中嶋毅氏の論文「ロシア・テクノクラートとソヴィエト権力 -ソ連における技術と政治 1917-1929-」は、ソヴィエト期ロシアにおける権力と技術者集団の関係の変遷を実証的に綿密に考察したものである。 論文は注及び文献目録を含めて340ページ(400字詰め原稿用紙換算で約1015枚)の膨大な大作である。 ロシア革命後のソ連社会の研究においては、これまでどちらかと言えば農業集団化につながる農民・農村社会の変貌の研究が主流であり、工業化の過程の研究にあっても経済政策史あるいは労働者階級の分析が主流であった。本論文が主要な対象とする技術者集団はこれまでの研究史では比較的看過されてきたグループである。しかし、技術者集団がソ連の工業化のプロセスで果たした役割は決して小さなものではなく、また技術者集団とソヴィエト権力の関係そのものが工業化路線の性格をも規定したことは否定できない。技術者集団は特権的ブルジョア階級と見なされていたためソヴィエト権力からは異質なグループと考えられていたが、同時にソヴィエト権力が推進しようとする工業化にとってなくてはならないグループでもあったため国家による取り込みの対象となった。そのような独特な集団の構造及び集団と権力の関係を分析することは、革命後ソ連社会の特質を検討する上で貴重なモデルを提供することになるのである。そしてそれはソ連の工業化の特質を明らかにすることに資するばかりでなく、工業化プロセス一般における技術者の役割という普遍的意義をもつ問題に対する新しい光をあてるものである。本論文においては、ロシアの文書館のアルヒーフ資料も利用しながら、技術者組織の機関誌、当時の党、政府の機関紙、地方紙など当時の原資料を緻密に読み、分析を加え、行論を支えていくというオーソドクスかつ実証的方法が取られている。論文の分析叙述は以下のようにほぼ時系列にそって進められている。 まず、第1章「ロシア革命と技術者集団」では、技術者集団の特徴を革命前から叙述し、すでに革命前からこの集団が他の集団とは異なる特質を持っていたことを明らかにし、その特質が革命を経ても基本的に保持されたことをさまざまな事例をあげつつ説得的に分析した。革命後のソヴィエト政権は、経済再建のために必要な技術者集団に対して、経済的優遇策を取りつつ組織的統合を促進し、社会主義建設のために体制への統合策をとった。技術者数の絶対的不足という状況の中で、社会主義国家建設のためにイデオロギー的には相容れない「ブルジョア専門家」の積極的利用が図られた背景が本章で叙述されている。 この第1章において革命前の帝政ロシア時代における技術者集団に関する記述は、技術者集団の特質と凝集性の革命前と革命後における連続性、持続性を示すためのものではあるが、革命前の技術者集団というこれまで殆ど研究されてこなかった分野に対する貴重な貢献であるという高い評価を複数の審査委員から得た。 第2章「新経済政策と技術者集団の再編」は新経済政策(ネップ)期に入ってからの技術者集団の組織的問題を扱う。ここではネップの導入による階級協調的雰囲気の中で、技術者の独自の団体組織が体制の公認を受けたこと、技術者集団が当時のソ連社会において特有の集団的構造と理念を保持していたことが示された。技術者集団は一方で労働組合に組み込まれながらも、その中で産業別ではない技術者独自の組織を形成することに成功し、ソヴィエト体制の中で技術者としての集団的利益をそれによって表出させることができた。さらに技術者集団はそのような独自の社会集団を形成することによってソヴィエト体制そのものから相対的に自立的な性格を維持することにも成功した。体制側からする技術者集団の体制への組み込み、統合と、体制からの技術者集団の自立という二つの相反する様相が、ネップ期には一定の緊張をはらみながらも併存していた。それは技術者集団が一定の自立性を維持しながらも、技術者のもっている本来的性格、すなわち政治体制の如何にかかわらず技術者集団は、工業と技術の進展に努力するという本性が、ソヴィエト権力の工業化推進という目標と合致し、「政治的中立」のもとでの社会主義政権との協力が可能となったからである。 このネップ期の技術者集団の組織の再編過程での議論を丹念に追うことによって、この時期の技術者集団の意識とソヴィエト権力の対応が明瞭に分析されているのが本章である。 第3章「工業化の進展と技術者集団の対応」は1920年代半ば以降の時期を扱う。ここでは工業化の進展の中で、技術者がおかれていた環境が次第に変化していったこと、特に独自の社会集団としての技術者集団の意識と立場がその環境の変化に影響を受けていったことが分析叙述されている。工場などの生産現場では、労働者と技術者とのあいだにすでに1920年代当初から緊張があり、「専門家排斥」という現象がみられていたが、1920年代中葉以降、工業化が本格化するなかで、この問題がより深刻化していったことが資料から見て取れる。しかも技術者は生産現場における労働者との軋轢だけでなく、経営機関、工場長などとの関係においても緊張を強いられていた。技術者と経営機関との関係は企業の置かれた状況に左右される流動的なものであり、工業化の進展とネップの行き詰まりという政治経済状況の変化のなかで必ずしも調和的でなくなっていった。こうして技術者は生産現場で下からは労働者による排斥、上からは経営機関との軋轢という挟み撃ち状態におちいっていくことになるのである。工業化の本格的な進展の開始とともに、階級融和的な政策であるネップがさまざまな局面で隘路にぶつかり、行き詰まっていく中で政治的な雰囲気にも微妙な変化が生じ、技術者集団とソヴィエト権力の調和的関係にも変化が生じたことを本章は詳細に分析叙述した。 第4章「転換」は1928年の「シャフトィ事件」を中心に技術者に対する政策転換を扱っている。ドンバスの技術者が「反革命妨害活動」をおこなったとして摘発された1928年の「シャフトィ事件」は、「ブルジョワ専門家」としての技術者の運命にとって決定的な意味をもつ事件だった。これをきっかけに専門家排斥は爆発的に拡大した。労働者は生産現場で技術者を攻撃し、経営機関は技術者の活動に介入し、司法機関は技術者の活動を調査し、彼らを逮捕した。1920年代半ば以降にあらわれた工業化の新たな課題とそれへの政策的対応は、生産現場における技術者をとりまく関係を急速に変化させ先鋭化させていたが、シャフトィ事件は結果的に見てそれらの矛盾を一挙に噴出させる契機となった。そしてこの事件の後、技術者の業務上の失敗や生産の不調、計画未達成などが、「意図的な妨害活動」として糾弾されるようになったのである。技術者の政治的立場があらためて問題視され、彼らの政治的中立は厳しく批判されるようになる。これは対技術者政策の転換を示すものである。技術者集団とソヴィエト政権との協力の背景にあった、技術的基礎に立脚した合理的経済発展路線は、技術的合理性を無視した「工業化の高いテンポ」の追求と大衆動員に基づいた新たな工業化戦略にとって代わられた。ソヴィエト政権は技術者に対し、政治的中立ではなく政治的忠誠を要求し、技術者集団の相対的自立性を打破し、体制による一元的統制の下に技術者を統合し直す方向へと大きく踏み込んでいったのである。 このように本章は、1928年にはじまる政治状況の転換にともなって対技術者政策が本質的に変化を遂げたこと、この変化が生産現場に大きな変化をもたらしたこと、政治体制の質的転換が技術者集団の構造転換をもたらすと同時に工業化方法の質的転換をもたらしたこと、を明らかにした。 終章は本論文の結論部分である。第一の結論は、革命後の技術者集団はその構成、行動様式、理念といった多くの側面において、革命前の時代ときわめて強い連続性を示していたということである。第二に、技術者集団に構造転換が生じたのが、1928年のシャフトィ事件以降の集団をとりまく環境の激変期であり、その構造変換は集団の内的変化によるものではなく外在的要因によって強制されたものだったということである。第三の結論として、このような技術者集団の構造転換と1920年代末の工業化路線の質的変化とが密接な連関をもっていた、ということである。このような結論を踏まえて、本章は次のような歴史的展望を提示している。この技術者集団に対する政策転換が後の時代のいわゆる「行政命令システム」の形成に影響を与えた、ということ、さらに後の時代の技術者の行動規範、すなわち体制の指令に対して無批判的に従う行動様式へと移行するのに影響したと考えることができる、というのが1930年代以降を見た結論となっている。 以上のような内容を持つ本論文は、1917年のロシア革命からスターリン体制成立前までの、ソ連社会における技術者集団の特質と役割、そして工業化のプロセスの中でのその集団に対するソヴィエト権力の政策について綿密にあとづけた力作であり、重要な業績である。技術者集団研究はあまり蓄積がなく、本論文は世界的に見ても先駆的業績と言えるが、行論の裏付けとなる資料についても質量ともに申し分なく、吟味も行き届いている。方法は禁欲的とも言えるほど実証に徹し、従来では指摘されえなかった興味深い発見も数少なくない。ソ連史研究の新たな業績として内外に高く評価されることは間違いない成果と評価できる。 すぐれた研究であるが、いくつか問題点も指摘された。「テクノクラート」、「技術者」、「技師」、「専門家」といった語句の使い分けと区別が鮮明でないという叙述の問題の指摘があった。さらにロシアの技術者たちが、他の工業国家と較べどのような独自性、類似性があったのか、もう少し比較史的叙述があれば、ロシア史以外の研究者にも親切であったと思われる。また技術者が生産現場で具体的にどのような仕事をし生活をしていたのか、という技術者の具体的・日常的相貌が描かれていない、という不満も提起された。社会史的研究をめざしていないので組織構成や組織をめぐる議論が中心となったのはやむを得ない面もあるが、技術者の具体像が浮かんでこないと言う難点があった。技術者集団の内部的変化について叙述すべきではないか、との批判も出された。さらに終章の結論部分に展望を書き込むのは不適切ではないかとの疑問も出された。以上、改善すべきところもいくつか残されているが、全体としてはレベルの高い研究としての評価で一致した。 よって、審査委員会は全員一致で、本論文が博士(学術)の学位にふさわしい業績であると判定した。 |