本論文は、第二次大戦後の国連創設以来発展してきた人権の国際的保障を目的とする包括的多数国間条約体制を国家の義務の側面から研究したものである。人権条約の成立は個人の人権保障と国際法とが決して構造的に相容れないものではないことを示しているが、国家とは別の法主体である個人の人権保障を目的とすることから、条約の実施過程で大きな緊張を生ぜしめる。本論文はこの緊張関係に着目して、人権条約の実行の分析から、人権条約上の国家の義務を実質的に把握することを目的としている。本論文の構成は、第I章(序論)、第II章(人権の不可分性)、第III章(各人権の不可分性と条約実施)、第IV章(諸人権の不可分性と条約実施)、第V章(結語)からなる。以下、本体部分の第II章-第IV章を中心に本論文を要約する。 第II章では、まず「人権」概念が検討される。「人権」の本質的側面は、その享有者の利益を保護し促進するため他者特に国家に対して相関的義務を課す請求権(クレイム・ライト)たることである。人権は第一次的には国家権力に向けられた原理であるが、理論的には、人権の義務主体はすべての人である。国家だけでなく個人も人権を守る義務主体であることはすでに1948年世界人権宣言で表明されている。後に1966年国際人権規約(自由権規約と社会権規約)などの条約において、人権保障に関する国際法上の義務が国家に収斂した。また、権利の存否にとって、執行可能性の有無は本質的要素ではなく、国際人権法が人権規範実現について「執行enforcement」より「実施implementation」および「監視supervision」の語を用いていることに注目する。 人権を国家の不作為を要求する「自由権」と国家の作為を要求する「社会権」にカテゴリー化することは、人権の発展の沿革を国家の役割の変化という観点からとらえる限りにおいては有効な分類であるが、複雑化した今日の社会状況では、それぞれの人権は自由権的側面と社会権的側面をあわせもつのが普通である。国家の義務として消極的な不作為と積極的な作為のいずれが求められるかは、具体的な状況において権利の実現が要請するところによるとする。 ついで、自由権と社会権の分類は論理的根拠が薄く、人権の実現にとって不当な二分論であるとして、人権の多面性についてメイヤー・ビッシュの人権の不可分性(indivisibilite)の議論を詳しく紹介している。いずれの人権も、人間の尊厳の多面性を不可分のかたちであらわしており、そのような人権の不可分性が人権の解釈と実施における原則とならなければならない。人権の不可分性は、人権条約上国家の負う義務に大きな緊張関係を生みだす。この緊張関係は、人権規定が権利の「保障」ないし「確保」を義務づけている場合、特に明確にあらわれる。これは、ある人権が現実には多面的な性格を不可分のかたちでもっているという「各人権の不可分性」を示す。また、すべての人権は人間の尊厳の確保にとって不可分の重要性をもつという「諸人権の不可分性」は、人権条約を実効的に解釈する必要性を通して、条約締約国の義務に反映する。また、人権の特性は、人間の尊厳ある生の要求からする絶対的性格にあり、換言すれば、人権概念に内在する不可侵の要素としての「核」がそこに存在するものとみる。 第III章(各人権の不可分性と条約実施)では、まず権利を「保障」ないし「確保」する義務の法的性格について考察する。自由権規約2条1項のいう一般的義務の法的性格につき、権利を確保するという国家の義務は、権利の実現の多様なあり方および国家の義務の多様性という観点から、多面的・複眼的にとらえ直す必要がある。また、権利の漸進的実現のための「措置を取る」義務について、社会権規約2条1項の義務の性質を検討する。「措置を取る」義務は、結果の義務とゆるやかな行為の義務の混合であって、締約国の義務履行は、取られた措置によって規約上の権利の実現に進歩をもたらしたかという観点から法的評価を受けなければならない。 ついで、国家の義務をめぐる条約実行の展開に移る。人権条約は、締約国に対し義務の国内的実施の義務を課す一方、条約機関による種々の国際的実施の制度を設けている。それらのうち、個人通報制度および国家通報制度はいずれも人権侵害の事後救済という性格をもち、国家報告制度は締約国の立法・行政・司法制度およびその運用、ならびに事実上の人権状況という全般的な国内実施状況を継続的に評価するもので、人権促進のための制度である。こうした制度を通じて人権条約の条約機関は、締約国の条約履行状況を評価しつつ、条約上の規範を有権的に解釈するという重要な役割を担う。各締約国はそれを国内的実施の際に採り入れ、それがまた条約機関によって履行状況評価の対象となる。このプロセスは条約の運用において繰り返される。本論文では、人権諸条約のうち、権利の「保障」ないし「確保」を義務づけた条約を年代順(ヨーロッパ人権条約、自由権規約、米州人権条約)に検討し、ついで「措置を取る」義務を課した社会権規約を取り上げる。 まず、ヨーロッパ人権条約につき、締約国のすべてが適用を認めている個人通報制度のもとでの多くの判例が検討される。ヨーロッパ人権裁判所の75年Golder判決、78年アイルランド対イギリス判決では、条約の実効性確保のため条約の「発展的解釈」を行うという立場が表明され、国家の積極的義務の解釈が条約の明白な「発展的解釈」を伴うかたちで引き出される。とくに注目を集めた8条(私生活及び家庭生活の尊重を受ける権利)に関して国家の積極的義務を認定した重要な事例として、非嫡出子の権利制限が問題となったMarckx事件(1979年)があげられる。その後、国家の積極的義務の存在は、委員会および裁判所の決定・判決において確立された解釈となった。 つぎに、自由権規約につき、国際的実施措置として、国家報告制度と選択議定書を批准した国については個人通報制度があるが、自由権規約委員会はこの双方を運用する機関であり、両者における委員会の実行には興味深い相互作用がみられる。一方で、個人通報の事例で委員会が示した見解(views)は国家報告の審議で援用され、規約の有権的解釈として報告制度においても大きな影響を与え、他方、国家報告制度の枠内で委員会が採択する一般的意見(general comments)は、個人通報の審査において引用される。委員会は締約国と建設的な議論を行うという観点から、報告書の検討を締約国代表を招請して口頭の審議により行うこととしている。また、委員会は、委員会全体の見解を反映した「コメント」や「一般的意見」を採択してきた。本論文では、積極的義務をめぐる委員会の見解を報告検討の際の質疑や「一般的意見」などを材料として、条文毎に検討している。たとえば、3条(男女平等の権利)はじめ規約の多くの条項に含まれる権利の平等な享受の規定は、広範な国家の積極的措置が要求されるもので、委員会は報告検討の際常に、真の事実上の男女平等の確保のため締約国が取った積極的措置につき質問しており、81年の一般的意見第4(13)では、保護の措置だけでなく、権利の積極的な享受を確保することを目的としたアファーマティブ・アクションをも必要とすることに締約国の注意を喚起している。他方、個人通報制度のもとで、委員会は多くの事例で権利の実効的確保のための締約国の積極的義務に言及して規約違反を認定しているが、それらの事例をヨーロッパ人権条約のもとでの判例と比べると、人権侵害のほとんどは国家機関自体による恣意的拘禁、拷問、殺害などである。このような人権侵害を防止しかつ起こった場合には効果的救済を与える積極的義務が認定されている。委員会の見解は拘束力のない勧告であるが、委員会は事件に関連して当事国がとった措置を報告するよう求めて、そのフォローアップを行ってきた。とくに6条(生命に対する権利)につき、警察による恣意的殺害に対する実効的な法的規律の必要性が指摘された事例としてGuerrero対コロンビア事件があげられている。 米州人権条約の場合、条約機関として委員会と裁判所が設置され、また、ヨーロッパ人権条約とは逆に、国家通報が選択制で個人通報が当然認められている。米州では多くの国でとくに軍関係者による悪質な人権侵害が目立つが、とくに「失踪」事件のように実行者が最終的に確定できない場合も多く、委員会も裁判所も実行者が私人でも国家は事件を調査し実行者を処罰する義務があるというかたちで、国家の積極的義務を認定している。 以上の各条約の実行から明らかにされた国家の負う積極的義務は、私人によるものを含め侵害から権利を保護し及び権利侵害に対してはこれを救済するという側面と権利の享受を可能にするため種々の人的・物的基盤整備を行うという側面とから、多面的に捉えるのが有用である。とくに後者の側面では、自由権規約委員会の要請する国家の積極的措置は経済的社会的文化的性格の措置にも広く及んでいると指摘する。 社会権規約は、2条で締約国が立法その他の方法により権利の実現を漸進的に達成するため、措置(行動)を取ることを約束すると定める。85年新設の社会権規約委員会は一般的意見第1で報告制度を規約の有機的な実施のための貴重な機会とみなした。この報告制度の枠内で委員会は規約上の権利実現のための国家の多面的義務を明らかにしている。 第IV章(諸人権の不可分性と条約実施)では、人権概念に内在する不可侵の「核」として社会権規約上最低限保障が要求される基本的権利について考察する。人権の不可欠の「核」の概念は二つの視点から、つまり、制限の許されない絶対的要素としての核と人権の実現のために必要な核という二側面について考察しうるが、ここで社会権規約の趣旨目的にてらした締約国の最低限の義務を考える際に関連するのは後者の「核」概念である。そこでまず、著者は、規約の解釈として基本的権利の保障を締約国の最低限の義務とする二つの研究、一つはリンバーグ原則、もう一つはミニマル・スレショールド・アプローチ(minimal threshold approach)を取上げ、これまでの理論状況を整理している。後者のアプローチによると、人権の実現についての最低限の基準を栄養状態、乳児死亡率、疾病率、平均寿命、収入、失業率その他に関する指数によりはかられる国別の基準によって設定し、それを人権の実施に用いることが提唱される。また、権利の分野は食料の摂取、健康サービスヘのアクセス、有給の雇用、教育という4つの「核」のリストに絞られる。これらの分野が採択されるに至ったブライオリティの原則は4つの各分野の内部でも働き、「核」となる権利の優先的実現を要請するものとして(例として、食料に関する権利の核は主食の生産とアクセスである)、権利全体のうちの「核」と各権利内での「核」の相互依存性を強調する。この手法は、社会権規約委員会が報告制度運用において最も重きをおく事柄となっている。とくに91年の一般的意見第3では、規約に内在する要請として「最低限の中核的義務」の存在を明らかにし、これらの義務は途上国を含むすべての締約国が負うとする。他方、中核的義務の確認は、途上国の条約履行を助ける国際社会の責任を改めて提起し、そのために国際協力は不可欠な役割を担う。発展の権利の概念はこの国際協力の枠組みの中で、すべての人の基本的権利の確保を最優先の目的とする援助・協力の実施を求める理論的基礎となりうるとしている。 第V章(結語)では、著者は、途上国における基本的な経済的社会的権利の保障が、普遍的レベルでの人権の不可分性に内実を与える鍵となるとし、社会権規約の生産的な解釈と実施はその核をなすと結論づける。そして、国際人権法の普遍的妥当性は、社会権規約が自由権規約とともに人間の尊厳を統一的に確保することに大きくかかっている、と結んでいる。 以上が本論文の要旨である。 本論文の長所としては、以下の点をあげることができる。 第1に、本論文は、現代国際人権の基本文書の定める諸人権規定が関係裁判所や委員会の実行を通じていかに実施されてきたかを豊富な一次資料に基づき詳細に分析し、主要条約の全貌の初めての解明を行った包括的研究として十分に評価することができる。 第2に、本論文は、人権の哲学的考察から始め、人間の尊厳から「人権の不可分性」の概念を梃子に、社会権のみならず自由権の各人権について国家の積極的義務の存在と射程を実証的に明らかにした。本研究を通じて、自由権は消極的即時的義務、社会権は積極的漸進的義務という、とくに日本では支配的な二分論は、今日の国際社会では必ずしも妥当しえないことが実証的に明らかにされたことは注目に値する。 第3に、本論文は、とくに途上国の人権保障を考える枠組みとして、ミニマル・スレショールド・アプローチや人権の「核」の議論を取り入れ、さらに発展の権利をも視野に収めた全体的見取図への手掛かりを与えた点でも有意義であると思われる。 他方、本論文には、次のような短所ないしは問題点も指摘できる。 第1に、本論文は、人権の基本にかかわる理論から説きおこしているが、国際人権研究史の叙述がほとんどなく、かつ論文全体の構成が必ずしもはっきりせず、同様の主張の繰り返しも目立つ。 第2に、条約実施として委員会などの意見やコメンタリーの有権性を素朴に前提にしているふしがあるが、その根拠は必ずしも明らかにされていない。積極的義務があっても実施できない場合の阻害要因などの分析も行われておれば、より説得性を得たと思われる。 しかし、以上のような短所ないしは問題点も本論文の上記の長所や価値を大きく損なうものではない。本論文は全体として、従来のとくに日本における研究と比べて斬新性を有し、国際人権法の中心を占める諸条約の包括的かつ実証的研究として学界に貢献するものと考えられる。したがって、本論文は博士(法学)の学位にふさわしい内容と認められる。 |