学位論文要旨



No 111569
著者(漢字) 吉村,真子
著者(英字)
著者(カナ) ヨシムラ,マコ
標題(和) マレーシアの経済発展と労働力構造
標題(洋)
報告番号 111569
報告番号 甲11569
学位授与日 1996.02.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(経済学)
学位記番号 博経第98号
研究科 経済学研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 柳澤,悠
 東京大学 教授 末廣,昭
 東京大学 教授 加納,啓良
 東京大学 教授 竹野内,真樹
 東京大学 助教授 中西,徹
内容要旨

 本論文は、マレーシアの新経済政策(1970-90年)下の労働力構造の変化を分析の対象とし、労働市場のセグメンテーション(分断、断片)に関する従来の諸研究をふまえ、マレーシアの労働市場のセグメンテーションの実態と構造を、いくつかのケース・スタディをもって示すことを目的とする。

 マレーシアの労働市場は、産業・業種、職種や職階ごとに民族や性によって分断されている。本論文では、そうしたマレーシアのセグメンテーションの分析にあたって、「行列(queue)としての労働市場論」を取り上げる。この「行列の理論」とは、雇用者の選好によってランク付けされる「労働者の行列」と労働者の選好によってランク付けされる「仕事の行列」によって、労働市場は分断されているとする理論である。しかし、二重労働市場論などほかのセグメンテーション理論と同様に、行列の理論は、(1)セグメンテーションの指標やその境界が明らかでない、(2)その形成の過程が不明確、(3)労働市場においてどう変化していくのか、そのダイナミクスやメカニズムが示されない、といった問題点や限界が指摘されている。そうした点もふまえ、本論文では、同理論を機械的にマレーシアの労働市場に適用するのではなく、行列の理論における「労働者の行列」と「仕事の行列」を、実際の雇用者による雇用と労働者の就職という「雇用者の選択」と「労働者の選択」として捉え直し、その両者の「選択」の相互作用の結果を「労働市場の変化」として議論する。

 本論文の構成は、まず第I章で論文の課題と構成を述べ、第II章では方法論として労働市場のセグメンテーションをめぐる既存の労働市場論をサーヴェイし、本論文の分析枠組みを示した。つぎに第III章で、マレーシアの労働力構造の変遷を概観し、新経済政策下の就業構造の変化、労働市場における民族間分業や性分業、労働力不足と外国人労働者の導入について述べた。その上で、第IV章から第VII章でマレーシアの労働市場のセグメンテーションを示すケース・スタディを取り上げ、最後の第VIII章で各章のケースを雇用者の選択、労働者の選択としてそれぞれ検討し、そうした選択の総体としての労働市場について、結論をまとめた。

 まず第IV章は、日系企業の雇用と労働者の就職について取り上げた。日系企業の「選好」は、「マレーシア人、できれば優秀なブミプトラ」であるが、ブミプトラの優秀な人材は政府・公共部門にいく傾向が強い。日系企業の労働力構造をみると、マレー系が労働力の6割を占めていても、管理・専門職や技術職といった高い職階レヴェルでは非マレー系が多く、職種・職階による民族間分業が形成されている。また資源加工型業種や輸入代替型業種の労働力構成では男性比率が高い(7-8割)のに対して、輸出加工型業種では女性が7-8割と男女比率が逆転しており、また職階の高い仕事の殆どを男性が占め、女性は職階の低い部分(不熟練労働や非専門職の事務職など)に集中するなど、産業・業種・職種・職階で性によるセグメンテーションが形成されている。他方、日系企業のマレーシア人従業員(161名)への聞き取り調査によると、「労働者の選択」は、オペレーター・レヴェルとスタッフ・レヴェルで大きく異なっている。オペレーターが「賃金」や「勤務場所」などに左右されるのに対して、スタッフは賃金のみならず「仕事内容」や「福利厚生」も重視している。就職の応募のきっかけや情報の収集方法も、オペレーターは地縁・血縁のネットワークによるインフォーマルなルートが殆ど(9割)だが、スタッフの場合は、新聞広告などフォーマルな手段が7割となっている。オペレーター・レヴェルとスタッフ・レヴェルとでは、選択の性格やメカニズムも異なり、労働市場の入り口から両者の間には分断がみられる。

 つぎの第V章では、スランゴール州の1日系企業を取り上げ、第IV章の議論をさらに深めた。すなわち建築資材を製造する同社は、その労働力の殆どが男性で構成され、女性労働者は事務職などごく1部である。同社はその労働力をもっぱら近隣のマレー・カンポン(村、村落)に頼っていたが、近年は人手不足に苦しみ、1994年にはついに外国人労働者を導入している。そのバングラデシュ人労働者(29名)に対しては、仕事を求めて同社にやってきた経緯や手段、就労の状況について聞き取りを行なった。また同社の場合、地元に同社の従業員が多いため、カンポンの住民は知人や家族から同社について日常的に聞いている。それを前提として、同社に対する認識と就業意識について村民(101名)聞き取り調査を行なった。それによって明らかになったのは、シャーアラムやクランといった工業地帯やクアラルンブルにおける就業機会の増加にしたがって、初任給の低さに加えて、火を扱う作業があるなど同社の工場をいわゆる3K(きつい、汚い、危険)職場と見なすようになってきており、もはや近隣の住民にとって同社は魅力的な就職先ではなくなっている。また仕事の性格や労働力構成からも「男の職場」として認識され、女性は就職先として考慮の対象からはずしている。しかしながら、村民は一般に村周辺での就業を望み、また企業を選ぶならばマレーシアの企業、とくにブミプトラの企業を選好している。これは経済的合理性による選好というよりは、地縁・血縁の強さ、言葉や宗教・生活習慣などの共通性からくる便利さや心理的安心感に加え、価値観や政治的背景も大きい要素となっている。

 第VI章では、電子産業の女性工場労働者を取り上げ、電子・電気企業がなぜマレー系の若年女性を「選好/選択」するのかという問題から、性による労働市場のセグメンテーションについて検討した。一般に労働集約的工程を含む輸出指向型業種は、低賃金で勤勉で器用な労働者として若年女性を選好する傾向があるが、ブミプトラ優先により「農村出身の若いマレー女性」が選択される。同じマレー系の工業部門への参入にしても、男性と女性では形態は異なり、とくに業種・職種や生産工程によって違っている。即ち、金属・ゴム加工・自動車組立・木材・港湾サーヴィスといった資本集約的産業は男性の熟練労働者を選好するが、他方、電子・電気、繊維・衣服といった労働集約的産業は不熟練・半熟練の女性労働者を選好する。しかも労働市場の女性労働者はとくに18-22歳の年齢層に集中しており、同じ女性労働者でも年齢層によって分断される。とくに女性労働者は男性に比べて低賃金しか支払われず、しかも容易に雇用・解雇できる労働力として、労働市場で2次的な存在として位置づけられている。

 第VII章ではジョホール州のエステートをケースに取り上げ、その労働力構造の変化と外国人労働力の導入を検討した。そして、かつて植民地経済の中心を占めたエステート部門が、現在では3Kイメージを抱える部門となり、マレーシアの若者に就職先として忌避されるようになったこと、ゴムからオイル・パームへの作物の転換によって求められる労働の質の変化(女性・子供から男性へ、熟練・半熟練から不熟練へ)がもたらされたこと、そしてエステートにおける労働力不足の深刻化によって外国人労働者の導入が余儀なくされたこと、が示された。またインドネシア人労働者(124名)にマレーシアに来た動機や経緯について面接調査を行った。

 本論文におけるマレーシアの労働市場のセグメンテーション(分断)の分析は、マレーシアの労働市場における「行列」の実態を検討することによって、雇用者の「選択」と労働者の「選択」の結果として労働市場のセグメンテーションが生じていることを示し、そのメカニズムの解明を求めたものであった。その結果、明らかになったことは、(1)マレーシアの労働市場のセグメンテーションは、起源として英領植民地時代に形成されたものであり、1970年代以降の変化は構造的に大きなものであった、(2)そのセグメンテーションは民族・国籍・性差・年齢・業種・職種・学歴・熟練などの指標を中心に議論できる、(3)マレーシアの労働市場のセグメンテーションは、その起源においても1970年代以降の大きな構造的変化にしても、雇用者の「選択/選好」によってもたらされている、(4)雇用者の「選択」も労働者の「選択」も決して経済合理性だけで行われるわけではない、(5)労働市場の価格決定メカニズムは決して近代経済学のモデルが想定するような自由競争によるものではない、(6)ブミプトラ政策が雇用者のブミプトラの選択を導いているように、マレーシアの労働市場のダイナミクスにおいて政府の役割(もしくは政府の政策の役割)が大きい、(7)雇用者の「選択」にあたってマレーシア人については学歴・職歴・熟練度など労働者としての個人的背景が考慮されるが、外国人については(文化・社会的な適応能力としてイスラム教の背景やマレーシア語・英語の能力が多少考慮される程度で)殆どそうした点が考慮されない、(8)労働者の「選択」に際して、スタッフ・レヴェルとオペレーター・レヴェルでは、「選択」のスタイルのみならず、「仕事の行列」の形成そのものが異なっている、(9)その職階の違いにしてもブミプトラ優先といった要素が強い分野(官公庁やブミプトラ企業など)では民族の境界は大きいが、それ以外の点は学歴や職歴に加えて(抽象的だが)本人の能力によって境界を乗り越えるのは不可能ではない、などが指摘できた。

審査要旨

 本論文は、1970年代以降のマレーシアの経済発展過程における労働力構造の変化を分析の対象とし、いくつかのケース・スタディに基づき、労働市場のセグメンテーション(分断)の実態と構造を明らかにすることを目指している。

 マレーシアの労働市場は、産業・業種、職種や職階ごとに民族や性によって分断されている。本論文では、こうした労働市場のセグメンテーションの実態を分析するための理論的フレームワークとして、「行列(queue)としての労働市場論」を採用している。「行列の理論」とは、雇用者の選好によってランク付けされる「労働者の行列」と労働者の選好によってランク付けされる「仕事の行列」によって、労働市場は分断されているとするものである。そのマレーシア労働市場分析への適用にあたっては、行列の理論における「労働者の行列」と「仕事の行列」を、それぞれ実際の雇用者による雇用における「雇用者の選択」と労働者の就職における「労働者による選択」として捉え直し、両者の「選択」の相互作用の結果として労働市場の分断状況を把握しようとしている。

 本論文の全体の構成は、まず第I章で論文の課題と構成を略述し、第II章で労働市場のセグメンテーションをめぐる既存の労働市場論のサーヴェイをするとともに、本論文の理論的枠組みたる「行列の理論」を検討し、第III章はマレーシアの労働力構造の概観で、マレーシア人の優先的雇用などブミプトラ(「土地の子」)政策の展開、その新経済政策下でのマレー系・華人・インド系などの就業構造の変化、経済発展に伴う労働力不足と外国人労働者の受け入れの状況が検討される。

 第IV章から第VII章の4つの章は、本論文の中核をなすマレーシアでのフィールドワークをもとにしたケース・スタディである。まず第IV章は、マレーシアの工業化の重要な担い手の一つである日系企業とそのマレーシア人従業員を取り上げ、マレーシアの工業化と労働者の工業部門への参入の過程を検討し、以下の事実を明らかにする。第1に、日系企業は「マレーシア人、できれば優秀なブミプトラ」を「選好」するが、ブミプトラの優秀な人材は政府・公共部門にいく傾向が強い。第2に、日系企業では、マレー系が労働者の6割を占めているが、管理・専門職や技術職といった高い職階レヴェルでは非マレー系が多く、職種・職階による民族間分業が形成されている。また資源加工型業種や輸入代替型業種の労働力構成では男性比率が高いのに対して、輸出加工型業種では女性が圧倒的多数を占めており、また職階の高い仕事を男性が占め、女性は職階の低い部分(不熟練労働や非専門職の事務職など)に集中するなど、産業・業種・職種・職階で性による分業が形成されている。第3に、「労働者の選択」は、オペレーター・レヴェルとスタッフ・レヴェルで大きく異なっていることである。オペレーター層にとって賃金水準や勤務場所が重要な判断要因であるのに対して、スタッフの場合は賃金のみならず仕事内容や福利厚生も重視される。就職の情報の収集方法も、オペレーターは地縁・血縁のネットワークによるインフォーマルなルートに依存するが、スタッフは新聞広告などフォーマルな手段を通じて応募している。オペレーター・レヴェルとスタッフ・レヴェルとでは、労働市場の入り口から両者の間には分断がみられる。また、勤続年数の長さにしたがって増加している賃金も、学歴(教育年数)によって差が出ていること、またオペレーター・レヴェルの学歴も年代が下がるにつれて次第に高校卒業以上になっていること、男性に比べて女性は勤続年数による賃金増加も学歴による賃金体系の差も小さいこと、などが明かとなる。

 第V章は、マレーシアの日系企業と地域社会についてより具体的に検討するため、スランゴール州スンガイ・ブロの一つの日系企業(建築資材製造)を取り上げ、まずその企業の労働力不足と外国人労働者の導入の過程に考察を加えている。この日系企業の労働力は殆どが男性である。同社はかつてその労働力をもっぱら近隣のマレー・カンポン(村、村落)から調達していたが、人手不足で1994年からは外国人労働者を雇用している。本論文の研究では、そこに働くバングラデシュ人労働者29名にインタヴューを行い、仕事を求めて同社に来た経緯や手段、就労の状況についてのデータを収集している。彼らの学歴と同社の賃金の関係をみると、学歴の高さは賃金に反映されず、彼らは高学歴が求められる職種に就いているとは言えない。

 さらに、周辺のマレー・カンポン住民の同社に対する認識や就業意識について明らかにするために、101名の村民に聞き取り調査を行なった。その結果、他の工業地帯やタアラ・ルンプルにおける就業機会の増加に伴って、初任給が低くて火を扱う作業がある同社の工場は、もはや近隣の住民にとって魅力的な就職先ではなくなっていることが明かとなる。調査は、同時に、村民は一般に地元での就業を望み、また企業形態としてはマレーシアの企業、とくにブミプトラの企業を選好していることを示している。経済的合理性による選好というよりは、地縁・血縁の強さ、言葉や宗教・生活習慣などの共通性からくる便利さや心理的安心感に加え、価値観や政治的背景も大きい要素となっているわけである。しかし、ここでも世代差があり、若年世代は遠隔地で就業することに抵抗感がなく、変化の兆しが検出される。

 第VI章は、マレーシアの工業化がマレー系の若年女性に与えた影響を電子産業を中心に検討する。一般に労働集約的工程を含む輸出指向型業種は、低賃金で勤勉で器用な労働者として若年女性を選好する傾向があるが、これにブミプトラ優先の要因が加わり、電子産業では「農村出身の若いマレー女性」が選択される。同じマレー系でも、男性と女性とでは異なった状況にある。金属・ゴム加工・自動車組立・木材・港湾サーヴィスといった資本集約的産業は男性の熟練労働者を選好するが、電子・電気、繊維・衣服といった労働集約的産業は不熟練・半熟練の女性労働者を選好する。女性労働者はとくに18-22歳の年齢層に集中しており、同じ女性労働者でも年齢層によって分断されている。女性労働者は男性に比べて低賃金であり、容易に雇用・解雇できる労働力として、労働市場で2次的な存在として位置づけされている。

 第VII章では、労働力不足の進行につれて外国人労働力に依存するようになったエステート部門について、ジョホール州のBousteadのエステートをケースとして考察する。ここでは、かつての植民地経済の中心を占めたエステートも、低所得・劣悪労働条件の職種としてマレーシアの若者に忌避されるようになったこと、ゴムからオイル・パームへの作物の転換に伴って必要とされる労働の質が変化(女性・子供から男性へ、熟練・半熟練から不熟練へ)したこと、そしてエステートにおける労働力不足の深刻化によって外国人労働者の導入が余儀なくされたことが示される。また、インドネシア人労働者の学歴と賃金との関係では、バングラデシュ人労働者と同じく、教育年数と賃金とは相関せず、高学歴が有利に作用する職場・職種ではないことがわかる。

 本論文は、以上の検討の結果をまとめて以下のように結論づける。第1に、マレーシアの労働市場のセグメンテーションは、起源として英領植民地時代に形成されたものであり、1970年代以降構造的に大幅に変化した。第2に、セグメンテーションの指標としては、民族・国籍・性差・年齢・業種・職種・学歴・熟練などを挙げることができる。第3に、マレーシアの労働市場のセグメンテーションは、その起源においても1970年代以降の大きな構造的変化においても、雇用者の「選択/選好」によってもたらされているが、1970年代以降特に1980年代の労働力不足は労働者側の「選択」の位置づけと影響力を強めた。第4に、雇用者の「選択」も労働者の「選択」も決して金銭的・コスト的判断だけで行われるわけではなく、また労働市場の価格決定も自由競争によるものではない。第5に、ブミプトラ政策が雇用者によるブミプトラの選択をもたらしていることに示されているように、マレーシアの労働市場の展開にとって政府の政策の役割は大きい。第6に、雇用者の「選択」にあたってマレーシア人に関しては学歴・職歴・熟練度など労働者としての個人的背景が考慮されるし、学歴が賃金体系に反映されるが、外国人については、そうした点はほとんど考慮されない。第7に、労働者の「選択」に際して、スタッフ・レヴェルとオペレーター・レヴェルでは、情報収集の方法のみならず、「仕事の行列」の形成そのものが異なっている。第8に、官公庁やブミプトラ企業などブミプトラ優先の分野では職階の違いなど民族間の境界は大きいが、それ以外の分野では学歴の力で境界を乗り超えるのは不可能ではない程度である。論文は、最後に、労働力不足、社会開発の進展と教育水準の上昇によって労働者のセグメンテーションが緩やかに崩れていく可能性を展望している。

 以上の要約から分かるように、本論文は、1970年代以降のマレーシアの労働市場に関する本格的分析である。マレーシアの経済発展自身に関してはいくつかの優れた研究がすでに蓄積されているが、その労働市場の変容については国際的にみても十分な考察はされてこなかった。多様なエスニック・グループから成る複雑なマレーシアの労働市場の分析は、この国自身の経済構造の解明にとって重要なばかりでなく、複数エスニック集団の並存する社会の比較研究の意味からも重要である。この未開拓の分野にはじめて本格的な考究を加え、以上のような知見を得たことが、本論文の第1の貢献である。

 第2に、この研究は、長期の本格的フィールドワークに基づく研究であることである。フィールドワークは、29週間に及び、経営者のみならず、多数の労働者を聞き取りの対象としたことは十分に評価されよう。添付された調査結果の表は、今後も資料として利用価値があろう。

 第3に、それらの中でも、特にマレーシアのエステートなどで就業している外国人労働者からの聞き取り調査はほかに例がなく、本研究の重要な貢献といえよう。

 以上の積極的な評価にもかかわらず、同時に、本論文にはいくつかの欠点が存在する。

 第1に、本研究は、分断された労働市場を分析する手法として「行列queueの理論」を採用しているが、このフレームワークによって、調査で得られたデータが十分に整理され活かされきっているとはいい難い。調査データの豊富な内容は、民族、性差などの要素以外の多様な要素の存在を示唆しているが、理論化に際してそれらが十分に組み込まれていない。

 第2に、本研究では日系企業を主たる対象としているが、日系企業の労働市場がマレーシア全体の労働市場にどのように位置づけられうるのかは、本論文では明確でない。

 第3に、農村社会の変化が労働力供給や労働市場に大きく関連していることは本論文からも推定されるが、農村変動の分析がほとんどない。同様に、本論文の内容と深く関わる1990年代のマレーシア政府の政策の分析が欠如している。これらのほかに、新古典派の労働市場論の理解の仕方や調査対象のサンプリングの方法などに不十分さが見られた。

 しかし、これらの問題点も今後の彫琢によって本論文の完成度を高め改善する際に克服しうるものであり、また、今後の研究の深化によって解決することが十分期待しうるものである。

 以上の評価にたって、本論文は筆者の自立した研究者としての資格と能力を十分確認しうるに足るのものであり、審査委員会は、本論文を博士(経済学)の学位授与に値するものと判定した。

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