生物学的現象の中には、遺伝子そのものの変化によって引き起こされるものが多々ある。例えば、脊椎動物の免疫系において抗原認識の多様性が産み出される過程や、酵母の接合型転換、病原微生物の抗原が変化する現象は、遺伝子の再編成が、その引き金となっている。これの再編成が遺伝的にプログラムされたものであるのに対して、往々にして癌の発生につながる、体細胞における遺伝子の欠失・再編成や、しばしば遺伝病の原因となる、生殖細胞において見られる、体細胞と類似のそれは、偶発的に起きる遺伝子の変化である。一方、ウィルスによる感染病もまた宿主の遺伝物質の変化と見ることができる。 染色体DNAの不特定の部位に、欠失・再編成・増幅などによる一次構造上の変化が生じた場合、その変化を起こした未知の部分を、特定のプローブを用いることなくクローニングする技術が開発されれば、このような生物学的現象を直接遺伝子レベルで解析することが可能となり、ひいてはこれらの現象の根底にある、遺伝学上の新たな発見へとつながるかも知れない。 Complexityの大きな哺乳動物の染色体DNAに生じたシングルコピーの変化をクローニングできる方法にはrepresentational difference analysis(RDA)法と、当研究室で開発されたin-gel competitive reassociation(IGCR)法がある。これらの方法はともにsubtractive hybridizationを基本原理としている。すなわち、まず、クローニング目標となるDNA断片(target)を含む染色体DNAからPCR増幅可能なtesterDNAを、targetを含まないこと以外は事実上同一である染色体DNAからPCR増幅不可能なdriverDNAを調製する。次に、testerDNAと大過剰量のdriverDNAをhybridizeして、testerDNAの再会合に競合的阻害をかける。つづいて、このとき阻害されず自己再会合したDNA断片を選択的にPCR増幅することによりtargetを濃縮する方法である。しかし、RDA法は液相系でhybridizationを行なうsolution subtractive hybridizationであり、IGCR法はこれを電気泳動後のゲル内で行なうin-gel subtractive hybridizationである(Fig.1.,Fig.2.)。したがって、RDA法は極めて有効なDNA変化のクローニング法であるがdriverDNAにtargetとホモロジーが高い断片が存在する場合には適用できないのに対し、IGCR法では断片長さえ僅かにことなればこのようなtargetのクローニングが可能である。また、whole genomePCRにより染色体DNAのcomplexityを下げたtesterDNA、driverDNAを使用しなければならないRDA法に比べて、IGCR法では染色体DNAのcomplexityを下げることなくsubtractionを行なうことができるので、DNA変化を検索できる染色体DNAの領域が明らかに広い。IGCR法にはこのような利点があるが、これまでのところ、0.5コピーのtargetを濃縮することは困難であった。そこで、IGCR法のこのような利点を生かし、さらにゲノムあたり0.5コピーのtargetをクローニングすることができる、新しいIGCR法の確立を目指した。 従来のIGCR法では、referenceDNA(RDA法のdriverDNAに相当する。)が誤って増幅されないようにビオチン標識したtesterDNAをbiotin/avidin selectionにより選択的に増幅する方法(Fig.2.)がとられていたため、testerDNAとreferenceDNAの分子量が異なり電気泳動における移動度に差が生じていた。また、ゲル内でのDNA断片の局所濃度を高め、シングルコピーのtargetの再会合効率を改善すべくポリアクリルアミド系のゲルであるHydro Linkを使用していたために、ゲル内における競合的再会合が起こりにくいと考えられた。そこで、testerDNAのビオチン標識が不要となるreferenceDNAを調製するために脱リン酸化の条件を検定し、さらにゲル内での競合的再会合を促進するためにアガロースを採用することにより、0.5コピーのtargetを濃縮できる方法を確立した(Fig.3.)。 IGCR法を繰り返し行なってtargetを濃縮する場合、testerDNAのpopulationにはtargetが濃縮されることになるが、さらにゲル内でのhybridizationにおける挙動の違いや相次ぐPCR増幅により、target以外のDNA断片(non-target)にもコピー数の変動が生じ、testerDNAは元の染色体DNAを反映しなくなる。従来法では常にreferenceDNAとして染色体DNAから直接調製したものを使用していたため、referenceDNAを質量比でtesterDNAの過剰量としてもモル比では十分過剰とはなりえず、IGCR法を繰り返し行なってもtargetの十分な濃縮が困難であった。そこで、ある染色体DNA(genomic DNA A)から他の染色体DNA(genomic DNA B)をIGCR法によりsubtractする(A-B)際には、referenceDNAを調製した染色体DNA同士で同様にIGCR法によるself-subtractionを行なう(B-B)ことにより、A-BのtesterDNAと同じ実験操作によるbiasを生ぜしめたB-BのtesterDNAからA-BのreferenceDNAを調製する方法(self-subtracted referenceDNAの採用)を考案した(Fig.4.)。 図表Fig.1.RDA法の原理 / Fig.2.IGCR法の原理 / Fig.3.新しいIGCR法の原理 / Fig.4.Self-subtracted reference DNAを用いたIGCR法の概略. Self-subtracted referenceDNAを採用した新しいIGCR法により、CHO細胞株のaprt遺伝子に関してヘミ接合体であるD422からホモ欠失変異株であるS10をsubtractして、aprt遺伝子の濃縮を試みた。 その結果、D422のゲノムを3x109bpとすると、IGCR法を行なう前には、ゲノムあたり0.5コピーであるaprt遺伝子の368bp,375bp,457bpのDNA断片のクローニング効率は理論上1/5x106となるが、IGCRを3回行なうことで、aprt遺伝子は濃縮され、作製したライブラリーにおけるクローニング効率は41/20,000=1/488となった。 IGCR法による、このaprt遺伝子の濃縮は、D422同士をIGCR法でself-subtractionした場合にはaprt遺伝子が希釈されたことから、artifactではないことが確認された。さらに、ライブラリーをスクリーニングした結果、48クローンのうち15クローンがD422とS10におけるaprt遺伝子以外の変化を示した。そのすべてがD422,S1Oの両方に存在するが、S10でコピー数の減少を示すDNA断片であった。ReferenceDNAであるS10にも存在する、これらのDNA断片はsolution subtractive hybridizationであるRDA法ではクローニングすることができない。新しいIGCR法でクローニングできたのは、self-subtracted referenceDNAを導入したことによると考えられる。すなわち、これらのDNA断片は、S10のself-subtractionによりself-subtracted referenceDNAでは希釈されているからである。これらの15クローンは互いにdot hybridizationを行なった結果、最終的に11クローンにまとめられた。S10はD422から自然突然変異により得られたaprt遺伝子の欠失変異株の一つであるが、これらの変異株におけるaprt遺伝子の欠失は、いくつかのshort(2-7bp)sequence repeatを介した非相同組換えによることが示唆されている。IGCR法のtesterDNAおよびreferenceDNAの調製に用いたMseIの認識配列TTAAを含むTTAAGは、これらshort sequence repeatの一つと考えられている。クローニングされたaprt遺伝子以外の変化を示す11クローンのうち9クローンについて末端部分塩基配列を決定したところ、2クローンの末端部分に、この配列が認められた。残りの9クローンについても、今回塩基配列を決定しなかった、もう一方の末端にこの配列が存在する可能性があり、おそらくこれらの変化はS10の欠失によるものと考えられる。 以上の結果から、self-subtracted referenceDNAを採用した新しいIGCR法により、0.5コピーのtargetを濃縮することは可能であり、さらに高等動物ゲノムにおける、RDA法では検出できない未知のlow/single copyのDNA変化をクローニングできると考えられる。 |