学位論文要旨



No 111573
著者(漢字) 鶴田,敏久
著者(英字)
著者(カナ) ツルタ,トシヒサ
標題(和) マーカー遺伝子発現様相からみた好中球分化成熟課程 : 健常者、CML患者ならびにMDS患者由来の骨髄細胞における各種CSFの影響についての比較検討
標題(洋)
報告番号 111573
報告番号 甲11573
学位授与日 1996.02.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1057号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 澁谷,正史
 東京大学 教授 新井,賢一
 東京大学 教授 中畑,龍俊
 東京大学 講師 北村,聖
 東京大学 講師 平井,久丸
内容要旨

 好中球系細胞には各成熟段階に特徴的な種々の顆粒(アズール顆粒(一次顆粒)、特殊顆粒(二次顆粒)、三次顆粒及びreplenis hsome)が存在し、それぞれ好中球に特徴的な蛋白質を含んでいる。これら好中球系分化マーカーとして好中球アルカリフォスファターゼ(ALP)、ミエロペルオキシダーゼ(MPO)等が知られているが、それらの発現パターンを好中球系細胞の分化成熟と関連づけて遺伝子レベルで系統立てて検討し、各種血液疾患の好中球系細胞の分化の分子生物学的解析に役立てようとする研究はこれまでほとんどみられない。一方、遺伝子工学の応用により各種造血因子の分子クローニングが行われ、その中の幾つかは既に臨床応用が開始されている。特に好中球の産生を亢進させ、その機能を高める造血因子として、G-CSF、GM-CSF並びにIL-3は臨床的に造血能亢進を目的として使用されて始めているが、その機能を好中球分化成熟マーカー遺伝子との関連で総合的に検討した報告はまだない。そこで本研究では、好中球分化成熟マーカーとして特に重要と思われるALP、MPO、defensin、ならびにG-CSFレセプター(G-CSFR)を取り上げ、それぞれの、mRNAの発現と好中球系分化との関連について比較検討することを目的とした。細胞としては健常者、骨髄異形成症候群(MDS)、慢性骨髄性白血病(CML)および急性骨髄性白血病(AML)患者由来の細胞を用いた。各CSF刺激に対して、AML細胞は分化成熟傾向は弱く、CMLとMDSではその好中球系細胞は一定の分化能を有しているものの、MDSでは無効造血、CMLでは無秩序・無制限の増殖といった異常があり、機能的にも後2者では種々の異常を伴うことが知られている。

 [材料および方法]健常人3例、骨髄異形成症候群(MDS)7例[refractory anemia(RA)-3例、refrac-tory anemia with excess of blast(RAEB)-2例、RAEB in transformation(RAEB in T)-2例]、慢性骨髄性白血病(CML)患者6例[慢性期(CP)-2例、移行期(AP)-1例、急性転化(BC)-3例(骨髄芽球性2例、リンパ球性1例)]および急性骨髄性白血病(AML)5例(M1-2例、M2-2例、M3-1例)より得られた骨髄細胞(一部末梢血細胞)をdex tran沈降法、ficoll-hypaque溶液による濃度勾配法を用いてMNC分画(幼若細胞群)およびPMN分画(成熟細胞群)に分離した。それぞれを10%FCS添加IMDM培養液中2x106/mlの濃度で、G-CSF(50ng/ml)、GM-CSF(50ng/ml)およびIL-3(10ng/ml)添加、無添加後、37℃で18〜72時間培養した。培養前後の細胞よりguanidine HCl-CsClを用いた超遠心法にてDNAおよびRNAを抽出し、liver/bone/kidney type ALP、MPO、G-CSFR、defensin、および-actin cDNAをそれぞれ32Pにて標識したプローブを用いNorthem分析を行った。また、培養前のMNC分画DNAをBamHI、BglII、EcoRI、XbaI、KpnI、HindIIIおよびPstIの制限酵素を用いALPおよびMPO cDNAをプローブとしてSouthem分析を行った。さらに、培養前後の細胞の塗末標本のMay-Giemsa染色およびNAP染色を行い細胞分画およびNAPスコアーを検討した。

 [結果]正常骨髄分画ではALP mRNAはPMN分画で、MPO、defensinおよびG-CSFRのmRNAはMNCおよびPMN両分画で発現が認められた。但し、defensinならびにG-CSFR mRNA発現はPMN分画での発現がやや強い傾向が認められた。MPOmRNAはPMN分画で培養により減少がみられた。MNC、PMN両分画をそれぞれ一定期間培養するとALP mRNAの発現はG-CSF存在下で増強し、GM-CSF存在下では逆に抑制された。このGM-CSFによるALP mRNAの発現抑制作用はG-CSF存在下においても認められた。またMNC分画でのMPO mRNA発現はG-CSFあるいはGM-CSF存在下で、MNCおよびPMN両分画におけるG-CSFR mRNA発現はG-CSF存在下でやや亢進していた。一方、G-CSF、GM-CSF存在下でのMNC分画におけるdefensin mRNA、GM-CSF存在下での両分画のG-CSFR mRNAの発現にはとくに変動は認められなかった。更に、IL-3存在下ではALP mRNA発現は僅かに抑制されたが、その他のmRNAの発現には有意の変化がなかった。

 MDSおよびCML患者の骨髄細胞分画での各遺伝子発現に関しては基本的には正常骨髄の場合と同様の傾向が得られたが、MPO mRNAの発現に関してはMNC分画に強く認められ、PMN分画ではほとんど検出されなかった。また、好中球ALPスコアー低値のCMLおよびMDS症例ではPMN分画でALP mRNAはほとんど検出されず、G-CSF存在下で培養することによりその発現が誘導された。IL-3のALP抑制作用はCMLのMNC分画で明瞭に認められた。defensin mRNAについては一部のMDSおよびCML症例で、PMN分画またはMNC分画においてG-CSF存在下で発現が明らかに減弱し、GM-CSF存在下では影響をうけないという、ALP mRNAと異なった変動を示す例がみられた。なお、この両疾患ではALPとMPOのSouthern分析を行ったが、調べた範囲ではMDS、CMLいずれの症例においても異常は認めなかった。

 AML例では白血病芽球がほとんどを占めるMNC分画で検討を行ったところすべてMPO mRNAの発現を認める一方で、G-CSFR mRNA発現についてはその発現量の相異が大きく、またdefensin mRNAは検出される症例と検出されない症例があった。これに対し、CMLのリンパ芽球性急性転化の例ではMPO、defensinおよびG-CSFRいずれのmRNAも検出されなかった。

 [考察]本研究は造血因子の有無による健常人及び血液疾患患者骨髄細胞における各種好中球分化マーカー遺伝子mRNA発現を調べたものである。好中球の分化成熟段階を調べる上で好中球に含まれている顆粒の形態を調べることは重要であるが、CMLと発作性夜間血色素尿症(PNH)におけるALP酵素活性低下例のように異なる機序で酵素活性の低下が起こっている場合がある。例えば、CML例での好中球ではmRNAの低下認められ、mRNAへの転写段階での異常またはRNA消退速度の亢進の機序が考えられているが、PNH例では逆に上昇しており、転写後の異常が考えられている。我々は細胞形態のみで好中球の真の成熟状態を調べることは不可能と考え今回の研究を行ったが、複数の好中球分化マーカー遺伝子のmRNA発現を調べることにより、特殊なマーカー遺伝子の欠損疾患でも、好中球の成熟段階を推測することができると考えられた。

 対象としてはMNC分画とPMN分画に分けて行ったが、この分類により未熟細胞群と成熟細胞群でのマーカー遺伝子の発現状態を知ることができた。すなわち、未熟細胞群では主にMPO、difensinの発現が認められるが、成熟細胞群ではALP、MPO、defensin及びG-CSFRすべての発現が得られた。造血因子無添加の状態でPMN分画の細胞を培養することにより、ALP、defensin及びG-CSFR遺伝子は誘導され、MPO遺伝子は抑制されたが、これらの分画は、細胞形態だけではなく細胞化学的にも2つの異なった成熟段階の細胞群を代表するものと考えられた。

 さらに、本研究では2つの成熟段階の細胞に対する骨髄細胞の増殖因子であるG-CSF、GM-CSF及びIL-3の異ななった作用を示した。In vitroでG-CSFはMNC分画のALP、MPO及びG-CSFR mRNA発現を増強し、PMN分画のALP及びG-CSFRを増強させたが、PMN分画のdefensin mRNAを減弱させた。一方GM-CSFはMNC分画のMPO mRNA発現を増強させALP及びdefensin mRNA発現をMNC、PMN両分画で抑制した。IL-3はGM-CSFとほぼ同様の作用を示した。これらの造血因子を併用することにより、さらに興味深い結果が得られた。GM-CSFは構成的なALP mRNA発現を抑制するだけではなく、G-CSFにより誘導されたALP mRNA発現をも抑制することがわかった。また、IL-3に関してもGM-CSF同様のALP mRNA抑制作用が考えられた。

 GM-CSFレセプターとIL-3レセプターは鎖を共有することが知られており、その増殖作用にはその細胞形質近位領域が必要と考えられているが、この2つの造血因子の作用の類似性はこれらのことからも推測される。また、その細胞形質近位領域はこれらの造血因子の細胞内伝達に必須と考えられている。さらに、これらの造血因子レセプターの細胞内伝達の研究により、GM-CSF及びIL-3はJAK2をリン酸化することが知られており、G-CSFはJAK1とJAK2をリン酸化する事が知られている。造血因子のレセプターがこれらのキナーゼを通して活性化する転写因子は解明されていないが、これらの造血因子の好中球分化マーカー遺伝子発現に対する相互作用を考える上で、JAK-STATのシグナル伝達経路の介入は良い例と考えられる。今後、造血因子の好中球系細胞の分化成熟に対する複雑なシグナル伝達の相互作用については、cDNAプローブを用いた更なる分子生物学的な解明が必要と考えられる。

 MDS及びCML例の骨髄分画は成熟が抑制された細胞の集団であることが考えられるが、我々が用いたそれぞれの分画では、健常人コントロールに比較し構成的な分化マーカー遺伝子mRNA発現が抑制されていた。しかし、造血因子の刺激により、健常人細胞と同程度に発現が増加した。一方、今回用いたAML細胞では成熟が停止した状態と考えられるが、細胞形態的にも生物学的にもこれらの造血因子により分化成熟が認められなかった。AML細胞では造血因子レセプターと好中球分化マーカー遺伝子間の正常のシグナル伝達が断裂した状態と考えられるが、MDS及びCMLではそれらが、部分的に障害を受けた状態とも考えられるが、シグナル伝達に対するこれらの病的な状態についてや腫瘍遺伝子の活性化によりシグナル伝達の断列が起こるという報告はまだ認められない。さらに、造血因子違いによる分化マーカー遺伝子の発現の変化は結果であって、分化成熟障害の病因とは言えないが、分化成熟障害という観点からAMLや関連疾患であるMDS及びCMLを考えることができる。今回用いた分化マーカー遺伝子による分子生物学的な研究はこれらの疾患の病態解明の上で有用であると考えられる。

審査要旨

 本研究は好中球分化成熟マーカーとしてのアルカリフォスファターゼ(ALP)、ミエロペルオキシダーゼ(MPO)、defensinおよびG-CSFレセプター(G-CSFR)の遺伝子発現様相とそれに対する顆粒球コロニー刺激因子(G-CSF)、顆粒球・マクロファージコロニー刺激因子(GM-CSF)およびインターロイキン3(IL-3)のinvitroでの作用について、健常者、骨髄異形成性症候群(MDS)、慢性骨髄性白血病(CML)および急性骨髄性白血病(AML)の各疾患患者の主として骨髄細胞をMNC分画(幼若細胞群)とPMN分画(成熟細胞群)に分けて比較検討したものであり、下記の結果を得ている。

 1.正常骨髄分画ではALP mRNAはPMN分画で、MPO、defensinおよびG-CSFRのmRNAはMNCおよびPMN両分画で発現が認められることが示された。但し、defensinならびにG-CSFR mRNA発現はPMN分画での発現がやや強い傾向があることが示され、MPO mRNAはPMN分画で培養により減少がみられることが示された。

 2.MNC、PMN両分画をそれぞれ一定期間培養するとALP mRNAの発現はG-CSF存在下で増強し、GM-CSF存在下では逆に抑制されることが示された。このGM-CSFによるALP mRNAの発現抑制作用はG-CSF存在下においても認められることが示された。またMNC分画でのMPO mRNA発現はG-CSFあるいはGM-CSF存在下で、MNCおよびPMN両分画におけるG-CSFR mRNA発現はG-CSF存在下でやや亢進していることが示された。一方、G-CSF、GM-CSF存在下でのMNC分画におけるdefensin mRNA、GM-CSF存在下での両分画のG-CSFR mRNAの発現にはとくに変動は認められないことが示された。更に、IL-3存在下ではALP mRNA発現は僅かに抑制されたが、その他のmRNAの発現には有意の変化が無いことが示された。

 3.MDSおよびCML患者の骨髄細胞分画での各遺伝子発現に関しては基本的には正常骨髄の場合と同様の傾向が得られたが、MPO mRNAの発現に関してはMNC分画に強く認められ、PMN分画ではほとんど検出され無いことが示された。また、好中球ALPスコアー低値のCMLおよびMDS症例ではPMN分画でALP mRNAはほとんど検出されず、G-CSF存在下で培養することによりその発現が誘導されることが示された。さらに、IL-3のALP抑制作用はCMLのMNC分画で明瞭に認められることが示された。defensin mRNAについては一部のMDSおよびCML症例で、PMN分画またはMNC分画においてG-CSF存在下で発現が明らかに減弱し、GM-CSF存在下では影響をうけないという、ALP mRNAと異なった変動を示す例がみられることが示された。なお、この両疾患ではALPとMPOのSouthern分析を行ったが、調べた範囲ではMDS、CMLいずれの症例においても異常は認めないことが示された。

 4.AML例では白血病芽球がほとんどを占めるMNC分画で検討を行ったところすべてMPO mRNAの発現を認める一方で、G-CSFR mRNA発現についてはその発現量の相異が大きく、またdefensin mRNAは検出される症例と検出されない症例があることが示された。これに対し、CMLのリンパ芽球性急性転化の例ではMPO、defensinおよびG-CSFRいずれのmRNAも検出されないことが示された。

 以上、本研究により好中球分化マーカー遺伝子のmRNA発現状態の検索は、健常人及び種々の血液疾患の好中球分化段階に対する好中球造血因子の作用の違いを調べる上で重要と考えられ、分化成熟障害という観点からAMLや関連疾患であるMDS及びCMLを考えると、今回用いた分化マーカー遺伝子による分子生物学的な研究はこれらの疾患の病態解明及び造血因子による治療に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられた。

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