ロボットの普及の社会的要求が高まる一方で,技術の発展がこれにこたえられないためにその進展ははかれないと言える.従って,新しいロボットの理論の構築や技術の発展は極めて重要である.建設現場や自動倉庫での作業に適用されることが期待されるワイヤ駆動機構並びにワイヤ懸垂機構における新しい制御指標を提案して,ロボットの発展に資することが必要と言えよう. 現在広く用いられている産業用ロボット等の汎用マニピュレータは,小物部品の組付け,溶接など特定の作業については高い能力を有している.しかし,その構造は基本的に剛体リンク機構であるため,可動範囲が小さく,本体重量と比較して可搬重量も1/10程度となっている.これに対して,クレーン等のワイヤ懸垂機構は本体重量に対する可搬重量が大きく,可動範囲も極めて広くとれることから,重さが1tonを越える重量物のハンドリングには不可欠である.しかし,懸垂のためのワイヤを基本的には1本しか有していない従来のクレーンでは,懸垂物の姿勢,ワイヤ回りに発生する懸垂物の回転が制御できず,作業者にとって極めて危険な作業が依然として人手に任されている. このような危険作業を自動化する試みとして,(1)クレーン機構とロボットの協調システム,(2)複数のワイヤのみにより懸垂物の任意の運動を制御することのできる制御システム及び機構の開発などがある.しかし,これらのワイヤ機構の研究はほとんど応用課題として進んでおり,一般性理論の研究はほとんど行われていない.従って,ワイヤ駆動機構の一層の研究が必要だと思われる. 本論文では,複数のワイヤによる懸垂物をハンドリングするためのワイヤ懸垂系の機構的な解析,操りやすさの評価指標の提案と制御手法の確立を目的とした. まず,ワイヤ駆動系を完全幾何拘束タイプと非完全幾何拘束タイプに分類し,リンク型マニピュレータでの操りの評価指標"可操作性楕円体","操作力楕円体"などをワイヤ駆動系に拡張し,その適当性を厳密な数学証明と実験により検証した.よって,設計時にこれらの指標を用いることにより,最も操作性の高い作業空間をもつワイヤ駆動系を設計することが可能となる.これらに加え,非完全幾何拘束タイプ懸垂系における張力の冗長性の利用法として,張力の和及び二乗和を評価指標として動力学を考慮した懸垂系の動的制御法を提案した.提案した動的制御法の有効性を検証するために,2台のクレーンを有するワイヤ懸垂系を製作し,実験を行った.理論の有効性,妥当性と実用性を証明した. 具体的に,2章の運動学においては,以下の点を示した. (1)完全幾何拘束タイプワイヤ駆動系では全てのワイヤ張力が0より大きいという条件から,以下の機構的条件を導いた. n次元作業空間における必要最小限のn+1のワイヤにより操りを実現するための必要十分条件は,次の2条件を同時に満たすことである. (1)ワイヤ駆動系のヤコビ行列のランク数がnとなる. (2)ヤコビ行列の任意に選んだ1つ行ベクトルkrが,残りのnの行ベクトルによって必ず 但し1<0(i=1〜n+1&i≠r)として表すことができる. (2)完全幾何拘束タイプワイヤ駆動系におけるワイヤ長速度と対象物速度の関係を表現するためのヤコビ行列を導き,ワイヤ長速度の可動空間を求めた. これらの基礎的な結果により,第4,5章で完全幾何拘束タイプのワイヤ駆動系における機構的な設計指標となる"操作速度集合"及び"操作力集合"の提案を行うことが可能となる. 第3章では,非完全幾何拘束タイプワイヤ駆動機構の運動学について述べた. (1)作業空間を幾何拘束空間と非幾何拘束空間に分け,非幾何拘束空間における運動学を解くための外力を含む力学拘束式を導出した. 本章の結果は,非完全幾何拘束タイプのワイヤ駆動系に対して,第2章と同じ役割を果たしている.即ち,第5章で提案する設計指標"操作速度集合","操作力集合"の基礎理論となる. 第4章では,ワイヤ駆動系における対象物の動作特性とワイヤの張り方の関係を明らかにすることにより,ワイヤ駆動系における操りやすさの定式化を行った. (1)重力を利用せずに物体を操るためのワイヤ駆動系について,操りについての運動学的な観点から定量化した概念である可操作性楕円体及び可操作度を示した. (2)操りやすさを評価するために,ワイヤ張力の大きさを考慮した操作力集合の概念を初めて提案した.この操作力集合の体積を操りやすさの指標として提案し,その算出法を導出した. (3)重力を懸垂物重心につながれ下方に重力の大きさの張力を有するワイヤのワイヤ張力とみなして定式化に組入れることにより,重力を利用した場合の懸垂物の可操作性楕円体,操作力集合の導出を行った. ワイヤ駆動系の設計時にこれらの指標を用いることにより,従来の剛性リンクマニピュレータと同じように,最も操作性の高い作業空間をもつワイヤ駆動系を設計することが可能となる. 第5章では,全てのワイヤ支持点が動く場合,複数のマニピュレータを有するワイヤ駆動系の可操作性問題を議論した.モデルとしては,それぞれのマニピュレータが各ワイヤの支持点を持つこととする.従って,ワイヤ駆動系における全てのワイヤの支持点は3次元空間で自由に動かすことができるになる. 複数のマニピュレータを有するので,ワイヤ駆動系における対象物の動作特性とワイヤの張り方及び各マニピュレータの作業姿勢の関係を明らかにすることにより,ワイヤ駆動系における操作速度集合と操作力集合の概念を定義し,それらの定式化を行った. (1)完全幾何拘束タイプのワイヤ駆動系の操作速度集合と操作力集合を定義し,集合の幾何的な意味及び算出法を明らかにした. (2)非完全幾何拘束タイプのワイヤ懸垂系を研究対象とした.力学条件を含んた懸垂系の運動学方程式を用いて,各マニピュレータの手先運動と懸垂物運動の間のヤコビ行列の算出法を導出した.算出したヤコビ行列を用いて,懸垂系の操作速度集合及び操作力集合の算出法を明らかにした. 本章での結論により従来のマニピュレータの設計と同じように,最も操作性の高い作業空間をもつワイヤ駆動系を設計するが可能となる. 以上,2,3,4,5章において,操りやすさの指標としての操作速度集合,操作力集合の概念を提案し,その適用性を実験により検証した. 第6章では,動力学を考慮したワイヤ懸垂系の動的制御法を提案した. (1)非完全幾何拘束タイプのワイヤ懸垂系において懸垂物の運動軌道を設計する際は,作業空間を非幾何拘束空間と幾何拘束空間とに分解し,両空間でそれぞれ軌道を設計しなくではならないことを示し,それぞれの設計法を明らかにした. (2)設計した懸垂物の軌道を実現するとき,ワイヤ懸垂系における冗長性の存在を明らかにした.この冗長性の利用法として,張力の和及び二乗和を評価指標として導入し,最適張力ベクトルの設計法を提案した. ワイヤ懸垂系における1つの軌道設計法として,本章の結果により,ワイヤ能力の有効利用のできる軌道設計が可能となる.以下の章でこの設計法の具体の応用例を示す. 第7章では,6章で提案した動的制御法の検証実験を行うために,2本のワイヤを利用した2台のクレーン型懸垂機構を製作した. (1)対象物の鉛直平面内3自由度の運動制御を行うために2本のワイヤを有する懸垂系を製作した. (2)最適レギュレータの設計による振動制御系を利用することにより本懸垂系の振動制御を実現し,応用例として搬送作業に起る振動を止める振動制御系を構成した. 本章の結果により,3次元空間の鉛直面における第6章で提案した軌道設計法の検証実験を行うことが可能となる.また,制御時の誤差による残留振動を止めることも可能となる. 第8章では,提案したワイヤ懸垂系の動的制御法の適当性を実験で検証した. (1)従来から実用とされた線形フィードバック制御法を用いてワイヤ懸垂系の制御系の構成法を明らかにした. (2)提案した方法により設計した運動軌道を用いて,製作した懸垂系における,懸垂物の運動制御実験を行った.懸垂系の安定的な運動が得られた. 本章の結果より,本論文で提案した張力冗長自由度の利用法を考慮した動的制御法の妥当性がわかった. |