学位論文要旨



No 111568
著者(漢字) 北川,章臣
著者(英字)
著者(カナ) キタガワ,アキオミ
標題(和) 外部性が存在する下での貨幣使用の諸帰結
標題(洋) Valuation of Fiat Money under Externalities
報告番号 111568
報告番号 甲11568
学位授与日 1996.02.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(経済学)
学位記番号 博経第97号
研究科 経済学研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 西村,清彦
 東京大学 教授 堀内,昭義
 東京大学 教授 岩井,克人
 東京大学 教授 植田,和男
 東京大学 教授 井堀,俊宏
内容要旨

 この論文の目的は外部性が存在する経済で不換紙幣が流通すると何が起きるかを明らかにすることである。イントロダクションに続く三つのエッセイはいずれも不換紙幣の流通と現実に存在すると思われる外部性の相互作用を分析の対象にしている。

 現在、多くの国で流通している貨幣は利子・配当を稼ぐこともなければ、何らかの有用財と兌換されることないという意味で裏付けを持たない。このような特徴を持つ貨幣は「不換紙幣(fiat money)」と呼ばれるが、こうした貨幣はそれを受け取る人々が次々に現れるときに限って正の価値を持つ。サムエルソンが考案した世代重複モデルはそのようなことが起こりうる環境の一例である。

 サムエルソン以来、世代重複モデルを用いた不換紙幣の研究の多くはその流通を「動学非効率性(dynamic inefficiency)」と呼ばれるモデル固有の非効率性に結びつけて説明してきた。ある経済が「動学非効率的」であるとは、経済成長率を上回る収益を稼ぐ実物資産がその経済に存在しないことをいうが、このような経済では若年世代の所得を実物資産に投資するよりも老年世代に直接移転した方が資源配分の点で望ましいことが知られている。けれども、分権的な市場経済ではどの世代に属する人々もそのようなインセンティヴを持たないため、どの期においても若年世代の所得は実物資産に投資されてしまい、均衡で効率的な資源配分は達成されることはない。いま、この経済の老年世代の手には「不換紙幣」があり、かつ、「不換紙幣は実物資産と同等かそれ以上の収益を稼ぎ続ける」という予想を人々が持ったと仮定してみよう。このとき、若年世代の所得は不換紙幣と交換される形で老年世代の手に渡ることになる。なぜなら、若年世代は老年世代の持つ不換紙幣を貯蓄手段として欲し、一方、老年世代は若年世代の持つ財を欲しているからである。もし上述の予想が合理的期待であれば、どの期においても不換紙幣と財との交換が生ずることになる。上述の予想は経済が動学非効率的なときに限って合理的期待となることが知られている。このように、動学非効率性は裏付けのない不換紙幣が貯蓄手段として需要される余地を創り出すというのが、従来の研究の論点であった。

 これに対して、最近、世代重複モデルに依拠しつつも従来の研究が強調してきた「動学非効率性」とは異なる理由によって不換紙幣の流通を説明しようとする研究が増えている。これらの研究が不換紙幣流通の原因として注目するのはモラルハザードや逆選択といった私的情報の問題である。私的情報が完全な保険契約や十分な信用供与を困難にすることはよく知られているが、私的情報ゆえに不完全にしか供給されない保険や信用を補完する目的で人々は不換紙幣を需要する可能性があるのである。この論文の最初の二つのエッセイ(第2章および第3章)もこうした点に注目した研究である。

 第2章"Fiat Money as A Riskless Asset"では不換紙幣が安全資産として需要される世代重複モデルが提出される。このモデルでは、パラメータの値によらず貨幣均衡が存在すること、非貨幣的定常状態が貨幣的定常状態をパレートの意味で凌駕する可能性、インフレ課税の強化が貨幣的定常状態の資本ストックを減少させる可能性など、従来の世代重複モデルを用いた研究では得られなかった結論が得られる。

 一方、第3章"Does Money Always Make People Happy?"は、情報の非対称性のある世代重複モデルにおいて、不換紙幣流通の原因と帰結を考察している。この経済では不換紙幣の価値とモラル・ハザードの程度は同時決定される。即ち、不換紙幣の流通はモラル・ハザードを悪化させ、モラル・ハザードの悪化は人々に不換紙幣を持つことを促す。また、不換紙幣が流通すると、第1期以降に生まれた世代の経済厚生は悪化する可能性がある。

 これら二つの章のモデルが不換紙幣の流通を情報の非対称性に帰着させているのに対し、第4章"Atomistic Investors Eliminate Dynamically Efficient Equilibria"は、従来の研究と同様、動学非効率性を不換紙幣の流通の原因とみる。にもかかわらず、動学効率的な均衡が存在しないという点で、この章のモデルは従来のものとは異なる。このモデルでは、不換紙幣の流通は、資源配分の改善につながるものの、それだけでは効率的な配分を達成することができない。このような結論が得られるのは次のような仮定が課せられているためである。第一に、このモデルの経済主体は、各自の資産選択が収益率を直接動かすことができないという意味で、小さい。第二に、実物投資の収益率は集計された投資量の階段関数になっている。これらの仮定が有効であるとき、自由放任経済は過剰な投資をすることなくいかなる均衡にも到達することができない。効率性を回復するためには政府の適切な介入が必要になる。

審査要旨

 現代の経済活動の中で貨幣は極めて重要な役割を担っている。貨幣は一方で取引を媒介しながら、他方で価値の保蔵手段としての性格を持っている。こうした多面的な性格を持った貨幣が、経済の実物面にどのような影響を与えているかは、過去、現在を通じて経済学の主要なテーマである。

 本論文は、価値の保蔵手段としての貨幣の役割に対象を絞り、世代重複モデルという標準的な枠組みの中に私的情報や競争の不完全性という新しい、そして現実的な要素を導入する。その上で貨幣が標準的なモデルとは異なった役割を持ち、そのために経済の均衡の性質が変わることを明らかにしている。従って従来の貨幣の基礎理論では把えることができなかった貨幣の役割の新しい側面に光をあてようとするのが本論文の目的であると言えよう。

 このような問題意識から、全体は次の四つの章から構成されている。

 第一章 Fiat Money(法定不換紙幣)と世代重複モデル

 第二章 リスクのない資産としての貨幣

 第二章補論 保蔵リスクと貨幣の価値

 第三章 「貨幣はいつでも人々を幸福にするか」

 第四章 動学効率性の阻害要因としての無数の投資家の存在

 以下この構成順序に従って本論文の内容を要約紹介する。

 第一章では、Fiat Moneyを巡る研究史を概観し、本論文の研究史上の位置を明確にする。Fiat Moneyは、第一に発行者がそれを何かと交換するという約束ではないという性質と、第二に、それ自体は効用も生まないし、何も生産しないという性質を持っている。そこで問題となるのは何故貨幣が人々によって需要されるかである。貨幣は他の人々によって需要されるという人々の期待の故に需要され、それによって人々の期待が自己実現するという性格を持っている。

 いわゆる世代重複モデルは貨幣のこの性格が最も単純な形で出現するモデルであり、従って貨幣の基礎理論の研究史において標準的なモデルとなっている。このモデルでは重複して存在する世代の間の取引が不完全な為に、Fiat Moneyのない経済では非効率な均衡に経済がある。これを動学的非効率性と呼ぶ。これに対し、Fiat Moneyが導入されると動学的非効率性は解消され、本来それ自身価値を持たないFiat Moneyが正の価値を持つようになるのである。

 標準的な世代重複モデルでは、Fiat Moneyが正の価値を持つ条件として動学的非効率性が重要な役割を占めているが、これに対し最近の研究はこうした動学的非効率性だけでなく、私的情報の存在が貨幣が正の価値を持つ理由として考えられることを主張している。世代間の取引が可能であったとしても、時間を通じる取引(投資)には不確実性が伴う。そこにもし私的な情報があれば、その情報を有利に使うMoral Hazardの問題が生じ、それが取引を歪めて、本来望ましい取引が行われなくなり均衡が存在しない可能性がある。そこに不確実性のない資産としてのFiat Moneyが存在すれば、人々の選択可能な手段を広げ、均衡の存在を保証するのである。

 第二章と第三章は、こうした私的情報の存在が貨幣経済にどのような性質を与えるかを吟味している。特に重要なのは、私的情報のある経済ではFiat Moneyが正の価値を持つのは動学的非効率性が存在するからでもなく、叉貨幣の存在が必ずパレートーの意味で望ましいというのではないことを明らかにした点である。

 第二章(及びその補論)では、標準的な世代交替モデルに投資の不確実性を持込み、さらに投資収益が投資家以外には観測できないという私的情報の要素を導入する。これによってFiat Moneyはリスクのない資産として保有され、正の価値を持つようになる。

 この章では、Fiat Moneyがこのようにリスクのない資産としてポートフォリオの一部に保有される経済では、貨幣が正の価値を持つ貨幣経済が必ずしも貨幣のない経済よりもパレートの意味で望ましいわけではないことを例示している。更には、標準的なモデルでは成立するマンデルーフレミング効果(貨幣供給増加率の上昇が資本蓄積を促す)が場合によって逆転することを示している。

 第三章は、第二章と類似のモデルを使い、私的情報の存在する貨幣経済の性質を更に深く考察する。投資収益については投資家以外には観測可能でないという設定と、更に不確実性が純粋にミクロ的なものであるという二点から、モラルハザードの為に保険が存在しなくなる。その時、Fiat Moneyが実はモラルハザードを実現する手段として使われるようになるという逆説的な結果が生じる。つまり正直に投資をするかわりに何もせず貨幣の形で持つということが可能になるからである。この経済では、実は貨幣が正の高い価値をもっていることは、モラルハザードが深刻であるという形になっており、それが叉、安全資産としての貨幣に対する需要をサポートしているという構図になっている。

 第四章では標準的な世代交替モデルにPrice-Setting行動を導入する。ここでは簡単化のためにBertrand型の価格競争を考えている。このフレームワークの中で、Price-Setting行動の為に経済が動学的に効率的な均衡を失うことを示している。更に、競争が実はatomistic(競争者の数が無限)であることがこうした結果をもたらしていることを明らかにしている。実際、適当な競争制限策によって動学的に効率的な経済が達成されることを示している。

 以上に見られる通り、本論文は貨幣の基礎理論としての世代交替モデルに、より現実的と思われる私的情報とモラルハザードの問題や競争形態についての新しい仮定を導入し、それが導く貨幣経済の興味深い性質についての深い洞察を得ることに成功しているといえよう。特に貨幣の存在と私的情報とモラルハザードが密接に関係し、均衡において相互に規定していることを明らかにした点は高く評価することができよう。

 更には、貨幣を入れた通時的一般均衡モデルのフレームワークで、競争の形態が及ぼす影響を明確に考察した点は、重要な貢献である。しかも競争の制限が逆に効率性を回復する例を示した点は特筆に値するであろう。

 以上のような積極的な評価にもかかわらず、同時に本論文にはいくつかの欠点が存在していることも否めない。

 まず第一に、モデルが極めてstylizedなものであり、そこでの結果がモデルの仮定をゆるめたとき、どの位ロバストなものであるか、若干の疑念が残る。特にこの点は、貨幣の基礎理論のような根元的な問題を取り扱っているのであるから、なおさらである。

 第二に、第一の点と関連するが、すべての結果がsecond bestの形になっている点に不安が残る。場合によってはfirst bestとなる他のcontrivanceが存在し、筆者の主要な主張がくつがえされる可能性を否定できない。この点はとくに野心的な第三章にあてはまる。

 しかしこれらの問題点も、研究の発展の方向性を示しているとも考えられ、今後の研究の深化によって解決することを十分に期待しうるとすることができる。

 以上のような評価にたって、本論文は著者の自立した研究者としての資格と能力を十分確認しうるに足るものであり、審査委員会は、これを博士(経済学)の学位授与に値するものと判定した。

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