学位論文要旨



No 111528
著者(漢字) 具,然和
著者(英字) Gu,Yeun-Hwa
著者(カナ) グ,ヨンフア
標題(和) ICRマウスの着床前期の胎仔に対する放射線影響の研究
標題(洋)
報告番号 111528
報告番号 甲11528
学位授与日 1995.09.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 博医第1055号
研究科 医学系研究科
専攻 保健学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 武谷,雄二
 東京大学 教授 大塚,柳太郎
 東京大学 助教授 西川,潤一
 東京大学 助教授 福岡,秀興
 東京大学 助教授 大友,邦
内容要旨 研究目的

 着床前期の胎児は、放射線をはじめとした種々の環境要因に対して感受性が高い個体にもかかわらず、胎児の存在が気付かれていないので、これらの要因を意図的に避けることができない。そのため、着床前期の影響を十分検討した上で、防護方策などを検討する必要がある。従来までの多くの研究は、放射線と他の有害要因に対する着床前期による影響は、胚死亡のみで、催奇形性はないとしてきたために、発育発生に関する、多くの成書では、奇形は、器官形成期にのみ感受性が高い時期特異性を持った影響であると記述されてきた。

 Strefferらは、最近、Heiligenbergerマウスの着床前期の放射線照射で、奇形が発生するという結果を得て、これがHeiligenbergerマウスの特異的な現象であるか否かの問題提起を行なった。そこで、本研究では、日本で奇形実験に多く用いられているICRマウスを用いて着床前期のさまざまな時期に放射線を照射し、着床前期の胎児の影響を検討した。

 作用要因として放射線を用いることにより、着床前期の各ステージごとの影響を特異的に把握し決定することができる。

研究方法1.実験動物及びメイト方法

 日本チャールスリバーから購入したICR(Crj:CD-1)親マウスを用いた。飼育は、Conventionalな条件のもとで、Sexual Excitement PeriodにあるFemaleマウス(9〜13週齢)

 を膣の肉眼的な観察により選別し、AM6:00からAM9:00までの3時間のみ、Maleマウス(9〜15週齢)と同居(Mating)させ、妊娠させた。同居の時間を3時間に限定したのは、受精成立時間をできるだけ正確に把握するためである。AM9:00にVaginal Plugを観察し、Plugが確認されたマウスは、AM8:00にConceptionが成立したものとし、その時期を妊娠0日として胎仔の胎齢を起算した。

2.放射線照射の方法

 受精成立、2、48、72及び96時間後(hpc:hours post conception:(いずれも着床前期))の妊娠マウスをプラスチック製の照射ケージに入れ、137Cs-線の全身照射を行った。

 線量は、0.1〜2.5Gyで、線量率は0.2Gy/minである。本研究で個体レベルの胎仔影響を観察するために用いた母獣は、コントロール群44匹と照射群458匹で、生存胎仔はそれぞれ560匹で、4355匹である。

 また、細胞レベルの影響を観察するために用いた母獣は、照射群170匹とコントロール群35匹である。

3.外表奇形及び他の影響の観察

 胎齢18日目に母獣をcervical verterbral dislocationにより屠殺し、着床率、胎仔死亡、外表奇形の発生率、胎仔体重、性比を観察した。また、2、48、72及び96hpcの受精卵の細胞レベルの変化を観察するために、各時期に放射線照射を行った後、6時間後に卵管と子宮から受精卵を取り出した。集めた受精卵は、0.8%のクエン酸ナトリウムで、低張処理を行い、カルノア液で固定後、ヘマトキシリン・エオジン染色を行い、観察標本とした。標本は、光学顕微鏡下で、受精卵の細胞数、分裂像及びPycnotic cellの数を観察した。

4.統計学上の分析

 個体レベルの影響である着床率、胎仔死亡、外表奇形などは、母獣によって発生率が大きく異なる(Litter Effects)ので、統計処理にはノンパラメトリックなKruskal Wallis検定を用いて分析した。また、胎仔死亡、外表奇形のしきい線量の算定に際しては、SAS-LOGISTIC Procedureを用いてLogistic modelに回帰させた後、5%(LD5,ED5)及び10%×2/3の値をしきい線量と判断した。

研究結果及び考察1.胎仔死亡(子宮内死亡)

 胎仔死亡は、(1)着床前死亡(Preimplantation death)、(2)着床後の胎芽死亡(Embryonic death)及び(3)胎仔死亡(Fetal death)の3つに分類した。着床痕、胎盤遺残、吸収胚を胎芽死亡とし、浸軟胎仔を胎仔死亡に分類した。コントロール群の着床率97.1%に比べ、2、48、72、96hpcのすべての照射群で有意に減少した(P<0.001)。2及び48hpcの照射群において、線量依存性が認められた。しかし、72と96hpc照射群の着床前死亡率には、線量依存性が認められなかった。

 コントロール群の胎芽死亡率は、7.41%であるのに対し、すべての照射群の胎芽死亡率に有意に増加が認められた(P<0.001)。胎芽死亡率は、すべての時期の照射群で線量依存性が認められた。

 胎仔死亡率は、着床前期のいずれの時期に照射した場合でもコントロール群と比べ、統計的な有意差は、認められなかった。

 着床前死亡率及び胎芽死亡率をLogisticモデルに回帰させた線量をFigure1と2に示す。回帰曲線から求めた胎芽死亡率のしきい線量をTable1に示す。

Table1.Threshould doses of embryonic death in mice irradiated at each stage during preimplantation period.

 着床前期の早期のほうが着床前期の後期に比べ、より胎仔死亡に対する感受性が高く、受精卵の発育に従い、胚死亡に対して、感受性が低くなる。先行研究でICRマウスの器官形成期の胚死亡のしきい線量は、0.5〜1.5Gyの間であるとされており、着床前期における胚死亡のほうが器官形成期より感受性が高いことが明らかである。

2.外表奇形の発生

 2、72、96hpcに照射された照射群には、コントロール群では認められない外脳症、口蓋裂、脊椎破裂、無眼球症、尾の異常及び多趾など多くの種類の奇形が認められた。これに対して、48hpcに照射した群(生存胎児586匹)では1匹の外脳症とコントロール群でも認められる丘疹が認められたのみで、他の種類の奇形は、認められなかった。

 48hpcは、外表奇形に対し、感受性はなく、2、72、96hpcには、外表奇形に対して感受性が高いことが明らかである。

 外表奇形の発生率をLogisticモデルに回帰させたものをFigure3に示し、回帰曲線から求めたしきい線量をTable2に示す。2hpcに照射した場合が、最も感受性が高く、しきい線量は0.44Gyである。

Table2.Threshould dose of malformation after -irradiation at each stage in preimplantation period.図表Figure 1.Regression curves of perimplantation death rate in ICR mice irradimted -ray at 2,48,72 and 96hpc during preimplantation period. / Figure 2.Regression curves of embryonic death rate in ICR mice irradiated -ray at 2,48,72 and 96hpc during preimplantation period. / Figure 3.Regression curve of frequencies of external malformation in ICR mice irradiated -ray at 2hpc.

 これらに対し、先行研究で器官形成期におけるICRマウスの外表奇形のしきい線量は、1.4Gyであるとされている。従って、奇形誘発については、着床前期のほうが器官形成期よりも感受性が高いことが明らかである。

3.胎仔体重

 胎齢18日の胎仔体重において、コントロール群の雌の胎仔体重は、1.323gで、雄の胎仔体重は、1.376gである。照射群とコントロール群の胎仔体重の間には、有意差はなかった。また、放射線による雌雄比の変化も認められなかった。

4.受精卵の細胞数とPyknosis

 2、48、72及び96hpcのICRマウスの胚の1Embryo当たりの細胞数の平均は、それぞれ、1細胞期、6細胞期、28細胞期、88細胞期であった。これは、Heiligenbergerマウスの胚1Embryo(Streffer et al)当たりの細胞数とほぼ同じである。放射線照射により、1胚当たりの細胞数の減少が認められ、48及び96hpcの照射群においては、線量依存性が認められた。

 胚を構成する細胞にPyknosisが認められるものは、受精後48時間後の照射群においては、0.5Gy以上、受精72時間後の照射群では、0.25Gy以上で、受精96時間後の照射群では、0.1Gy以上である。

 本研究の結果では、胚を構成する細胞数の減少は、Pyknosisでは説明できない。そこで、観察時点の細胞数の減少は、細胞周期の延長やPyknosis以外の細胞死、例えばNecrosisも関係しているものと考えられる。また、細胞数の減少と胚死亡率の関係を定量的に説明することもできない。胚死亡の原因については、細胞数以外にCompactionに関る細胞の極性出現、細胞接着因子のE-カドヘリンなどに着目した検討が必要とされる。

 2hpcの1細胞期の胚で多種多様な外表奇形が発生するということは、細胞死が原因ではなく、受精卵の遺伝子の変化が関係しているものと思われる。

 48hpcでは、催奇形性がないことは、48hpcの胚が6細胞期で、Compactionの前であるために、仮に放射線により損傷を受けたとしても他の全能性細胞によって置き換えられるものと考えられる。

 72hpc及び96hpcの胚は、Compactionが起こり、胚体となる原始外胚葉及び胎盤と卵黄となる原始内胚葉、極栄養外胚葉、壁栄養外胚葉に分かれ、特殊な機能・形態学的な細胞に分化する時期であり、変化を受けた細胞によって発生する奇形は異なるために様々なタイプの奇形が発生するものと考えられる。

 本研究の結果、ICRマウスでHeiligenbergerマウスと同様に着床前期の放射線照射により、奇形が誘発され、しかも感受性が器官形成期よりも高いことか明らかになった。したがって、着床前期胚の催奇形性について実験奇形学の視点からの見直しが必要である。

 着床前期の胚は、透明帯の中で卵割を繰り返し、卵管から子宮へ浮遊しながら母親と直接な接続なく、独立な個体として発生してので、化学的、生物的な催奇形要因で、放射線のような物理的要因と同様な奇形が発生するかどうかは不明であり、今後の検討が必要である。

 着床前期は、母親自身も妊娠に気付いていないので、放射線を始めとした催奇形物質(telatogenesis)を意図的に避けることができない。したがって、ヒトヘの適用を考え、他のspeciesでの実験を含めた着床前期の実験的検討がさらに必要である。

審査要旨

 本研究は、今までは、放射線と他の有害要因に対する着床前期による影響は、胚死亡のみで、催奇形性はないとしてきたのに対し、着床前期においても奇形が生じることを明らかにした。従って、本研究では、日本で奇形実験に多く用いられているICRマウスを用いて着床前期のさまざまな時期に放射線を照射し、着床前期の胎児の影響を検討した。又、作用要因として放射線を用いることにより、着床前期の各ステージごとの影響を特異的に把握し決定することができた。

 着床前期に着目した理由は、妊娠に気付いていない時期であり、放射線安全上、着床前期の影響が特に重要であるからである。

 本研究では、特に以下の点に着目して着床前期の個体レベルの影響と細胞レベルの両面から検討を行った。

 ICRマウスを用い、着床前期の放射線影響について実験的検討を行なった結果、以下の結論を得ている。

1.着床前死亡に対する影響

 (1)着床率は、コントロール群に比べ、受精2、48、72、96時間後のすべての照射群で有意な減少が認められた(P<0.001)。また、受精2と48時間後の照射群において、着床率の線量依存性が認められる事が示された。

 (2)胎芽死亡率は、コントロール群に対し、着床前期の4つの時期におけるすべての照射群にて有意な増加が認められた(P<0.001)。また、4つのすべての時期の照射群において線量依存性が認められた。また、4つの群の胎芽死亡のしきい線量は、2hpcで0.2Gy、48hpcで0.33Gy、72hpcで0.53Gy、96hpcでl.88Gyである事が示された。

 (3)胎仔死亡率は、いずれの時期に照射した場合でもコントロール詳と比べ、統計的な有意差は、認められ、しかも、胎仔死亡(着床前死亡率と胎芽死亡率)は、受精2時間後が、受精48、72、96時間後に比べ、感受性が高いことが示された。

2.外表奇形の発生に対する影響

 受精2、72、96時間後に照射した群には発生が認められ、コントロール群では、発生しない外脳症、口蓋裂、脊椎破裂、無眼球症、尾の異常及び多趾の外表奇形の発生が認められた。開眼と膨隆は、照射群だけでなく、コントロール群においても認められた。受精48時間後に照射した場合は、膨隆と外脳症それぞれ1匹認められたのみで他の外表奇形は、認められなかった。受精48時間後は、放射線による外表奇形の感受性が低く、受精2、72、96時間においては、外表奇形に対して感受性が高い。受精2、72、96時間における外表奇形の誘発率には、線量依存性も認められた。

 着床前期の各時期における奇形のしきい線量は、2hpcで0.44Gy、72hpcで3.8Gy、96hpcで2.7Gyである事が示された。着床前期の2hpcは、器官形成期の照射の場合より、しきい線量が低く、感受性が高いことが本研究により明らかにされた。

3.胚の発育(細胞数に対する影響)

 2、48、72及び96hpcのICRマウスの胚の1Embryo当たりの細胞数は、それぞれ、2hpcでl細胞期、48hpcで6細胞期、72hpcで28細胞期、96hpcで88細胞期である。これは、Heiligenbergerマウスの胚1Embryo(Streffer et al)当たりの細胞数とほぼ同じである。放射線照射により、1胚当たりの細胞数の減少が認められ、受精48時間後と受精96時間後の照射群においては、線量依存性が認められた事が示された。

 胚を構成する細胞にPyknosisが認められるものは、受精後48時間後の照射群においては、0.5Gy以上、受精72時間後の照射群では、0.25Gy以上で、受精96時間後の照射群では、0.lGy以上である事が示された。

 受精2時間後(2hpc)の受精卵は、1細胞期であり、この時期の照射で多種多様な奇形が発生することは、この時期の奇形発生には、遺伝子の変化(おそらくpoly-gene)が関係していると考えられ、細胞死あるいは細胞変性が関係して発生する器官形成期の奇形の発生メカニズムとは異なるものと考えられると述べている。

 72及び96hpcの時期の奇形発生については、細胞レベル、分子レベルの検討が必要であるが、受精卵を構成する細胞のCompactionの際に関る、細胞の極性出現、E-カドヘリン関与及び糖鎖と糖転移酵素の関与などの要因にも着目し、さらなる検討が必要であると考えられた。

 以上、本論文は、従来まで、着床前期の胎児の影響としては、胚死亡のみで奇形は誘発しないとされ、多くのText booksでは、奇形に対し、着床前期の胚は感受性が高く、奇形は器官形成期に生じる影響であるとされてきた。しかし、本研究では、着床前期の影響として流産だけでなく、奇形も発生することを示した。しかも着床前期のしきい線量は、器官形成期のそれよりも低いことを示した。

 着床前期は、母親自身も妊娠に気付いていないので、放射線を始めとした催奇形物質(telatogenesis)を意図的に避けることができない。従って、本研究は、放射線防護・安全の視点から重要な発見であり、しかも常識を覆すことになり、学位授与に値するものと考えられる。

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