北海道は縄文文化の北限の地である。北の最前線ということは、そこより北には縄文文化が分布できないのであり、その点で縄文文化の性格が明確にとらえられる地域である。そして、同じ縄文文化圏である本州と北海道が最も異なる点は、北海道が縄文時代以降近世まで、狩猟・漁労・採集を主要な生業としていた地域であることである。農耕社会と接触しながらも、農耕が主体的な生業にならなかった理由は何であろうか。その原因の一つは気候を含めた地理的な要因であろう。しかし、津軽海峡を挟んだ対岸の青森は早くから農耕社会に変わっていたのに、渡島半島はそうではないことから見て、これだけが原因とは考えられない。また、政治的な要因もあったと思われる。けれども、最大の原因は北海道の縄文時代の生業体系の中にすでに含まれていたのではなかろうか。そこで本論の目的は、縄文時代の北海道の生業体系について考えることである。 過去の狩猟・漁労社会の生業について考えるには、使用された道具類の分析や遺跡の立地の検討など様々な方法があるが、本論では動物考古学の方法を主に用いて分析を行うことにする。遺跡を発掘すると出土するさまざまな遺物の中で、貝殻や魚・鳥・獣の骨などの遺物は動物遺存体と呼ばれる。この動物遺存体を分析することによって過去の人間と動物の関わり方を追究し、そこから当時の社会や文化を考えるのが動物考古学である。動物考古学は狩猟・漁労の結果である動物骨を扱うので、狩猟・漁労活動に直接アプローチできる分野である。 本論では、まず日本におけるこれまでの動物考古学研究の歴史についてまとめ、次に動物考古学の方法論について述べる。次に北海道の自然環境と北海道の縄文時代の遺跡から出土する動物遺存体資料について説明する。各遺跡出土の動物遺存体から見ると、縄文時代の北海道の遺跡では貝類・ウニ類の採集、魚類の捕獲、陸獣狩猟、海獣狩猟がさかんに行われたと考えられる。そこで、これらの各生業についてそれぞれ検討し、北海道の縄文時代の狩猟・漁労体系と本州の縄文時代の狩猟・漁労体系を比較した。そして、狩猟と漁労に植物質食料の採集を加えたものが北海道の縄文人たちの主要な生業であったと思われるので、植物質食料の利用状況の変化についても石器組成を用いて述べた。最後にそれらをまとめて、生業活動から見た北海道の縄文文化の意味について考えた。その結果、北海道の縄文時代の生業体系には、本州と共通する点も多いものの、明らかに独自性があることがわかった。その独自性を形成するのは海獣狩猟の存在であり、特に縄文後期以降では狩猟技術の発達により北海道の縄文社会をより安定したものとした。海獣狩猟は北方からの影響のもとに成立した生業であり、北海道は本来南からの文化である縄文文化が北の影響を受け入れて、亜寒帯地域の自然環境に対して独特の適応を遂げた地域であると言うことができる。 |