学位論文要旨



No 111536
著者(漢字) 曹,斗燮
著者(英字)
著者(カナ) チョウ,トウソップ
標題(和) 日本企業の多国籍化と企業内技術移転に関する研究 : アジアの日系電子部品企業への実態調査を踏まえて
標題(洋)
報告番号 111536
報告番号 甲11536
学位授与日 1995.10.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(経済学)
学位記番号 博経第94号
研究科 経済学研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 藤本,隆宏
 東京大学 教授 森,建資
 東京大学 教授 安保,哲夫
 東京大学 教授 和田,一夫
 東京大学 助教授 高橋,伸夫
内容要旨

 本論文は日本に本社を置く多国籍企業を対象に、その企業内における日本本社-海外子会社間あるいは海外子会社相互間での、国境を超えた技術移転の実態とそのプロヤスの解明を試みたものである。本論文の概要は次の通りである。

 第1章では、現地子会社の立ち上げおよび管理運営における焦点となる生産システムの国際移転の難しさを強調した。その理由を、生産システムは通常ハードウェアとコード化しにくいソフトウェアの集合体として存在し、企業特有のバイアスを持つことがほとんどであるので、その移転と定着には長期にわたる人的接触、具体的な実例を通じた説明が不可欠であるという点に求めた。そして、1980年代以降、日本技術の代表格として「日本的経営」や「日本型生産システム」の国際移転可能性が理論と実践の両面から大きく注目されたにもかかわらず、「技術」のどういう側面が「日本型」なのか、そしてそれは如何なる経路を通じて海外子会社に移転されるのか、現地状況に合わせた修正はどのように行われるのか、といった問題関心に関する研究成果は十分とは言えない状況にあるという点を指摘した。

 第2章は、本研究の基本テーマである企業内技術移転や「日本型生産システム」の国際移転論が、既存研究の流れの上で、どういう位置にあるのかを従来研究の批判的な検討を通じて明らかにした。その中で、「日本型生産システム」の国際移転論が一つの学問分野として成立するためには、欧米型システムとは明確に区別できる「日本技術」の本質を摘出し、それらを体系化すると共に、それが持つ企業経営上の意味を明確にする作業が不可欠であるという点を指摘した。

 第1部(第3章から第5章まで)は、「日本多国籍企業研究グループ」(安保他1991)の「適用度評価モデル」に基づいた日系電子部品メーカーへの実態研究である。

 第3章は、韓国に生産拠点を持つ日本の大手電機メーカーA社を対象にして、「日本型生産システム」が韓国子会社にどのように適用されているかを検討したものである。この章の基本的な課題は、一般的な結論を導出することよりは、「適用度評価モデル」の徹底的な検討を通じて、多国籍企業の企業内技術移転の分析枠組みとして同モデルがどれくらい有効性があるか、さらに筆者の問題関心に照らし合わせた場合、修正すべき点は何かを検討するところにある。検討の結果、同モデルは、現地子会社に移転される経営資源の内容、わけても現地生産における焦点となる日本技術の特徴を23項目にわけて体系的に分類し、それぞれの項目ごとの現地子会社での実施度合いを定量的に測定できる尺度を提示する点で、海外調査のフレームワークとしてはきわめて高い有効性があるということが明らかになった。

 第4章・第5章は、「適用度評価モデル」に基づいて韓国、台湾、シンガポール、マレーシア、タイにおける日系企業の企業内技術移転に関する実態調査の結果を整理したものである。現地子会社の現状は、理念型として提示された「日本型生産システム」とは相当の隔たりがあるものの、人材育成を最優先経営課題としながら、能力ギャップの存在する部分は、ハードウェアの持ち込みや現地の日本人によって補うという構図が浮き彫りになった。他方で、アジア拠点間の比較では、「適用度評価モデル」だけでは捉えきれない興味深い論点も幾つか浮かび上がった。

 第一は、進出時期が早かったアジアNIESの現地子会社と比較的最近に進出を果たしたASEAN地域の現地子会社との間で、「日本型生産システム」の適用状況が異なっていたという点である。後者では機械のメンテナンスや作業長の能力などが現地経営の大きなボトルネックになっている拠点が多かったのに対して、前者では相対的にこうした問題にうまく対応できるということであった。このことは「日本型生産システム」の構成要素の中には比較的早く現地に定着するものと、時間を経ないと定着しにくいものが存在することを示唆する。このことは、調査時点で適用度の低い項目であっても、現地への移転可能性が低いという結論を短絡的には下せないことを意味する。

 第二に、アジアNIESの現地子会社がASEAN地域への技術移転に関して日本本社を補完する形で、あるいは日本本社に代わって技術指導の主体的な役割を果たしているケースが多く見られたという点である。これは、アジアNIESの子会社が設立時に日本から移転された技術ではもはや競争優位が得られなくなり、日本から再度新たな技術を再度移転する場合に起こることが多い。日本から新しい技術を導入する代わりにASEAN地域の子会社に従来技術を移転し、その際に技術指導も行うのである。このことは、海外子会社への技術移転は進出当初一度のみに行われるものではなく、何回も継続的に行われる可能性があることを意味する。

 以上の2点は、企業内技術移転は一定時点の成果だけで静態的に論じられるものではなく、ある程度の長いタイムスパンで捉えることが必要であることを意味する。

 第2部(第6章、第7章)は、第1部の実態研究を踏まえて、時間の経過とともに現地子会社の組織能力が徐々に高度化し、その過程で技術移転の主体が変化していくプロセスを「段階的技術移転」と「継続的な技術移転」という二つの論理として定式化したものである。第1部の「適用度評価モデル」による研究は、訪問調査を実施した時点における「日本型生産システム」の適用度合いを把握しようとする点に研究の主眼が置かれたため、静態的な分析という批判を免れ得ない。すなわち、本国本社と海外子会社間での長い時間をかけた相互学習プロセスを経験する日系多国籍企業の企業内技術移転を捉えるには限界がある、ということである。このダイナミズムを捉えるための新しい分析枠組みがどうしても要請されるわけである。この試みが第2部で展開する「段階的な技術移転」の論理と「継続的な技術移転」の論理に他ならないが、前者の23項目にわたる緻密な調査結果をベースに後者の論理が構築されたという点で、両者は相互補完関係にあると言える。

 この論理は、「出す側と受け入れる側の両方にとって望ましい技術移転のあり方は何か」という規範的なメッセージを盛り込んでいるが、日本技術の特徴やその移転プロセスに対する実態研究の成果をベースに、筆者なりの国境を越えた技術移転の理論構築を目指したものであり、この論文の一つの到達点でもある。詳細は第7章に譲るが、ここではこの論理の基本構造を簡単に提示しておく。

 この論理は、「技術」はその種類や内容によって移転の可能性や難易度が異なるという前提から出発する。それは「技術」そのものの階層性(移転の難易度)にもよるが、現地子会社の吸収能力が一様ではないことにも起因する。例えば、生産設備や設計図面などのハードウェアに比べて品質管理、設備管理や改善活動などのソフトウェアは移転がより難しく、学習と定着に時間がかかる。他方で「技術」を吸収する現地の社会的な能力も進出地域によって異なる。一般的に、移転される技術が高度なものであればあるほど、その移転と定着に必要となる関連技術の裾野が広がり受け入れる側の高度な能力が要求されるため技術移転は一層難しくなる。

 現実の多国籍企業は海外進出に際して、この両者を慎重に考慮し最適な技術を選択し移転を開始する。この過程で大量の人材が日本本社と子会社とを往来するのが日系多国籍企業の一つの特徴である。これは、OJTが技術指導には最適であるとする日本の技術思想にもよるが、技術のマニュアル化(特に海外向け)があまり進んでいない事情も関係する。

 時間をかけた技術指導、人材育成が成果を上げ、移転された技術が組織の隅々まで浸透していくと、「技術」はある特定の個人を離れて「組織的な知識」として転化していくことになる。これが一回目の技術移転である。しかし、海外子会社への技術移転は進出当初に行われる一回目の技術移転で終了するものではない。進出先の環境変化や本国本社の戦略転換によって第二、第三、・・・の技術移転が行われるのである。これは、海外直接投資がある特定の技術をベースに契約的な枠組みで行われるライセンシング契約とは本質的に異なる側面である。この継続的な技術移転を強いる要因は多様である。既存技術をマスターした現地従業員がより高度な製品や設備、生産方式の移転を要求する場合もあるし、本国本社が次世代の技術に移行するために現有技術を次々と海外子会社にシフトする場合もある。また、賃金水準の上昇や為替の高騰など現地の経済構造の変化によって既存技術の競争優位が低下したり、あるいは現地政府がより高度な技術の移転を強力に要求したり、競合他社から新しい技術による競争を仕掛けられたりすることによっても、継続的な技術移転が引き起こされる。

 この「継続的な技術移転」のメカニズムが機能するためには、次の二つの条件を前提とする。一つは海外子会社が新技術の吸収能力を備えることである。環境変化に応じて新技術を移転しようとしても、それを消化できる組織能力を海外子会社が備えていなければ、継続的な技術移転は起こらない。第1部の実態調査が示すように、アジア拠点で共通してみられる高い離職率は、技術の「組織的知識化」を妨げ、継続的な技術移転を阻害する第一の要因である。もう一つは、子会社への継続的な技術移転ができるように本国本社が多様かつ豊富な技術候補を持つことである。この能力が欠如していると、海外生産の進展は技術空洞化を加速させ、子会社だけでなく長期的には本国本社の競争優位の低下をも免れ得ない。生産立地のグローバル化が進む中で本国本社の役割を軽視する動きもあるが、新しい競争優位の創造、維持における技術の集合体として存在する本国本社の地位は依然として重要性を持つ。

 技術の段階性に着目した「継続的な技術移転」の論理は、多国籍企業と受入国の双方に対して望ましい技術移転のあり方を提示する。まず多国籍企業にとっては、高度な技術能力を有する海外子会社の存在はそのままグローバルな競争優位につながる。そして、長期間にわたって蓄積した子会社の「組織能力」を利用して、他の地域への進出を支援させたり、日本で開発を中止した製品の研究開発を任せたりするなどして、様々なメリットを享受できる。国内生産のみに従事する企業に比べて駆使できる戦略のオプションが飛躍的に増加するわけである。さらには、海外子会社の技術能力を絶え間なく高度化していかなければならないという圧力は、本国本社の技術開発能力を一層向上させる効果を持つかもしれない。

 受け入れる側からみると、技術高度化を実現する多国籍企業から得られるメリットは大きい。先進技術の学習を期待できるからである。スピルオーバーやデモンストレーション効果による先進技術の学習を期待できるのはもちろんのこと、もし、現地子会社が中間財メーカーである場合、現地のセットメーカーの競争優位の高度化も享受できる。

 以上のような「段階的技術移転」と「継続的な技術移転」の論理を具現する日系企業は少なくない。初期投資の何倍を上回る資本投資の実績を持つ企業や日本人派遣社員の数が増加する企業は、おしなべてこの論理を実践しているとみて良い。後述するように、調査対象企業の中には、当初の資本金を数倍も上回る再投資実績を持つ企業や製品・工程技術の高度化を幾度なく実現する企業も少なくない。経営現地化が盛んに言われる中で、派遣社員の減少を現地化の一つの目安と捉える向きもあるが、既存技術の高度化や新しい技術移転を実行するために派遣社員が増えるのであれば、経営現地化への逆行にはならない。

 第6章では、この論理構築の直接的な契機となった調査研究を、第7章ではこの論理をより精緻化させ、多国籍企業の企業内技術移転を捉える一般的な枠組みとして展開したものである。その意味で、本研究の技術移転論における理論的な含蓄はこの第7章にある。

 第8章では、含意と今後の検討課題を幾つか指摘した。

審査要旨

 本論文は、日本に本社を置く多国籍企業を研究対象に、海外子会社に対する技術移転(組織能力の移転も含む広義の概念)のプロセスを分析した、国際経営論の実証研究である。

 第1章では、本論文の目的と構成を提示している。日本(本国)での競争優位のある経営資源(経営能力・技術能力)あるいは組織能力を海外現地会社に移転することが現実には難しいことが、出発点としての問題意識である。一般に多国籍企業の本国での技術体系をそのまま現地子会社に適用することは難しく、何らかの修正・現地適応の過程が必要とされる。1980年代以降その競争力の高さが注目されるようになった日本の製造業(特にエレクトロニクス、自動車など)についてもこれが当てはまりそうだが、このテーマに関する実証研究は十分でないと指摘する。本論文は、このギャップを埋める試みの一つとして位置付けられる。

 分析は大きく二つに分かれる。第1は、技術移転の結果として形成された海外子会社の生産システムを対象に、日本(本国)の生産システムがどの程度適用されているかを評価することで、いわば静態的な比較分析である。第2は、技術移転のプロセスそのものを分析したもので、「段階的な技術移転」「継続的な技術移転」をキーワードにした動態的な分析である。第1の分析では、論文提出者が参加した「日本多国籍企業研究グループ」(研究代表:安保哲夫東京大学社会科学研究所教授)の米国での実態調査の枠組みを基本的に継承しながら、アジアの現地子会社の分析に用いるための修正を加えている。

 これに対し、第2の分析は、論文提出者独自の視点がより明確な分析枠組みである。移転される技術の移転難易度、受入側の子会社の技術吸収能力、本国本社の技術ストック、本国本社の戦略、現地の環境などに、ばらつきあるいは変動があるために、技術移転が一回限りではなく継続的に、あるいは繰り返して行われざるを得ない、というのがその論点である。このように、方法論的には本論文は、第1部における「日本多国籍企業研究グループ」の分析枠組みの修正から始め、第2部における「段階的・継続的技術移転」という、論文提出者としての独自性のより強い概念の提出をもって終わっている。

 第2章では、以上の問題意識をふまえて既存研究のサーベイを行っている。分野的には、第1にハイマー、パーノン、ダニング、小宮らの海外直接投資論を検討する。この分野では、ハイマーの寡占企業差別的優位仮説に代表されるように、本国本社の優位の源泉が何であるか、海外直接投資の動機は何であるかが議論されるが、経営資源移転の具体的なプロセスに関する分析は欠如していると指摘する。第2に、ポーターやバートレット=ゴシャールなどに代表されるグローバル競争論を検討する。ここでは、なぜ海外直接投資を行うか、というよりはむしろ、どうすれば本国と海外のオペレーションのグローバル統合と現地適応をバランスさせ、全体としての競争力を発揮できるのか、という経営学的な問題設定が中心となる。しかし、これらの既存研究は、受入側の諸要因が競争力に影響を与える、という側面を正面から扱っていない、と論文提出者は指摘する。第3に、ヨシノ、安保など、日本的経営論、日本的生産システム論からの国際移転論を取り上げる。ここでは、競争力の源泉とされる日本企業の「組織化原理」が何であるかが曖味なままに、その移転の問題が論じられているとする。しかし、そうした中で、安保らの「日本多国籍企業研究グループ」の枠組みは、日本的生産システムの構成要素をもっとも体系的かつ網羅的に把握している、と評価する。

 以上を前提に、第3章では、安保らの「適用・適応度評価モデル」(米国現地工場の実態調査を目的として開発された評価体系)をベースに、論文提出者の分析目的(アジアにおける現地工場の実態調査)に合わせて修正を加えた「適用度評価モデル」を用いて日系電機メーカーA社の本国工場と韓国工場の比較分析を行う。まず、「日本型生産システムとは何か」という問に対して研究者間の合意がない、という問題意識から、高宮、島田、市村他、小池などの先行研究を検討し、調査項目の網羅性という点で前述の安保らの適用・適応度評価モデルが最も先端的だと評価し、これを分析の土台に据える。次に、四側面評価を含む適用・適応度評価モデルの内容を説明し、これに対する従来の批判(静態的分析であることなど)を検討し、論文提出者としての分析枠組みの改良を示唆している。その上で、A社の本国工場と韓国工場の比較分析結果が示される。各項目の詳細な分析は省略するが、全体として韓国工場は日本からのヒトや設備の「直接持ち込み」は少なく、むしろ「方式の移転」を中心に日本的システムの適用が行われていることを示す。つまり、経営の現地化が進んでおり、いわば日本型システムのノウハウを体得した現地人による経営となっている。全体として、この企業では韓国子会社の吸収力と対本国自立度がともに高く、このため日本型システムの韓国工場への移転が円滑に進んでいると総合評価される。また、「適用度評価モデル」の評価項目以外の成功要因として、現地人経営者の力量、本社の「継統的技術移転ポリシー、韓国工場の設計能力、馬山輸出自由地域へ立地の優位が挙げられている。また、国際競争圧力が強い場合に、競争力のある日本型への収れん化が進むという仮説が示される。

 第4章では、日系電子部品メーカー7社の韓国・台湾子会社に対して、3章と同様の適用度評価が行われる。まず、日本企業の比較優位の内容(品質、生産技術、材料技術など)を特定した上で、その移転とこれに対する阻害ファクターが検討される。次いで、多能工化、賃金体系、生産設備、メンテナンス、工程管理など、個別の項目について詳細な分析が行われている。日本的システムの適用度は安保らの調査した米国現地子会社の場合(3.3点)をわずかに上回るが、第2章と同様、「現地人による日本型生産システムの実施」という性格が顕著である。ただし、多能工化、作業長の能力、メンテナンス能力、品質管理などの面で改善の余地があると指摘する。また、適用度と経営成果の間に相関関係が見い出せなかったとし、製品開発、販売など他の要素を分析に取り込む必要を説く。

 第5章も、同様の枠組みを用いて、東南アジアに立地する日系電子部品メーカー11社を加えた適用度評価を行っている。ここでは、日本型システムの現地適用を妨げる要因として、現地における経営慣行の違い、支援産業の未発達、高い離職率、日本企業側のマニュアル化の遅れ、現地工場の経験不足、本社の国際化の遅れを指摘する。前章と同様、各項目ごとの詳細な分析を行い、また米国現地子会社との比較を加えている。

 以上、第3〜5章(第1部)における適用度評価分析の結論として、アジアにおける日系電子部品企業が、人材育成を最優先課題として、段階的に日本型システムの現地定着を図っていることが強調される。移転のコストや離職によるロスにもかかわらず、マニュアルによる移転よりは直接の人的接触、OJT、などを通じたもの作りの思想や手法の移転が重視される、という日本企業の特徴が浮き彫りにされる。以上の分析から、現状では外部要因が経営成果を左右する傾向が強いものの、今後は現地企業の組織能力が経営成果に影響を与えるようになるだろう、との予想を立てている。

 続いて第2部(第6〜7章)では、段階的・継続的技術移転のダイナミックなプロセスの分析を行う。第6章はその準備段階としての、技術移転阻害要因の分析である。対象は韓国と台湾の日系電子・自動車部品メーカー12社である(横浜国立大学の周佐助教授との共同調査)。まず、日本企業本社側と現地側の、技術移転阻害要因に関するバーセブション・ギャップを指摘する。現地側は日本企業が先端技術を出し惜しみすると非難し、日本側は現地の技術力やサプライヤー能力の不足、あるいは離職率の高さを問題とするのである。論文提出者は、競争力に影響するのは先端技術よりは既存技術の消化・定着度だとの観点から受入側の問題をより重視する。

 まず、アンケートとインタビューに基づき、本国本社の競争優位の源泉を特定する。第1に、特に電子部品の場合、現場作業者よりはむしろ製品・生産技術者の貢献度が高いこと(あるいは少なくとも生産労働者、専門工、技術者の三者協力体制が競争優位の源泉となっていることが強調される。また、第2に自社内製の生産設備開発能力、第3に要求の厳しい組立メーカーとの長期的関係、第4に下請企業の能力活用が日本企業の競争優位の源泉として特定される。続いて、これらの本国本社の競争優位が現地子会社に移転されるプロセスを、子会社の技術レベルに応じて4段階に分ける分析枠組みが示される。(1)製品・生産設備・操作ノウハウが移転される段階;(2)メンテナンス、労務管理、操業管理、生産管理など、「管理技術」が移転・蓄積される段階;(3)製品や生産設備の現地向けの改良、および現地サプライヤー・ネットワーク構築の段階;(4)開発技術の確立段階、である。このうち(2)においては特に、故障、不良発生、製品変更、欠勤など、異常対応の能力が強調されている。いずれにしてもこれらの段階には、前段階を飛ばして次の段階へは進めない、という一種の階層性・累積性がみられるとする。

 この枠組みに従って調査対象23子会社を測定・評価すると、ほぼ第2段階をクリアして第3段階に挑戦しているケースが多い。電子部品企業のほうが自動車よりやや進んだ段階にある傾向がみられるが、韓国台湾間で目立った違いはない。こうした移転の背後には、日本人出向社員による長期的な技術移転努力があることが指摘されるが、それでも第3の改良段階へのステップアップは容易でないことが強調される。

 次いで、技術移転を阻害する要因について聞いたアンケート(主に日本人が対象)の結果が分析される。現地側の問題としては、特に、経験ある幹部の離職と、現地基盤技術・基盤産業の未成熟の2点が阻害要因として最も重要視されている。特に幹部の退職は台湾において深刻である。逆に言えばキーパーソンの引き留めが成功の鍵となっており、経済成長率の鈍化もあって、幹部および一般従業員の定着率は改善の傾向にある。

 また、技術者など現地人キーパーソンから現場への情報伝達が阻害される点が指摘される。直接接触による知識移転を重視する日本企業では、現地人技術者などキーパーソンを日本で教育し、彼等が現場に知識移転するという2段階移転が多くみられるが、肝心のキーパーソンが得た情報を囲い込む、あるいは現場に行きたがらない、などの弊害が報告されている。これに対する企業側の対応(キーパーソンに対する情報開示や現場入りの強制、マニュアル化、日本人技術者による直接現場指導など)も分析される。

 基盤産業に関しては、韓国・台湾子会社は輸入した1台目をベースに2台目以降の設備を現地に合わせて修正する能力は高いものの、それ自体はまだ日本からの出向技術者の貢献に依存するところが大きいとしている。また生産システム全体の開発能力はまだない。また、外注金型・設備メーカーの能力は一般に台湾の方が高い。次に、設計に関しては、本国から送られた図面の修正能力はあるが、コンセプトからの現地向け製品開発能力はまだ無い。材料技術基盤の不足、設計技術者の離職、開発まで任せない本社のポリシーなどがその要因として指摘される。下請企業に関しては、日系現地企業は長期的な関係を通じた下請能力の育成(ただし専属化ではない)を指向するものの、これに対応できる現地下請企業が不足している。この他、現地合弁パートナーが短期指向の場合、技術高度化を阻害する可能性がある。

 一方、日本側の問題としては、本社側の技術ストックの高度化が不十分なため移転(製品)技術の高度化による「継続的な技術移転」が進まないケースが挙げられる。本社の技術力に限界がある場合、国際化も限界にぶつかりやすいということである。またこの他に、本社のポリシーによって技術移転が一方的影響を受けること、海外子会社の業績評価や日本からの派遣社員選抜の基準が曖味なことも日本側の問題である。逆に、現地政府の外資政策の問題(特に韓国の場合の外資引き留め策の不足)も指摘される。

 第7章では、第6章で展開された技術移転の4段階モデルと技術移転阻害要因の分析を踏まえて、「段階的技術移転」「継続的技術移転」の論理という一般的な分析枠組みが提示される。まず、前章の4段階論を繰り返す形で、「段階的技術移転」の論理が示される。その論理的前提としては、前述のように、技術により移転の難易度に違いのあること、現地子会社の技術吸収能力が一様でないことが挙げられる。技術高度化には段階性があり、それは各方式の内部での段階性(例えば5S→QCサークル→TQC/TPM→JlT)と、方式問の段階性(モノ作りの方法→異常対応能力→改良能力→イノベーション能力)の両方について言える(ただし、6章と7章では、段階モデルの用語が統一されておらず、また分析結果の要約表などに重複がある)。ある所与の生産品目あるいは生産設備に関して、こうしたステップ・バイ・ステップの技術移転が起こるというわけである。

 次に、「継続的な技術移転」の論理が説明される。これは、生産品目や生産設備自体の高度化に伴い、前世代で移転された技術が一部転用される形で、より高度な技術が累積的に移転されることを示す。つまり、「継続的技術移転」においては、は吸収→定着→改良という「段階的技術移転」のサイクルがスパイラルに繰り返されるのである。こうした移転技術の高度化が起こる要因としては、現地子会社の改善能力アップ(現地からの技術移管要求)、現地の競争環境変化(既存製品の競争力喪失など)などがあり、また子会社の技術吸収能力と親会社の新技術創出能力がその前提条件となる。逆に、継続的技術移転の圧力が本社の技術開発を促進するという効果もある。また、技術移転のサイクルが繰り返されるに従い、学習能力の学習(あるいは技術移転技術の蓄積)が進み、技術吸収期間が短縮化する可能性も示唆される。具体的に、日系部品メーカーの韓国子会社の例が簡単に示される。

 次に、継続的技術移転と類似した既存フレームワークであるパーノンのプロダクトライフサイクル(PLC)理論との比較が示される。PLCモデルにおいては、単一の技術基盤に依存する本国本社が前提とされ、したがって製品の標準化とともに本国本社→中位賃金国子会社→低賃金国子会社へと立地を移していく「渡り烏企業」がイメージされている(コスト競争力を失った拠点は閉鎖される)。これに対して、継続的技術移転論では、本国本社が次々と新技術を生み出し、それらが順次移転されていくため、各国の生産拠点は生産品目を高度化させながら存続する。論文提出者によれば、PLCモデル(Vモデル)と継続的技術移転モデル(Cモデル)は、それぞれアメリカ型多国籍企業と日本的多国籍企業の行動様式を理念化したものである。

 最後に、全体のまとめと今後の課題が提示されている。課題としては、第1に、技術移転の担い手として多国籍企業は他の技術移転手段と比べてどのように評価できるかという問題についての検討、第2に、日本型生産システムの移転可能性に関するより突っ込んだ分析、第3に、アジアにおける非日系多国籍企業の分析評価、第4に、技術移転方法としての日本型OJTと欧米型マニュアル移転の比較評価が挙げられている。以上の課題指摘をもって本論文は終わっている。

 論文の概要は以上のとおりだが、これに対する審査委員会の評価は概ね以下のとおりである。

 まず、本論文の学問的貢献としては、第一に、日本の多国籍製造企業のアジアへの展開という国際経営論において重要かつ新しいテーマに対して、多くの事例研究を積み重ねた体系的な実態把握を試みている点が評価できる。特に日本企業のアジア生産拠点の人事労務管理・生産管理・生産技術・品質管理・購買管理・コスト管埋などに関する詳細な実態調査としては、既存研究と比べても恐らくは最も充実したものの一つといえよう。従来は、生産システムの内部はプラックボックスとした調査が多く、逆に製造現場の中に入り込んだ詳細な調査の場合は、体系性・網羅性をやや欠いた個別事例研究の域を出ないものが多かった。その意味で、本論文の示す精力的な実態調査結果の報告は資料価値の高いものと考えられる。

 第2に、分析フレームワークの側からみると、本論文は、基本的には「日本多国籍企業研究グループ」の「適用・適応度評価モデル」から出発しながらも、これに論文提出者の分析目的に合わせた修正を加えており、さらに第2部では動態的な技術移転プロセスを分析するための枠組みとして「段階的技術移転」「継続的技術移転」という独自の概念を提出している。後述のように、この段階的・継続的技術移転という考え方は、論理的な精密性はまだ十分とは言えないが、欧米型多国籍企業と比べた場合の日本型多国籍企業の行動パターンの違いを浮き彫りにする重要な概念となる可能性をもっている。その意味で、日本型多国籍企業の分析枠組みの提出という意味で少なからぬ貢献があるとみてよかろう。

 反面、本論文は以下の点で改善が求められる。第1に、本論文は、日本の多国籍製造企業の分析を発展させるためには、日本型生産システムの「組織編成原理」に関する研究者間のコンセンサスが必要だと説いているが、そうした組織編成原理を論理的に導出することには必ずしも成功していない。今後の課題といえよう。第2に、実態調査資料の解釈がやや一般論的すぎるため、膨大なインタビュー資料のもつ潜在力が十分に活かされていない傾向がある。インタビュー等の原データと論文提出者による解釈とをもっと明確に分けることにより、原データの説得力と論文提出者の解釈の独自性をともに向上させることが望まれる。

 第3に、第4章の台湾・韓国調査と、第5章の東南アジアにおける調査の対比がどのような視点から行われているか必ずしもはっきりしない、という問題が指摘された。論文提出者のスタンスが、韓国・台湾と東南アジアの地域的な差異を示そうとする類型論であるのか、あるいは日本からの技術移転の第一段階と第二段階の違いを示す段階論であるのかが明確でなく、その結果分析がやや中途半端になっている。第2部の論旨から考えても論文提出者の意図は段階論に近いと考えられるが、それならばこうした視点をもっと明確にした論理展開が必要であろう。

 第4に、第7章の論理展開が不十分との指摘があった。「段階的技術移転」に関しては、なぜ技術の段階性がみられるのか、その論理的な必然性に関する分析が不十分であり、また「段階的移転」と「継続的移転」の問の論理的整合性が十分でない。また、第7章の諸図表が文章で記述された概念モデルを正確に表現できておらず、わかりにくいところがある。「段階的・継続的技術移転」という概念を日本型多国籍企業のより有効な分析ツールにするためにも、これらに関しては今後改善が必要であろう。

 本論文は、以上のような問題点を残すとはいえ、それらを勘案した上でもなお、論文提出者の独立した研究者としての資格と能力を確認するに十分な内容を有していると考えられる。審査委員会は全員一致で、本論文を博士(経済学)の学位請求論文としての合格水準に達し、同学位授与に値するものと判定した。

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