本論文は、15世紀から18世紀にいたる、マラッカ海峡を中心とするムラユ人港市国家の王権思想の成立とその転換を論じたものである。東南アジアの王権思想はすでに長い研究史をもつが、いずれもインド王権思想の影響を受けた在地の思想を非歴史的に問題にしたものである。本論は土着的王権思想の形成とその変容、また問題にされることが少ないイスラム王権思想の影響を論じ、この地域の王権思想の歴史的変容を考察する。本論は4章と結論からなる。 第1章は、史料、並びに環境について論じられ、地域の特性としての人口の小ささと社会的移動性の高さが強調される。 第2章は、マラッカ海峡に15世紀に生まれた代表的な港市国家ムラカ王国の王権形成過程を、年代記を中心テキストに分析し、超自然的能力を有する流遇の貴種と海峡民の君臣誓約関係として理解する。 第3章では、ポルトガルによるムラカ王国の崩壊後、ムラカ王権はジョホール王国に移行するが、ここではイスラム王権との関係が強化されるとともに、臣下の権限が強まる。17世紀の末に発生したスルタン・マフムード王弑逆事件が発生する。これによってムラカ王権の血の正統性、ダルハカの正統性が失われ、王権が著しく相対化された。 第4章では、18世紀にムラユ沿岸民の王は、新たに進出したブギス海上民との契約関係を通じて、ジョホール・リアウ国家が成立する。ジョホール・リアウ国家では、イスラム王権思想の強い影響の下に、プルジャンジアンを基礎とする王権概念を保有する。 結論では、15世紀に成立したダウラトを基礎とする伝統性の強い王権思想は、18世紀にイスラム王権思想の強い影響をうけたナマの王権思想に移行したとする。 従来、ムラユ王権論は、その伝統性、非歴史性のみが強調され、また観念的に論じられる傾向が強かったが、本論は、ジャウイ文字表記によるムラユ文書を博捜し、王権関係事件を具体的に分析することを通じて、王権思想の歴史的展開を論じたものであり、従来のムラユ国家論を大きく抜くものと認められる。その一方、本論文は以上のような具体性、個別性にはすぐれているが、歴史用語使用の厳密性、また論理的展開にやや混乱がみられる。 しかし、この批判にもかかわらず審査委員会は、本論文が多くの成果をあげており、博士(文学)を授与するに値するものとの結論を得た。 |