学位論文要旨



No 111543
著者(漢字) 西尾,寛治
著者(英字)
著者(カナ) ニシオ,カンジ
標題(和) ムラユ政治文化における王権構造 : 前植民地期歴史叙述の分析を中心に
標題(洋)
報告番号 111543
報告番号 甲11543
学位授与日 1995.11.13
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人社第127号
研究科 人文社会系研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 桜井,由躬雄
 東京大学 教授 蔀,勇造
 東京大学 教授 中里,成章
 東京大学 教授 関本,照夫
 東京女子大学 教授 鈴木,恒之
内容要旨

 本論文はムラカ王国を中心とするムラユ人港市国家群の王権思想の歴史的変容を分析したものである。

 第1章では、分析方法上の問題を解説する。本論で用いられる主たる史料は、ムラユ語をジャウィ(アラビア系文字)で表記した年代記、ならびに同時期の欧州語史料である。

 第2章では、ムラカ王権の成立の基礎を沿岸民ムラユ出身のラジャと海上民オランラウトの君臣関係の成立を契機に形成された王権であったが、この君臣関係はアッラーによって調節される互酬的な契約関係である。このとき、王の権威はダウラトとよばれる超自然的な力に由来し、これに対抗する臣下の行為ドゥルハカは、厳しく禁止される。

 第3章では、ムラカ王権の継承者であるジョホール王国における王権の性格を考察する。ジョホール王国は1699年のスルタン・マフムード王の暗殺事件を境に前期ジョホール王権と後期ジョホール王権に分かれる。前期ジョホール王権は基本的にはムラカ王権の延長上にあり、王とオランラウトとの誓約関係を基礎としていたが、スルタン・マフムードはダウハカを失い、臣下のブンダハラによって弑逆された。この事件を機にムラカ王系の貴種は断絶し、オランラウトの王権に対する忠誠は失われ、新王系の王権は相対化される。

 第4章では、18世記におけるジョホール王権の継承者であるジョホール・リアウ王権の性格について分析する。ジョホール・リアウ王権は、ムラユ王系の王と海上民であるブギスの誓約関係によって成立している。ここではダウラト観念を軸とする誓約にかわって、プルジャンジアン論理が優先する。プルジャンジアン(契約)はより双務性の強い概念で、イスラムの思想がプルジャンジアンの厳守を保証する。イスラム王権思想はイスラムの修養を通じて知識、理性、恥の観念を保有した支配者のみが、王の正統性を確保できるとするものである。

 結論では、東南アジア的王権思想が、王権の相対化とともに、イスラム王権思想の強い影響をうけていくとする。

審査要旨

 本論文は、15世紀から18世紀にいたる、マラッカ海峡を中心とするムラユ人港市国家の王権思想の成立とその転換を論じたものである。東南アジアの王権思想はすでに長い研究史をもつが、いずれもインド王権思想の影響を受けた在地の思想を非歴史的に問題にしたものである。本論は土着的王権思想の形成とその変容、また問題にされることが少ないイスラム王権思想の影響を論じ、この地域の王権思想の歴史的変容を考察する。本論は4章と結論からなる。

 第1章は、史料、並びに環境について論じられ、地域の特性としての人口の小ささと社会的移動性の高さが強調される。

 第2章は、マラッカ海峡に15世紀に生まれた代表的な港市国家ムラカ王国の王権形成過程を、年代記を中心テキストに分析し、超自然的能力を有する流遇の貴種と海峡民の君臣誓約関係として理解する。

 第3章では、ポルトガルによるムラカ王国の崩壊後、ムラカ王権はジョホール王国に移行するが、ここではイスラム王権との関係が強化されるとともに、臣下の権限が強まる。17世紀の末に発生したスルタン・マフムード王弑逆事件が発生する。これによってムラカ王権の血の正統性、ダルハカの正統性が失われ、王権が著しく相対化された。

 第4章では、18世紀にムラユ沿岸民の王は、新たに進出したブギス海上民との契約関係を通じて、ジョホール・リアウ国家が成立する。ジョホール・リアウ国家では、イスラム王権思想の強い影響の下に、プルジャンジアンを基礎とする王権概念を保有する。

 結論では、15世紀に成立したダウラトを基礎とする伝統性の強い王権思想は、18世紀にイスラム王権思想の強い影響をうけたナマの王権思想に移行したとする。

 従来、ムラユ王権論は、その伝統性、非歴史性のみが強調され、また観念的に論じられる傾向が強かったが、本論は、ジャウイ文字表記によるムラユ文書を博捜し、王権関係事件を具体的に分析することを通じて、王権思想の歴史的展開を論じたものであり、従来のムラユ国家論を大きく抜くものと認められる。その一方、本論文は以上のような具体性、個別性にはすぐれているが、歴史用語使用の厳密性、また論理的展開にやや混乱がみられる。

 しかし、この批判にもかかわらず審査委員会は、本論文が多くの成果をあげており、博士(文学)を授与するに値するものとの結論を得た。

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