学位論文要旨



No 111553
著者(漢字) 池上,雅子
著者(英字)
著者(カナ) イケガミ,マサコ
標題(和) 安全保障の社会学 : 新しい安全保障装置を求めて
標題(洋)
報告番号 111553
報告番号 甲11553
学位授与日 1996.01.08
学位種別 課程博士
学位種類 博士(社会学)
学位記番号 博人社第130号
研究科 人文社会系研究科
専攻 社会文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 庄司,興吉
 東京大学 教授 似田貝,香門
 東京大学 教授 稲上,毅
 東京大学 教授 上野,千鶴子
 中央大学 教授 高柳,先男
内容要旨

 冷戦終結後、新しい安全保障政策の模索が世界的に続いている。米ソ両超大国が巨大な軍事力を以て対峙するという核抑止戦略の矛盾と害悪はは既に久しく良識的知識人によって批判、論破されていたが、冷戦終結後の現在最大の問題は軍事力偏重の安全保障政策の再検討である。冷戦後欧米を中心に軍縮の機運が高まっている一方、世界各地で噴出している地域紛争、民族紛争に有効に対処する問題解決手段をこれまでの世界社会は培ってこなかったことが明らかとなった。国連による、軍事力を積極的に投入する平和執行部隊の発案も、1993年のソマリアでの失敗から破綻した。現在国際社会は、紛争の平和的解決方法や未然に紛争の発生、拡大を抑制する「予防外交」、ヨーロッパではCSCE等の地域組織を中核とした協調的な安全保障の模索等が進行中である。

 従来の安全保障論は既存の世界システム、主権国家体系を自明の前提として、その現状を維持するためのイデオロギー的機能すら果たす性質のものであった。しかも通常の安全保障論には権力関係や特定の価値観(近代的国家体系に則した事柄-軍事力、工業力、産業資源の確保-を偏重し、他の価値は捨象)が暗黙裡に組み込まれるのが常である。また国家安全保障自体が概念としては曖昧なままに自明の価値として措定されるという概念上の問題点も多い。実際、安全保障を漠然とした価値概念に据え置いておいた方がイデオロギーとしての効用も高まろう。しかしこうした従来の安全保障概念が今日の世界情勢の変化や国家の変容に必ずしも沿ぐわないことが次第に明らかになり「新しい安全保障」論議も盛んに行われているが、これらの議論の多くは先に指摘したような暗黙裡に組み込まれた安全保障概念のイデオロギー性や権力関係にまで踏み込んだ根本的な批判理論を展開してはいない。多くの議論は、従来の軍事安全保障論の領域を単に物理的に拡張した「包括的/総合的安全保障論」、あるいは一国中心の国家安全保障を数量的に拡張した「多角的安全保障論」とそのヴァリエーション(例えば集団安全保障-collective securityから協調的安全保障-cooperative security)のレベルで展開されている。勿論こうした議論も新しい安全保障に向けて人知を結集するうえで重要である。しかし、ここが国際政治学と政治社会学の差異なのだが、社会学は安全保障概念をその拠って立つ政治・経済・社会構造にまで遡って検証し、よりラディカルな批判理論を展開する契機を有していると思われる。そこで本論では、政治社会学的視点から安全保障概念を根本的に再検討し、これを以てオルターナティブな安全保障を構想する足掛かり得ようと試みた。

 安全保障概念はそれ自体は広義の概念だが、同時に特定の時代状況即ち、経済様式、国際関係の体系、国家システムや階級関係等によって条件付けられ意味も限定される歴史的概念である。それは個別具体的な政策に還元されるような性質のものではない。従って現代の安全保障概念を批判的に分析するには、当該概念を制約する、あるいはその概念と適合的親和性をもつ、凡ゆる要因を考慮に入れられるような分析枠組みが必要になる。そこで本論ではそのような便宜上の分析枠組みとして「安全保障装置」なる概念を提起した。ここで安全保障装置は「特定の歴史状況に於いて支配的な安全保障概念と整合性をもつ、凡ゆる領域(経済、政治、価値・文化、技術、戦略)での世界・国家・社会レベルそれぞれのシステムの特性の総体」と定義される。例えば現在支配的な(国家)安全保障概念は、資本主義市場経済、主権国家中心の国際関係システム、近代的国民国家システム、軍事偏重の戦略などの各システムの特性と整合性を持ち、逆にこれら諸領域、諸システムの総体があってこそ今日の安全保障観が支配的位置を保っているのである。更にこれら諸システムの間で何らかの変化が起こり安全保障装置内での整合性が保たれなくなると、当該の安全保障装置の中で支配的な安全保障概念も変化を迫られることになると考えられる。これは安全保障概念があくまでも歴史的に相対的であることを意味し、また安全保障概念の変化は必ずしも安全保障政策や戦略の変更のみに還元される訳ではなく、場合によっては価値観の変化や産業経済・技術上の変化からも触発される可能性をも示唆している。

 現在に到るも支配的な地政学的安全保障概念は、基本的に近代以降の国家システム、世界経済システムと親和性をもつものである。本論ではこれを「近代安全保障装置」と表現した。即ち、近代安全保障装置は、資本主義世界経済、主権国家体系とその国家間関係、国家システムを支える価値体系など諸々のシステムのいわば総体であって、それ自体ひとつの包括的なシステムといえるものと解釈できる。あるいは現象的には、ウォーラーステインが「近代世界システム」と呼ぶ史的システム、換言すれば資本主義世界経済とこれを支える地政文化、と同一の経験的現実を指すといっても良かろう。但し、本論の目的はあくまでも安全保障概念を歴史的産物としての一社会システムとして捉えることにあるのでこの「史的システム」を安全保障に則して下位システムに類型化したマトリックスを「安全保障装置」と定義した。近・現代に支配的な地政学的安全保障概念は、ダルビーやアッシュレー等批判的国際政治学者に言わせれば、一種のイデオロギーである。そこで本論は、そうしたイデオロギーが形成された歴史的背景として、近代国民国家の形成過程をティリー、マン等の歴史・政治社会学的国家分析を参照しながら論じた。それはグラムシの概念を借りるならば、正に地政学的安全保障概念を支える歴史ブロック、ヘゲモニーの形成過程でもあった。近・現代の地政学的安全保障概念はこうした「歴史ブロック」から導出され、再生産され、強化されたイデオロギーだったのである。

 しかし、ウォーラーステインのいう「近代世界システム」の転換期に入り、近代安全保障装置の様々な側面で変動が起き、当該装置が全体として近・現代の地政学的安全保障概念と不整合な事態が生じてきた。それは例えば軍事技術の飛躍的進歩によって生じた「安全保障のジレンマ」であったり、軍備・軍事研究開発の多国籍化であったり、国際労働移民やマイノリティの異義申立による「国民国家」概念、 「市民的権利・義務」概念の動揺であったりする。かくして現代尚お支配的な安全保障概念は、状況の歴史的変化に則して少しづつ修正を迫られている。例えば、もはや一国単位の安全保障政策は機能不全に陥っているとの認識にたって、グローバルな課題に諸国家が協力して取り組むという「共通の安全保障」といった概念がパルメ委員会から1980年代初頭には提唱された。冷戦終結を受けてこの傾向は加速化しているようにも見受けられる。1990年代に入り、国連やCSCE、APEC等の地域組織が安全保障問題に関して活発な活動を展開しているのは周知のことである。それは一国レベルの軍事力依存型の安全保障から、国家間協力を主体とする協調的安全保障への漸進的転換とも解釈できる。国家が莫大な資源と人員を動員して戦争準備を行うマス・ミリタリズムは終焉し、先進諸国は今や脱軍事社会となったという議論もある。しかし他方、地政学的安全保障概念が尚も根強いことを示す兆候も世界の至る所で見出される。地政学的安全保障概念を超えた真にオルターナティブな安全保障の形成には、いわば「市民の市民による市民の為の安全保障」の契機が不可欠であると思われる。それは市民が「国家安全保障」の名目で国家によって動員される時代から、市民自らの責任と自覚を以て全ての人の安全を実現する方策の模索となろう。1980年代西欧の反核平和運動は、それ迄為政者、専門家の占有課題だった安全保障問題を市民に解放する大きな契機となった。南北経済格差是正の努力は、潜在的な紛争要因の低減に繋がる。生命の安全と人権といった人類共通の価値を志向する新しい安全保障は地政文化を乗り越えた所から出発する。本論の主旨は以下のような安全保障装置のマトリックスに纏められる。

表3.3 近代安全保障装置のマトリックス図表表4.1 近代安全保障装置のマトリックスの変容 / 表6.1 新しい安全保障装置の構想
審査要旨

 本論文は、安全保障の問題を安全保障装置という概念を提起することをとおして社会学的に検討し、近代的安全保障装置の変容をつうじて、新しい安全保障装置の形成の可能性が現れてきていることを主張したものである。

 全体は6章からなり、第1章で安全保障の社会学的分析が求められていることを指摘したのち、第2章でそのために社会学的見地から安全保障装置という包括的概念が必要なことを説明し、第3章で近代的安全保障装置の性格を分析する。そして、第4章でそのジレンマからそれが動揺してきた経過をたどり、第5章で現代安全保障の問題性を示す事例として日米軍事研究開発共同化の場合を分析したのち、第6章でそうした動揺や問題性を克服する新しい安全保障装置を構想している。

 この意味で本論文は、社会学に平和学のそれを取り入れた観点から安全保障にかんするパラダイムの転換を求めた野心的な試みといえ、この分野における国際政治学者による研究群に欠落している部分を補っているばかりでなく、あらたな研究の地平を開拓しているという意味では注目すべき成果を上げている。とりわけ、安全保障を国家安全保障の問題としてでなく市民社会のそれとして取り扱っていることは、概念装置上多少未成熟な面のあることをはるかに越えて、きわめて斬新であり、今日大きな構造変動に見舞われている国際社会のなかで強い説得力をもちえている。

 以上により、審査委員会は、本論文が博士(社会学)の学位を授与するに値すると判定する。

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