学位論文要旨



No 111521
著者(漢字) 王,賀年
著者(英字)
著者(カナ) オウ,ガネン
標題(和) 固定化乳酸菌による乳酸生産に関する基礎的研究
標題(洋)
報告番号 111521
報告番号 甲11521
学位授与日 1995.09.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第3525号
研究科 工学系研究科
専攻 化学生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 古崎,新太郎
 東京大学 教授 戸田,清
 東京大学 教授 軽部,征夫
 東京大学 教授 長棟,輝行
 東京大学 講師 関,実
内容要旨

 乳酸は,食品工業,医薬品と化粧品などの製造によく使われて,需要量は大きい。特に,乳酸から作られる乳酸ポリマーは優れた生分解性を持っているので,最近,この乳酸ポリマーを商品化しようとする研究が進められている。近い将来には乳酸の需要量は急増することが予測できる。

 一方,現在の乳酸生産法としては,主に乳酸菌発酵および化学合成の二つ方法がある。乳酸菌発酵法は,世界の乳酸消費量の半分を供給している。この方法は遊離菌体を用いて伝統なバッチ法で乳酸生産を行っているので,生産効率は低い。したがって,効率の良い乳酸発酵法の開発が必要であると考えられる。このような要求に応えるため,乳酸菌を担体(中)に固定化して乳酸発酵に利用するいわゆる固定化乳酸菌発酵法が提案された。

 本研究では固定化乳酸菌による乳酸生産の実用化に欠かせないと思われるいくつかの課題を取り上げて研究を進めてきた。即ち,本研究いおいて,固定化担体中の物質移動挙動に着目して,その物質移動現象の解析および物質移動抵抗の影響の評価を行った。また,固定化乳酸菌による乳酸生産プロセスの評価,設計,最適化などにはいくつかの提案を行った。

1.固定化乳酸菌担体中の物質移動挙動を解析するための数学モデルの開発

 固定化乳酸菌を用いた乳酸生産プロセスの設計,最適化および担体内部各物質の移動挙動を解析するには数学モデルが不可欠である。既往の研究では固定化細胞によるアルコール発酵その他に関する数学モデルが報告されている。しかし,乳酸発酵において,培養液のpHによって乳酸は部分的に解離して,関係する物質種類および反応式は多くなるため,この過程を描写するモデルおよびモデルの数学解法は普通の触媒反応やアルコールの様な非イオン性物質発酵の場合よりもっと複雑なものになる。本研究では,アルギン酸カルシウムを担体とした固定化乳酸菌による乳酸生産において,基質,遊離乳酸,Lactateイオン,水素イオン,およびナトリウムイオン(培養液中のpHをコントロールするためNaOHを添加)のMass Balance関係,電気的中性条件,乳酸解離反応などを考慮した数学モデルを開発した。一方,乳酸解離反応を考慮する必要があり,又その解離係数は非常に大きいため,普通の触媒反応を解析する時に用いる数学解法でこの一連の方程式を解くのは困難である。そこで,これらの方程式を解くための新規な数学手法を提案した。即ち,解離反応速度を(rdiss=k1[(LH)-(L-)(H+)/Ka])から直接求めなくて,[(LH)-(L-)(H+)/Ka]の近似値を用いて仮定したrdissの妥当性を確認するという方法である。更に,モデルの計算値を様々な培養実験条件から得た実測値と比較することにより,このモデルの有効性を証明していた。したがって,このモデルを用いて,固定化乳酸菌による乳酸生産プロセスのパフォーメンスをシミュレートでき,固定化担体中の菌体増殖や物質移動挙動などを解析することもできる。

 ちなみに,固定化乳酸菌による乳酸生産に関するこのようなモデルの開発は本研究は初めてである。

2.固定化乳酸菌担体中の特異的な物質移動現象

 乳酸は弱酸であるため,培養液のpHによって,部分的に解離する。一方,担体中の各物資は流れではなく拡散によって輸送されるので,担体の中に菌体増殖,乳酸生成,乳酸解離反応,物質拡散, pH変化などが同時に起こる。担体中の物質移動現象を理解するためまた乳酸生産との関係を解明するために,1)で開発したモデルを用いて担体中の物質移動現象の解析を行った。

 バッチ培養の場合は,担体中に菌体の濃度勾配は形成されることが観察された。同時に,計算の結果により,増殖阻害物質である遊離乳酸が担体内に蓄積することがわかった。さらに,拡散現象について,水素イオンと遊離乳酸が担体の中心から表面へ拡散するが,Lactateイオンはそれと逆に担体の表面から中心に向かって拡散していることを見出した。即ち,遊離乳酸は解離しながら,担体外へ拡散するが,その解離でできたLactateイオンは再び担体の外から内部へ拡散する(Fig.1)。一方,(遊離乳酸+Lactateイオン)の総括拡散はいつでも外向きである(Fig.2)。(担体表面の物質濃度が内部より高い場合にはその物質の拡散が内向きである;逆に,内部より低い場合はその物質の拡散が外向きである)

図表Fig.1 Profiles of lactate after 5 h and 15 h of fermentation.(For a batch case) / Fig.2 Profiles of(lactic acid+lactate)after 5 h and 15 h of fermentation.(For a batch case)

 連続培養のスタートアップの段階において,前半での各物質の拡散挙動(Lactateイオンを含む)はバッチの場合と似ている。一方,連続培養の定常期においてナトリウムイオンの拡散は停止し,Lactateイオンは外向きの拡散をするようになる(Fig.3)。即ち,スタートアップの後半では,Lactateイオンの拡散は内向きから外向きへ転換することが起こる。

Fig.3 Profiles of lactate,lactic acid,and pHin the gel beads after 17.5 h of fermentation for a continuous case.

 Lactateイオンの内向き拡散は固定化乳酸発酵で起こる特異な現象であると思われる。これは,担体中にpH勾配は形成され,しかも担体外部のpHは高くコントロールされたので,Lactateイオン濃度は内部より外の方が高いためである。Lactateイオンの内向き拡散は乳酸生産に不利なことであると考えられる。培養液中のpHをコントロールするには,塩基物質(NaOHなど)を添加するかわりにBuffer溶液を用いることにより,水素イオンの拡散を促進し,Lactateイオンの内向き拡散も軽減することができることがわかった。この方法により,乳酸生産効率の向上が期待できる。

3.多孔質微粒子を乳酸菌と共固定化する方法の評価

 固定化乳酸菌担体の表面付近での菌体過剰増殖を抑制して,担体中の拡散環境を良好に保つには微小細孔を有する多孔質粒子を乳酸菌と一緒にアルギン酸カルシウムゲルに固定(共固定)することにした。本研究では多孔質粒子と共固定した乳酸菌の乳酸生産性を検討した。共固定することによって,固定化乳酸菌の総括乳酸生産速度が向上できる。多孔質粒子の最適固定量は約10%(v/v)であることはわかった。この場合は総括反応速度の約30%の増加(共固定しない場合より)が得られた。又,共固定化したゲル中の有効拡散係数により,その総括反応速度の向上を適切に説明できた。更に,担体ビーズ中のpHおよび遊離乳酸濃度のプロフィールは多孔質微粒子との共固定化によって,改善されたことを数学モデル解析により明らかにした。即ち,多孔質微粒子を共固定化する方法は乳酸生産効率を向上できることを示した。

4.液固流動層型バイオリアクターにおける固定化乳酸菌の乳酸生産特性

 固定化乳酸菌を用いた液固流動層型バイオリアクターの乳酸連続生産特性を実験的に検討した。特に,いままで重視されていない担体からの菌体の漏れ速度および培地中の遊離菌体の乳酸生産への寄与についての検討を定量的に行った。また,菌体漏れ速度を定量的に評価するための手法を提案した。一方,乳酸生産コストを低減する目的で,低窒素源濃度の培地を用いる乳酸生産を試みた。その結果,培地中の窒素源濃度を下げても固定化乳酸菌による乳酸生産に対する影響は少ないが,但し,少量の窒素源物質は必要である。このことは,定常期において担体内の乳酸菌はある程度の増殖を行っていることを示している。

 本研究では,固定化乳酸菌による乳酸生産において,固定化担体中の物質移動挙動を解析するため,新たな数学モデルを開発した。また,担体中各物質の濃度分布を計算することにより,Lactateイオンの特異的な移動現象を初めて明らがにした。さらに,固定化担体からの菌体の漏れ速度および遊離菌体の乳酸生産への寄与を定量的に検討した。

審査要旨

 乳酸は、食品工業、医薬品、化粧品などの製造に広く使われており、その需要量は大きい。また、乳酸ポリマーには優れた生分解性があり、この乳酸ポリマーを商品化しようとする研究が、近年多くの研究機関で進められている。従って、近い将来には乳酸の需要量が急増することが予測される。

 乳酸菌発酵法は、世界の乳酸消費量の約半分を供給しているが、この方法は遊離菌体を用いた伝統的なバッチ法で乳酸の生産を行っており、生産効率が低い欠点がある。したがって、乳酸菌を担体に固定して乳酸発酵に利用するいわゆる固定化乳酸菌発酵法が提案されている。本研究は固定化乳酸菌による乳酸生産の実用化に欠かせないと思われるいくつかの課題を取り上げて研究を行ったもので、"固定化乳酸菌による乳酸生産に関する基礎的研究"と題し、全7章から成っている。

 まず、第1章では、緒言として乳酸生産に関する既往の研究の紹介、本研究の目的および論文の構成について述べている。

 第2章では、乳酸菌の増殖及び乳酸生産の速度論を実験的に検討し、速度式を提案した。非解離乳酸(これを以下、分子状乳酸とよぶ)とLactateイオンが両者とも菌体の増殖を阻害するが、前者の阻害作用が大きいことを確認した。また、乳酸菌の乳酸生産速度が増殖に依存することがわかった。

 第3章では、固定化乳酸菌による乳酸発酵における固定化担体内の物質移動の挙動を解析するために数学モデルを新たに提案した。即ち、アルギン酸カルシウムを担体とした固定化乳酸菌による乳酸生産において、基質、分子状乳酸、Lactateイオン、水素イオン、およびナトリウムイオン(培養液中のpHをコントロールするためNaOHを添加)の物質収支、電気的中性条件、乳酸の解離反応などを同時に考慮した数学モデルを開発した。一方、乳酸解離反応の解離係数が非常に大きいため、普通の触媒反応を解析する時に使われている数値解法でこの一連の方程式を解くのは困難であった。そこで,これらの方程式を解く際に乳酸が解離平衡にあるという仮定を用いる数値解法を提案し、実験結果を説明できることを示した。即ち、本モデルは既往のモデルを物理化学的な厳密性を基本に改良したもので、工学的に価値のあるものと認められる。

 第4章では、第3章で開発した数学モデルを用いて、乳酸菌を固定した担体中の物質移動について解析した。その結果、固定化担体中に増殖阻害物質である分子状乳酸の蓄積が観察された。また、担体中のLactateイオンの特異的な拡散挙動を初めて明らかにした。即ち、バッチ発酵の全過程及び連続発酵のスタートアップの前段階において、水素イオンと分子状乳酸は担体の中から表面へ拡散するが、Lactateイオンはそれと逆に担体の表面から中へ拡散する。また、連続発酵のスタートアップの後半では、Lactateイオンの拡散が内向きから外向きへ転換することを示した。さらに、Lactateイオンの内向き拡散を抑制するため、塩基物質(NaOHなど)のかわりにBuffer物質(CaCO3など)を用いて、培養液中のpHをコントロールする方法を提案した。

 第5章では多孔質粒子と共固定した乳酸菌の乳酸の生産性を検討した。すなわち、固定化乳酸菌担体の表面付近での菌体過剰増殖を抑制し、又、担体中の拡散抵抗の低下を防ぐ為に微小細孔を有する多孔質粒子を乳酸菌と共に固定した。実験の結果、多孔質粒子の最適固定量は約10%(体積比)であることがわかった。この場合、総括反応速度に約30%の増加(共固定しない場合より)が見られた。又、担体ビーズ中のpHおよび分子状乳酸濃度のプロフィールは共固定することによって改善されるが、これを数学モデルを用いた解析により明らかにした。これらの成果は実用的な成果として注目される。

 第6章では、固定化乳酸菌を用いて固液流動層型バイオリアクターによる乳酸の連続生産を実験的に検討した。その際、担体からの菌体の漏れ速度、および培地中の遊離菌体の乳酸生産への寄与を定量的に検討した。さらに、乳酸の生産コストを低減する目的で、低窒素源濃度の培地を用いる乳酸の生産を試みた。その結果、培地中の窒素源濃度を下げても固定化乳酸菌の乳酸生産に対する影響は少ないが、あるレベルの窒素源物質が必要であることがわかった。このことは、定常状態においては担体中の乳酸菌がある程度の増殖を行っていることを示している。

 第7章では、本論文の総括及び展望を述べている。

 以上、本論文は、固定化乳酸菌を用いる乳酸発酵プロセスにおいて、固定化担体内の物質移動抵抗およびその効果に着目して、定量的解析を行うために新たな解析法を提案し、物質移動抵抗の乳酸生産への影響についての評価を行い、固定化乳酸菌による乳酸生産プロセスの設計、評価、最適化の提案を行ったもので、固定化乳酸菌および、他の多くの固定化微生物の応用に資するところが大きい。その成果は広く生物化学工学の発展に寄与するものと認められる。よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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