面過程の速度論的パラメータ
標題(洋) The Kinetic Parameters of Surface Processes during Ion-Material Interaction
報告番号 111518
報告番号 甲11518
学位授与日 1995.09.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第3522号
研究科 工学系研究科
専攻 システム量子工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山脇,道夫
 東京大学 教授 井上,信幸
 東京大学 教授 田中,知
 東京大学 助教授 小川,雄一
 東京大学 助教授 山口,憲司
 東京大学 講師 伴野,達也
内容要旨

 核融合装置の開発に際して、水素と金属材料の相互作用は、水素吸収による材料の脆化、燃料リサイクリングや透過、さらには、トリチウムの蓄積等の問題と緊密に関係している。近年当分野に関する研究はかなりの進展をみたが、対象とする現象が多岐にわたっており、しかもこれらが複合的に関与するため、単一の実験では十分な理解に到達するのは到底不可能であると考えられる。本研究では、イオンビームを用いた実験によって、イオン-材料表面相互作用における2つの重要な動的過程に関する検討を行った。1つは入射イオンの金属表面での反射及びバルク中の蓄積である。本研究では、従来データが少ないとされる100eV近傍の低入射エネルギー領域におけるデータの取得に成功した。もう1つは水素再結合過程に関する問題である。特に再結合に対しては、表面不純物の影響が現象を複雑にする要因となっており、本研究では、表面分析を併用しつつ実験を行い、既成の現象論的モデルとも参照して、この点に関しさらに踏み込んだ解釈を試みた。

 第1章は、上述のように、現状を概観した上で本研究の意義や目的を明らかにしている。第2章では、既成の水素再結合モデルを重点的に取り上げ、それぞれの特徴を明らかにしようと試みている。現在頻繁に用いられるモデルは複雑な現象のごく一面しか取り扱っておらず、簡便ではあるが、より多様な局面にも適用可能なモデルへと発展させるためには、表面におけるミクロな原子過程に関するさらに深い理解を必要とする。これらは結局は実験によってはじめて確証が得られることになる。こうした試みの一環として本研究が位置付けられる。

 本研究で使用した実験装置ならびに実験方法については第3章で述べている。特に本研究では、より高度な実験を行うべく、既存の装置の大幅な改良を敢行した。実験装置は、図1に示すように、イオン照射部ならびに「その場」表面分析部を備えた超高真空装置である。イオン照射部は、数段の差動排気系により構成されており、ビーム照射のため作動ガスが供給されている間でも、真空容器内の全圧上昇はほとんどない。また、イオンビームの軌道は途中磁場によって曲げられる。したがって、その強度を調節することによって、所望のイオン種を引き出すことができる。一方、真空容器は、被測定試料によって2つの部分(本研究では上部を上流側、下部を下流側と称す)に分けられており、各々独立に排気されているため、四重極質量分析計による水素同位体の再放出と透過の同時測定が可能になっている。さらに、本装置は、オージェ電子分光あるいは2次イオン質量分析による試料上流側表面の「その場」観察が可能である。図は後者の場合の体系を示している。

 第4章以降で実験結果ならびにそれらに対する考察を展開している。第4章では、銅(Cu)に対するイオン注入による重水素透過実験を行っている。オージェ電子分光によって観察されたCu表面の各温度での不純物組成を図2に示す。図より、低温域でリン(P)が支配的であるが、高温域ではイオウ(S)にとって代わられることがわかる。しかも、これらの不純物元素はアルゴンイオンなどによるスパッタ洗浄により容易に除去できるため、試料の加熱処理と組み合わせて、一方の元素を所望の濃度に制御することが可能である。こうして表面元素組成が制御された条件下でイオン注入による重水素透過実験を行った。そして、実験で得られた透過速度を用いて上流側表面の再結合係数(K1)を評価し、表面元素組成との相関を調べた。その結果が図3に示されている。図では、Sの存在によって、その表面濃度(Cs)の増加とともに、K1が2桁近くも減少することが示されている。さらに、本研究によって得られた再結合係数の値は、表面上に存在する原子同士の会合を支配的な水素の再結合機構とするモデルと良く合うものであった。そこで用いられている活性化エネルギー(Ec)を実験結果を用いて推定すると、そのCsに対する関係は図に示されているようになった。Ecは、物理的には、化学吸着に対する活性化エネルギーに相当するため、イオウが水素の吸・脱着を阻害することが示唆された。

図表図1:実験装置の概略 / 図2:銅(Cu)におけるイオウ(S)及びリン(P)の表面濃度の温度依存性

 第5章ではニオブ(Nb)に対してイオンならびに分子駆動による重水素透過実験を取り扱っている。Nbでは水素透過速度の入射フラックスに対する割合()が、条件によって0.1〜1にも達することが報告されており、これを「超透過」と称することがある。本研究で得られた結果によると、は873〜1173Kの範囲では温度によらずほぼ0.2〜0.3となることがわかった。Nbについては、イオンならびに分子駆動透過実験を行うことにより、上流側のみならず下流側の再結合係数(K2)も求めることができた。これを図4に温度の関数として示した(直線は上記再結合モデルによる計算値)。さらに、昇温脱離法(図5参照)により試料中に保持された重水素濃度を見積もることによっても再結合係数を評価することができ、それによる結果も同じ図中に示した。図によれば、低温域を除けば、評価方法の如何を問わずほぼ同等の値を示しており、また、入射エネルギーによる結果への影響も小さいことがわかった。こうした事実は、本研究によって得られたNbの再結合係数の値がかなり信頼性の高いものであることを示していると言えよう。

図表図3:Cuにおける水素再結合係数(K1)ならびに化学吸着に対する活性化エネルギー(Ec)の表面イオウ濃度(Cs)に対する依存性 / 図4:Nbの再結合係数の温度依存性

 第6章では、同じNb試料を用いて、反射を含む再放出ならびに透過の同時測定を試みている。図5は、種々の入射エネルギーによって325Kにて注入された重水素イオンの保持量()を昇温脱離法によって求め、これを入射フルエンス(0)の関数として示したものである。図において、1-/00→0の極限値が粒子反射係数RNに相当する。そこで、このRNを入射エネルギー(E0)の関数として図6に示したが、E0の減少とともにRNが増加することが明らかになった。さらに、図中には、2体衝突に基づくモンテカルロ法による計算結果も示されている。本研究では、不純物の存在しない清浄なNb表面と、酸素との化合によってNbOとなった表面の2つの場合を想定してシミュレーションを行った。実験結果は、試料表面に酸素あるいは炭素といった不純物が存在することが表面分析によって示唆されていたにもかかわらず、清浄表面の結果と良く符合していた。さらに、重水素イオンを注入された状態にあるNbの下流側表面をアルゴンイオンで照射すると、重水素透過速度が増加することがわかった。これは、アルゴンイオン照射によってK2が増加したためと考えられる。しかし、オージェ電子分光あるいは2次イオン質量分析によっても、照射に伴う表面元素組成にはほとんど変化が認められなかった。このことは、表面不純物以外にも再結合に作用する機構があることを示唆しており、これを解明することが今後取り組むべき重要課題の1つであると考えられた。

図表図5:Nbにおける重水素保持量()の入射フルエンス(0)依存性(325K) / 図6:Nbの粒子反射係数(RN)の入射エネルギー(E0)依存性;実験結果と計算結果の比較

 最後に第7章にて本研究を総括するとともに、今後当該分野の研究の進むべき方向を指摘した。

審査要旨

 核融合装置の開発に際して、水素と金属材料の相互作用は、水素吸収による材料の脆化、燃料リサイクリングや透過、さらには、トリチウムの蓄積等の問題と緊密に関係している。近年当分野に関する研究はかなりの進展をみたが、対象とする現象が多岐にわたっており、しかもこれらが複合的に関与するため、単一の実験では十分な理解に到達するのは到底不可能であると考えられる。本論文は、イオンビームを用いた実験によって、イオン―材料表面相互作用における2つの重要な動的過程―反射ならびに再結合―に関する検討を単一の実験体系のもとで行ったもので、全体は7章より構成されている。

 第1章は、上述の現状を概観した上で本研究の意義や目的を述べている。ここでは単に既往の知見を羅列するのではなく、筆者自らの手によって、膨大なデータが要領良く整理され、あるいは再評価されており、これによって問題点が明らかになるようになっている。

 第2章では、既成の水素再結合モデルを重点的に取り上げ、それぞれの特徴を明らかにしようと試みられている。ここでも単なる網羅的な記述にとどまらず、モデルで用いられている各パラメータに対する依存性を詳しく検討している。

 本研究で使用した実験装置ならびに実験方法についてが第3章で述べられている。ここで筆者は、既設の装置を研究の目的に沿うべくほぼ独力で改良を敢行している。筆者が開発した装置体系は、質量分離されたイオンビームを超高真空に排気された容器内に導入することによって、装置上流側の反射・再放出、下流側の透過の各フラックスを同時に測定することが可能である。しかも入射エネルギーが可変で、100eVまで十分な強度のフラックスが得られたとしている。

 第4章では、銅(Cu)に対するイオン注入による重水素透過実験の成果を述べている。オージェ電子分光法によって観察されたCu表面は、低温域でリン(P)が支配的であるが、高温域ではイオウ(S)にとって替わられており、しかも、これらの不純物元素はアルゴンイオンなどによるスパッタ洗浄により容易に除去できるため、試料の加熱処理と組み合わせて、一方の元素を所望の濃度に制御することが可能である。こうして表面元素組成が制御された条件下でイオン注入による重水素透過実験が行われ、さらに実験結果より表面元素組成の関数として再結合係数が評価された。本論文によれば、表面元素組成の違いにより再結合係数が2桁も変化することが定量的に示され、報告されている実験データ間の相違が表面元素組成の違いによることが明らかになったとしている。

 第5章では、まず、ニオブ(Nb)に対するイオンならびに分子駆動による重水素透過実験の成果を述べている。Nbでは水素透過速度の入射フラックスに対する割合が、条件によって0.1〜1にも達することが報告されており、これを「超透過」と称することがあり、本論文でも、0.2〜0.3程度の値が得られたとしている。また、透過実験の結果より水素再結合係数が評価され、これは別途昇温脱離法を併用して求めた結果と良く一致していた。

 一方、重水素イオンを注入された状態にあるNbの下流側表面をアルゴンイオンで照射すると、重水素透過速度が増加することがわかった。これは、アルゴンイオン照射によって下流側表面の再結合係数が増加したためと考えられる。しかし、オージェ電子分光法あるいは2次イオン質量分析法によっても、照射に伴う表面元素組成にはほとんど変化が認められなかった。表面不純物以外にも再結合に作用する機構があることを筆者は指摘している。

 第6章では、同じNb試料を用いて、反射を含む再放出ならびに透過の同時測定が試みられている。本論文では、従来データが少ないとされる100eV近傍の低入射エネルギー領域におけるデータの取得に成功したとしている。また、2体衝突近似による計算機シミュレーションによる結果との整合性も良いことが確認された。

 第7章は結論で、以上の各章で述べられた成果を要約している。

 以上を要約すれば、本研究では、イオン―固体表面相互作用の分野における既往の成果を踏まえ、装置の改良によって新しい実験手法を取り入れることに成功しており、いくつかの新しい知見が提示されている。得られた知見は十分に新鮮で、単に基礎学問的見地から貴重であるばかりでなく、イオンビーム応用という実用的な面からも有用なもので、システム量子工学、中でも核融合炉工学、イオンビーム工学の発展に寄与するところが少なくない。

 よって本論文は博士(工学)の学位論文として合格と認められる。

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