本論文は、基底膜の主要構成成分であるIV型コラーゲンの分子並びに会合体構造を明らかにすることを目的として、眼のレンズの周囲に存在する基底膜であるレンズカプセルから抽出したIV型コラーゲンのポリペプチド鎖の大きさ、並びにIV型コラーゲンが再構成してできるゲルについて調べた結果をまとめたものである。一章では、本論文の研究が行われる以前に得られていたIV型コラーゲンの分子、並びに会合体構造についての知見とそこから提起される問題が指摘され、それらをふまえた本論文の研究の目的が述べられている。二章では、様々な条件による牛レンズカプセルからのIV型コラーゲンの抽出等の実験により、本研究以前に考えられていたIV型コラーゲンポリペプチド鎖より小さいサイズのポリペプチド鎖が牛レンズカプセル中に存在することが示されている。三章では、IV型コラーゲンが自己会合することによりゲルになる条件が検討されており、そこから推測されるゲル中でのIV型コラーゲンの会合状態について考察されている。四章では、二、三章の結果並びにそれ以前の知見をふまえた上で、IV型コラーゲンの分子、並びに会合体構造に多様性が存在する可能性が指摘されており、更にそのことが基底膜の機能にどのように関与するかが考察されている。 基底膜は細胞と結合組織の境界に存在する厚さ約100nm程度の薄い層状の細胞外マトリックス組織である.このような組織は、上皮細胞、血管内皮細胞の直下等、様々な臓器、組織中にみられる。基底膜はその薄さ故に物理的単離が困難であり、また固相を形成していることから、構成成分を抽出し分析する事は容易ではない.これに対し基底膜の構成成分の解析に大きく寄与したのが、基底膜様の細胞外マトリックスを大量に産生するマウスの腫瘍(EHS腫瘍)の発見であった.この腫瘍組織からIV型コラーゲンは単離精製されている.またこのIV型コラーゲンに対する抗体が多くの基底膜と結合する事から、IV型コラーゲンが基底膜の主要構成成分であると考えられるようになっている.EHS腫瘍から抽出されたIV型コラーゲンについては、その分子、会合体構造の解析が行われている.現在考えられているIV型コラーゲンの構造と機能は、主にこれらの知見を基にしている.ただし、基底膜は、多種多様な組織に存在することから、組織特異的な役割を担っていることが予想されている.このことから、IV型コラーゲンの分子、会合体構造にも組織特異性が存在することも十分に考えられる.しかし、現在までのところ基底膜中のIV型コラーゲンの構造を直接解析する方法がない、また多くの基底膜はそこから構成成分を抽出することさえ困難であるといった理由から、構造の組織特異性に関しては、その手がかりすらほとんど得られていない. 本論文では、一章において以上のような背景を述べた上で、IV型コラーゲンの分子、会合体構造について新たな情報を得る必要性を指摘している。そのための一つの方法として、比較的物理的単離が容易な基底膜であるレンズカプセル(牛)を出発材料にし、そこから抽出されるIV型コラーゲンの性状を詳しく解析し、今まで得られていた知見と比較検討することを挙げ、二、三章において、実際に行った実験結果並びに考察を述べている。 二章では、牛レンズカプセル中のIV型コラーゲンのポリペプチド鎖の大きさを検討している。 EHS腫瘍を用いた研究から、組織中に存在するIV型コラーゲンのポリペプチド鎖の大きさは、細胞から分泌直後にみられる大きさのものであると考えられている.一方、本研究において、牛レンズカプセルから酢酸によりIV型コラーゲンを抽出した場合、細胞から分泌直後にみられる大きさ(180k,175k)のポリペブチド鎖に加え、それより小さい160kの大きさのポリペプチド鎖が認められた。3種類のポリペブチド鎖の由来を検討するために、CNBrペプチドマッピング並びに、2次元目に尿素を含むアクリルアミドゲルを用いた2次元のSDS-PAGEが行われ、その結果、180kと160kのポリペプチド鎖は同一遺伝子由来であり、175kポリペプチド鎖は他の二つとは異なる事が示唆された.この事から、160kのポリペプチド鎖は180kのポリペプチド鎖の分解物である可能性が考えられた.しかし、1)中性条件で牛レンズカプセルから抽出されるIV型コラーゲンのポリペプチド鎖の大きさの検討、2)酢酸中での保存による分解の可能性の検討、3)熱による分解の可能性の検討が行われ、いずれも160kのポリペプチド鎖が分解物ではなく組織中に存在することを示す結果となった。更に、酢酸で抽出されたIV型コラーゲンのなかで、180k、175kポリペプチド鎖が会合を保っているのに対し、160kポリペプチド鎖のみがポリペプチド鎖に解離する条件が見いだされ、遠心により160kポリペプチド鎖と他の二つのポリペプチド鎖を分離することに成功している。この結果は、160kポリペプチド鎖が他の二つのポリペプチド鎖とは、会合体中での存在状態が異なることを示すと共に、160kのポリペプチド鎖が前記の3つの検討の際に用いられたSDS-PAGEという方法による人工物でないことをも示している。以上の事から、牛レンズカプセルから抽出された160kポリペプチド鎖は、180kポリペプチド鎖の抽出時の分解物ではないと考えられる.すなわち、牛レンズカプセル中には、EHS腫瘍中とは異なり、細胞から分泌された直後にみられる大きさより小さいサイズのIV型コラーゲンポリペブチド鎖が存在する事が示された. 三章では、レンズカプセル由来のIV型コラーゲンのゲル化について検討されている。 IV型コラーゲンの生体内での会合体構造を推定していくために、EHS腫瘍から抽出されたIV型コラーゲンを生理的条件下で再会合させる実験が行われている.これによりIV型コラーゲンが網目状の会合体構造をとることが観察されている.また、EHS腫瘍からのurea抽出物が、生理的条件下でゲル化する事も報告されている.このゲル中には、IV型コラーゲンと共に他の基底膜成分も含まれており、これらの成分が一定の比率で会合する事が予想されている.一方、本研究において、牛レンズカプセル由来のIV型コラーゲンが、2Mグアニジン塩酸、ジチオスレイトール存在下でゲル化する事がみとめられた.このIV型コラーゲンは、牛レンズカプセルから酢酸による抽出を行った後、DEAE-sephacel、並びに分画分子量30万の透析膜を用いて、精製したものである.この精製物は、抗IV型コラーゲンポリクローナル抗体によるウエスタンプロッティング、並びにアミノ酸分析により、IV型コラーゲン以外のタンパク質の混入は少ない事が確認されている.このIV型コラーゲンのゲル化は、2Mグアニジン塩酸存在下でも、非還元条件では生じない.また還元条件下においても、グアニジン塩酸のゲル化至適濃度は1.5-2.5Mであり、それ以上あるいは、それ以下ではゲル化はみとめれない.これらの事からゲル化に伴うIV型コラーゲンの会合は、IV型コラーゲンのコンフォメーション変化、あるいは抽出精製後も保持されていたIV型コラーゲンの会合が部分的に壊される事により、IV型コラーゲン中の隠れていた結合部位が露出された結果生じる事が予想される.ただし、CDスペクトルの測定により、2Mグアニジン塩酸、還元剤存在下でもIV型コラーゲンの3重らせんは保持されている事がみとめらた.一方、熱処理により3重らせん構造を壊した場合は、ゲル化がみとめられない.このことは、ゲル化に3重らせん構造が必要である事を示唆している.上記で示したゲル化の条件は、生理的条件とは極めて異なっており、この条件で生じるIV型コラーゲンの会合体構造は、今までに報告されているものとは異なっていることが予想される. 上記、二、三章をふまえた上で、四章では、IV型コラーゲンの分子、並びに会合体構造に多様性が存在する可能性が指摘されており、更にそのことが基底膜の機能にどのように関与するかが考察されている。すなわち、二章において、細胞から分泌された直後のものより小さいサイズのIV型コラーゲンポリペプチド鎖を豊富に含む基底膜(牛レンズカプセル)と、その大きさのポリペプチド鎖が存在しない(存在するとしても検出できない量である)基底膜(EHS腫瘍)が存在することが示されていること.また三章において、グアニジン塩酸並びに還元剤存在下で、IV型コラーゲンが結合しゲルになることから、IV型コラーゲンには今までに知られていなかった結合形態があることが示されていることを述べている。そして、前者を元にIV型コラーゲンの分子サイズ、後者からIV型コラーゲンの会合状態が、基底膜の組織特異性の一つの要因になる可能性があることを指摘している。更に、細胞外マトリックスの情報を細胞内に伝える細胞膜に存在するレセプター、インテグリン等にも言及し、IV型コラーゲンの分子並びに会合体構造の多様性がインテグリンの結合部位の存在状態に変化をもたらす等により、細胞の機能にも影響を与える可能性があることも予想している。 以上述べたとおり、本論文は、IV型コラーゲンの分子並びに会合体構造について、生化学的実験手段を用いて研究したものである。現在、基底膜が細胞機能の制御といった生理的に重要な役割を担っていることが明らかになりつつある。その状況の中で、腫瘍組織ではなく、生体中で生理的に機能している基底膜を用いて、基底膜の主要構成成分であるIV型コラーゲンの分子、会合体についての新たな知見を得たことは、基底膜の機能の分子レベルでの解明に大きく寄与するものと評価できる。また、現在組織の役割に応じた細胞の機能発現、更には癌の臓器選択的な転移において、基底膜の多様性がその重要な要因の一つであると考えられている。しかし、現在のところいくつかの組織の基底膜で特異的な分子の存在が示されているのみで、分子レベルにおいて、基底膜にはどのような多様性があり、それが細胞にどのように影響しているのかはほとんど解っていない。これに対し、IV型コラーゲンの分子、並びに会合体構造に多様性がある可能性を実験事実から示したことは、基底膜の多様性の解明に新たな糸口をみいだしたといえる。 これらの成果により、本論文は博士(理学)の学位に値するものであると、審査員全員が判定した。 二章は、学術雑誌上にて公表済み、三章は、来年1月に公表予定である。尚、本論文は、中里浩一、林利彦両氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって、データ収集、解析、検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。 |