学位論文要旨



No 111563
著者(漢字) 比江島,慎二
著者(英字)
著者(カナ) ヒエジマ,シンジ
標題(和) 剥離せん断層の刺激による構造物の渦励振制御
標題(洋)
報告番号 111563
報告番号 甲11563
学位授与日 1996.02.08
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第3534号
研究科 工学系研究科
専攻 土木工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 藤野,陽三
 東京大学 教授 東原,紘道
 東京大学 助教授 神田,順
 東京大学 助教授 河原,能久
 東京大学 講師 木村,吉郎
内容要旨

 土木・建築構造物は空力的に鈍い(bluff)断面形状をしており,多くの場合,物体表面から流れが剥離し,剥離した境界層(剥離せん断層)から巻き上がった渦による変動空気力や,剥離せん断層と物体振動との相互作用により生じる非定常空気力の作用によって空力弾性振動(フラッター,渦励振など)が発生する.したがって航空機翼などの流線形状物体のようなポテンシャル流に基づく理論的解析が困難であるため,構造物の設計をする際には各構造物断面ごとに風洞実験が行われ,その空力安定性が検討されているのが実状である.また剥離をともなう複雑な流れのために,空力弾性振動の特性や発生メカニズム自体に不明な点も多く,その解明が構造物の耐風設計あるいは制振を行ううえでの重要な課題である.

 物体表面から剥離して生じる剥離せん断層は,急激な速度変化をともなう流れであり,その速度変化等がある条件を満たすとき流体力学的に不安定となる.この不安定性によって,剥離せん断層は物体振動などの外乱に対して敏感に反応し,渦励振やフラッターなどの空力弾性振動の原因となる励振力を物体に加えることになる.また剥離せん断層は,音響などの外乱にも敏感に反応し,容易にその特性が変化させられる.航空の分野では,音響による撹乱が物体まわりの剥離せん断層内で増幅され物体まわりの流れを変化させる効果を利用して,静止翼まわりの流れの剥離を制御し,翼の定常空気力特性を改善する試みがなされている.すなわち剥離を生じている翼まわりの流れを音響により刺激すると,剥離せん断層内には音響撹乱と同じ周波数成分の微小な変動(変動の種)が発生する.発生した微小変動は剥離せん断層の移流不安定性により流下とともに増幅され,やがては孤立渦に巻き上がり翼まわりのフローパターンを変化させることができる.その結果,翼の定常空気力特性を改善することができるというものである.

 空力弾性振動の制御に音響撹乱を適用した例としては,航空機翼のフラッター振動の応答速度や応答変位を音響撹乱にフィードバックし,フラッター振動数と同じ周波数の音響を翼まわり流れへ付加することによって,フラッター発生の限界風速を上昇させるなどの効果を得ているものがある.この場合は翼まわりで流れは剥離しておらず,ポテンシャル流に近い流れのもとで翼の下流端の不安定性をフィードバックアルゴリズムに基づいて音響により刺激し,伴流の流れの変化によって翼に作用する非定常空気力を変化させている.しかし土木・建築構造物のような剥離せん断層が原因となるような空力弾性振動に対して,音響を用いて制振した例は見られない.本論文では,土木・建築構造物のように物体まわりで流れの剥離をともない,その剥離せん断層が原因となって生じる空力弾性振動に対し,音響により剥離せん断層内に生じた撹乱が剥離せん断層の不安定性によって流下とともに増幅され,増幅した撹乱によって物体まわりの流れの特性が変化する効果を利用し,その制御効果,制御特性および制御メカニズムについて検討したものである.フィードバック制御は行わず,剥離せん断層内で最も増幅されやすい周波数の音響を物体まわりの流れに付加することにより,物体まわりの流れを効率よく変化させ制振する.最も典型的な空力弾性振動である円柱の渦励振を制御対象とし,風洞実験および数値流体解析により検討した.

 円柱模型を用いた風洞実験(図1)により,円柱の渦励振に対する音響の効果および制振特性について検討した.ラウドスピーカより円柱まわりの流れに付加した音響は,単一周波数とし,100Hz〜1kHzの範囲で検討した.図2は円柱の渦励振制御に最も効果の高かった音響周波数fa*を横軸をレイノルズ数としてプロットしたものである.なお図中にはWeiとBloorが静止円柱まわりの剥離せん断層において測定した遷移波と呼ばれる微小変動の周波数ftも示してあり,実線と破線はそれぞれWeiとBloorの遷移波周波数の測定結果から得られた回帰曲線である.本実験および本実験に先立ち行った予備実験において,渦励振制御に効果の高い音響周波数のほとんどは,Weiの遷移波周波数の予測値付近に分布しており,Weiの遷移波周波数付近の音響撹乱を円柱まわりの剥離せん断層に送り込むのが円柱の渦励振制御には最も効果的であることを示している.図3は無音響時の渦励振の応答振幅の大きさが,音響による制振効果に与える影響を示している.応答振幅の測定はすべて無音響時の応答振幅が最大となる風速で行われており,A0,maxは無音響時の応答振幅の最大値,はそのときの対数構造減衰率を表す.付加音の周波数は遷移波周波数付近と考えられるfa=420Hzとした.制振効果の指標としては,次式に示す応答振幅の低減率を用いている.

図1 円柱模型およびスピーカ図表図2 渦励振に効果のある音響周波数fa*および遷移波周波数ftのRe数に対する変化の比較(fn:渦励振時の円柱固有振動数,fs:円柱静止時の後流渦放出周波数) / 図3 振幅の低減率に与える無音響時の応答振幅A0,maxの影響および音響の強さ(スピーカ入力パワーPa)増大による振幅の低減率の改善

 

 ただし,Aa,maxは音響付加時の渦励振応答振幅である.A0,maxが大きいほど制振効果は低下するが,音響の強さ(スピーカへの入力パワーPa)を大きくすることで制振効果を高められることが分かる.

 次に,音響撹乱を図4に示すような円柱表面上の2点における周期的湧き出し・吸い込み(周期的撹乱)に置き換えて有限要素法による数値流体解析を行った.周期的撹乱の変動流速aはUaを撹乱の振幅,faを撹乱の周波数として次式で表す.

 

 Re=2000付近で応答振幅が最大となるような渦励振(周期的撹乱を付加しないときの応答の片振幅が0.6cm程度)に対し,Weiの遷移波周波数の周期的撹乱(fa/fs=3.51),Bloorの遷移波周波数の周期的撹乱(fa/fs=4.45)および比較のための後流渦放出周波数の周期的撹乱(fa/fs=1.00)の3種類の撹乱を付加したときの渦励振の応答振幅の時刻歴を示したのが図5である.なおそれぞれの周期的撹乱は渦励振の応答振幅がほぼ一定となる時刻から,剥離点付近と思われる=80°の位置およびUa=0.1U(Uは流入流速)の強さで付加した.図に示すように,Bloorの遷移波周波数の周期的撹乱(fa/fs=4.45)を付加したとき渦励振が低減された.図6はRe=2000において静止円柱まわりの流れに,上記と同じ3種類の周波数の周期的撹乱を付加したときの静止円柱に作用する変動揚力係数CLのパワースペクトルである.Weiの遷移波周波数の撹乱(fa/fs=3.51)は変動揚力を低減させる効果を有し,Bloorの遷移波周波数の撹乱(fa/fs=4.45)は変動揚力の周波数あるいは後流渦放出周波数を増加させる効果があることを示している.すなわち円柱に作用する変動揚力の低減効果よりも,むしろ後流渦放出周波数の増加が図5の渦励振制御に関与していることが示唆される.風洞実験においても,渦励振の制振時に渦励振振動数が上昇する現象が確認されており,音響付加による後流渦放出周波数の上昇をほのめかす.本解析の渦励振は共振風速付近で応答が最大となるなど,後流渦による強制振動的性質が強い.したがって後流渦放出周波数の増加に対し,渦励振応答が敏感に反応したと考えられる.しかし応答振幅が最大となる風速やそれより高い風速域では,このような後流渦放出周波数の増加により渦励振を低減できる反面,それより低い風速域では渦励振が増幅される結果となった.風洞実験では,渦励振の応答振幅が最大となる風速よりも低い風速域でも制振効果が得られており,後流渦放出周波数の増加に加えてその他にも何らかの制振メカニズムが存在することが示唆された.なお風洞実験ではWeiの示した遷移波周波数の予測値付近の音響が制振効果が高かったのに対し,数値解析ではBloorの示した遷移波周波数の予測値付近の周期的撹乱(音響)の方が制振効果が高く,実験とは多少異なる傾向を示した.この原因としては,実験と解析でのレイノルズ数のオーダーの相違,実験における流れの3次元性の存在,遷移波の周波数の予測値と実際に発生している遷移波の周波数との不一致等が考えられる.

図表図4 音響撹乱 / 図5 周期的撹乱の渦励振に及ぼす効果図6 変動揚力係数CLのパワースペクトル

 さらに数値シミュレーションから得られた静止円柱後流の主流方向(x方向)平均速度分布に対し線形安定性解析を行い,流れ場の不安定性の観点から,音響(周期的撹乱)が円柱まわりの流れ場へ与える効果について検討した結果が図7である.図7は各無次元周波数f/fs(fsは周期的撹乱を付加しないときの後流渦放出周波数)の変動に対する無次元増幅率-iD(Dは円柱直径)を表わしており,増幅率が最も大きい周波数が円柱後流において最も不安定であり,その周波数が後流渦放出周波数に相当する.周期的撹乱を付加しないときは周波数fsで後流渦が放出されるので,f/fs=1.0付近での増幅率が最大となっている.Bloorの遷移波周波数の周期的撹乱(fa/fs=4.45)を付加したときは,f/fs=1.13付近で増幅率が最大となっており,数値シミュレーションでの後流渦放出周波数の増加とほぼ一致する.すなわち数値シミュレーションで円柱の渦励振制御の原因の1つとされた,Bloorの遷移波周波数付近の周期的撹乱による後流渦放出周波数の増加は,付加した周期的撹乱成分と後流渦との直接的な干渉により生じるのではなく,周期的撹乱付加による円柱後流の不安定性の変化が要因となって間接的に後流渦の放出特性が影響を受けることが原因であると考えられる.一方,比較のために示したfa/fs=1.82の撹乱の場合は,増幅率が最大となる周波数は周期的撹乱を付加しない場合とほとんど変化していない.数値シミュレーションでは,この周波数の周期的撹乱付加時は後流渦放出周波数は減少しており,この場合は後流渦放出周波数の変化が円柱後流の不安定性とは無関係であることを示している.

図7 円柱後流の増幅率特性
審査要旨

 風の作用により構造物に生じる渦励振は,流体・構造物連成振動の中でも発現することの多い現象であり,その制御は重要である.従来は,風洞実験により構造物の形状を良好なものに変更する空力的対策や,構造物の減衰や剛性を増加させる構造的対策などが用いられてきた.

 本論文では,これらとは異なり,物体まわりの流れを音響などを加えることにより刺激し,流れの性質を変化させて渦励振の発生を抑制しようとする手法を対象とし,その効果および制振機構を風洞実験,数値流体解析および線形安定性解析により検討している.音響による流れの刺激を,翼や静止円柱などの空力特性改善のために用いる試みは今までもあったが,渦励振など剥離流れが原因で生じる構造物の空力弾性振動制御を目的として音響付加が用いられたことはない.なお本論文では,渦励振を生じる代表的な物体であることから円柱を対象とし,流れに加える刺激は単一周波数としている.

 本論文では,第1章において以上の経緯と研究の背景,目的を述べている.第2章においては,音響付加が円柱の渦励振におよぼす影響を,風洞実験によって論じている.円柱の渦励振の振幅を最も減少させる音響の周波数は,剥離せん断層の不安定性により生じる遷移波の周波数に近いことが明らかになった.また,渦励振振幅が大きいほど音響付加による振幅減少の割合は小さくなること,付加する音響が強くなるほど渦励振の振幅を減少できることを示した.

 第3章では,円柱まわり流れの剥離点付近に湧き出し・吸い込みによる周期的な撹乱を与え,それにより円柱の渦励振振幅がどのように変化するか,またそうした変化が生じる原因を,有限要素法を用いた数値流体解析により検討している.風洞実験と同様,遷移波の周波数付近の撹乱によって,渦励振の振幅は最も減少することを示した.また,このように渦励振振幅が減少する理由は,撹乱によって渦放出周波数が高周波数側に移動し,渦放出にともなう変動空気力による共振が生じなくなったためと説明できることを示した.

 しかし風洞実験結果においては,低風速領域においても音響付加により渦励振振幅が減少しており,これは渦放出周波数が高周波側に変化することとは逆の傾向となる.解析と実験のレイノルズ数の違い,解析の渦励振が強制振動的であるのに対し実験では自励振動的な性質をもつことなどから両者の特性が一致しないものと考えられる.ただし論文で示された,周期的撹乱によって生じる流れの微妙な変化が渦励振という複雑な流体・構造連成振動におよぼす影響を数値流体解析を用いて明らかにしうることは,十分興味のあることである.高レイノルズ数の風洞実験における現象をより厳密に説明するのは,今後の大規模な解析に期待すべきであろう.

 第4章では,数値流体解析により得られた流速分布を用いた静止円柱まわりの流れの線形安定性解析を行い,周期的撹乱により生じる渦放出周波数の増加が,周期的撹乱が後流渦に直接干渉して起こるのではなく,円柱後流の不安定性の変化を介して間接的に影響することにより生じていることを明らかにしている.また,渦励振制御に効果的な撹乱の周波数が,円柱の剥離せん断層内において最も変動の増幅率の高い周波数にほぼ対応することを解析的に示した.

 以上述べたように,本論文は実験,数値解析および解析的検討を通じて,流れに周期的な撹乱を加えることにより渦励振を制御する新しい手法について,その効果を明らかにし,また渦励振が制御されるメカニズムに関して興味ある知見を示しており,構造工学の分野において有意義と判断される.

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54492