核融合装置の開発に際して、水素と金属材料の相互作用は、水素吸収による材料の脆化、燃料リサイクリングや透過、さらには、トリチウムの蓄積等の問題と緊密に関係している。近年当分野に関する研究はかなりの進展をみたが、対象とする現象が多岐にわたっており、しかもこれらが複合的に関与するため、単一の実験では十分な理解に到達するのは到底不可能であると考えられる。本論文は、イオンビームを用いた実験によって、イオン―材料表面相互作用における2つの重要な動的過程―反射ならびに再結合―に関する検討を単一の実験体系のもとで行ったもので、全体は7章より構成されている。 第1章は、上述の現状を概観した上で本研究の意義や目的を述べている。ここでは単に既往の知見を羅列するのではなく、筆者自らの手によって、膨大なデータが要領良く整理され、あるいは再評価されており、これによって問題点が明らかになるようになっている。 第2章では、既成の水素再結合モデルを重点的に取り上げ、それぞれの特徴を明らかにしようと試みられている。ここでも単なる網羅的な記述にとどまらず、モデルで用いられている各パラメータに対する依存性を詳しく検討している。 本研究で使用した実験装置ならびに実験方法についてが第3章で述べられている。ここで筆者は、既設の装置を研究の目的に沿うべくほぼ独力で改良を敢行している。筆者が開発した装置体系は、質量分離されたイオンビームを超高真空に排気された容器内に導入することによって、装置上流側の反射・再放出、下流側の透過の各フラックスを同時に測定することが可能である。しかも入射エネルギーが可変で、100eVまで十分な強度のフラックスが得られたとしている。 第4章では、銅(Cu)に対するイオン注入による重水素透過実験の成果を述べている。オージェ電子分光法によって観察されたCu表面は、低温域でリン(P)が支配的であるが、高温域ではイオウ(S)にとって替わられており、しかも、これらの不純物元素はアルゴンイオンなどによるスパッタ洗浄により容易に除去できるため、試料の加熱処理と組み合わせて、一方の元素を所望の濃度に制御することが可能である。こうして表面元素組成が制御された条件下でイオン注入による重水素透過実験が行われ、さらに実験結果より表面元素組成の関数として再結合係数が評価された。本論文によれば、表面元素組成の違いにより再結合係数が2桁も変化することが定量的に示され、報告されている実験データ間の相違が表面元素組成の違いによることが明らかになったとしている。 第5章では、まず、ニオブ(Nb)に対するイオンならびに分子駆動による重水素透過実験の成果を述べている。Nbでは水素透過速度の入射フラックスに対する割合が、条件によって0.1〜1にも達することが報告されており、これを「超透過」と称することがあり、本論文でも、0.2〜0.3程度の値が得られたとしている。また、透過実験の結果より水素再結合係数が評価され、これは別途昇温脱離法を併用して求めた結果と良く一致していた。 一方、重水素イオンを注入された状態にあるNbの下流側表面をアルゴンイオンで照射すると、重水素透過速度が増加することがわかった。これは、アルゴンイオン照射によって下流側表面の再結合係数が増加したためと考えられる。しかし、オージェ電子分光法あるいは2次イオン質量分析法によっても、照射に伴う表面元素組成にはほとんど変化が認められなかった。表面不純物以外にも再結合に作用する機構があることを筆者は指摘している。 第6章では、同じNb試料を用いて、反射を含む再放出ならびに透過の同時測定が試みられている。本論文では、従来データが少ないとされる100eV近傍の低入射エネルギー領域におけるデータの取得に成功したとしている。また、2体衝突近似による計算機シミュレーションによる結果との整合性も良いことが確認された。 第7章は結論で、以上の各章で述べられた成果を要約している。 以上を要約すれば、本研究では、イオン―固体表面相互作用の分野における既往の成果を踏まえ、装置の改良によって新しい実験手法を取り入れることに成功しており、いくつかの新しい知見が提示されている。得られた知見は十分に新鮮で、単に基礎学問的見地から貴重であるばかりでなく、イオンビーム応用という実用的な面からも有用なもので、システム量子工学、中でも核融合炉工学、イオンビーム工学の発展に寄与するところが少なくない。 よって本論文は博士(工学)の学位論文として合格と認められる。 |