学位論文要旨



No 111520
著者(漢字) 味戸,克裕
著者(英字)
著者(カナ) アジト,カツヒロ
標題(和) 顕微ラマン分光法を用いた半導体材料の界面現象に関する研究
標題(洋) Surface Phenomena of Semiconductor Materials:An Investigation using Raman Microscopy
報告番号 111520
報告番号 甲11520
学位授与日 1995.09.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第3524号
研究科 工学系研究科
専攻 応用化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 藤嶋,昭
 東京大学 教授 御園生,誠
 東京大学 教授 北沢,宏一
 東京大学 教授 渡辺,正
 東京大学 助教授 橋本,和仁
内容要旨 1.緒言

 半導体材料や金属表面酸化層の表面や界面における特異的または選択的反応の解析は,触媒の機能,腐食・防食,化学センサー,電池といった分野で重要な課題である.このような系において赤外分光・ラマン分光などの振動分光法は物質の組成・構造・状態を非破壊・非接触・in-situで容易に調べることが出来るという点で非常に有用であることが知られている.特にラマン分光法は水溶液系での測定が容易,波数分解能が高い,空間分解能が高いといった点で優れている.しかし,現実にはその検出感度の低さから半導体界面への適用は限られていた.

 最近,高スループットの分光器や高感度CCD検出器の開発によってラマン信号に対する検出感度は飛躍的に向上した.そこで本研究では新しい高感度の顕微ラマン分光システムを構築し,半導体/液体や半導体/固体といった界面での反応を半導体の表面組成・構造・状態の点から解析することを目的とした.特に,2次元高空間分解能のラマンイメージ分光装置を開発し,半導体界面局所構造についての検討行い,さらに光電流イメージ分光装置を組み合わせ薄膜光電極の電荷分離効率と構造についての考察を行った.

2.実験

 図1は本研究に用いた分光装置の概略図である.通常の顕微ラマン分光測定の他に,ラマンイメージ測定および光電流イメージ測定が可能となっている.ラマン分光に用いた光源は励起光 632.8 nmのHeNe(または514.5nmのAr+)レーザーで.対物レンズにより直径2mに集光した.分光装置は高スループットのホログラフィックフィルター,シングル分光器(またはバンドパスフィルター)および高感度のCCD検出器を組合せたRAMASCOPE(Renishaw)を用い,最小移動ピッチ0.1mの電動XYZステージによってイメージ測定を行った.一方,光電流イメージ測定は351.1,363.8nmのAr+レーザーを励起光とし,オプティカルチョッパーを通してラマン分光と同じ対物レンズで集光し,ポテンシオスタットおよびロックインアンプを用いて光電流の測定を行った.

図1.ラマンイメージおよび光電流イメージ分光装置の概略図
3.結果と考察3.1顕微ラマン分光法によるMoO3薄膜のフォトクロミック特性に関する構造評価1)

 MoO3,WO3などの遷移金属酸化物薄膜のフォトクロミズムおよびエレクトロクロミズム特性は表示デバイスへの応用が期待されている.この反応ではプロトンと電子のダブルインジェクションよってプロンズが形成され,Mo6+からMo5+への電子遷移によって着色し,また電気化学的に電位を印加することによ可逆的に消色することが報告されている.しかし,着色/消色過程における構造の変化はその反応機構解明に重要でありながらいまだ解明されていない.この理由は膜が非結晶であることと界面反応であるために検出が難しいこと、さらに、着色膜では非常に弱いレーザー(約0.5mW/m2以下)でなければ結晶化が起きてしまうためである.そこで,本ラマン分光システムでの観察を試みた.

 試料はMoO3粉末を用い真空蒸着法によりITO上に約1mの厚さに非結晶膜を成膜した.紫外光源には500Wの超高圧水銀灯を用いた.電解質は0.1M LiClO4/炭酸プロピレン,対極,参照極にはそれぞれPt,Ag/AgClを用いた.図2はaからcが着色過程,cからdが消色過程に対応したラマンスペクトルである.これらのスペクトルはa’からd’の波形分離処理後を示している.着色過程ではMo=Oの結合は弱くなり逆にMo=Oの結合が強くなっていることが観測された.これは報告されている層状のブロンズ結晶におけるX線回折データーとよく一致した.よって,非結晶でありながら局所的には結晶の場合と近い可逆的な構造変化が起きていることが考察された.

図2.MoO3薄膜のフォトクロミックによる着色および電気化学的消色によるラマンスペクトルの変化
3.2ラマンイメージ分光法によるMoO3薄膜のマイクロスケール結晶化の観測2)

 レーザーアニールのよる非結晶薄膜の結晶化はpoly-SiのTFT構造を作る技術として注目されているが,結晶および非結晶の識別はラマン分光法によって容易に行うことができる.エレクトロクロミック着色した非結晶のMoO3薄膜はその吸収によりレーザーによる結晶化が容易に起こる.しかし、非常に微弱な出力のレーザーを用いれば結晶化はの影響なくラマン測定を行うことができる.この差を利用してラマンイメージによる結晶化の評価を試みた.まず、薄膜の表面にラマンの測定用のAr+レーザーを用いて2m/sの速度で5本の線を描いた後,結晶ピークについてのラマンイメージ測定を行った.図3の結晶のラマンイメージではその明るさが結晶の量を示しているが、明瞭に結晶化のラインが検出できた。イメージより結晶ラインは約4mで励起レーザースポット直径の約2倍であった.これは,光の散乱び熱の拡散によるものと考られる.

図3.レーザーアニールによるMoO3薄膜の結晶化イメージ
3.3顕微ラマン分光法を用いたSi/SiO2界面の2次元応力マッピング3)

 微小部の高い応力はSi基板に欠陥を発生させ,次のプロセスに影響を及ぼす.さらに,電気特性やMOS集積回路の劣化を招く場合もある.顕微ラマン分光法はこの応力をミクロンオーダー測定することができるためSi/SiO2界面などにおける微小領域の応力検出に用いられている.さらに,回路の場合では2次元応力測定が求められている.そこで,本研究ではSiO2膜下でのSi基板について2次元応力マッピングを試みた.

 試料はSi(001)にSiO2を熱酸化法により成長させ,その上にAl電極を蒸着した回路を用いた. 514.5nmのAr+レーザーで励起光し,加熱によるスペクトル変化がない程度のレーザー出力(7mW/m2)で測定を行った。露光時間は1ポイントにあたり250msであった.図4に応力によって変化するSiのラマンバンドのピーク位置の変位を示す.図中の大きな黒色の部分はAlの部分に対応しSiのシグナルは検出されなかった.ピーク位置の変位はAl電極より離れた部分を基準としており.白くなるにしたがって圧縮応力が大きくなっていることを意味している.特にAl部分の左側面に白色の部分が顕著に見られた.応力の大きさは約1cm-1で約2.49x108Paに対応する.AFM測定からこれはAlの蒸着が右方向にずれていたために,SiO2膜下およびその周辺の応力が検出されたことが分かった.また,モンテカルロシミュレーションより本装置のピーク位置の精度は約0.07cm-1で約1.74x107Paに対応することを明らかにした.この結果からラマン分光法による2次元応力イメージがSiのプロセス評価に非常に有効であることが示された.さらに,Si/ダイヤモンド界面系にも適用し検討を行っている.4)

図4.ラマンマッピングによるSiのピーク位置(応力に対応)
3.4ラマン・光電流イメージ分光法による酸化チタン薄膜電極の表面挙動の解析5)

 半導体材料や金属材料表面に生成した酸化層にそのバンドギャップ以上のエネルギーを持った光を照射することによって生ずる電流をモニターする光電流分光法はその物質の電子状態及び光学的性質をin-situ測定によって知ることのできる重要な分析手法としてTiO2薄膜電極などの光応答性が調べられている.しかし,光電流からのみでは結晶構造に関する情報などは直接知ることはできない.そこで.構造に関する光応答機構を調べるために光電流イメージ分光法とラマンイメージ分光法を組合せ同一範囲で測定できるシステムを開発し,Ti-Ag合金を陽極酸化して作成したTiO2薄膜電極の光触媒機能に関して検討を行った.

 試料のTiO2薄膜電極はTiに15%のAgの混合した合金を1MH2SO4溶液中2極式で148Vで30分間陽極酸化したものを用いた.図5(a),(b)はそれぞれアナターゼ型及びルチル型結晶のラマンイメージである.電解質は0.05MH2SO4溶液を用いた.明るさはその結晶型の相対的な結晶の量を示す.両方のイメージで黒い部分(3〜10mの矢印で示してある)が数点見られるがこの部分はTiO2が相対的に少ないことを示している.このような領域はEDX測定より基板表面のAgの多い部分に対応していることが分かった.(b)の方は(a)に比べて不均一に見える.この不均一性もやはり基板表面に存在する微量の不純物によって引き起こされるものと考えている.図5(c)に同一領域における光電流イメージを示す.像の明るさは光電流の大きさを表わしている.光電流は酸化チタンに吸収された光によって電子と正孔が生成されることによって流れる.よって,電子と正孔の電荷分離,すなわち再結合の割合が光電流の大きさを大きく左右する.つまり,明るく光電流の大きな部分は電荷分離が良く再結合の少ない場所であると考えられる.非常に明るい部分は,両方のラマンイメージで黒い部分と対応している.その他の部分は明るい部分と暗い部分に分けられる.ラマンイメージと比較してみると(b)のルチル型結晶のラマンイメージの暗い部分が(c)の光電流イメージの明るい部分に対応している傾向が見られる.よって.このTiO2薄膜電極では,光電流の大きさがルチル型結晶の量と強い負の相関のあることが分かった.よって,この手法が半導体界面における電荷分離機構を調べる上で非常に有効であることが示された.

図5.陽極酸化法によるTi-Ag合金上のTiO2薄膜電極のラマンおよび光電流イメージ
4.結言

 本研究では半導体の界面現象を表面組成・構造・状態の点から解析するため、新しい高感度の顕微ラマンシステムを構築した。このシステムを用いたいくつかの適用例に例によって半導体の界面物性,特に触媒・腐食・防食の分野に対し非常に有益な情報を与えることを明らかにした.

原著論文

 1)K.AJITO,L.A.NAGAHARA,K.HASHIMOTO,and A.FUJISHIMA,J.Phys.Chem.,submitted.

 2)A.FUJISHIMA,L.A.NAGAHARA,H.YOSHIKI,K.AJITO.and K.HASHIMOTO,Electrochim.Acta,39 1229(1994).

 3)K.AJITO,J.P.H.SUKAMTO, L.A.NAGAHARA,K.HASHIMOTO,A.FUJISHIMA,J.Vac.Sci.Technol.A,13(13),May/Jun(1995),in press.

 4)K.AJITO,K.HASHIMOTO,and A.FUJISHIMA,in preparation.

 5)K.AJITO,J.P.H.SUKAMTO,L.A.NAGAHARA,K.HASHIMOTO,and A.FUJISHIMA,J.Electroanal.Chem.,386,229(1995).

審査要旨

 本論文は,四章より構成されており,半導体の界面現象解明のための新しい高感度顕微ラマンシステムの構築および,そのシステムの有効性がいくつかの適用例によって確認されている.第一章で問題の設定と研究全体の方向づけがなされ,それに続く二つの章で具体的な研究成果が示されている.最後の章は全体の総括と本研究に関する将来的な展望が述べられている.

 第一章は序論でありまず本研究の目的および意義について述べられ,次に本顕微ラマンシステムを構築するための基礎的技術,すなわち,ラマン分光法および顕微ラマン分光法についてまとめられている.特に,高感度のもたらす利点,すなわち,低出力レーザーでの測定が可能になり,かつ測定時間の短縮化によるイメージ分析の幅広い適用性が指摘されている.さらに,本研究において構築された顕微ラマンシステムの持つ五つ特徴について説明されている.これらの特徴は,1)高感度測定系,2)ラマンイメージ分析系,3)電気化学測定系,4)光電流・ラマンイメージ分析系,5)ラマンバンドの半値幅およびピーク位置のイメージ分析系にあり,今まで行われてきた研究との関連について述べられている.

 第二章では,本研究において構築された顕微ラマンシステムの構成およびデータの解析法について述べられており,システムの概要に続いて,システムを構成している五つのサブシステムについての詳細な説明がなされている.サブシステムは,1)顕微ラマン分光装置(市販部),2)電気化学測定装置,3)ラマンイメージ分析装置,4)光電流イメージ分析装置,5)コンピュータおよびソフトウェアーであり,第一章で説明された特徴との関連性が述べられている.

 第三章では,第二章で説明された顕微ラマンシステムの有効性を確かめるための四つの適用例が示されている.まずこの章に対する序論で始まり,第一章で説明された特徴と続いて述べられる四つの適用例との関連性について述べられている.

 第一の適用例はアモルファスMoO3薄膜のフォトクロミック現象に関連した構造変化の研究である.これまでは高出力レーザーの照射で結晶化しやすいフォトクロミックやエレクトロクロミック着色材料へのラマン分光法の適用は困難であったが,本システムが高感度であることによって非常に低出力のレーザーによる励起が可能となり,アニールの影響なく測定が可能になったことが示されている.また,この測定によって,アモルファス構造でありながら着消色過程において可逆的構造変化が起きていることが明らかになった.

 第二の適用例では,マイクロスケール結晶化の観測が示されている.第一の適用例で述べられた着色アモルファスMoO3薄膜を例に用い,レーザーアニールによる結晶化のパターンをラマンイメージ分析によって評価した.この結果より,ラマンイメージ分析が結晶化部とアモルファス部の識別に非常に有効であることが明らかになった.

 第三の適用例では,ラマン・光電流イメージ分光法によるTiO2薄膜電極の表面挙動の解析結果が示されている.これまで金属材料における表面酸化層の電子状態や光学的性質の二次元分布をin-situに観測するために用いられてきた光電流イメージ分光法からでは直接見ることができなかった結晶構造の二次元分布をラマンイメージ分光法によって得られることが示され,また,Ti-Ag合金を陽極酸化して作製したTiO2薄膜試料においては同一領域におけるラマンイメージと光電流イメージの間に相関のあることが明らかとなった.

 第四の適用例では,Si/SiO2界面の二次元応力イメージ分析が示されている.本研究において開発された自動スペクトルフィッティング・プログラムによって半導体集積回路における劣化の原因として問題となっている局部応力を二次元イメージとして示すことが可能になった.また,Si/SiO2界面における分析精度が検討され約1.74×107Paであることを報告している.

 第四章は本研究で得られた結果の総括が行われ,さらに今後の展望が述べられている.この中で近接場走査型光学顕微鏡(NSOM)の技術を本システムへ取り入れることによって,波長の20分の1程度までと飛躍的に空間分解能を向上できる可能性が示唆されている.

 以上述べた様に,本論文では半導体の界面現象を解明するため,新しい顕微ラマンシステムを構築するという試みがなされ,その有効性が様々な適用例によって確認されている.また,これらの適用によってアモルファス薄膜の可逆的構造変化,光触媒の機能,局部応力などについての重要な知見が得られており,このシステム構築技術およびそれらの知見は物理化学,界面化学はもとより応用物理の分野での今後の発展に寄与するものと認められる.

 よって,本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格したと認められる.

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/53891