本研究では、我国大都市での都心居住論は、新規居住者を受け入れることによる社会的便益の増大により成立するという前提に立ち、新規居住者の受け入れを、既存居住者の居住継続、社会経済的な安定をもたらす新規の業務機能等の立地等と調和的に実現するための「方策」を構築することを目的とする。 一方、1980年代後半以降の地価上昇にともなう急激な人口減少を背景として、東京都心各区では「土地利用規制の操作を通じた個別の建築・開発行為の誘導により都心居住実現を図る手法群」すなわち『居住機能誘導手法』を導入し、これらの手法を中心に都心居住への取り組みを行ってきた。従って、この『居住機能誘導手法』の可能性と限界を検討し、新たに必要となる技術的対応を見極め、それを支えるための制度的枠組みを構想することが最も現実的かつ有効なアプローチと考えて研究を組み立てている。 本研究は、二部構成として行われている。第一部では、居住機能誘導手法の運用実態を分析する視点を抽出することを目的とし、1980年から1990年代初頭までの東京区部都心10区の市街地実態について検討を加えた。 第1章では、都心居住地の広域的空間構成と変容について検討した。戦後の諸計画は、明治以降の都市計画的対応により形成されてきた下町・山手という2分構成の「地」に、多心型の都市構造とそれを囲む中高層住宅地という新たな像を重ねて描いてきた。そして、その実現を目指して行われた戦後の都市政策は、「アクセシビリティ」及び単位容積当たり地価から推し量る限り、都心居住地を横断する「多心連鎖型」をなす業務需要の分布構造と、それとは西南方向に頂のずれた住宅需要の分布構造という形で、用途別需要を顕在化させる結果となった。そのことは「地」の特性と共に、急激な人口減少に代表される1980年代後半の広域的市街地変容に影響を与えていた。以上より、都心居住誘導に考慮すべきと考えられる「地」と「用途別需要」という異なる特性を重ね合わせ、業務需要の高い「下町遷移地域」「山手遷移地域」等計14の空間区分を提示した。 第2章では、第1章の空間区分を参考に9つの調査対象地区を抽出し、1980年以降の建築物単位の更新動向や利用状況について検討を加えた。面的に高容積率が指定されている下町各地区では、高層建てのマンション系建築物や事務所が街区内部に侵出し、形態混合による居住環境悪化が生じている。また、マンション系では空室が3〜5割と多い。下町「遷移地域」ではマンション系の新設は皆無で、既存居住者が居住継続しているオーナー住宅付ビルでは、多世代居住に十分な床面積と居住環境を確保できず、高齢世帯への特化が懸念される。山手各地区では、街区内部への第二種住居専用地域や高度地区の指定により形態混合は少なく、マンション系の住居利用も7〜8割程度ある。ただし、山手「遷移地域」では同用途地域おいても、事務所転用が4割を越える地区もあり、敷地条件によりマンションへの更新が住居利用床を減少させている。また、低層事務所の建設も見られ住機能は保全されていない。一方、下町・山手に関わらず用途別需要が低い地域では、自己利用を主目的とした低充足な更新が多い。 第3章では、都心10区別に居住人口維持に必要な住宅床と将来住宅床を2008年時点まで予測した。千代田、中央では住宅供給量が少ないために、現在居住人口密度の高い豊島、渋谷では居住水準の向上と空室や非住宅利用の上昇が著しと予想されるため、居住人口維持に必要な住宅床が将来住宅床を大幅に上回っている。また、現行の住宅付置義務制度の方式では、都心各区の居住人口維持には不十分であり、パリ型の「高密型市街地」の場合には、千代田、中央、港では十分な住宅床が確保されるが、他区では現在の高密な居住人口を維持し得ない。 以上より第一部結では、(1)空間区分別の特性や都心居住地全体のバランスなど広域的視点の個別の建築行為や開発行為に対する投影、(2)居住者特性上のバランスや街並み、商業活動の活性化等において地区に貢献し得る建築物の形態や住戸形式への誘導、(3)良好なストックとして現在・将来とも住宅として機能し得る魅力ある住宅性能の確保、(4)そして、以上の三点を整合的に調整し、解決する方策となり得ていること、を誘導手法を検討する視点として得た。 第二部では、誘導手法として、市街地住宅総合設計制度(以下「市住総」4章)、住宅付置義務制度(5章)、地区計画等(6章)、92年法新用途地域制及び中高層階住居専用地区(7章)を取り上げ、制度的展開の可能性や限界を考察した。 「市住総」については、広域的な住宅供給の促進・誘導と、建築審査会、公聴会、住民説明会を通じた住宅の質や開発形態の個別誘導の二点に注目し、東京都の運用実態を検討した。現行の「市住総」の利用は、1,000m2を越える事務所開発において「付置住宅」分の容積緩和を得る場合が大半で、狭小敷地が過半を占める都心居住地では広域的誘導は果たせていない。また、地域別運用の法的根拠に乏しく現行の枠組みでは発展的対応は困難である。一方、許可申請過程では詳細な基準が示された「許可要綱」と計画内容の照合に力点がおかれ、公聴会等も十分機能しておらず、街並みに即した開発形態や住宅の質を確保を目的とした「個別誘導基準」を形成する「仕組」として積極的に捉え直す必要がある。 住宅付置義務制度に関しては、人口維持の定量的効果、住宅の質の確保、「飛ばし」の問題について港区を対象に検討した。本制度は、最低限必要な住宅確保を目的とし緊急避難的に導入され、後に要綱が充実し住宅の質の確保等も含めたより総合的手法へと発展してきた。しかし、分析対象とした1985年から90年では、本制度による居住人口の増加は同期間の港区の人口減少の7%に過ぎず、大規模開発を対象とした本制度のみによる人口維持は困難である。又、総合的目的の達成には「要綱による行政指導」という枠組み自体に限界があり、別立ての公式な計画に地域別に確保される住宅の質や量に関する基準を盛り込み、これを根拠とする必要がある。また「飛ばし」の選択、事業者の一致・不一致等の対応を含め、諸手続きに関しては「条例化」し公平性を確保する等の工夫を要する。 地区計画等については、容積インセンティブによる住宅供給、住宅の質の確保、広域性と地区貢献の整合的解決の三点について、広島市、中央区、墨田区を対象事例とし検討を行った。各事例とも、容積インセンティブに条件設定を行い住宅確保の可能性を高める仕組を有していたが、容積インセンティブのみでは、公共性ある住宅確保と地区的・街並み的視点の両立や、個別更新による計画性の発揮という観点からは限界があった。従って、容積率以外のインセンティブ、例えば他の形態規制の緩和、建設助成や家賃補助等を組み合わせる必要がある。また、広域性を計画内容に反映するためには、別立ての「基準」を用意する必要もある。地区整備計画に盛り込み難い住宅の質に関しては、「方針」を根拠とした届出勧告制度による事前誘導を活用し補完することが考え得る。 1992年に改正された新用途地域と新たに創設された中高層階住居専用地区については東京区部都心10区における指定実態を検討した。その結果、都が示す現行の「土地利用に関する基本的方針」や「指定方針」「指定基準」を通じた広域的な視点での誘導は、法的根拠を確保するため、誘導に関する記述を充実させた上で「整開保」などの公式な計画に「民主的手続」を経て盛込むことを検討する必要がある。又、1996年告示予定の用途見直しでは、地区レベルの市街地像を設定し、それを実現する手段として新用途地域や中高層階住居専用地区の指定を行うことを一部の区で試みていた。このような「まちづくり」的な見直しプロセスは、短期間に全面的見直しを行う「一斉見直し」の過程になじまない。しかし、誘導の実効性を高めるためにはこうした方式が必要であり、協議会等を通じた住民の意向調整と共に随時見直しを行い得る仕組が必要となる。 第二部結では、以上までの検討結果を踏まえて、居住機能誘導手法展開の意味と限界について考察し、体系的運用を構築するべき方向について論述した。 居住機能誘導手法は、旺盛な建設活動を前提として容積率の緩和をインセンティブとし、開発主体に住宅設置することを勧めたり、義務づけたりする「仕組」を基本としていた。が、広域誘導や総合的住宅の質、地区レベルの環境確保といった新たな社会的要請に対応すべく、技術的な可能性を模索し、独自の「仕組」を展開してきたのである。しかし、そうした「展開」は個別的でありまた、技術を実現するための制度的枠組み自体が限界を有していたことから、「展開」の積み重ねは必ずしも有効ではなかった。そして、そうした限界を乗り越えるため、新しい社会的要請に対応した「育ちつつある技術(仕組)」の展開する方向を見定め、それを育む新しい制度的枠組みを与え、個別手法を体系化することが必要であると考えられる。以下にその方向を素描してみる。 現在個別的に用いられている各手法の体系化には、統一的運用基準となる「計画」が不可欠であり、これは広域的視点を確保する都心居住地計画、地区への貢献を実現するため「まちづくり的過程」で策定される狭域計画、そして、まちづくりが進展する間の補完的な役割と区の政策課題の反映を目的とした区の計画が必要と考えられる。そして、これらの策定プロセス上の問題や計画間の整合性を確保するため、都・区の各レベルにおいてまちづくり条例が必要となる。各手法は、整合的な内容を持つ各計画に従う形で運用され、各手法の運用手続きについては、各運用主体の条例に公式化し公平性や透明性を確保する。 |