1.はじめに プラントの監視制御システムと交通システムでは、人的因子Human-Factorによる事故の発生が依然として問題になっている。人的因子とは、操作員の行う処理の信頼性と、操作員のストレス状態を指す。処理特性の検討は誤処理を防ぐ意味で、ストレス反応の検討は操作員自身の健康を損なう危険因子を除く意味で重要である。業務中に発生するストレス反応の昂進が突然死の引き金となる可能性も指摘されており、操作員の健康はシステム全体の安全と無関係ではない。 本論文では、情報処理場面として保持内容の一部更新を伴う短期保持作業を対象とし、またストレス反応として、高血圧や不整脈への増悪作用が指摘されている交感神経活動昂進・副交感神経活動抑制型(I型)のストレス反応を対象とした。 先行研究が対象とした短期保持機能は、情報の入力期間と出力期間が時間軸上で分離するため保持内容の更新が無い処理(静的保持)に限定されている。しかし、システム運用(オペレーティング)業務で発生する処理は、情報の入力期間と出力期間が時間軸上で輻輳するため、保持内容の一部更新を慢性的に伴う処理(動的保持)である。 動的保持場面での処理特性は、先行研究で検討されていない。そこで本論文では、動的保持を保持に向ける注意が制約された作業記憶と位置づけ、動的保持特性と作業記憶における注意機能の役割を検討した。 ストレス反応については、動的保持場面での処理特性を踏まえた上で、作業条件と生理指標の関係について検討を行った。 2.論文の構成 本論文は実験1〜実験3で構成される。 実験1では、外部への注意を常に必要とする短期保持課題(動的保持課題)として、保持内容の一部更新を継時的に行う課題(位相遅延課題)により、処理に与えられた時間長(項目提示周期)と処理範囲(動的保持範囲)の関係を調べた。 また、順次提示でFirst-in First-out型の短期記憶課題(静的保持課題)を行い、項目提示周期と処理範囲(静的保持範囲)の関係を調べた。 両課題の結果を基に、処理範囲と処理方略の比較を位相遅延課題と短期記憶課題の間で行い、外部との入出力を伴うことで内部に向ける注意量が制約された場合の作業記憶の特性と、注意機能の役割を検討した。 実験2では、実験1と同じ位相遅延課題により、精神作業時の生理的ストレス反応を強化する作業条件を、作業時の生体計測を通じて検討した。筋的活動を主としない精神作業では情報処理負荷がストレッサーとなり、自律神経性の生理的ストレス反応を引き起こすことが知られている。また、そのようなストレス反応が、極端な場合には心室性不整脈や心筋虚血を誘発し作業者の健康を損なう危険性も指摘されている。高いストレス状態での作業続行は、処理の信頼性を高水準に保つことを困難にする。 そこで実験2では、処理情報量とストレス反応の関係について、処理に対する時間的な制約も検討材料に含めた分析を行った。生理指標は、交感神経活動亢進・副交感神経活動抑制を反映する指標として心拍数を選択した。なお血圧については1回の測定所要時間との関係で実験2では除外した。また心臓迷走神経活動と密接な関連を持つ呼吸活動の指標として呼吸数を選択した。なお指標の選択にあたり、測定技術上の制約(1:低拘束性、2:低侵襲性、3:耐雑音性、4:連続測定が可能)を考慮した。 実験3では、実験1と2で得られた結果をもとに3つの目的で20分間の連続処理時における遂行成績と生理指標(心拍数、収縮期血圧値、拡張期血圧値、呼吸数)を測定した。第1の目的は、処理時の時間的余裕の差が、処理結果の正確さに与える影響の検討である。第2の目的は、処理量(保持項目数)が多い条件で生じる生理的ストレス反応の昂進が、作業開始期の一時的な現象なのか、或いは時間的持続性がある現象なのかを検証することにある。第3の目的は、処理場面での時間的な余裕がストレス反応を緩和する可能性の検討である。 3.実験の手続き実験1 位相遅延課題(動的保持課題)では、座位の被験者に対して一定周期で1桁数値がランダムに連続音声提示され、被験者は予め指示された項目数(遅延項目数)の提示をはさんで保持した数値系列を、テンキー入力で順次遅延再生する。遅延項目数が保持処理の対象となる項目数となる。提示周期は1、1.5、2、2.5、3、3.5、4、6、8秒の9条件で、遅延項目数は0項目(単純反応)から順次増やし、1番目から15番目までの出力項目が全問正解となる場合の遅延項目数の上限を、当該の提示周期における処理範囲と定義する。 また、逐次提示型の短期記憶課題(静的保持課題)により、提示順序通りの一括再生が可能な処理範囲(静的保持範囲:連続記憶範囲に該当)を、1、2、4、6、8秒の5提示周期条件で測定した。被験者は20才から30才までの男子25名で、十分な訓練を経て処理特性が安定した上で実験を行った。 併せて、両方の課題について処理方略を調べた。 実験2 実験1と同じ位相遅延課題で、項目験提示周期を2、4、8秒の3条件とする。なお、被験者が参加する遅延項目数条件については、当該提示周期条件で各被験者が遂行可能な全ての項目数条件とした。実験1に準じて1試行の出力項目数は100%正確に処理できる15項目(1作業時間は15秒から2分)とした。被験者は22歳〜28歳の男子9名。実験は人工環境室(室温24±1℃、湿度60±5%)内で行った。心電図(ECG)は、胸部縦隔線上を正極、左鎖骨下を負極として導出を行った。呼吸活動は、ゴム管により胸郭の伸縮を硫酸亜鉛溶液の電気抵抗値の変化で検出するニューモグラフィーにより呼吸曲線を観測した。 実験3 実験1、2と同じく位相遅延課題を課す。被験者は22才から30才の男子12名。項目提示周期条件は2、4、8秒の3条件とし、遅延項目数は各提示周期条件毎に0条件(低負荷条件)と処理上限値条件(高負荷条件)の2条件とした。処理結果の評価指標は、(1)数値一致率(入力数値系列と出力数値系列の一致率)、(2)バッファ一致率(予め指示された保持項目数の数値順列を1セットとした場合の、入力系列と出力系列間のセット単位での一致率)、である。生理指標は、心拍数、呼吸数(測定環境と方法は実験2と同じ)、上腕カフによる3分毎の間欠測定による収縮期血圧値と拡張期血圧値の4指標とした。 4.結果と考察実験1 (1)位相遅延課題(動的保持課題)では、項目提示周期が4秒以下の条件で、内容更新頻度(提示周期条件)と処理範囲(動的保持範囲)の間にトレードオフが存在した。また提示周期が4秒を越えると、処理範囲に天井効果が現れ、被験者毎に一定値を示した。1桁数値を用いた位相遅延課題では、提示周期4秒以上で4〜5項目(1名のみ6項目)という結果が得られた。この範囲は、短期記憶課題(静的保持課題)の処理方略である群化の1群構成要素数(リズムを構成しやすい範囲=4)に近い値をとった。動的保持範囲と静的保持範囲の差は、内容更新に伴う注意分散に起因すると考えられる。 (2)位相遅延課題では保持項目数が多いほど、項目群の保存を有利にする方向で方略を選ぶ傾向がみられた。具体的には、音韻リズムや視覚イメージを援用して、その時点での保持項目群を一続きのパターンにまとめ、内的表象としてのパターンを操作する処理方略を採用する傾向がある。 実験2 全ての提示周期で、処理項目数と呼吸数の間に正の相関(処理項目数の増加に伴う呼吸数の単調増加傾向)が示された。ただし8秒周期条件では、処理量の増加に伴う呼吸数の増加傾向は緩和され、処理項目数を因子とした1元分散分析でも主効果に有意性はなかった。また、高負荷条件(処理項目数が上限値の条件)では低負荷条件(遅延項目数0:単純反応条件)と比較して、全ての提示周期で呼吸数は有意に増加した。 心拍数についても処理項目数の増加に伴い、平均値では増加傾向が見られたが、処理項目数と心拍数の間での相関に有意性はなかった。また、全ての提示周期で低負荷条件より高負荷条件で心拍数の平均値が増加したが、有意差がみられたのは4秒条件のみであった。 高負荷条件での指標値を8秒条件と4秒条件で比較した結果、平均値では呼吸数・心拍数共に4秒条件より8秒条件で減少した。ただし有意差がみられたのは呼吸数のみであった。このように処理量の増加に伴うストレス反応は呼吸数と心拍数で異なる様式を示し、原因として作業時間長の影響と、情報処理作業のストレッサーとしての強度の2つの可能性が示唆された。 実験3 同じ高負荷条件でも、8秒条件は4秒条件より数値一致率・バッファ一致率の両方で正解率が有意に高かった。処理の時間的余裕に由来する負担の差が、正解率の差に表れたと考えられる。また、どの提示周期条件でも、全ての生理指標において平均値では、高負荷条件では低負荷条件よりも有意差のある増加がみられた。 この結果より、交感神経緊張・副交感神経抑制型の生理的ストレス反応は作業開始時に生じる一過性のものではなく、作業遂行時の情報処理負荷に由来するものであることが示された。 高負荷条件での各指標を8秒条件と4秒条件で比較した結果、平均値は全ての指標で4秒条件より8秒条件で減少した。ただし有意差がみられたのは呼吸数と血圧値(収縮期、拡張期の両方)であり、心拍数には有意差がみられなかった。 5.結言 (1)内容の一部更新を伴う作業記憶(動的保持)では、処理に対する時間的制約が高い場合、内容更新頻度(内容更新周期の逆数)と処理範囲(動的保持範囲)の間でトレードオフが成立する。 また、内容更新周期が一定値を越えると処理範囲に天井効果が現れ、被験者毎に一定値をとるようになる。1桁数値を記銘材料として用いた場合、内容更新周期が4秒以上の処理範囲は4〜5項目(1名のみ6項目)という結果を得た。 (2)短期記憶や作業記憶など短期保持の先行研究では、記銘方略としての群化とリズム処理の類似性が指摘されてきた。ただし先行研究では、対象とする短期保持を内容更新の無い保持に限定してきたため、処理範囲は数字や文字を記銘材料とした場合に、いくつかのリズム単位で構成される長さになることが報告されてきた。このため先行研究では、リズム的な処理と群化の類似性について、階層構造性と音声表象傾向の指摘にとどまっていた。 今回、保持への注意量が制約される位相遅延課題で、数値を記銘材料とした場合の処理範囲がリズム1群の構成要素数に近い値を示した。この結果から、音楽体験であれ言語体験であれ、内容更新を伴う作業記憶ではリズム的な系列処理が保持範囲を規定し、リズム1群に相当する系列が短期保持における群化の基本単位であることが示された。今回の結果から注意範囲とリズム的な系列処理の密接な関係が示唆される。 (3)精神作業時に、心拍数や収縮期血圧値の上昇などの、交感神経系緊張・副交感神経系抑制というI型(能動的対処型)のストレス反応が生じることは、従来から知られていた。 しかし、精神作業時のストレス反応を対象とした先行研究では、安静時を統制条件とした場合も含めて、課題難度の変更が入力時の感覚器曝露条件や出力時の動作条件の変更を常に伴う。このため生理的ストレス反応の差が、workloadを構成するどの要素処理過程の差を反映するのかが曖昧であった。 今回の実験は、作業難度の変更とは独立に入出力条件の統制を可能にした課題を用いることで、入出力条件の変動による生体への影響を極力排除し、心的過程における処理情報量の増加が生理的ストレス反応を強化することを示した。 (4)処理能力の許容限界に近い状態の作業場面では、処理に対する時間的な余裕を増やすことが、処理成績を改善し、生理的ストレス反応を緩和の方向で変化させた。この結果から、処理場面における時間的制約が人的因子の信頼性を規定する要因であることが示された。 |