内容要旨 | | 炭素繊維は,天然,人工両繊維を含めた中でも最も優れた特性を有する繊維の一つであり,これまでも多くの分野で利用されてきた.特に高強度,高弾性,耐熱性などの機械的性質に優れており,主に構造材料として着目されてきた.しかし最近の研究で,比較的低温で焼成して得られる半導性炭素繊維は,センサなど機能材料として非常に見込みのある材料であることが明らかになってきた.炭素繊維材料を機能材料としてどのように利用するか,また優れた電気的特性を引き出していくかを研究することは,非常に価値のあることだと考えられる. 半導性炭素繊維は,原料プレッカーサの種類や,焼成諸条件,さらには特殊な処理を施すなどにより,その構造および電気的特性が大幅に変わってくる.また半導性炭素繊維の機能性材料としての応用と一口に言っても,その用途により求められる特性はさまざまであり,それぞれに適した特性を持つ炭素繊維を作成することが肝要である.このようなニーズに答えるためには,どのような製造条件,追加処理条件では,どういった電気的特性を有する半導性炭素繊維が作製できるかといった因果関係をできるだけ詳しく把握するとともに,炭素繊維自体の組織構造との関連性についても掴むことが大切である. この論文では,このような関連性を解明すること,および製造条件を制御し,求める電気的特性を有する(すなわちそのための構造を持つ)半導性炭素繊維を自由に作製することを究極的な目標として捕えた.もちろんこの目標を完全な形で達成するのは至難の業であるが,少しでも克服する手段,情報を提供することをまずここでは考えた.そして以下に示すように,原料種類,原料繊維径,焼成温度,焼成時間,焼成雰囲気中の酸素濃度など様々な製造条件の変化あるいは高電圧パルス印加などの各種処理を加えることで,得られる半導性炭素繊維の電気的特性および構造にどのような影響を及ぼすのかを各項目ごとに調べ,先に示した製造条件,炭素繊維の構造と電気的特性の関係を解きほぐすための情報を得ることを目的とした. 本論文は8章から成っている.第1章では炭素繊維に関する開発背景,PAN系,ピッチ系各繊維の製造法と構造に関する一般的知識および本論文の目的について取り扱っている.また全章にわたって共通している実験方法を1)半導性炭素繊維の調製,2)炭素繊維の電気的特性の評価法,3)構造解析に分けて紹介している.さらに繊維構造について考察するのに有用な情報を与えてくれる高電圧パルス印加手法についてその目的と方法に関しまとめて紹介した. 第2章では,PAN系炭素繊維の焼成雰囲気中の酸素混入の有無が,どのように炭素繊維の構造および電気的特性に影響を及ぼすかについて解析した.これにより焼成雰囲気中の混入酸素が繊維の構造決定において,どのような役割を演じているのかを考察した. この結果,酸素の混入している雰囲気で高温まで長時間焼成した繊維ほど,同温同時間純窒素中で焼成した繊維の比抵抗より高い比抵抗を有することがわかった.炭素繊維の表面を見ると,純窒素中焼成繊維は,原料プレカーサ同様の筋上組織が観察されるのに対し,酸素混入窒素中焼成繊維では,酸化脱離侵食の過程で残ったと思われる網目上の組織が観察された. 第3章では,熱型赤外線センサの特性向上法として提案された高電圧パルス印加処理の効果について紹介した.ここでは,具体的に特性を向上することを狙った電極針を繊維に沿って走査する方法により,電気的特性がどの程度変化するのかを調べるとともに,この処理に対する感受性に,焼成温度,焼成雰囲気中の酸素の有無,原料プレカーサの種類などがどう影響するかについても検討した.この結果,以下の点が明らかとなった. ・電極針を繊維に沿って走査しながら高電圧パルスを印加すれば,いずれの繊維も多かれ少なかれ比抵抗が低下する. ・ただし赤外線センサとして実用的な1/100オーダで比抵抗を低下させるためには,酸素混入雰囲気中で焼成した繊維でなければならない. ・この処理によって表面が大きく荒れた繊維ほど,比抵抗が大幅に低下している. ・原料種類としては,ピッチ系の方が対高電圧パルス線が高い. 第4章では,高電圧パルス印加処理に対する焼成雰囲気中の酸素の影響についてのみ詳しく調べることに主眼をおいた,測定結果を乱す可能性のある項目を取り除くために,純粋窒素流通中で水分除去などの前処理を施した後電気的特性の測定を行った.また同じ雰囲気中で繊維両端間に高電圧パルスを印加し,走査の仕方や繊維表面の大幅な損傷などに起因する測定誤差を除いて焼成雰囲気の与える影響を求めた. この結果,PAN系炭素繊維の場合,純窒素中で焼成した繊維は高電圧パルスを印加しても全く比抵抗が変化せず,酸素混入雰囲気中で焼成した繊維のみ比抵抗の低下が見られることがわかった.両者の構造上の相違は繊維のごく薄い表面層のみで,このわずかな部分の相違によって大きく電気的特性が異なることから,繊維表面の構造制御がその炭素繊維全体の電気的特性を左右する鍵であるといえる. 第5章では,炭素繊維の構造および電気的特性に影響を及ぼす因子を,焼成雰囲気中の酸素濃度のみに絞って詳しく調べた.原料繊維はPAN系に,また焼成温条件は600℃×3hr.に限った.この結果,比抵抗は,焼成雰囲気中の酸素濃度0.007%から0.2%の範囲で変化させてもほとんど変化がないのに対し,サーミスタ定数は酸素濃度の大きい雰囲気で焼成した繊維ほど小さくなることが判明した.したがって半導性炭素繊維のサーミスタ定数は,焼成雰囲気中の酸素濃度を制御することによりある程度変化させられることがわかった.これにより,焼成温度と焼成雰囲気の酸素濃度を制御することにより,ある程度欲する電気比抵抗とサーミスタ定数を独立に得られる可能性が示唆された. 第6章では,繊維の径,およびプレカーサの種類によってどう電気的特性が異なるか,また高電圧パルスを印加したときの挙動はどう違うかなどについて調べた.さらに各々の構造の相違と対比させ,電気的特性と繊維の構造との相関性について考察した.この結果以下の点が明らかとなった. ・同一焼成温度で比較した場合,純窒素中焼成繊維の比抵抗は,PAN系繊維とピッチ系繊維では,まったく異なる傾向を示した. ・同一焼成温度で比較した場合,PAN系炭素繊維の比抵抗は,純窒素中焼成に比べ酸素混入窒素中焼成の方がわずかに高い程度であった.しかしピッチ系炭素繊維の比抵抗は,酸素混入窒素中焼成繊維のほうが明らかに低くなっていた. 第7章では,半導性炭素繊維の感湿度特性に触れた.第6章までは電気的特性として主に比抵抗とサーミスタ定数(温度の変化によってどの程度比抵抗が変化するかを表わす定数)に着目してきたが,この章では,湿度の変化によってどの程度比抵抗が変化するかについて実験を行った.この点に関し,原料繊維の種類(PAN系炭素繊維とピッチ系炭素繊維)や焼成雰囲気中の酸素混入の有無の影響,さらには高電圧パルスを印加することによって繊維の感湿度特性がどのように変化するかについて研究した.またこれらの結果から,PAN系,ピッチ系の各々の繊維の構造上の特徴に基づく湿度感応機構についても考察した.この結果以下の点が明らかとなった. ・環境湿度の変化にともなう炭素繊維の比抵抗変化は,PAN系炭素繊維よりもピッチ系炭素繊維のほうがずっと大きかった. ・湿度の上昇にともなってピッチ系炭素繊維の比抵抗は低下するのに対し,PAN系炭素繊維ではむしろ上昇した. ・ピッチ系炭素繊維の比抵抗は湿度の変化にともなって徐々に変化していったが,PAN系炭素繊維の比抵抗は湿度の変化よりもかなり遅れて変化した.したがって,ピッチ系炭素繊維の比抵抗は湿度上昇時と下降時で同一湿度に対し比抵抗の差はあまり無いが,PAN系では,非常にヒステリシスの大きい結果となった. ・環境湿度の変化にともなう炭素繊維の比抵抗は,PAN系,ピッチ系ともに,純窒素中で焼成した繊維のほうが大きかった.すなわち酸素混入雰囲気中で焼成した場合,繊維表面における酸化脱離反応が組織の感湿特性を弱めてしまう働きがある. ・ところが高電圧パルス印加処理を施すと,ピッチ系繊維は印加前と比べ感湿特性に変化が見られなかったのに対し,PAN系炭素繊維では,湿度変化にともなう比抵抗変化割合が増した.特に酸素混入雰囲気で焼成したPAN系炭素繊維の変化率は著しかった. ・これらのことからやはり高電圧パルス印加処理に対する感受性はピッチ系よりPAN系の繊維のほうが,純窒素中焼成繊維より酸素混入窒素中焼成繊維のほうが大きいことがわかる.また高電圧パルス印加により酸素混入窒素中焼成繊維の構造は,純窒素中で焼成された繊維に近づくと考えられる. 最後に第8章で,この論文のまとめとした.この研究で,炭素繊維を低温で処理することによって半導性炭素繊維とし,構造材料としてではなく,機能材料として応用するために特性改善の方法を探ってきた.その結果,機能性材料として将来大いに見込みのある半導性炭素繊維の製造条件,組織構造と電気的特性との相関性を解明するための価値ある情報を得ることができた. |