近年開発が進められているナノフィルトレーション(NF)膜は、脱塩性能と同時に分子量数百から数千の分画性を示すことから、超純水の製造、低分子有機物の分離・濃縮などへ応用されている。NF膜の分離特性は、ナノメータサイズの膜細孔による篩効果と、膜素材が有する電荷による静電気効果とが複合して発現すると考えられるが、このような分離特性について定量的に取り扱った研究はこれまでにほとんど報告されていない。 本論文は9章からなり、NF膜の分離特性を定量的に記述できる輸送方程式を確立することを目的としている。静電気効果については、膜にキャピラリー状の細孔構造を仮定する空間荷電(Space Charge:SC)モデル、均一膜構造を仮定する簡便な固定荷電(Teorell-Meyer-Sievers:TMS)モデルの適用可能性を明らかにし、篩効果については限外濾過膜に適用されている立体障害細孔モデルを用い、両者を組み合わせることで新たに輸送方程式を提案している。この輸送方程式では分離特性は膜の細孔構造(細孔径、開孔率、膜厚)と荷電特性(有効荷電密度)とで記述される。実際に4種のNF膜について細孔構造と荷電特性の評価を行い、その結果に基づいて新しい輸送方程式を用いて計算した分離特性は、実験結果とよく一致し、輸送方程式の妥当性が明らかとなっている。 第1章は序論で、NF膜の特性、産業分野での利用の現状、透過特性の評価法に関する既往の研究をまとめ、研究の目的を述べている。 第2章では、SCモデルの説明と数値計算を行っている。このモデルでは膜は荷電細孔構造からなると仮定し、細孔内の濃度分布・電位分布、溶媒流速分布及びイオン流速分布を各々Poission-Boltzmann式、Navier-Stokes式及びNernst-Planck式で表し、膜の荷電細孔内での輸送現象を精密に記述している。しかしこれまでSCモデルで膜の塩阻止率や膜定数を数値計算した例は、膜透過流束が無限大などいくつかの特殊条件下の場合のみであった。本研究では初めてこれをすべての膜分離条件下で計算可能としている。 膜透過現象は膜をブラックボックスとし、非平衡熱力学に基づいた現象論方程式から導出された輸送方程式により、溶質の反射係数と透過係数、純水の透過係数の3つのパラメータで説明できる。第3章では、電位分布、濃度分布を記述するPoission-Boltzmann式をRunge-Kutta-Gill法で数値解析することで求められた現象論係数から、この3つのパラメータがSCモデルを用いることで膜の細孔構造と荷電特性に基づいて計算できることを示している。このことは膜の細孔構造と荷電特性とが既知の膜についてはあらゆる電解質溶質に対して分離特性が予測できることを意味し、実用上も重要な成果である。荷電膜の特性評価には従来からTMSモデルが用いられてきている。このモデルではSCモデルが膨大な複雑な計算を必要とするのに対して比較的簡単に分離特性が計算できるので、第3章ではその適用可能性についても検討している。TMSモデルでは膜は細孔構造を持たない均一なゲル構造と仮定し、その中に固定解離基が均一に分散していると考えるので、荷電細孔を持つNF膜に対しては本来適用できない。しかしSCモデルによる計算結果とTMSモデルによる結果とを比較検討することで、細孔径および表面荷電密度によっては(無次元細孔表面電位勾配q0<1)、TMSモデルが近似的に適用できることを明らかにしている。 第4章では、第3章の結果を直接溶質の阻止率で比較している。特にSCモデルについては、本来溶媒流速分布はNavier-Stokes式より計算すべきところを、計算の簡便化をはかる目的でHagen-Poiseuille式の適用可能性を検討し、両者の差はNF膜の領域では実用上問題ないことを明らかにしている。 膜の荷電特性は、膜電位あるいは流動電位から評価できるが、測定値から膜の荷電密度を求めるためにはTMSモデルかSCモデルを使用しなければならない。第5章では、この2つのモデルを用いて逆に荷電密度から膜電位、流動電位を計算し、それぞれについてモデルによる違いを検討している。その結果、膜電位は分離特性と同様q0<1の条件下で両モデルによる計算結果はよく一致するが、流動電位はq0<0.1の条件下で一致することを明らかにしている。 第5章までは溶質は静電気効果のみによって分離され、サイズによる篩効果の影響はない場合を取り扱っているが、NF膜に期待されている大きな応用の一つは「荷電」と「サイズ」とを合わせ持つ溶質の分離である。従来膜の細孔サイズによる非荷電溶質の透過特性の解析には、立体障害(Steric-Hindrance:SH)細孔モデルが用いられている。本研究の後半では、既往のSH細孔モデルとTMSモデルにより、NF膜の中性溶質阻止率のサイズ依存性や電解質阻止率の濃度依存性の予測が可能であることを確認したうえで、新たな分離対象、例えば「荷電」と「サイズ」両方の効果を受ける有機電解質の透過特性を予測するための新たなモデルを提案している。 第6章では、まずNF膜における「荷電」と「サイズ」を持つ有機電解質の透過特性を評価するため、SCモデルとSH細孔モデルを組み合わせることによって、静電気と立体障害効果を考慮した新たな(Electro-static and Steric-hindrance:ES)モデルを提案している。このモデルでは静電気と立体障害効果とはそれぞれ膜の固定荷電密度と電解質濃度の比と、有機電解質ストークス半径と膜細孔径の比で表される。NF膜はq0が1より小さいため、その静電気効果は前半の結果に基づき実際にはTMSモデルを用い、単成分有機電解質系の膜パラメータ(反射係数と溶質透過係数)に及ぼす静電気効果と立体障害効果の影響を計算している。 第7章では、ESモデルの検証に先立ち、必要となるNF膜の細孔構造と荷電特性をそれぞれSH細孔モデルとTMSモデルを用いて透過実験から評価している。実験には4種類の市販NF膜と、中性溶質として4種類のアルコール、4種類の糖、塩電解質として塩化ナトリウムを使用している。SH細孔モデルを用いて中性溶質の透過実験から推定した4種類のNF膜の細孔半径は約0.4〜0.8nmとなっている。荷電特性は一定表面荷電密度あるいは一定表面電位を仮定した場合には、塩透過実験から求めた輸送パラメータの一つである反射係数の塩濃度依存性が説明できなかったことから、濃度依存性を有する有効荷電密度を定義し、これを記述する新たな簡易経験式を提案している。この結果、有効荷電密度の塩濃度依存性を評価することができ、SH細孔モデルとTMSモデルはNF膜に適用可能であることを実験的に明らかにしている。 第8章では、第7章で推定された4種類の市販NF膜の細孔構造と有効荷電密度を用い、「サイズ」と「荷電」とを持つトレーサー溶質と支持塩の混合系でESモデルの検証を行なっている。トレーサー溶質はベンゼンスルホン酸ナトリウム、1-ナフタレンスルホン酸ナトリウム、テトラフェニルホウ酸ナトリウム、支持塩は塩化ナトリウムを用いている。その結果、反射係数の実験値は理論値とよく一致し、また膜構造因子Ak/xはトレーサーや支持塩濃度によらずほぼ一定の値を示し、中性溶質で求めた値とも比較的良く一致した。これによりふるい効果と荷電効果の両方を考慮したESモデル透過式の有効性を明らかにしている。 第9章は本論文のまとめである。 以上、本研究では近年急速に普及しているNF膜の分離性能を、新たに提案した輸送方程式により膜の細孔構造と荷電特性に基づいて定量的に評価できることを明らかにしており、膜分離工学に大きく貢献するものである。 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。 |