学位論文要旨



No 111561
著者(漢字) 森川,啓志
著者(英字)
著者(カナ) モリカワ,ケイジ
標題(和) ペロプスカイト型Ti,V酸化物の光電子・逆光電子分光法による電子状態の研究
標題(洋)
報告番号 111561
報告番号 甲11561
学位授与日 1996.01.31
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第2985号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 安岡,弘志
 東京大学 教授 福山,秀敏
 東京大学 教授 小谷,章雄
 東京大学 助教授 今田,正俊
 東京大学 助教授 辛,埴
内容要旨

 光電子分光法による強相関電子系の研究は、これまでに高温超伝導体を含めた多種多様な物質について行なわれ、強相関電子系の理解に多くの情報を与えてきた。強相関電子系の示す興味深く、そして基本的な問題として金属-絶縁体転移がある。この金属-絶縁体転移の理論的な研究は、N.F.Mottが仮想的に水素原子の配列を考え、バンド幅を狭くしていくと金属-絶縁体転移が起きることを指摘したことに始まる。その後、J.Hubbardが同一サイトのクーロン相互作用のみを考慮するモデル(Hubbard model)を提唱し、最近では、無限次元Hubbard modelを用いた研究が行なわれ、金属-絶縁体転移近傍の状態密度の計算などが行なわれている。しかし、計算はあくまで無限次元のものであり、現実の3次元の物質の性質をどこまで説明しうるのか判っていない。実験的な研究としては、フィリング制御による金属-絶縁体転移の研究が、Y1-xCaxVO3、La1-xSrxTiO3、Y1-xCaxTiO3等についておこなわれ、帯磁率、比熱、光反射の実験結果は、金属状態側から金属-絶縁体転移に近づくにつれて電子の有効質量が増大することを示している。光電子分光法による実験的な研究は、整数価数の場合については、d1電子系の酸化物について、電子間の相互作用が弱く金属状態であるReO3から、相互作用が強く絶縁体のYTiO3まで系統的に電子状態の変化が調べられている。また、フィリング制御による金属-絶縁体転移については、Y1-xCaxVO3、La1-xSrxTiO3について行なわれている。しかし、これらの光電子分光の実験は、精度が不十分であり、これらの強相関物質の電子状態の理解にはより精密な情報が必要であった。また、非占有電子状態については、これまで内殻X線吸収によって調べられていたが、内殻正孔の存在によってスペクトルが変形することが考えられ、内殻正孔の影響のない逆光電子分光の実験が望まれていた。

 本研究では、バンド幅制御による金属-絶縁体転移近傍の電子状態の研究としてCaVO3、SrVO3を選び、フィリング制御による金属-絶縁体転移近傍の電子状態の研究としてY1-xCaxTiO3を選んで、光電子・逆光電子分光法を用いて電子状態の研究を行なった。CaVO3、SrVO3は共にパウリ常磁性を示す形式価数3d1の金属であるが、CaVO3はGdFeO3型に歪んだ斜方晶のペロブスカイト構造、SrVO3は立方晶のペロブスカイト構造を持ち、CaVO3はSrVO3に比べてバンド幅が狭く、その結果として電子相関の強さが異なると考えられている。Y1-xCaxTiO3の構造は全ての組成においてGdFeO3型に歪んだ斜方晶のペロプスカイト構造であり、電子配置がd0のバンド絶縁体CaTiO3からd1の絶縁体YTiO3まで、すなわちキャリアーの密度が少なく電子相関が効かないと思われる電子状態から、電子相関により絶縁体へ転移する電子状態まで変化する。本研究では、価電子帯の光電子・逆光電子スペクトルの精密な測定に加えて、軟X線吸収や内殻光電子スペクトルの測定も行ない、電子状態に関する総合的、系統的な情報を得た。

 本論文は次のように構成される。第1章では、研究の背景と概要を述べる。第2章ではCaVO3、SrVO3、Y1-xCaxTiO3の物性を紹介する。第3章では、の試料の作製をおこない、物性の組成依存性を調べたので、これについて述べる。第4章では、光電子・逆光電子分光の原理について述べる。第5章では実験方法について述べ、第6章で実験結果を述べる。第7章では光電子スペクトルの現象論的な説明について述べる。第8章で本研究の結論を述べる。

 第2章の実験は、CaVO3の組成をストイキオメトリからずらした焼結体試料を作製し、帯磁率、抵抗率の物性への組成のずれの影響を調べたものである。この実験を行なった目的は、以前CaVO3は過剰酸素状態で反強磁性を示す絶縁体になるという報告があり、その原因がCaVO3のCaとVの組成比がストイキオメトリからずれたために起きた可能性が考えられたからである。本研究の実験の結果、CaとVの組成比がストイキオメトリであれば、過剰酸素状態でも帯磁率はパウリ常磁性を示し、以前報告された過剰酸素状態での金属-絶縁体転移はCa欠陥が原因であると考えられる実験結果が得られた。

 第6章で述べる、CaVO3とSrVO3の高分解能光電子分光の結果から、電子相関が強くなり金属-絶縁体転移に近づくと、準粒子バンドと考えられるcoherent partのフェルミエネルギーでの強度が減少することが示された。また、逆光電子分光の結果から、非占有電子状態も占有電子状態と同じくupper Hubbard bandの名残のincoherent partと、準粒子バンドと考えられるcoherent partが存在し、電子相関が強くなり金属-絶縁体転移に近づくとcoherent partの強度が減少することが示された。V2pX線光電子スペクトルのフィッティングによる解析結果は、V5+(d0)、V4+(d1)、V3+(d2〉のピークが重なっていると考えられる結果を示した。Y1-xCaxTiO3の紫外光電子分光の結果は、金属状態ではcoherent partが存在し、電子数が少なくなりバンド絶縁体に近づくとcoherent partが減少することを示した。また、逆光電子分光の結果は、明らかにcoherent partの存在を見ることは出来なかったものの、バンド絶縁体に近い試料の逆光電子スペクトルとの比較により、金属-絶縁体転移近傍ではcoherent partが存在すると考えられる結果が得られた。Ti2pX線光電子スペクトルのフィッティングによる解析結果は、Ti4+(d0)とTi3+(d1)のピークが重なっており、その強度比は、Tiの価数を反映して系統的に変化をすることを示した。また、内殻スペクトルの結合エネルギーのシフトは、Ti4+(d0)とTi3+(d1)の結合エネルギーのみ金属-絶縁体転移に伴って不連続なシフトを示し、金属-絶縁体転移に伴うTiサイトの電子状態の変化を反映していると考えられる結果が得られた。

 無限次元Hubbard modelの結果は、電子相関が強くなると準粒子バンドのバンド幅が狭くなり、フェルミエネルギーでの状態密度は変化しないことを示している。従って、高分解能光電子分光の結果は無限次元Hubbard modelの結果と矛盾する。この高分解能光電子分光の結果は、無限次元Hubbard modelでは考慮されていない自己エネルギーの波数依存性を入れることによって現象論的に説明することができる。そこで、第7章では光電子分光スペクトルの現象論的な説明を、簡単な自己エネルギーの形を仮定することにより試みた。

審査要旨

 本論文は8章からなり、第1章では本研究の骨子となっている強相関電子系の光電子分光に関する研究の背景と概要、第2章では本研究で採り上げたCaVO3、SrVO3、Y1-xCaxTiO3の物性の一般的特性について紹介されている。第3章では、の試料の作製及び物性の組成依存性、第4章では、光電子及び逆光電子分光の原理について述べられている。更に、第5章では本研究の実験方法の詳細について、第6章でそれぞれの物質系に対する実験結果、第7章では実験的に得られた光電子スペクトルの現象論的な説明について述べられ、第8章で本研究の結論が述べられている。

 光電子分光法による強相関電子系の研究は、これまで高温超伝導体を含めた多種多様な物質について行われ、強相関電子系の理解に多くの情報を与えてきた。強相関電子系の示す興味深く、そして基本的な問題として金属・絶縁体転移がある。この金属・絶縁体転移の理論的な研究は、N.F.Mottが仮想的に水素原子の配列を考え、バンド幅を狭くしていくと金属・絶縁体転移が起きることを指摘したことに始まる。その後、J.Hubbardが同一サイトのクーロン相互作用のみを考慮するモデル(Hubbard model)を提唱し、最近では、無限次元Hubbard modelを用いた研究が行われ、金属・絶縁体転移近傍の状態密度の計算などが行われている。しかし、計算はあくまで無限次元のものであり、現実の3次元の物質の性質をどこまで説明しうるのか判っていない。

 実験的な研究としては、いくつかの遷移金属化合物で温度や圧力を変化することによって金属・絶縁体転移が起こることが知られており、多くの研究が行われてきている。又、最近ではバンドのフィリングを化学的に制御することによる金属・絶縁体転移の研究が、Y1-xCaxVO3、La1-xSrxTiO3、Y1-xCaxTiO3等についておこなわれ、帯磁率、比熱、光反射の実験結果から、金属状態側から金属・絶縁体転移に近づくにつれて電子の有効質量が増大すること等が明らかになってきている。

 光電子分光法による実験的な研究は、整数価数の場合については、d1電子系の酸化物について、電子間の相互作用が弱く金属状態であるReO3から、相互作用が強く絶縁体のYTiO3まで系統的に電子状態の変化が調べられている。また、フィリング制御による金属・絶縁体転移については、Y1-xCaxVO3、La1-xSrxTiO3について行われている。しかし、これらの光電子分光の実験は、精度が不十分であり、これらの強相関物質の電子状態の理解にはより精密な情報が必要であった。また、非占有電子状態については、これまで内殻X線吸収によって調べられていたが、内殻正孔の存在によってスペクトルが変形することが考えられ、内殻正孔の影響のない逆光電子分光の実験が望まれていた。

 本研究では、バンド幅制御による金属・絶縁体転移近傍の電子状態の研究としてCaVO3、SrVO3を選び、フィリング制御による金属・絶縁体転移近傍の電子状態の研究としてY1-xCaxTiO3を選んで、光電子及び逆光電子分光法を用いて電子状態の研究を行っている。CaVO3、SrVO3は共にバウリ常磁性を示す形式価数3d1の金属であるが、CaVO3はGdFeO3型に歪んだ斜方晶のペロブスカイト構造、SrVO3は立方晶のペロブスカイト構造を持ち、CaVO3はSrVO3に比べてバンド幅が狭く、その結果として電子相関の強さが異なると考えられている。Y1-xCaxTiO3の構造は全ての組成においてGdFeO3型に歪んだ斜方晶のペロブスカイト構造であり、電子配置がd0のバンド絶縁体CaTiO3からd1の絶縁体YTiO3まで、すなわちキャリアーの密度が少なく電子相関が効かないと思われる電子状態から、電子相関により絶縁体へ転移する電子状態まで変化する系であると考えられている。本研究では、価電子帯の光電子及び逆光電子スペクトルの精密な測定に加えて、軟X線吸収や内殻光電子スペクトルの測定も行ない、電子状態に関する総合的系統的な情報を得ている。以下にそれらについてまとめる。

 1)CaVO3の組成をストイキオメトリからずらした焼結体試料を作製し、帯磁率、抵抗率の物性への組成のずれの影響を調べた。実験の結果、CaとVの組成比がストイキオメトリであれば、過剰酸素状態でも帯磁率はバウリ常磁性を示し、以前報告された過剰酸素状態での金属・絶縁体転移はCa欠陥が原因であると考えられる実験結果が得られた。

 2)CaVO3とSrVO3の高分解能光電子分光の結果から、電子相関が強くなり金属・絶縁体転移に近づくと、準粒子バンドと考えられるcoherent partのフェルミエネルギーでの強度が減少することが示された。また、逆光電子分光の結果から、非占有電子状態も占有電子状態と同じくupper Hubbard bandの名残のincoherent partと、準粒子バンドと考えられるcoherent partが存在し、電子相関が強くなり金属・絶縁体転移に近づくとcoherent partの強度が減少することが示された。V2pX線光電子スペクトルのフィッティングによる解析結果は、V5+(d0)、V4+(d1)、V3+(d2)のピークが重なっていると考えられる結果を示した。

 3)Y1-xCaxTiO3の紫外光電子分光の結果は、金属状態ではcoherent partが存在し、電子数が少なくなりバンド絶縁体に近づくとcoherent partが減少することを示した。また、逆光電子分光の結果は、明らかにcoherent partの存在を見ることは出来なかったものの、バンド絶縁体に近い試料の逆光電子スペクトルとの比較により、金属・絶縁体転移近傍ではcoherent partが存在すると考えられる結果が得られた。Ti2pX線光電子スペクトルのフィッティングによる解析結果は、Ti4+(d0)とTi3+(d1)のピークが重なっており、その強度比は、Tiの価数を反映して系統的に変化をすることを示した。また、内殻スペクトルの結合エネルギーのシフトは、Ti4+(d0)とTi3+(d1)の結合エネルギーのみ金属・絶縁体転移に伴って不連続なシフトを示し、金属・絶縁体転移に伴うTiサイトの電子状態の変化を反映していると考えられる結果が得られた。

 4)本研究での高分解能光電子分光の実験結果は、無限次元Hubbard modelの理論(電子相関が強くなると準粒子バンドのバンド幅が狭くなり、フェルミエネルギーでの状態密度は変化しない)では説明できない部分を含んでいる。それに対して、無限次元Hubbard modelでは考慮されていない、自己エネルギーのエネルギー依存性と波数依存性を考慮したモデルを用いて光電子分光スペクトルの現象論的な説明を行った。

 以上のように、本研究は金属・絶縁体転移近傍でのバンド幅制御及びバンドフィリング制御系の典型物質としてV及びTi酸化物を選び、高分解能光電子分光及び逆光電子分光法による実験を行い、それぞれの電子状態を明らかにしたものであり、この分野の実験的研究に対する貢献は多大であると判断し、審査委員―同学位論文として適当であると結論した。

 なお、本論文は指導教官である東京大学理学部藤森淳助教授、東京大学工学部十倉好紀教授や電総研西原美―博士等数名との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。又、この件に関して、共同研究者からの同意承諾書が提出されている。

UTokyo Repositoryリンク